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北海道の分領支配

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北海道の分領支配(ほっかいどうのぶんりょうしはい)は、明治2年7月(1869年9月)から明治4年8月(1871年10月)まで、開拓使が管轄する北海道を諸藩、士族、庶民の志願者に分割して支配させた体制を意味する[1]。

分領支配の開始

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明治の初め、新政府内部では、蝦夷地の開拓と北方防備の必要を説く意見が盛んだった。しかし現実には予算人員とも不足して事業を起こせる状態ではなかった。そこで、諸藩に振り分けて開拓させる制度を設けた。

明治2年7月22日(西暦1869年8月29日)に、「蝦夷地開拓のことは、先般の御下問にもあった通り、今後諸藩士族庶民に至るまで、志願次第を申し出た者に相応の地を割譲し、開拓を仰せ付ける」(現代文訳)という布告を出したのが、分領支配の制度的開始である。これ以後、団体・個人に個別に土地が分与された。なお、この時点でまだ日本には近代的な土地所有制度が確立していないので、布告の表現からは割譲地の性格が読み取れないが、幕藩体制の延長のような領有支配を意味する。

分領支配の条件

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開拓に際しては、個別の許可に際して条件が付けられた。おおよそ以下のような条件が共通する。

  1. 百姓、町人など差別なく自由に移住させる
  2. 既存住民と土人を差別しない(ここで土人とは、アイヌを指す)
  3. 政府から経費は一切出さない
  4. 政事と刑賞との大事、隣接地との関係事項については伺いを立てる
  5. 課税は自由だが、移出入の運上金は別

分領支配の実態

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分領支配に関与したのは、1省・1府・24藩・2華族・8士族・2寺院の計38であった。他に、開拓使の直轄領と、開拓使の管轄外にある館藩(松前藩の後進)があった。諸藩の多くは財政難で熱意がなく、約3分の1が受領前に返上を願い出ており、受領した藩も予備調査や官吏の派遣だけにとどまったところが大半であった。

開拓に熱心だったのは、仙台藩・斗南藩・佐賀藩の3藩と、仙台藩の伊達邦成・伊達邦直・片倉邦憲、徳島藩の稲田邦植のような士族に限られた。彼らは分領廃止後もそれぞれの居住地で開拓を継続した。他に、松前藩時代から北海道に縁があった東本願寺が、室蘭と札幌を結ぶ本願寺道路の開設に力を尽くした。

兵部省は、会津降伏人を北海道に移住させる計画を立て、部分的に実施に移してから開拓使に管轄を遷した。東京府は、府下の貧窮者を移住させる計画で根室を領有したが、現地の松本十郎開拓判官の反対にあって、すぐに断念した。

分領支配の廃止

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以上のように、分領支配下の開拓は、全般に低調であった。そのため、廃藩置県の直後、明治4年8月(1871年10月)にこの制度を廃止して、館県を除く全土を直轄地にした。

所領一覧

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明治2年8月15日(1869年9月20日)に設置された11国86郡で示す。所領返上の欄に○を付したものは明治4年8月20日(1871年10月4日)の分領支配終了まで領有。特記以外は開拓使直轄領。

