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* 「[[一休さん]]」の「新右衛門さん」で有名な[[室町時代]]の[[寺社奉行]]・[[智蘊|蜷川新右衛門]]の子孫 |
* 「[[一休さん]]」の「新右衛門さん」で有名な[[室町時代]]の[[寺社奉行]]・[[智蘊|蜷川新右衛門]]の子孫である。また[[国際赤十字赤新月社連盟]]の発案者であり[[日本赤十字社]]の顧問であった法学博士・[[蜷川新]]のひ孫である(蜷川新右衛門が蜷川家8代目、蜷川新が23代目にあたる)。また、芸人の[[猫ひろし]]は遠戚。 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2009年7月3日 (金) 21:39時点における版
基本情報 | |
---|---|
本名 | 森 昭生 |
通称 |
世界と戦うサムライ 日本のエース |
階級 | ヘビー級(K-1) |
身長 | 185cm |
体重 | 102.2kg |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1972年10月17日(51歳) |
出身地 |
日本 大阪府堺市南区 |
スタイル | フルコンタクト空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 84 |
勝ち | 49 |
KO勝ち | 19 |
敗け | 29 |
引き分け | 5 |
無効試合 | 1 |
武蔵(むさし、男性、1972年10月17日 - )は、日本の空手家、キックボクサー。本名は森 昭生(もり あきお)。大阪府堺市南区出身。身長185cm、体重102.2kg。正道会館所属。
旧リングネームはムサシ。リングネームの由来は右も左も両方撃てる二刀流であることから。弟はキックボクサーのTOMO。トレーナーは元WBA世界スーパーミドル級チャンピオンのフランク・ライルズ。
ファイトスタイル
武蔵流といわれる相手の攻撃をかわしながら放つカウンター攻撃や、ハイの初期軌道で左ミドルを打つフェイントキックで、日本のエースとして数多くの強豪と戦ってきた。ただミドルキックやパンチ打った直後にクリンチを多用し反撃を逃れる、また引いたところにパンチを合わせられて倒れる実質ダメージのないダウンも多い。さらに他の選手と比べて試合中にローブロー(下腹部への攻撃)を受けることが非常に多い。
最大の特徴はKO勝ちが少ない事である。自ら意図的に判定に持ち込むファイトスタイルの為、ミスター判定、判定王などと皮肉られることが多い。 武蔵自身は「トーナメントは判定でも勝たなきゃいけない」「僕は元々ミドル級の骨格で造り上げたヘビー級。パワーではナチュラルなヘビー級には敵わない。」と判定狙いであることを堂々と公言してはいるが、結局ワンマッチでもそのスタイルは変わらない。また、日本人は体格的にナチュラルなヘビー級の人が皆無で外国人に、絶対的な腕力で劣っていることからの戦術だともしている。試合中に劣勢になると敵に背を向ける場面が多く見られる。
また、疑惑とされる判定が非常に多い選手である。例としては、ルスラン・カラエフが「武蔵選手はノックダウン、もしくは、ノックアウトしないと勝てないことは知っていました。それができなかったことが、私の間違いでした。」と試合後のインタビューで発言している(同様の発言をレイ・セフォーも武蔵戦後インタビューで行っている)。
来歴
1995年9月3日、K-1 REVENGE IIでパトリック・スミスとデビュー戦を行い、2RKO勝ち。
1998年5月24日、K-1 BRAVES '98で佐竹雅昭と対戦し、5R引き分け。
1999年6月20日、K-1 BRAVES '99でカークウッド・ウォーカー(イギリス/王者)に3度目の挑戦(過去2度敗退)で、5R左ミドルキックでKO勝ちしWAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座を獲得。
1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦のGP1回戦で佐竹雅昭と再戦。1Rにダウンを奪われたものの5R判定勝ち。この判定に佐竹は激怒しK-1を去ることになる。試合後、「もし再戦ということであれば、自分はやります。自分は自分の闘いをやっただけ。その結果ジャッジがああいう結果を出して、僕はそれに従っただけです。でも、自分の闘いとして納得いくものではなかった、という不満は残ってます。」とコメントした。2回戦では、ミルコ・"クロ・コップ"・フィリポビッチに2RKO負け。試合後、「取りあえず練習してきた技は、ローも入ったしボディブローも入ったし、結構向こうは動揺していたと思う。だから、自分ではいい感じな出だしだったんで、悔しいですね。」とコメントした。
2003年、佐竹雅昭(1994年大会)以来、日本人として9年ぶりのK-1 GP準優勝(全試合判定勝ち)。
2004年5月3日、新日本プロレス所属の柴田勝頼と異種格闘技戦を行い左ハイキックで勝利。この日、記者会見で柴田と乱闘したり、試合で倒れてる柴田に攻撃(反則)したりと一度だけプロレスを体験する。
2004年、K-1 GP準優勝(2年連続で決勝はレミー・ボンヤスキーに判定負け)。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタに判定勝ち。
2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦では、1回戦のルスラン・カラエフには判定勝ちしたものの、準決勝のグラウベ・フェイトーザには後ろに下がった隙をつかれ左跳び膝蹴りでKO負け。
2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASでセーム・シュルトに判定負け。
