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2021年12月7日 (火) 03:50時点における版
我妻 建治(あがつま けんじ、1933年 - )は、日本の歴史学者。第9代学校法人成城学園学園長、第13代成城大学学長、成城大学名誉教授。白石城調査指導委員会委員長、NHK放送研修センター評議員等も務めた。
人物・経歴
宮城県白石市生まれ。宮城県白石高等学校を経て、東北大学卒業[1][2]。1982年『神皇正統記論考』で東北大学文学博士の学位を取得[3]。成城大学文芸学部教授、成城大学民俗学研究所主事[4]、成城大学文芸学部長等を経て[5]、2001年から2007年まで第13代成城大学学長[6]、2003年から2007年まで学校法人成城学園学園長[7]。白石城調査指導委員会委員長や[8]、財団法人NHK放送研修センター評議員等も務めた[9]。2008年秋の叙勲で瑞宝中綬章受章[10]。院のゼミでは教室に灰皿とタバコを持ち込み、喫煙しながらゼミを行うのが定番であった。また、「彼は、バカだから」と学生の名前をあげてつるし上げるなど、人の批評には容赦がない面もあった。
著書
脚注
- ^ 「pdfファイル -」 東北大学大学院文学研究科
- ^ 「公報しろいし1988年6月」白石市
- ^ 東北大学 , 文学博士 , 乙第3312号 , 1982-03-11
- ^ 研究所の歴史成城大学
- ^ 「出版物のご案内」海外日系人協会
- ^ 「大学概要」成城大学
- ^ 歴代学園長学校法人成城学園
- ^ ◎「これが片倉御膳」名家の味に登別市長ら舌鼓室蘭民報2003年9月6日付朝刊
- ^ 平成17年度 事業報告書 - NHK放送研修センター
- ^ 秋の叙勲・褒章 栄誉に浴した私学関係者日本私立大学協会平成20年11月 第2337号(11月5日)