富平辰文

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富平 辰文
基本情報
本名 富平 辰文
通称 ミスター闘争本能
JAPANのド根性野郎
階級 ヘビー級K-1
身長 185cm
体重 95kg
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1976-02-09) 1976年2月9日(48歳)
出身地 愛知県名古屋市
スタイル フルコンタクト空手
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富平 辰文(とみひら たつふみ、男性1976年2月9日 - )は、日本空手家・元キックボクサーで、現在は企業家

人物[編集]

愛知県名古屋市出身。

元々新極真会所属だったが、現在は形の上では正道会館所属。「JAPANのド根性野郎」「ミスター闘争本能」などの異名を持つ。武蔵以上の逸材と言われ、期待され続けていたが、他のJAPAN勢同様あまり結果が出せていなかった。しかし、ピーター・ボンドラチェック、セルゲイ・グールと言ったK-1世界地区予選の優勝者クラスの外国人強豪から勝利を収めており、JAPAN勢としては世界と戦える稀有なヘビー級選手ではあった。

誰が相手でも勇猛果敢に挑むファイトスタイルで人気を博し、2011年に現役を引退した。

谷川貞治が、「日本人ファイターは外国人トップファイターと対戦すると臆するところがある。しかし、冨平選手はそんなことはない」(2003年のレイ・セフォー戦にて)と述べている通り、試合時のメンタル面での強さが最大の武器であった。

その証拠に、キャリア初期にして既にロイド・ヴァン・ダムミルコ・クロコップと言った強豪選手と戦っており、負けはしたものの、ヴァン・ダムを後退させるラッシュを見せ、実況中の石井館長を「打ち負けてませんよ。打ち負けてませんよ。入ってますよ!」と興奮させ、同じく実況中の谷川貞治を「ヴァン・ダムを後ろに下げたのは凄いですよ」と驚かせた。また、劣勢の中、打ってこいとミルコを挑発するなどファイターとしての意地も存分に見せつけた。レイ・セフォーが相手でも一瞬グラつかせるなどの見せ場を作り5R戦い抜いている。2004年のJAPAN GP一回戦ではそれまで日本人が誰も勝てなかったマイク・ベルナルドに唯一勝利を納めている(1RKO勝利)

来歴[編集]

2000年5月28日、K-1初参戦。JAPAN GPの1回戦で武蔵に判定負け。

2004年6月29日、K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKAにて、マイク・ベルナルドに1RKO勝ち。

2005年6月14日、K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMAでは1回戦で天田ヒロミに判定勝ち、準決勝で藤本祐介にKO勝ちしたものの、決勝ではボブ・サップに判定負け。

2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIで行われたUSA GP 1回戦でアレキサンダー・ピチュクノフと対戦し、3R左ストレートでKO負け。

2007年8月11日、HEAT初参戦となったHEAT 4でビッグ・モーとHEATキックルールで対戦、判定勝ち。

2007年11月25日、HEAT 5でアレックス・ロバーツとHEATキックルールで対戦。1Rに左フックでダウンを奪うも、2Rに連打を浴びスタンディングダウンを奪われ、判定負け。

2008年7月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEIルスラン・カラエフと対戦し、3RKO負け。

2008年12月14日、HEAT 8のHEATキックルールヘビー級トーナメント1回戦でプリンス・アリと対戦予定であったが、11月、左脚アキレス腱断裂で全治6か月となり、欠場となった[1]

2009年4月5日、結婚式を挙げた[2]

2009年11月1日、1年3か月ぶりの復帰戦となったHEAT 12で田中STRIKE雄基と対戦し、KO勝ち。同大会には弟・忠将も出場し、初の兄弟出場となった[3]

2010年7月18日のHEAT 14でHEATキックルール ヘビー級タイトルマッチで天田ヒロミに挑戦予定であったが、自身の眼窩底骨折により欠場[4]

2011年、現役を引退。

戦績[編集]

