「高木健旨」の版間の差分
Ktakagifan (会話 | 投稿記録) m 詳細 |
|||
1行目: | 1行目: | ||
{{サッカー選手 |
{{サッカー選手 |
||
|名前=高木健旨 |
|名前=高木 健旨 |
||
|画像= |
|画像= |
||
|本名= |
|本名= |
||
26行目: | 26行目: | ||
Jクラブ3チームでプレーし引退。 |
Jクラブ3チームでプレーし引退。 |
||
== 来歴 == |
== 来歴 == |
||
54行目: | 53行目: | ||
同年1995年にはガンバユースで初めてトップチーム昇格。(ユースからは[[宮本恒靖]]、[[松山明男]]が昇格、大学からは[[實好礼忠]]、[[森下仁志]]、[[中口雅史]]が同期入団) |
同年1995年にはガンバユースで初めてトップチーム昇格。(ユースからは[[宮本恒靖]]、[[松山明男]]が昇格、大学からは[[實好礼忠]]、[[森下仁志]]、[[中口雅史]]が同期入団) |
||
'''ガンバ大阪時代''' |
'''ガンバ大阪時代''' |
||
[[1995年]]から[[1996年]]の2年間の在籍で怪我やチーム事情に恵まれなかったこともあり[[Jリーグ]]出場は果たせなかった。[[1996年]]の[[Jサテライトリーグ]]ではほぼ全ての試合でキャプテンを務めるなど活躍するもトップチームからのお呼びはかからなかった。 |
[[1995年]]から[[1996年]]の2年間の在籍で怪我やチーム事情に恵まれなかったこともあり[[Jリーグ]]出場は果たせなかった。[[1996年]]の[[Jサテライトリーグ]]ではほぼ全ての試合でキャプテンを務めるなど活躍するもトップチームからのお呼びはかからなかった。 |
||
'''大分トリニティ時代''' |
'''大分トリニティ時代''' |
||
67行目: | 64行目: | ||
'''フランス留学''' |
'''フランス留学''' |
||
[[1998年]]のフランスW杯イヤーには生まれ故郷であるフランスに留学。語学を学ぶのと平行し、フランスリーグ |
[[1998年]]のフランスW杯イヤーには生まれ故郷であるフランスに留学。語学を学ぶのと平行し、フランスリーグ2部(Division2 現Ligue2)、フランスリーグ3部(Division3 現Ligue3)の数チームで練習生として約3ヶ月間プレーした。 |
||
'''サガン鳥栖時代''' |
'''サガン鳥栖時代''' |
||
75行目: | 71行目: | ||
MF、SB、WBなど複数のポジションでプレーし、セットプレーではキッカーを務めアシストも非常に多い選手であった。 |
MF、SB、WBなど複数のポジションでプレーし、セットプレーではキッカーを務めアシストも非常に多い選手であった。 |
||
2002年シーズン終了後に引退を表明した。 |
2002年シーズン終了後に引退を表明した。 |
||
'''引退後''' |
'''引退後''' |
||
85行目: | 80行目: | ||
[[2015年]]、ヴィッセル神戸伊丹U-15コーチ兼アカデミースカウトに就任。 |
[[2015年]]、ヴィッセル神戸伊丹U-15コーチ兼アカデミースカウトに就任。 |
||
[[2016年 |
[[2016年]]8月、[[Jリーグアカデミ−U-13選抜]]監督 2016 Gotha Cup China(Boys14) |
||
2017年 |
2017年2月、[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]U-18コーチに就任。 |
||
== 所属クラブ == |
== 所属クラブ == |
||
93行目: | 88行目: | ||
* 釜本FC(現・ガンバ大阪ジュニア) |
* 釜本FC(現・ガンバ大阪ジュニア) |
||
* 1989年 - 1991年 釜本FC(現・ガンバ大阪ジュニアユース) |
* 1989年 - 1991年 釜本FC(現・ガンバ大阪ジュニアユース) |
||
* 1992年 - 1994年 [[ |
* 1992年 - 1994年 [[ガンバ大阪ユース]] |
||
'''プロ経歴''' |
'''プロ経歴''' |
||
* 1995年 - 1996年 [[ガンバ大阪]] |
* 1995年 - 1996年 [[ガンバ大阪]] |
||
* 1997年 [[大分トリニータ|大分トリニティ]] |
* 1997年 [[大分トリニータ|大分トリニティ]] |
||
* 1999年 - 2002年 [[サガン鳥栖]] |
* 1999年 - 2002年 [[サガン鳥栖]] |
||
131行目: | 126行目: | ||
== 指導歴 == |
== 指導歴 == |
||
*[[FC.トッカーノ]] U-15監督 (2007~2010) |
*[[FC.トッカーノ]] U-15監督 (2007~2010) |
||
*[[ヴィッセル神戸]]サッカースクールコーチ(2011年2月〜2015年1月) |
*[[ヴィッセル神戸]]サッカースクールコーチ(2011年2月〜2015年1月) |
||
*[[ヴィッセル神戸]]U-12/サッカースクール技術統括補佐兼アカデミースカウト(2012年 |
*[[ヴィッセル神戸]]U-12/サッカースクール技術統括補佐兼アカデミースカウト(2012年2月〜2015年1月) |
||
*[[ヴィッセル神戸]]伊丹U-15コーチ兼アカデミースカウト(2015年2月〜2017年1月) |
*[[ヴィッセル神戸]]伊丹U-15コーチ兼アカデミースカウト(2015年2月〜2017年1月) |
||
*[[Jリーグアカデミ−U-13選抜]]監督(2016年8月) 2016 Gotha Cup China(Boys14) |
*[[Jリーグアカデミ−U-13選抜]]監督(2016年8月) 2016 Gotha Cup China(Boys14) |
||
146行目: | 141行目: | ||
*[[ジェフユナイテッド市原・千葉]] |
*[[ジェフユナイテッド市原・千葉]] |
||
⚫ | |||
{{Footybio-stub}} |
{{Footybio-stub}} |
||
⚫ | |||
[[Category:日本のサッカー選手]] |
[[Category:日本のサッカー選手]] |
||
[[Category:ガンバ大阪の選手]] |
[[Category:ガンバ大阪の選手]] |
2017年8月13日 (日) 03:11時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | タカギ ケンジ | |||||
