「エサ=ペッカ・サロネン」の版間の差分

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'''エサ=ペッカ・サロネン'''('''{{lang|fi|Esa-Pekka Salonen}}''', [[1958年]][[6月30日]] - )は、[[フィンランド]]の[[作曲家]]・[[指揮者]]。2008年から、[[フィルハーモニア管弦楽団]]の首席指揮者・芸術顧問を務める。また[[ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団]]の名誉指揮者である。
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==歴==
== 人物・来 ==
[[ヘルシンキ]]・[[シベリウス音楽院]]で[[ホルン]]演奏と[[作曲]]を学ぶ。同級生の[[作曲家]][[マグヌス・リンドベルイ]]や[[サーリアホ]]と実験音楽合奏団「トイミー」({{lang|fi|Toimii}}、[[フィンランド語]]で「それは作用する」の意)を結成。その後、[[フランコ・ドナトーニ]]とニコロ・カスティリオーニのもとで作曲の研鑽を積む。当初は作曲活動に専念したが、1983年に急遽[[ロンドン]]で[[マイケル・ティルソン・トーマス]]の代役として[[フィルハーモニア管弦楽団]]の[[グスタフ・マーラー|マーラー]]作曲[[交響曲第3番 (マーラー)|交響曲第3番]]の公演を引き受けることとなり、指揮者としての経歴が開始された。その後も[[1985年]]から[[1994年]]までフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者を務めてきた。
[[ヘルシンキ]]・[[シベリウス音楽院]]で[[ホルン]]演奏と[[作曲]]を学ぶ。同級生の[[作曲家]][[マグヌス・リンドベルイ]]や[[サーリアホ]]と実験音楽合奏団「トイミー」({{lang|fi|Toimii}}、[[フィンランド語]]で「それは作用する」の意)を結成。その後、[[フランコ・ドナトーニ]]とニコロ・カスティリオーニのもとで作曲の研鑽を積む。当初は作曲活動に専念したが、1983年に急遽[[ロンドン]]で[[マイケル・ティルソン・トーマス]]の代役として[[フィルハーモニア管弦楽団]]の[[グスタフ・マーラー|マーラー]]作曲[[交響曲第3番 (マーラー)|交響曲第3番]]の公演を引き受けることとなり、指揮者としての経歴が開始された。その後も[[1985年]]から[[1994年]]までフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者を務めてきた。


[[1985年]]から[[スウェーデン放送交響楽団]]の首席指揮者に、また[[1984年]]に[[アメリカ合衆国]]デビューを果たして以来、[[1991年]]から[[ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団]]の音楽監督に就任(首席指揮者と兼任)し、[[現代音楽]]の演奏と録音に献身してきた。[[ヴィトルド・ルトスワフスキ]]の交響曲第3番の世界初録音は、[[1985年|1985年度]]{{仮リンク|グラモフォン賞|en|Gramophone Award}}現代音楽部門最優秀録音に選ばれた。
[[1985年]]から[[スウェーデン放送交響楽団]]の首席指揮者に、また[[1984年]]に[[アメリカ合衆国]]デビューを果たして以来、[[1991年]]から[[ロサンジェルス・フィルハーモニック]]の音楽監督に就任(首席指揮者と兼任)し、[[現代音楽]]の演奏と録音に献身してきた。[[ヴィトルド・ルトスワフスキ]]の交響曲第3番の世界初録音は、[[1985年|1985年度]]{{仮リンク|グラモフォン賞|en|Gramophone Award}}現代音楽部門最優秀録音に選ばれた。


サロネンの作品には、[[フランツ・カフカ]]の『判決』から題名をとった[[サクソフォーン協奏曲]]『…一瞥して何も気付かず…』(''...auf den ersten Blick und ohne zu wissen...'', [[1980年]])や、[[スタニスワフ・レム]]のテクストによる[[ソプラノ]]のための''Floof''([[1982年]])、管弦楽曲『ロサンジェルス変奏曲』(''L.A. Variations'', [[1996年]])がある。作曲活動に没頭できるように[[2000年]]に1年間の休息をとり、その間にホルン独奏曲『演奏会用練習曲』(''Concert Étude'' )や、[[アンシ・カルトゥネン]]と[[ロンドン・シンフォニエッタ]]のためのチェロ作品や管弦楽曲を作曲した。
サロネンの作品には、[[フランツ・カフカ]]の『判決』から題名をとった[[サクソフォーン協奏曲]]『…一瞥して何も気付かず…』(''...auf den ersten Blick und ohne zu wissen...'', [[1980年]])や、[[スタニスワフ・レム]]のテクストによる[[ソプラノ]]のための''Floof''([[1982年]])、管弦楽曲『ロサンジェルス変奏曲』(''L.A. Variations'', [[1996年]])がある。作曲活動に没頭できるように[[2000年]]に1年間の休息をとり、その間にホルン独奏曲『演奏会用練習曲』(''Concert Étude'' )や、[[アンシ・カルトゥネン]]と[[ロンドン・シンフォニエッタ]]のためのチェロ作品や管弦楽曲を作曲した。