2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜でグラウベ・フェイトーザとリベンジマッチを行う。試合終了間際にダウンを奪われ判定負け。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦で、GP初出場の新鋭ハリッド"ディ・ファウスト"に判定負け。
2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦のGPリザーブマッチでピーター・アーツにKO負け。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で元砲丸投げ選手ランディ・キムと対戦しKO勝ち。大晦日にようやく2006年の初勝利を挙げた。
2007年3月4日、ヘビー級タイトル挑戦権をかけて藤本祐介と対戦。延長ラウンド、藤本の左ハイキックを受けKO負け。K-1で初めて日本人相手に敗北。なおこの試合ではお互い手数が少なかったことから角田信朗から延長戦に入る前に「この展開が続くようであればタイトルに挑戦する資格なしとみなし両者失格にする」と注意を受けた。試合後、「いつもならサウスポーだけど、右脚を痛めたのでオーソドックスになり、ちょっと見合っちゃった。体重を落とすために走り込んで、足に負担がかかった。初めて日本人に負けて悔しいけど、彼にはベルトを獲って欲しい」とコメントした。
2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGで開催されたASIA GPへ出場。1回戦でパク・ヨンスのローキックが二度も股間に当たり深刻なダメージを負うもKO勝ち(相手が失神している中、さらに追い討ちをかけようとするという、今までの武蔵では見たことの無い行為があった)。準決勝でも王強のヒザが股間に当たりセコンドからタオルが投入されるが、「相手の反則による休憩中のタオルは無効」と裁定され続行。この休憩中に王強がリングを出たため試合放棄と見なされ武蔵の勝利。だがドクターストップがかかり決勝には王強が進出した。
2007年9月29日のK-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16へ主催者推薦枠での出場に最後の望みを寄せていたものの、澤屋敷純一が同枠で出場することになり、6年連続での本大会はならず。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALのスーパーファイトでデビッド・ダンクレイドと対戦。1R終了間際に左ミドルキックでKO勝ち。
2007年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でベルナール・アッカと対戦。1R開始直後にアッカのラッシュで防戦一方となる場面もあったが、3Rカウンターの左フックでKO勝ち。
2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAで澤屋敷純一と対戦し、3ダウンを奪いKO勝ち。試合後のマイクアピールでは、「95年にデビューしてから突っ走ってきましたけど、あっという間に新しい選手が増えてきました。でもまだまだ自分の居場所はあると思います。年齢はオッサンかもしれないけど、オッサンパワーを見せるぞ!」とコメントした。バックステージでは、「澤屋敷選手はいい選手。うまく育ててほしいのに、不満のあるマッチメイクだった。ワンマッチなら考えますけど、トーナメントなら出るつもりはない」と話した。
2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1 JAPAN GPに出場。1回戦で前田慶次郎と対戦し、判定負け。試合後、谷川貞治K-1イベントプロデューサーは「武蔵選手は試合に出られる状態じゃなかったんです。左膝に水が溜まっていました。ですが、福岡を盛り上げないといけないですし、いろいろなことを考えて、澤屋敷純一選手が出られない中で出てもらったんです。主催者としては、可哀想なことをしてしまいました。今回は感謝していますよ。」と話した。
2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16でエヴェルトン・テイシェイラと対戦し、判定負け。
2008年12月31日、「Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜」でK-1ルール初挑戦のゲガール・ムサシと対戦。「ムサシ」対決として試合前にゲガールから改名マッチを突きつけられた。1Rの内に3度のダウンを喫しKO負けとなった。試合後、「固くなってしまったところが一番ダメでした。何やってんだって感じですかね。こんなミスをしているようじゃ。試合前に谷川さんからK-1が負けっぱなしだから頼んだよと言われて、それがプレッシャーになったわけじゃないですが、試合で固くなってしまって情けない。次はK-1のリングでムサシとやりたいです。Dynamite!!はリングに上がったらアウェーな感じがしました。ずっとこの名前でやってきて変える気もないし、どんな名前に変えればいいかわからない。とりあえずは、もう一回ムサシとやりたいです。次はこんな感じじゃいかないぞと。来年はムサシとの再戦を目指してがんばります」とコメントした。
戦績
キックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
84 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
49 勝 | 19 | 5 | 1 | |||
