「フランクフルト (オーダー)」の版間の差分

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== 歴史 ==
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[[ファイル:2006-10 Slubice Frankfurt(O) panorama 01.jpg|thumb|right|220px|国境の川オーダー川を挟んで、左がフランクフルト、右がスウビツェとなる]]
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[[ファイル:Frankfurt Oder oben.jpg|thumb|right|220px|街並]]
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フランクフルト周辺にはオーダー川の浅瀬があり、川を渡る地点として重要な土地であった。
フランクフルト周辺にはオーダー川の浅瀬があり、川を渡る地点として重要な土地であった。
[[13世紀]]に[[ドイツ]]と[[バルト海]]沿岸を結ぶ交易が盛んになり、[[パリ]]―[[アーヘン]]―[[ベルリン]]―[[ワルシャワ]]―[[モスクワ]]を結ぶ交易路と、[[プラハ]]―[[マイセン]]―[[クラクフ]]を結ぶ交易路が交わる場所に、交易商人たちが入植地を作ったのがフランクフルト (オーダー)の起源である。[[グローガウ]]公爵ハインリヒ1世は市場開設<!--と免税? Niederschlagsrecht-->の特許状を[[1225年]]に交付、[[1226年]]頃に市の最初の教会である[[ミラのニコラオス|聖ニクラウス]]教会が建設された(現在の名は平和教会)。
[[13世紀]]に[[ドイツ]]と[[バルト海]]沿岸を結ぶ交易が盛んになり、[[パリ]]―[[アーヘン]]―[[ベルリン]]―[[ワルシャワ]]―[[モスクワ]]を結ぶ交易路と、[[プラハ]]―[[マイセン]]―[[クラクフ]]を結ぶ交易路が交わる場所に、交易商人たちが入植地を作ったのがフランクフルト (オーダー)の起源である。[[グローガウ]]公爵ハインリヒ1世は市場開設<!--と免税? Niederschlagsrecht-->の特許状を[[1225年]]に交付、[[1226年]]頃に市の最初の教会である[[ミラのニコラオス|聖ニクラウス]]教会が建設された(現在の名は平和教会)。
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== 交通 ==
== 交通 ==
*[[フランクフルト(オーダー)市電]]
*[[フランクフルト(オーダー)市電]]
[[ファイル:Oderturm_und_Straßenbahn_2019.jpg|thumb|高層ビル「オーダートゥアム」の前を走る市電(2019年)]]


== ゆかりの人物 ==
== ゆかりの人物 ==
[[ファイル:FrankfurtOderRathaus.JPG|thumb|right|220px|ゴシック様式の市役所]]
[[ファイル:FrankfurtOderRathaus.JPG|thumb|right|ゴシック様式の市役所]]
* [[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ]]:作曲家
* [[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ]]:作曲家
<!--* [[オットー・スコルツェニー]]:軍人{{要出典|date=2014年6月}}-->
<!--* [[オットー・スコルツェニー]]:軍人{{要出典|date=2014年6月}}-->

2021年4月17日 (土) 15:14時点における版

紋章 地図
基本情報
連邦州: ブランデンブルク州
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯52度20分30秒 東経14度33分03秒 / 北緯52.34167度 東経14.55083度 / 52.34167; 14.55083
標高: 海抜 28 m
面積: 147.61 km²
人口:

56,679人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 384 人/km²
郵便番号: 15230–15236
市外局番: 0335, 033605 (ボーセンドイツ語版)
ナンバープレート: FF
自治体コード: 12 0 53 000
行政庁舎の住所: Marktplatz 1
15230 Frankfurt (Oder)
ウェブサイト: www.frankfurt-oder.de
首長: マルティン・ヴィルケドイツ語版(無所属)
州内の位置

フランクフルト (オーダー) (Frankfurt (Oder)[2]) は、ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州の都市である。1999年1月1日より郡独立市として、行政上は郡と同格の地位を持つ。人口は約57,000人。ポーランドとの国境、オーダー川に面する。