キックボクシング 戦績
35 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
18 10 0 0
17
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ムーン・ボーラム 3R+延長R終了 判定3-0 HEAT 13 2010年3月14日
田中STRIKE雄基 1R 1:53 KO(3ノックダウン) HEAT 12 2009年11月1日
× ルスラン・カラエフ 3R 2:20 KO(2ノックダウン:左フック) K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEI
【ASIA GP 1回戦】
2008年7月13日
イ・ヨセプ 2R 0:19 KO HEAT 6
【HEATキックルール(肘無し)】
2008年3月30日
× アレックス・ロバーツ 3R終了 判定0-3 HEAT 5 2007年11月25日
ビッグ・モー 3分3R終了 判定3-0 HEAT 4 2007年8月11日
× アレキサンダー・ピチュクノフ 3R 1:00 KO(左ストレート) K-1 WORLD GP 2007 in HAWAII
【USA GP 1回戦】
2007年4月28日
セルゲイ・グール 延長R終了 判定 K-1 FIGHTING NETWORK in LATVIA 2006年11月4日
× ポール・スロウィンスキー 3R終了 判定0-3 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日
× メルヴィン・マヌーフ 1R 2:10 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM
【EUROPE GP 1回戦】
2006年5月13日
× スコット・ライティ 1R 1:23 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS II
【世界最終予選 1回戦】
2005年8月13日
× ボブ・サップ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA
【JAPAN GP 決勝】
2005年6月14日
藤本祐介 1R 2:39 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA
【JAPAN GP 準決勝】
2005年6月14日
天田ヒロミ 延長R終了 判定2-1 K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA
【JAPAN GP 1回戦】
2005年6月14日
カン・ミンキ 1R 1:21 KO(2ノックダウン:左膝蹴り) K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL
【リザーブファイト】
2005年3月19日
× ネイサン"カーネッジ"コーベット 3R終了 判定 XPLOSION SUPER FIGHT 2004 〜K-1 CHALLENGE〜 2004年12月18日
× 天田ヒロミ 3R 0:58 KO(右ストレート) K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA
【JAPAN GP 準決勝】
2004年6月26日
マイク・ベルナルド 1R 1:09 KO(左ハイキック) K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA
【JAPAN GP 1回戦】
2004年6月26日
× ケリー・レオ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS
【世界予選A 1回戦】
2004年4月30日
ピーター・ボンドラチェック 3R終了 判定3-0 K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜 2004年3月14日
× 堀啓 3R終了 判定0-2 K-1 SURVIVAL 2003
【JAPAN GP 1回戦】
2003年9月21日
× レイ・セフォー 5R 2:15 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2003 in FUKUOKA 2003年7月13日
青柳雅英 延長R終了 判定3-0 K-1 BEAST II 2003
【K-1 JAPAN GP 2003 出場決定戦】
2003年6月29日
チャド・バノン 3R終了 判定3-0 K-1 BEAST 2003 〜山形初上陸〜 2003年4月6日
× 武蔵 3R終了 判定0-3 K-1 ANDY SPIRITS 2002 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 準決勝】
2002年9月22日
ノブ・ハヤシ 延長R終了 判定3-0 K-1 ANDY SPIRITS 2002 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 1回戦】
2002年9月22日
グレート草津 延長2R終了 判定3-0 K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸〜
【K-1 JAPAN GP 2002 代表決定戦】
2002年6月2日
× シリル・アビディ 4R 2:30 TKO(レフェリーストップ) K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA 2001年10月8日
× ノブ・ハヤシ 3R 2:55 KO(右フック) K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 準々決勝】
2001年8月19日
柳澤龍志 延長R終了時 TKO(タオル投入) K-1 SURVIVAL 2001 〜JAPAN GP 開幕戦〜
【JAPAN GP 1回戦】
2001年6月24日
モハメド・アリ 2R 1:50 KO K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 2001年4月15日
× ミルコ・クロコップ 2R 2:55 KO(左ハイキック) K-1 RISING 2001 〜四国初上陸〜 2001年1月30日
× ロイド・ヴァン・ダム 2R 2:07 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA
【1回戦】
2000年7月30日
× 武蔵 3R終了 判定0-3 K-1 SURVIVAL 2000
【JAPAN GP 1回戦】
2000年5月28日
安部康博 3R 2:47 KO ニュージャパンキックボクシング連盟
「Millennium Wars 1」
2000年1月29日
中西陽介 2R 1:50 KO MA日本キック
「TORNADO WARNING 〜トルネード襲来!!〜」
1999年12月24日
鈴木充 1R 2:50 KO 全日本キックボクシング連盟
「WAVE-XIII」
1999年11月22日

主な獲得タイトル[編集]

  • K-1 JAPAN GP 2005 準優勝

脚注[編集]

  1. ^ 報告、、すいません 富平辰文オフィシャルブログ 2008年11月29日
  2. ^ ご報告です 富平辰文オフィシャルブログ 2009年4月13日
  3. ^ 富平辰文、弟の忠将と初の兄弟参戦:11.1 名古屋 BoutReview 2009年8月28日
  4. ^ 【HEAT】7・18天田ヒロミVSボーラム、新美VSホルダスがダブルメインイベントでタイトルマッチ! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月12日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]