29 敗 | 10 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | ゲガール・ムサシ | 1R 2:32 KO(3ノックダウン:右フック) | Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 | 2008年12月31日 |
× | エヴェルトン・テイシェイラ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16 【1回戦】 |
2008年9月27日 |
× | 前田慶次郎 | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA 【K-1 JAPAN GP 2008 1回戦】 |
2008年6月29日 |
○ | 澤屋敷純一 | 2R 2:16 KO(3ノックダウン:左ストレート) | K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA | 2008年4月13日 |
○ | ベルナール・アッカ | 3R 1:26 KO(左フック) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 |
○ | デビッド・ダンクレイド | 1R 2:59 KO(左ミドルキック) | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【スーパーファイト】 |
2007年12月8日 |
○ | 王強(ワン・チャング) | 2R 2:00 試合放棄 | K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 【準決勝】 |
2007年8月5日 |
○ | パク・ヨンス | 2R 0:48 KO(パンチ連打) | K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 【1回戦】 |
2007年8月5日 |
× | 藤本祐介 | 延長R 1:23 KO(左ハイキック) | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA 【K-1ヘビー級タイトルマッチ挑戦者決定戦】 |
2007年3月4日 |
○ | ランディ・キム | 3R 0:33 KO(右ストレート) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
× | ピーター・アーツ | 1R 2:53 KO(2ノックダウン:パンチ連打) | K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦 【リザーブマッチ】 |
2006年12月2日 |
× | ハリッド"ディ・ファウスト" | 3R終了 判定1-2 | K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2006年9月30日 |
× | グラウベ・フェイトーザ | 3R終了 判定0-3 | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜 |
2006年7月30日 |
× | セーム・シュルト | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS | 2006年4月29日 |
○ | ボブ・サップ | 3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
× | グラウベ・フェイトーザ | 2R 1:05 KO(左跳び膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦 【準決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | ルスラン・カラエフ | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦 【準々決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2005年9月23日 |
○ | リカルド・ノードストランド | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII | 2005年7月29日 |
○ | リック・ルーファス | 3R終了 判定2-1 | K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS | 2005年4月30日 |
○ | ショーン・オヘア | 2R 0:44 KO(左ハイキック) | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 延長2R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【決勝】 |
2004年12月4日 |
○ | ガオグライ・ゲーンノラシン | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【準決勝】 |
2004年12月4日 |
○ | レイ・セフォー | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【準々決勝】 |
2004年12月4日 |
○ | シリル・アビディ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 【1回戦】 |
2004年9月25日 |