都市名は、フランクフルト・アン・デア・オーダードイツ語: Frankfurt an der Oder[3]とも表記される。ヘッセン州フランクフルト・アム・マインが「マイン河のフランクフルト」であるのに対し、この都市は「オーダー河畔のフランクフルト」である。

第二次世界大戦後、オーダー川はドイツとポーランドの国境(オーダー=ナイセ線)となり、対岸のポーランド側には敗戦まで同市の一部だったスウビツェ、また七年戦争で歴史に残るクーナースドルフ(現クノヴィツェ)などがある(「回復領」)。

市の紋章

緑の山の上に立つ、金のとさかをもつ赤い雄鶏(右向き)。地は白。背景は、左右に塔をもつ市の門(赤)。二つの塔の上に金の紋章旗(金の雄鶏)が立ち、門の上にはブランデンブルクの紋章である赤の鷲の紋章がかかげられる。

歴史

国境の川オーダー川を挟んで、左がフランクフルト、右がスウビツェとなる
街並

フランクフルト周辺にはオーダー川の浅瀬があり、川を渡る地点として重要な土地であった。 13世紀ドイツバルト海沿岸を結ぶ交易が盛んになり、パリアーヘンベルリンワルシャワモスクワを結ぶ交易路と、プラハマイセンクラクフを結ぶ交易路が交わる場所に、交易商人たちが入植地を作ったのがフランクフルト (オーダー)の起源である。グローガウ公爵ハインリヒ1世は市場開設の特許状を1225年に交付、1226年頃に市の最初の教会である聖ニクラウス教会が建設された(現在の名は平和教会)。

1253年には都市として認められ、街はやがて西岸から東岸(現在のスウビツェ)へも広がった。また1430年にはハンザ同盟に加わり、短期間その一員となった。

1506年にはヨアヒム1世によりブランデンブルク辺境伯領の主要な大学となるヴィアドリナ大学(Alma Mater Viadrina, オーダー川のラテン語名 Viadra にちなむ)が成立したが、1811年に閉鎖されブレスラウ大学と合併し、一部は新設されたベルリン大学に移動した。ヴィアドリナ大学は、1991年に「ヴィアドリナ欧州大学ドイツ語版」として復活している。

19世紀にはフランクフルト (オーダー)はプロイセン王国の中央に位置する重要な交易都市となり、ドイツではライプツィヒに次ぐ大きな見本市が開かれるようになった。また1842年にはベルリンとを結ぶ鉄道も開通した。

1945年第二次世界大戦末期には第三帝国の首都ベルリンに進撃するソ連赤軍に対するドイツ国防軍の要塞となり、フランクフルト (オーダー)は戦場となった。戦後のドイツ国境はオーダー=ナイセ線とされたため、市街のうち川の東岸にあったダムフォアシュタット地区 (Dammvorstadt) は、ポーランド領とされ、スウビツェ市となった。

第二次世界大戦後はソ連占領地域となり、その後成立した東ドイツでは、フランクフルト県ドイツ語版の県庁所在地であった。

現在のフランクフルト (オーダー)は対岸のポーランドとの交流や共同プロジェクトが盛んである。ポーランドのEU加盟(2004年)にともないシェンゲン協定がポーランド国境に実施され、国境検問所は撤廃され往来は自由となった。しかしドイツ再統一後この地域の経済は停滞し、失業率も高まり、1990年に87,000人を数えた人口も大きく減少している(現在の人口:約57,000人)。

交通

高層ビル「オーダートゥアム」の前を走る市電(2019年)

ゆかりの人物

ゴシック様式の市役所

姉妹都市

脚注

  1. ^ Bevölkerungsentwicklung und Flächen der kreisfreien Städte, Landkreise und Gemeinden im Land Brandenburg 2021 (Fortgeschriebene amtliche Einwohnerzahlen, bezogen auf den aktuellen Gebietsstand)
  2. ^ 公式サイトでの表記
  3. ^ この他にもフランクフルト・アン・デル・オーデル表記もある。

外部リンク