ラテン文字 | TAKAGI Kenji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1976年5月13日(47歳) | |||||
出身地 | フランス・パリ | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
高木 健旨(たかぎ けんじ、1976年5月13日 - )は、フランス・パリ出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィルダー。
ジュニアユース時代、ガンバ大阪ユース時代には「東の財前、西の高木」と評された展開力と創造性のある左利きのセンス溢れる天才肌レフティー。
Jクラブ3チームでプレーし引退。
来歴
ジュニアユース時代
釜本FCキャプテンとして、1991年3年時には日本クラブユース選手権U-15大会3位。 優秀選手対抗戦では西軍の選手として2得点の活躍。
1991年高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会3位。準決勝で当時の東海大学付属第一中学校(現東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部)に惜敗。
中学2年の春休みに関西選抜として出場した「第14回全日本選抜中学生大会(現・14歳以下ナショナルトレセン)」では財前宣之、中田英寿らと共に大会優秀選手に選考された。 その時の関西選抜は他に宮本恒靖、楢崎正剛、藤田聡、波戸康広ら。1976年生まれの大会優秀選手は他に中田英寿、財前宣之、安永聡太郎、佐藤由紀彦ら。
ユース時代
釜本FCからの昇格という形でガンバ大阪ユースの一期生でガンバ大阪ユースの初代10番。
高校1年時には、メンバー全てが1年生で出場した日本クラブユース選手権U-18大会で準優勝という快挙。 決勝戦で読売クラブに0−1で惜敗。
高校2年からは1994年当時のJサテライトリーグにも高校生として出場していた。 高校2年時、第一回Jユース選手権大会3位。
高校3年時、第二回Jユース選手権大会優勝。
当時のJリーグチェアマンの川淵三郎氏が優勝したガンバ大阪ユースを絶賛したという話も。
同年1995年にはガンバユースで初めてトップチーム昇格。(ユースからは宮本恒靖、松山明男が昇格、大学からは實好礼忠、森下仁志、中口雅史が同期入団)
ガンバ大阪時代
1995年から1996年の2年間の在籍で怪我やチーム事情に恵まれなかったこともありJリーグ出場は果たせなかった。1996年のJサテライトリーグではほぼ全ての試合でキャプテンを務めるなど活躍するもトップチームからのお呼びはかからなかった。
大分トリニティ時代
1997年に当時JFLの大分に移籍。1年間で監督が3度代わるという歴史的シーズンでチームとしての結果は残すことができなかった。韓国代表としてW杯や五輪を経験した皇甫官、崔大植、イ・ウヨンらと共にプレーできたことは自身の財産になると後に語った。
フランス留学
1998年のフランスW杯イヤーには生まれ故郷であるフランスに留学。語学を学ぶのと平行し、フランスリーグ2部(Division2 現Ligue2)、フランスリーグ3部(Division3 現Ligue3)の数チームで練習生として約3ヶ月間プレーした。
サガン鳥栖時代
フランス留学の翌年の1999年J2リーグ開幕年から2002年までの4シーズンをサガン鳥栖で過ごした。 MF、SB、WBなど複数のポジションでプレーし、セットプレーではキッカーを務めアシストも非常に多い選手であった。 2002年シーズン終了後に引退を表明した。
引退後
2007年、三浦泰年氏がスーパーバイザーを務めるFCトッカーノU-15の立ち上げに関わり、指導者としてのキャリアをスタートした。
2011年、ヴィッセル神戸スクールコーチに就任し、翌年からはアカデミースカウトとしても活躍。
2015年、ヴィッセル神戸伊丹U-15コーチ兼アカデミースカウトに就任。
2016年8月、Jリーグアカデミ−U-13選抜監督 2016 Gotha Cup China(Boys14)
2017年2月、ジェフユナイテッド市原・千葉U-18コーチに就任。
所属クラブ
ユース経歴
- 釜本FC(現・ガンバ大阪ジュニア)
- 1989年 - 1991年 釜本FC(現・ガンバ大阪ジュニアユース)
- 1992年 - 1994年 ガンバ大阪ユース
プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | G大阪 | - | J | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1997 | 大分 | 旧JFL | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
1999 | 鳥栖 | 15 | J2 | 16 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 19 | 1 |
2000 | 23 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 26 | 0 | |||
2001 | 37 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 39 | 0 | |||
2002 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | 17 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J2 | 93 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 101 | 1 | ||
日本 | 旧JFL | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |||
総通算 | 99 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 107 | 1 |
タイトル
クラブ
- ガンバ大阪ユース
- Jユースカップ:1回(1994年)
資格
指導歴
- FC.トッカーノ U-15監督 (2007~2010)
- ヴィッセル神戸サッカースクールコーチ(2011年2月〜2015年1月)
- ヴィッセル神戸U-12/サッカースクール技術統括補佐兼アカデミースカウト(2012年2月〜2015年1月)
- ヴィッセル神戸伊丹U-15コーチ兼アカデミースカウト(2015年2月〜2017年1月)
- Jリーグアカデミ−U-13選抜監督(2016年8月) 2016 Gotha Cup China(Boys14)
- ジェフユナイテッド市原・千葉U-18コーチ(2017年2月〜)