「菊地恭一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録)
m Bot: WP:BOTREQ#Infobox内の空のnowikiタグの除去: Infobox baseball, <nowiki></nowiki> → Removed
20行目: 20行目:
|最終出場 = 1986年
|最終出場 = 1986年
|年俸 =
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
|経歴 =
* [[東洋大学附属牛久高等学校]]
* [[東洋大学附属牛久高等学校]]
* [[東芝硬式野球部|東芝]]
* [[東芝硬式野球部|東芝]]

2016年10月21日 (金) 18:23時点における版

菊地 恭一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1954-12-26) 1954年12月26日(69歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1981年 ドラフト2位
初出場 1982年
最終出場 1986年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手外野手)。右投げ右打ち。

来歴・人物

東洋大牛久高から東芝に入社。都市対抗野球の常連として活躍し、社会人ベストナインにも2度選出される。1978年都市対抗では3本塁打を放ち、チームの優勝に貢献。同年、当時のロッテオリオンズからドラフト2位指名されたが入団を拒否。この時の3位指名が落合博満だったが、社会人時代は同じ会社の別事業所チーム所属だった落合よりも評価が高かった。1981年都市対抗でも2試合連続本塁打を放ち準優勝。同年、当時の横浜大洋ホエールズからドラフト2位指名され「(1981年にパ・リーグ首位打者を獲得した)落合さんがあれだけやれるなら」とプロ入りを決意する。

社会人時代はアマチュア野球世界選手権インターコンチネンタルカップで、全日本の4番を任されたこともあり、当時大洋監督就任が噂されていた長嶋茂雄が菊地を非常に買っており、それで大洋も獲得したと言われている。

社会人有数の長距離打者であり大いに期待されたが、木製バットやプロの変化球に対応する事が出来ず打撃成績が低迷、肩が弱いこともあって一軍に定着できなかった。1987年に引退。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1982 大洋 22 22 22 2 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 7 0 .136 .136 .182 .318
1985 8 6 6 1 2 2 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .333 .333 .667 1.000
1986 12 17 17 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .118 .118 .118 .235
通算:3年 42 45 45 3 7 3 0 0 10 0 0 0 0 0 0 0 0 13 0 .156 .156 .222 .378

背番号

  • 23 (1982年 - 1987年)

関連項目