クリストフ・フォン・ドホナーニ
クリストフ・フォン・ドホナーニ | |
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![]() 2016年
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基本情報 | |
生誕 | 1929年9月8日(88歳) |
出身地 | ![]() |
学歴 | ミュンヘン音楽大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者、作曲家 |
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnányi, ハンガリー語: Dohnányi Kristóf, 1929年9月8日 - )は、ドイツ出身の指揮者、作曲家。
来歴[編集]
ベルリン生まれ。父はウィーン生まれのドイツの法律家ハンス・フォン・ドホナーニである。ハンスは反ナチスとユダヤ人支援のレジスタンス活動をしたため、1945年にナチスの強制収容所で処刑された。母はクリスティーネ・ボンヘッファー。母方の叔父はルター派の神学者で、やはり反ナチスのレジスタンス活動家であり、ヒトラー暗殺計画に関わって1945年に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー。兄は後にハンブルク市長をつとめたクラウス・フォン・ドホナーニ。ハンガリーの作曲家でありピアニストのエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877年 - 1960年)を祖父に持つ。1度目の結婚でもうけた息子ユストゥス・フォン・ドホナーニは俳優。2番目の妻はソプラノ歌手のアニャ・シリヤ。オペラと演奏会の両方で評価が高く、ドイツ系の現役指揮者として重鎮的存在である。
第二次世界大戦後、ミュンヘン大学で法律を学ぶが、1948年に音楽の道に転じ、指揮と作曲でリヒャルト・シュトラウス賞を獲得してミュンヘン音楽大学[1]を卒業、祖父の元で作曲を学ぶためフロリダ州立大学に留学する。アメリカではレナード・バーンスタインに師事したと言われる。その後、指揮の勉強に専念し、1952年にゲオルク・ショルティの指名により、フランクフルト歌劇場の助手となる。
- 1957年-1963年、リューベック歌劇場音楽監督(当時のドイツで最年少の音楽監督)
- 1963年-1966年、カッセル州立管弦楽団音楽監督。
- 1964年-1969年、ケルン放送交響楽団首席指揮者。
- 1968年-1977年、フランクフルト歌劇場音楽監督、のち総監督。
- 1977年-1984年、ハンブルク州立歌劇場の音楽総監督。新作オペラや新演出を意欲的に上演、注目とスキャンダルの両方に見舞われる。
- 1984年-2002年、クリーヴランド管弦楽団音楽監督、退任後は桂冠音楽監督。
- 1994年-2008年、フィルハーモニア管弦楽団首席客演指揮者、1997年からは同首席指揮者、退任後は終身名誉指揮者。
- 2004年から北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者。
デッカ・レコードに多くの録音を残している。1990年代には、ショルティ以来となるデッカの『ニーベルングの指環』のスタジオ録音にクリーヴランド管弦楽団と取り組んだが、未完に終わっている。
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ^ クリストフ・フォン ドホナーニ - コトバンク
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