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最初にロシアへ移住した日本人は江戸時代中期の漂流民の[[伝兵衛]]である。他にもロシア極東各地には日本人の漂流民が流れ着いたとされている。開国以降、ロシア極東との貿易が盛んになり、[[ウラジオストク]]は一大拠点となった。大正中期の最盛期にはウラジオストクに日本人街が作られおよそ6,000人、[[ハバロフスク]]には600人の日本人が生活していた。しかし、日露戦争をきっかけに多くは日本へ帰国をよぎなくされ、ウラジオストクの日本人社会は壊滅してしまう。
最初にロシアへ移住した日本人は江戸時代中期の漂流民の[[伝兵衛]]である。他にもロシア極東各地には日本人の漂流民が流れ着いたとされている。開国以降、ロシア極東との貿易が盛んになり、[[ウラジオストク]]は一大拠点となった。大正中期の最盛期にはウラジオストクに日本人街が作られおよそ6,000人、[[ハバロフスク]]には600人の日本人が生活していた。しかし、日露戦争をきっかけに多くは日本へ帰国をよぎなくされ、ウラジオストクの日本人社会は壊滅してしまう。


第二次大戦後、ソ連に侵攻・占領された[[南樺太]]に在住したおよそ40万人の在留邦人は[[引き揚げ]]を強いられたが、[[朝鮮人]]や[[ロシア人]]と結婚するなどして帰国できなかった人も少なくなく、サハリンには2001年時点で、残留日本人約400人が存在する。また、シベリアに抑留された70万人におよぶ日本人捕虜の中には、ウクライナ人となった[[上野石之助]]やカザフスタンの[[阿彦哲郎]]のようにそのまま残留しソ連へ帰化して生活してきた人も存在する。また、[[木村三浩]]による現地調査で[[グルジア]]の[[アブハジア共和国]]にもシベリア抑留者の子孫が在住していることが分かった。他にも、[[ロシア]][[カルムイキア共和国]]に住む[[中川義照]]<ref>[http://uhb.jp/program/snews/mosukuwa/oda/050623/050623_top.html ~祖国・日本は遠く・・・60年ぶりの再会に立ちはだかる壁~ [[北海道文化放送]]]</ref>のように、近年になり[[ロシア残留孤児]]も多数存在することが確認された。このように、ロシアや旧ソ連地域の日系人については未調査のものも多く、日本人の子孫は相当数存在する可能性もある。
第二次大戦後、ソ連に侵攻・占領された[[南樺太]]に在住したおよそ40万人の在留邦人の多く、日本に[[引き揚げ]]たが、[[朝鮮人]]や[[ロシア人]]と結婚するなどして帰国できなかった人も少なくなく、サハリンには2001年時点で、残留日本人約400人が存在する。また、シベリアに抑留された70万人におよぶ日本人捕虜の中には、ウクライナ人となった[[上野石之助]]やカザフスタンの[[阿彦哲郎]]のようにそのまま残留しソ連へ帰化して生活してきた人も存在する。また、[[木村三浩]]による現地調査で[[グルジア]]の[[アブハジア共和国]]にもシベリア抑留者の子孫が在住していることが分かった。他にも、[[ロシア]][[カルムイキア共和国]]に住む[[中川義照]]<ref>[http://uhb.jp/program/snews/mosukuwa/oda/050623/050623_top.html ~祖国・日本は遠く・・・60年ぶりの再会に立ちはだかる壁~ [[北海道文化放送]]]</ref>のように、近年になり[[ロシア残留孤児]]も多数存在することが確認された。このように、ロシアや旧ソ連地域の日系人については未調査のものも多く、日本人の子孫は相当数存在する可能性もある。


== 著名な日系ロシア人 ==
== 著名な日系ロシア人 ==

2013年10月24日 (木) 07:00時点における版

日系ロシア人
Японский Русский
日本の旗ロシアの旗
総人口
835人(ロシア国勢調査)
2,137人(日本国籍)[1]
居住地域
モスクワウラジオストクサハリン
その他ロシア各地
言語
ロシア語日本語
宗教
ロシア正教仏教神道
関連する民族
日本人

日系ロシア人(にっけいロシアじん、ロシア語: Российские японцы)とは日本人の血を引いたロシアの市民である。

歴史

最初にロシアへ移住した日本人は江戸時代中期の漂流民の伝兵衛である。他にもロシア極東各地には日本人の漂流民が流れ着いたとされている。開国以降、ロシア極東との貿易が盛んになり、ウラジオストクは一大拠点となった。大正中期の最盛期にはウラジオストクに日本人街が作られおよそ6,000人、ハバロフスクには600人の日本人が生活していた。しかし、日露戦争をきっかけに多くは日本へ帰国をよぎなくされ、ウラジオストクの日本人社会は壊滅してしまう。

第二次大戦後、ソ連に侵攻・占領された南樺太に在住したおよそ40万人の在留邦人の多くは、日本に引き揚げたが、朝鮮人ロシア人と結婚するなどして帰国できなかった人も少なくなく、サハリンには2001年時点で、残留日本人約400人が存在する。また、シベリアに抑留された70万人におよぶ日本人捕虜の中には、ウクライナ人となった上野石之助やカザフスタンの阿彦哲郎のようにそのまま残留しソ連へ帰化して生活してきた人も存在する。また、木村三浩による現地調査でグルジアアブハジア共和国にもシベリア抑留者の子孫が在住していることが分かった。他にも、ロシアカルムイキア共和国に住む中川義照[1]のように、近年になりロシア残留孤児も多数存在することが確認された。このように、ロシアや旧ソ連地域の日系人については未調査のものも多く、日本人の子孫は相当数存在する可能性もある。

著名な日系ロシア人

関連項目

脚注