○ | レイ"マーシレス"マーサー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA | 2004年6月6日 |
○ | 曙 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA | 2004年3月27日 |
○ | ステファン・ガムリン | 2R 0:53 KO(左膝蹴り) | K-1 BURNING 2004 〜沖縄初上陸〜 | 2004年2月15日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【決勝】 |
2003年12月6日 |
○ | ピーター・アーツ | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【準決勝】 |
2003年12月6日 |
○ | レイ・セフォー | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【準々決勝】 |
2003年12月6日 |
○ | 藤本祐介 | 延長R終了 判定2-0 | K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【JAPAN GP 決勝】 |
2003年9月21日 |
○ | 堀啓 | 2R 3:00 KO(2ノックダウン:左ローキック) | K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【JAPAN GP 準決勝】 |
2003年9月21日 |
○ | モンターニャ・シウバ | 3R終了 判定3-0 | K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【JAPAN GP 1回戦】 |
2003年9月21日 |
△ | クリス・クリソポリディス | 3R終了 判定0-0 | K-1 WORLD GP 2003 in MELBOURNE | 2003年7月27日 |
○ | モンターニャ・シウバ | 2R 1:50 反則失格(倒れた相手への攻撃) | K-1 BEAST II 2003 | 2003年6月29日 |
○ | 角田信朗 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS 【角田信朗引退試合】 |
2003年5月2日 |
△ | ゲーリー・グッドリッジ | 5R終了 判定1-0 | K-1 BEAST 2003 〜山形初上陸〜 | 2003年4月6日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 2R 0:51 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【1回戦】 |
2002年12月7日 |
○ | 中迫剛 | 延長2R終了 判定3-0 | K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【決勝】 |
2002年9月22日 |
○ | 富平辰文 | 3R終了 判定3-0 | K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【準決勝】 |
2002年9月22日 |
○ | 天田ヒロミ | 延長R終了 判定2-0 | K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【1回戦】 |
2002年9月22日 |
○ | ジョシー・デンプシー | 5R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA | 2002年7月14日 |
× | セーム・シュルト | 5R終了 判定1-2 | K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜 | 2002年4月21日 |
△ | グラウベ・フェイトーザ | 5R終了 判定0-0 | K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA | 2002年3月3日 |
○ | 野地竜太 | 5R終了 判定2-0 | 一撃 1.11 ICHIGEKI | 2002年1月11日 |
× | ニコラス・ペタス | 延長R終了 判定0-3 | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【JAPAN GP 決勝】 |
2001年8月19日 |
○ | 中迫剛 | 3R終了 判定3-0 | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【JAPAN GP 準決勝】 |
2001年8月19日 |
○ | 大石亨 | 3R終了 判定3-0 | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【JAPAN GP 準々決勝】 |
2001年8月19日 |
△ | エベンゼール・フォンテス・ブラガ | 5R終了 判定1-0 | K-1 SURVIVAL 2001 〜K-1 JAPAN GP 開幕戦〜 【スーパーファイト】 |
2001年6月24日 |
× | アーネスト・ホースト | 5R終了 判定0-2 | K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 | 2001年4月15日 |
× | レイ・セフォー | 1R 1:38 KO(フック連打) | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 【準々決勝】 |
2000年12月10日 |
