「山瀬幸宏」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
35行目: | 35行目: | ||
== 来歴 == |
== 来歴 == |
||
2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の[[大分トリニータ]]戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。続く第8節の[[アルビレックス新潟]]戦、第19節の[[横浜FC]]戦でも兄弟アベック弾を達成した。なお、これらの試合ではそれぞれ5, 6, 8得点とチームも大量得点を挙げて勝利している。 |
[[横浜マリノス]]ユースを経て、2003年から横浜・F・マリノスに入団。2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の[[大分トリニータ]]戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。続く第8節の[[アルビレックス新潟]]戦、第19節の[[横浜FC]]戦でも兄弟アベック弾を達成した。なお、これらの試合ではそれぞれ5, 6, 8得点とチームも大量得点を挙げて勝利している。 |
||
2008年シーズンは主に右サイドでの起用をされているが、逆足(右足)でのプレーが不得手なため、精彩を欠くプレーが多くなってしまっている。 |
2008年シーズンは主に右サイドでの起用をされているが、逆足(右足)でのプレーが不得手なため、精彩を欠くプレーが多くなってしまっている。 |
2010年12月4日 (土) 11:30時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | 山ちゃん、ユッキ、Y氏、山P[1] | |||||
カタカナ | ヤマセ ユキヒロ | |||||
ラテン文字 | YAMASE Yukihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年4月22日(40歳) | |||||
出身地 | 北海道 | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | サガン鳥栖 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 7 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2003-2009.5 2009.5-現 在 |
横浜F・マリノス サガン鳥栖 |
46 24 (2) (4) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山瀬 幸宏(やませ ゆきひろ、1984年4月22日 - )は、北海道札幌市出身でサガン鳥栖所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
実兄は山瀬功治。父はサラエボ冬季五輪にバイアスロンで出場した山瀬功。
来歴
横浜マリノスユースを経て、2003年から横浜・F・マリノスに入団。2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の大分トリニータ戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。続く第8節のアルビレックス新潟戦、第19節の横浜FC戦でも兄弟アベック弾を達成した。なお、これらの試合ではそれぞれ5, 6, 8得点とチームも大量得点を挙げて勝利している。
2008年シーズンは主に右サイドでの起用をされているが、逆足(右足)でのプレーが不得手なため、精彩を欠くプレーが多くなってしまっている。
2009年シーズン途中よりサガン鳥栖に期限付き移籍。主にフォワードとして起用された。
特徴・評価
左サイドでのプレーを得意とする。兄である山瀬功治同様にドリブルを得意としているが、切れ味鋭いドリブルをする兄とは異なり、独特のリズムがあるドリブルを披露する。そのプレーは一部サポーターからは「ヌルヌルドリブル」と言われている。また精度が高いミドルシュートを打てるのも魅力である。
人物
- 愛称の「Y氏」はキックオフ!!F・マリノスの番組中に、寮の部屋のレポーター役をしていた尾本敬に「某Y氏」と呼ばれたことに端を発し、司会(当時)の水沼貴史がそう呼ぶようになったのが由来である。また、知人からは「ユッキ君」とも呼ばれている[2]。
- コンサドーレ札幌のユースへの入団を考えていたが、その札幌のトップチームに入団が既に決まっていた兄から横浜のユースを勧められて、進路を決めたという。
- 2005年のACLでは、兄・功治がリーグで使用している背番号10で出場した。これは、ACLでは背番号がレギュレーションで30以下に制限されており(そのため背番号35の河合竜二も20で出場した)、兄が怪我のため選手登録されていなかったためである。
- 整理整頓が出来ず、部屋が汚いことがテレビなどで暴露されている。そのためか、趣味は漫画喫茶に出かける事。「あそこ(漫画喫茶)には全てがある」と、チームメイト(横浜FM所属時)の小宮山尊信を引き込んだこともある。
- Jリーグ初出場となった2005年5月8日のサンフレッチェ広島戦では兄弟揃ってボランチとして出場し、チームは久々の勝利を挙げた。
所属クラブ
- 札幌SSSジュニア
- 札幌SSSジュニアユース
- ? - 2002年 横浜F・マリノスユース
- 2003年 - 2009年5月 横浜F・マリノス
- 2009年5月 - 現 在 サガン鳥栖 (2009年はレンタル移籍)
個人成績
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないで下さい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国内成績表_topを使用して下さい。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 横浜FM | 32 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2004 | 横浜FM | 32 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2005 | 横浜FM | 32 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2006 | 横浜FM | 32 | J1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 |
2007 | 横浜FM | 32 | J1 | 30 | 4 | 8 | 1 | 1 | 0 | 39 | 5 |
2008 | 横浜FM | 16 | J1 | 9 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 13 | 1 |
2009 | 横浜FM | 16 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
鳥栖 | 34 | J2 | 24 | 2 | - | 3 | 2 | 27 | 4 | ||
2010 | 鳥栖 | 7 | J2 | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 46 | 4 | 12 | 2 | 2 | 0 | 60 | 6 | |
日本 | J2 | 24 | 2 | - | 3 | 2 | 27 | 4 | |||
総通算 | 70 | 6 | 12 | 2 | 5 | 2 | 87 | 10 |
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないでくだい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国際成績表_topを使用して下さい。 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 横浜FM | 32 | 1 | 0 |
2005 | 横浜FM | 10 | 1 | 0 |
通算 | AFC | 2 | 0 |
経歴
脚注
- ^ ハーフナー・マイク オフィシャルブログ「Tell’eM」12月10日より
- ^ 本多玲奈のLEINA'S BLOG - 兄である山瀬功治の夫人の友人のブログ