国名 郡名 領主 領有開始 所領返上
後志国久遠郡、奥尻郡福岡藩明治2年8月28日(1869年10月3日)○
太櫓郡、瀬棚郡兵部省明治2年9月14日(1869年10月18日)明治3年正月5日(1870年2月5日)
斗南藩明治3年正月5日(1870年2月5日)○
歌棄郡斗南藩
島牧郡弘前藩明治2年9月19日(1869年10月23日)
鳥取藩明治2年12月2日(1870年1月3日)
佛光寺明治2年12月3日(1870年1月4日)
岡山藩明治3年2月2日(1870年3月3日)明治4年5月3日(1871年6月20日)
磯谷郡米沢藩明治2年9月14日(1869年)○
五島盛明[2]明治4年3月28日(1871年5月17日)
高島郡、小樽郡兵部省明治3年正月5日(1870年)
胆振国山越郡兵部省
斗南藩明治3年正月5日(1870年2月5日)○
虻田郡大泉藩明治2年9月7日(1869年10月11日)明治3年9月(1870年)
伊達邦成明治4年3月14日(1871年5月3日○
有珠郡明治2年8月25日(1869年9月30日)
室蘭郡石川邦光明治2年9月12日(1869年10月16日)明治3年5月27日(1870年6月25日)
伊達邦成明治3年5月27日(1870年6月25日))○
片倉邦憲
幌別郡片倉邦憲明治2年9月12日(1869年)
白老郡一関藩明治2年8月17日(1869年9月22日)
勇払郡、千歳郡高知藩明治2年8月20日(1869年9月25日)
日高国沙流郡仙台藩明治2年11月24日(1869年12月26日)
彦根藩
新冠郡徳島藩明治2年8月19日(1869年9月24日)明治4年3月15日(1871年5月4日)
稲田邦植明治4年3月15日(1871年5月4日))○
静内郡増上寺明治2年9月3日(1869年10月7日)明治3年10月10日(1870年11月3日)
稲田邦植明治3年10月15日(1870年11月8日)○
浦河郡、様似郡鹿児島藩明治2年8月28日(1869年)明治2年10月(1869年)
石狩国石狩郡兵部省明治2年8月20日(1869年)明治3年正月8日(1870年2月8日)
夕張郡高知藩○
樺戸郡、雨竜郡山口藩明治2年8月28日(1869年)
空知郡伊達邦直明治2年10月9日(1869年11月12日)
伊達宗広
亘理胤元明治2年11月14日(1869年12月16日)
浜益郡増上寺明治3年10月10日(1870年11月3日)
天塩国増毛郡、留萌郡山口藩明治2年8月28日(1869年)
苫前郡、天塩郡、中川郡、上川郡水戸藩明治2年8月17日(1869年)
北見国利尻郡
礼文郡、枝幸郡金沢藩明治2年8月28日(1869年)明治3年6月19日(1870年7月17日)
宗谷郡明治3年正月(1870年)
紋別郡和歌山藩明治2年8月29日(1869年10月4日)明治3年8月(1870年)
常呂郡広島藩明治2年8月28日(1869年)明治3年10月(1870年)
網走郡、斜里郡名古屋藩明治3年6月19日(1870年)
十勝国広尾郡、当縁郡鹿児島藩明治2年10月(1869年)
徳川慶頼[3]明治3年正月9日(1870年2月9日)○
上川郡、中川郡、河東郡、十勝郡静岡藩明治2年8月28日(1869年)
河西郡鹿児島藩明治2年10月(1869年)
徳川茂栄[4]明治3年正月9日(1870年)○
釧路国足寄郡、白糠郡、阿寒郡兵部省明治2年9月14日(1869年)明治3年正月8日(1870年)
福山藩明治3年5月3日(1870年6月1日)明治4年6月(1871年)
釧路郡、川上郡、厚岸郡佐賀藩明治2年8月17日(1869年)○
網尻郡広島藩明治2年8月28日(1869年)明治3年10月(1870年)
根室国花咲郡(志古丹[5])増上寺明治2年12月10日(1870年1月11日)明治3年10月10日(1870年)
稲田邦植明治3年10月15日(1870年)○
花咲郡(志古丹以外)、根室郡、野付郡東京府明治3年6月17日(1870年7月15日明治3年10月9日(1870年11月2日)
標津郡、目梨郡熊本藩明治2年8月28日(1869年)明治4年3月14日(1871年5月3日)
仙台藩明治4年5月12日(1871年6月29日)○
千島国国後郡久保田藩[6]明治2年8月29日(1869年)
択捉郡彦根藩明治2年9月17日(1869年10月21日)
振別郡佐賀藩明治2年12月10日(1870年1月)明治3年5月(1870年)
仙台藩明治3年5月(1870年)○
紗那郡明治2年10月9日(1869年)
蘂取郡高知藩明治2年12月10日(1869年)明治3年2月(1870年)
仙台藩明治3年5月(1870年)○
備考

脚注

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  1. ↑ 北海道はかつて38団体・個人が分割統治していた?明治初期の分領支配時代の真相
  2. ↑ 元富江領領主。
  3. ↑ 田安徳川家当主。
  4. ↑ 一橋徳川家当主。
  5. ↑ 1886年(明治19年)に色丹郡として分立した地域。
  6. ↑ 明治4年3月3日(1871年4月22日)に秋田藩に改称。

関連項目

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