○ | 天田ヒロミ | 3R終了 判定3-0 | K-1 SPIRITS 2000 【K-1 JAPAN GP 2000 決勝】 |
2000年7月7日 |
○ | 安虎 | 1R 2:15 KO(2ノックダウン:ミドルキック) | K-1 SPIRITS 2000 【K-1 JAPAN GP 2000 準決勝】 |
2000年7月7日 |
○ | 柳澤龍志 | 3R終了 判定3-0 | K-1 SPIRITS 2000 【K-1 JAPAN GP 2000 準々決勝】 |
2000年7月7日 |
○ | 富平辰文 | 3R終了 判定3-0 | K-1 SURVIVAL 2000 【K-1 JAPAN GP 2000 1回戦】 |
2000年5月28日 |
× | アンディ・フグ | 5R終了 判定0-2 | K-1 BURNING 2000 【WKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
2000年3月19日 |
× | ピーター・アーツ | 延長R 1:25 TKO(タオル投入:右ストレート) | K-1 RISING 2000 | 2000年1月25日 |
× | ミルコ・クロコップ | 2R 1:13 KO(2ノックダウン:左アッパー) | K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦 【準々決勝】 |
1999年12月5日 |
○ | 佐竹雅昭 | 5R終了 判定3-0 | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月5日 |
○ | ノブ・ハヤシ | 3R終了 判定3-0 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 決勝】 |
1999年8月22日 |
○ | 天田ヒロミ | 3R終了 判定3-0 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 準決勝】 |
1999年8月22日 |
○ | 長井満也 | 1R 3:00 KO(左ミドルキック) | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 2回戦】 |
1999年8月22日 |
○ | 吉岡基治 | 1R 2:13 TKO(レフェリーストップ:パンチ連打) | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 1回戦】 |
1999年8月22日 |
○ | カークウッド・ウォーカー | 5R 1:50 KO(左ミドルキック) | K-1 BRAVES '99 【WAKO PRO世界ムエタイヘビー級タイトルマッチ】 |
1999年6月20日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 2:15 反則失格(ローブロー) | K-1 REVENGE '99 | 1999年4月25日 |
○ | グレッグ・ボイティチェック | 2R 2:03 KO(3ノックダウン:右ローキック) | K-1 THE CHALLENGE '99 | 1999年3月22日 |
× | カークウッド・ウォーカー | 5R終了 判定 | LOADS OF THE RING III 【WAKO PRO世界ムエタイヘビー級タイトルマッチ】 |
1999年2月28日 |
○ | ダンカン・ジェームス | 2R 2:52 TKO(3ノックダウン:右ストレート) | K-1 RISING SUN '99 | 1999年2月3日 |
× | マイケル・トンプソン | 5R終了 判定0-2 | K-1 JAPAN '98 〜神風〜 | 1998年10月28日 |
× | アーネスト・ホースト | 3R 2:52 TKO(レフェリーストップ:右アッパー) | K-1 DREAM '98 | 1998年7月18日 |
△ | 佐竹雅昭 | 5R終了 判定0-0 | K-1 BRAVES '98 | 1998年5月24日 |
× | マイケル・トンプソン | 5R終了 判定0-3 | K-1 FIGHT NIGHT '97 | 1997年6月7日 |
× | カークウッド・ウォーカー | 5R 1:12 KO(右ストレート) | K-1 BRAVES '97 【WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座決定戦】 |
1997年4月29日 |
× | ブランコ・シカティック | 4R 1:38 TKO(タオル投入:右ストレート) | K-1 KINGS '97 | 1997年3月16日 |
× | アンディ・フグ | 5R終了 判定0-3 | K-1 HERCULES '96 | 1996年12月8日 |
○ | ジャン・リビエール | 5R終了 判定3-0 | K-1 STAR WARS '96 | 1996年10月18日 |
- | サム・グレコ | 3R 0:22 ノーコンテスト | K-1 REVENGE '96 | 1996年9月1日 |
× | サダウ・ゲッソンリット | 判定 | 象ビール世界崩壊戦 【WMTC世界クルーザー級王者決定戦】 |
1996年7月20日 |
× | マイク・ベルナルド | 3R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦 【準決勝】 |
1996年5月6日 |
○ | サム・グレコ | 1R終了時 TKO(ドクターストップ:右足指負傷) | K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦 【準々決勝】 |
