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萬田五郎

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萬田五郎

萬田 五郎(まんだ ごろう、1905年明治38年)2月25日[1] - 1994年平成6年)5月1日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)、日立市長(3期)。

来歴・人物

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秋田県出身。1929年東京帝国大学英法科卒。日立製作所に入り、日立工場に勤務する。同工場労務係長、庶務課長を経て1943年総務部長に就任する。この間1939年に日立市議に選出された。1947年4月の第23回衆議院議員総選挙日本社会党から立候補して当選する。衆議院議員を1期務めた後、日立電鉄専務取締役を経て、社長に就任した。1963年日立市長に就任、3期務め、1975年に引退した。1994年死去。死去後日立名誉市民に選ばれた[3]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、77頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1172頁。
  3. ^ 日立市|名誉市民

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。


公職
先代
高嶋秀吉
日立市旗茨城県日立市長
1963年 - 1975年
次代
立花留治