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本多忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本多 忠
国籍 日本の旗 日本
泳法 背泳ぎ
生年月日 (1951-09-19) 1951年9月19日(73歳)
生誕地 山口県
身長 173cm
体重 68kg
獲得メダル
アジア競技大会
1970 バンコク 100m背泳ぎ
1970 バンコク 200m背泳ぎ
1974 テヘラン 100m背泳ぎ
1974 テヘラン 200m背泳ぎ
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本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日本競泳選手。専門は背泳ぎ山口県出身[1]

経歴

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尾道高等学校時代、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で優勝している[2]。高校卒業後は広島商科大学(現広島修道大学)に進学、日本学生選手権水泳競技大会の100m、200m背泳ぎで2年連続優勝している[3]。大学卒業後はフジタに入社し競技を続けた[4]

1972年のミュンヘンオリンピックでは100m背泳ぎで8位、200m背泳ぎは予選敗退、田口信教駒崎康弘佐々木二郎との400mメドレーリレーで6位となった[5]

1976年のモントリオールオリンピックでは100m背泳ぎで予選落ち、田口信教・原秀章柳館毅とのメドレーリレーで8位となった。

アジア競技大会では1970年1974年の100m背泳ぎ、200m背泳ぎでそれぞれ金メダルを獲得している。

日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1969年、1972年、1974年に優勝[4]、200m背泳ぎで1972年に優勝している[6]

現役引退後はNASスイミングクラブで指導を行っている[7]

1996年のアトランタオリンピックでは日本代表のコーチを務めた[8]

現在は、シンガポールに住んでビッグウェーブスイミングスクールという子供用の水泳部のコーチとして働いていた。

尚、2021年3月以降、コロナウイルスの影響によって、ビッグウェーブスイミングスクールは営業を停止している。

脚注

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  1. ^ 1972年7月24日、読売新聞、10頁
  2. ^ フジタドルフィンクラブナタリー”. 体力健康新社. 2013年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  3. ^ 妹尾章孝 (2005年9月18日). “水泳部創立40年を迎えて”. 広島修道大学同窓会. 2012年7月28日閲覧。
  4. ^ a b 歴代日本選手権獲得者 男子 100m 背泳ぎ”. 日本水泳連盟 (2011年). 2012年7月28日閲覧。
  5. ^ ミュンヘンオリンピック日本代表選手入賞者一覧”. 日本オリンピック委員会. 2012年7月28日閲覧。
  6. ^ 歴代日本選手権獲得者 男子 200m 背泳ぎ”. 日本水泳連盟 (2011年). 2012年7月28日閲覧。
  7. ^ 山田剛. “アルファ波は、疲労を低下させる”. 通信『スタイル21』4号. 2012年7月28日閲覧。
  8. ^ アトランタ大会出場日本選手・競泳”. 日本オリンピック委員会. 2012年7月28日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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