1996年5月6日 |
○ | キット・ライキンズ"ザ・ホワイトドラゴン" | 1R 0:37 KO(左ローキック) | K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦 【1回戦】 |
1996年3月10日 |
× | スタン・ザ・マン | 5R終了 判定0-3 | K-1 HERCULES | 1995年12月9日 |
○ | パトリック・スミス | 2R 0:43 KO(左ハイキック) | K-1 REVENGE II | 1995年9月3日 |
空手
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 子安慎悟 | 再延長終了 判定0-3 | カラテワールドカップ '95 【3位決定戦】 |
1995年10月8日 |
× | 金泰泳 | 再延長終了 判定0-5 | カラテワールドカップ '95 【準決勝】 |
1995年10月8日 |
○ | 西田操一 | 再延長終了 体重判定 | カラテワールドカップ '95 【準々決勝】 |
1995年10月8日 |
○ | 岸川新 | 本戦終了 判定5-0 | カラテワールドカップ '95 【3回戦】 |
1995年10月8日 |
獲得タイトル
- カラテワールドカップ '95 第4位
- WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座
- K-1 JAPAN GP 2001 準優勝
- K-1 JAPAN GP 1999、2000、2002、2003 優勝
- K-1 WORLD GP 2003 準優勝
- K-1 WORLD GP 2004 準優勝
人物
- 最初に石井和義(正道会館元館長)に用意されていたリングネームは「ケンシロウ」。それを拒否したところ、「ムサシ(当時)」の名を挙げられ半ば諦めで承諾。最初は本名を望んでいた。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
- 上記のように言われることが多いが、実際は佐竹雅昭が名付け親である。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。佐竹はK-1と喧嘩別れしており、喧嘩別れしたきっかけは、皮肉にも1999年10月3日に行われた武蔵戦での判定を巡ってである。
- 1998年5月24日のK-1 BRAVES '98から「武蔵」と漢字のリングネームとなった。
- ヘヴィメタルを始めとしたロックが好きで、音楽バラエティ番組「ヘビメタさん」ではジューダス・プリーストの名曲Painkillerを熱唱していた。
- メタル好きが高じて、ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」に入場テーマ曲「The Battleship MUSASHI」を作ってもらった。その後、雑誌にてLOUDNESSのギタリストである高崎晃と対談している。
- 格闘家になった理由は「強くなりたいから」ではなく「女の子にモテたいから」だったらしい。
- 趣味はルアーフィッシング。
- 2006年、劇場版『仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』に仮面ライダーコーカサス・黒崎一誠役として出演。本人は仮面ライダー好きらしく、舞台挨拶では「非常に光栄な事」と喜びのコメントをした。また変身ポーズも自分で考えたらしい。
- 徹底した「判定狙い」のファイトスタイルと度重なる疑惑の判定勝利から、格闘技界随一の批判の多い選手でもある。
- オートバイメーカー「ヤマハ」のイベントに出演する事も多く、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも姿を見せる。
- 特徴のある厚い唇に関しては、それを過度に強調した自画像などを描かれる事を嫌う一方(SRSの企画で、そのような絵を描かれた際、「正直、殺意が芽生えた」と発言した)、バラエティ好きの面もあり、自らよくネタにする。
テレビ出演
- 京都地検の女第1シリーズ(2004年) - 第7話ゲスト出演
- 水曜ミステリー9 『信濃のコロンボ事件ファイル9・乗せなかった乗客』(2005年8月、テレビ東京・ジーカンパニー) - 葛城役
- エル・ポポラッチがゆく!! - ラーメン屋台634の店主 役
- ジャンクSPORTS
- 田舎に泊まろう(2008年2月24日OA) - 東京都式根島にお泊り
- あほやねん!すきやねん!(2008年4月30日、「Go!Go!母校!」)
CM
映画出演
- 劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE(2006年) - 黒崎一誠 / 仮面ライダーコーカサス 役
- 20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗(2009年) - 大垣師範代 役
PV出演
- SOFFet with mihimaru GT 「スキナツ」
- mihimaru GT with SOFFet 「泣き夏」
家族・親族
- 「一休さん」の「新右衛門さん」で有名な室町時代の寺社奉行・蜷川新右衛門の子孫である。また国際赤十字赤新月社連盟の発案者であり日本赤十字社の顧問であった法学博士・蜷川新のひ孫である(蜷川新右衛門が蜷川家8代目、蜷川新が23代目にあたる)。また、芸人の猫ひろしは遠戚。
関連項目
外部リンク
- MUSASHI-STYLE.COM —武蔵流— - オフィシャルサイト
- K-1 選手データ
前王者 カークウッド・ウォーカー |
WAKO PROムエタイ世界ヘビー級王者 1999年6月20日 - |
次王者 N/A |