サロネンは現代音楽だけでなく、[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]や[[カール・ニールセン|ニールセン]]、[[ラーシュ=エーリク・ラーション|ラーション]]などの[[20世紀]]前半から中頃に活躍した[[北ヨーロッパ|北欧]]の作曲家の紹介にも取り組んでいる。
サロネンは現代音楽だけでなく、[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]や[[カール・ニールセン|ニールセン]]、[[ラーシュ=エーリク・ラーション|ラーション]]などの[[20世紀]]前半から中頃に活躍した[[北ヨーロッパ|北欧]]の作曲家の紹介にも取り組んでいる。


== 来日 ==
== 来日 ==
*1987年、[[スウェーデン放送交響楽団]]来日公演
*1987年、[[スウェーデン放送交響楽団]]来日公演
*1988年、[[NHK交響楽団]]定期演奏会客演
*1988年、[[NHK交響楽団]]定期演奏会客演
*1990年、NHK交響楽団定期演奏会客演
*1990年、NHK交響楽団定期演奏会客演
*1994年、[[ロスアンジェルス・フィルハーモニック]]来日公演
*1994年、[[ロンジェルス・フィルハーモニック]]来日公演
*1998年、[[東京オペラシティ]]で、[[フィルハーモニア管弦楽団]]来日公演、[[リゲティ・ジェルジュ|リゲティ]]作品を振る
*1998年、[[東京オペラシティ]]で、[[フィルハーモニア管弦楽団]]来日公演、[[リゲティ・ジェルジュ|リゲティ]]作品を振る
*2002年、NHK交響楽団定期演奏会客演、他
*2002年、NHK交響楽団定期演奏会客演、他
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=== CM ===
=== CM ===
*[[アップル (企業)|アップル]]「[[iPad Air (第1世代)|iPad Air]]」(2014年)
*[[アップル (企業)|アップル]]「[[iPad Air (第1世代)|iPad Air]]」(2014年)

== 脚注 ==
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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{{ロサンジェルス・フィルハーモニック音楽監督}}
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{{フィルハーモニア管弦楽団 首席指揮者}}
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2017年10月25日 (水) 15:42時点における版

エサ=ペッカ・サロネン
Esa-Pekka Salonen
基本情報
生誕 (1958-06-30) 1958年6月30日(65歳)
出身地  フィンランド
ウーシマー州 ヘルシンキ
学歴 シベリウス音楽院
ジャンル 現代音楽
クラシック音楽
実験音楽
職業 作曲家
指揮者
共同作業者 トイミー

エサ=ペッカ・サロネンEsa-Pekka Salonen, 1958年6月30日 - )は、フィンランド作曲家指揮者。2008年から、フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者・芸術顧問を務める。またロサンジェルス・フィルハーモニックの桂冠指揮者である。

人物・来歴

ヘルシンキシベリウス音楽院で、ホルン演奏と作曲を学ぶ。同級生の作曲家マグヌス・リンドベルイサーリアホと実験音楽合奏団「トイミー」(Toimiiフィンランド語で「それは作用する」の意)を結成。その後、フランコ・ドナトーニとニコロ・カスティリオーニのもとで作曲の研鑽を積む。当初は作曲活動に専念したが、1983年に急遽ロンドンマイケル・ティルソン・トーマスの代役としてフィルハーモニア管弦楽団マーラー作曲交響曲第3番の公演を引き受けることとなり、指揮者としての経歴が開始された。その後も1985年から1994年までフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者を務めてきた。

1985年からスウェーデン放送交響楽団の首席指揮者に、また1984年アメリカ合衆国デビューを果たして以来、1991年からロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任(首席指揮者と兼任)し、現代音楽の演奏と録音に献身してきた。ヴィトルド・ルトスワフスキの交響曲第3番の世界初録音は、1985年度グラモフォン賞英語版現代音楽部門最優秀録音に選ばれた。

サロネンの作品には、フランツ・カフカの『判決』から題名をとったサクソフォーン協奏曲『…一瞥して何も気付かず…』(...auf den ersten Blick und ohne zu wissen..., 1980年)や、スタニスワフ・レムのテクストによるソプラノのためのFloof1982年)、管弦楽曲『ロサンジェルス変奏曲』(L.A. Variations, 1996年)がある。作曲活動に没頭できるように2000年に1年間の休息をとり、その間にホルン独奏曲『演奏会用練習曲』(Concert Étude )や、アンシ・カルトゥネンロンドン・シンフォニエッタのためのチェロ作品や管弦楽曲を作曲した。

サロネンは、現代音楽だけでなく、シベリウスニールセンラーションなどの、20世紀前半から中頃に活躍した北欧の作曲家の紹介にも取り組んでいる。

来日歴

出演

CM

脚注

出典

外部リンク