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2012年5月29日 (火) 13:22時点における版
白老郡(しらおいぐん)は、北海道胆振国の郡。人口15,352人、面積425.63km²、人口密度36.1人/km²。(2024年3月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 白老町(しらおいちょう)
沿革
江戸時代の白老郡域は東蝦夷地に属し、松前藩によってシラヲイ場所とアヨロ場所が開かれていた。幕命により近藤重蔵が蝦夷地調査をした際秘書役として択捉島探検に同行した木村賢次の「蝦夷日記」にも記されていることから寛政10年には白老八幡神社の前身である弁天社が存在していたことがわかる。陸上交通は、渡島国の箱館を基点とし道東や千島国方面に至る陸路(札幌本道や国道36号の前身)が東西に通じていた。
江戸時代後期、国防のため寛政11年白老郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が白老に陣屋(元陣)を築き警固をおこなった。万延元年8月誉田別神を勧請し、弁財天社は白老八幡神社と称するようになる。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制に倣い白老郡が置かれる。北海道胆振国に含まれた。明治2年8月17日から明治4年8月の廃藩置県まで一関藩の所領であった。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1919年4月1日 - 二級町村制施行により白老村が成立する。(1村)
- 1954年11月1日 - 白老村が町制を施行して白老町となる。(1町)
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