川西市立黒川小学校
川西市立黒川小学校 | |
---|---|
北緯34度55分37.9秒 東経135度26分24.6秒 / 北緯34.927194度 東経135.440167度座標: 北緯34度55分37.9秒 東経135度26分24.6秒 / 北緯34.927194度 東経135.440167度 | |
過去の名称 |
黒川小学校[1] 智嚢小学校黒川分校 黒川簡易小学校 黒川尋常小学校 東谷村立黒川国民学校 東谷村立黒川小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 川西市 |
設立年月日 | 1873年11月14日[1] |
創立記念日 | 5月15日[2] |
閉校年月日 |
1977年3月31日(以後無期休校) 条例上の廃止日 2023年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B128210002952 |
校舎面積 | 689.00 m2(黒川公民館当時) |
所在地 | 〒666-0101 |
外部リンク | 黒川公民館(旧黒川小学校)(2023年3月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
川西市立黒川小学校(かわにししりつ くろかわしょうがっこう)は、兵庫県川西市黒川に存在した公立小学校。川西市内最北端最東端及び兵庫県内最東端の小学校であった。
1977年(昭和52年)4月以降、廃校でなく休校の措置となっていた後に、46年もの月日を経て2023年4月1日に正式に廃止された[注釈 1]。
概要
[編集]1873年に黒川、国崎、横路の3村(いずれも現・川西市)による協働[3]によって、徳林寺の建物の一部を借りて「正則小学校」[注釈 2]として発足[4][5][6]。創立当時の児童数は16人(男児9人・女児7人)、教職員は1人であった[6][4]。1875年に徳林寺の間借りから独立して校舎を新築[5][注釈 3]。児童数の増加に対応するため、1904年には現在の場所に校舎(のちの北校舎)を新築して移転した[6][4]。
第二次世界大戦の終わり頃から終戦直後の混乱期にかけて、大阪市や神戸市など近隣都市からの疎開児童が急増したため、対応するために1946年[注釈 4]にはそれまでの校舎と同規模の南校舎を増築した[7]。ピーク時の1945年には男子60人、女子49人の合計109人もの児童がいた[6]。その後は、交通が非常に不便であったことによるほか、川西市制の開始に伴う都市化により市南部に人口が集中したことの反動から、過疎化が進行。加えて、1968年に一庫ダムの建設計画が決定されて、水没部分[注釈 5]にあたる一部の校区内の世帯は地区外への移転を余儀なくさせられ[4]、児童数は減少の一途を辿った。市制実施以降では開始直後の1955年時点の68人が児童数の最高で、1962年に40人台に移ってからも減少を続けた[10]。1977年3月31日をもって無期休校を迎えた時点で児童数は19人となり[4]、黒川小学校は東谷小学校に統合された[7]。廃校や閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果であった[4]。
2021年5月、校区内に義務教育対象年齢以下の児童や幼児がいないことを確認し、川西市教育委員会は再開のめどが見込めなくなったと結論付け、廃校の方針を地域の説明会で伝えたところ、反対意見は出なかった[7]。
2022年3月、川西市教育委員会は市議会厚生文教常任委員会で廃校とする方針を明らかにした[7]。木造校舎など一部は2022年度に川西市黒川里山センター(仮称)として整備する方針を明らかにした[7]。その後、川西市黒川里山センターとしてその設置条例が整備され[11]、2023年4月に開設されるとともに、認定NPO法人コクレオの森がその指定管理者となって運営を行っている[12][13]。
歴史
[編集]- 1873年 - 徳林寺の一部を間借りして「正則小学校」[注釈 2]として開校[6]。
- 1875年5月15日 - 独立校舎を新築[5](黒川村ではこの日を創立の日と伝える[2][注釈 3])。
- 1878年 - 山下小学校と合併、智嚢小学校黒川分校となる[6][注釈 6]。
- 1887年4月7日 - 改正小学校令より智嚢小学校が東谷簡易小学校[注釈 7]となるとともにその分校ではなくなり[14]、黒川簡易小学校と改称[6]。
- 1892年 - 町村制の実施に伴い黒川尋常小学校となる(東谷村では東谷尋常小学校との2校設置)。
- 1904年8月25日 - 現在の場所に校舎(のちの北校舎)が落成[6]。従来からの校舎は、国崎村の小笠原万太郎に買い取られ、小笠原家の倉庫となる[5]。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により東谷村立黒川国民学校となる[6]。
- 1945年 - 児童数がピークとなる(109人)[6]。
- 1946年12月27日 - 南校舎が落成[6]。
- 1947年4月1日 - 学制改革により東谷村立黒川小学校となる[6]。
- 1954年8月1日 - 川西市制施行により、川西市立黒川小学校となる。
- 1968年 - 一庫ダム(1983年竣工)の建設計画が持ち上がる。この頃より戦後顕著となった過疎化が一層進行し、将来の廃校が議論されるようになった。
- 1975年 - 創立100周年を迎える(独立校舎建築の1875年を起点におく[5])。
- 1977年3月31日 - この日を最後に休校[注釈 8]。卒業生以外の在学児童は、東谷小学校に編入学となった[7]。翌4月1日に黒川公民館が開館[15]。
- 2022年2月17日 - 川西市教育委員会で黒川小学校の廃止を承認[16]。翌月の3月25日に川西市議会において黒川小学校を廃止する条例を可決[17]。
- 2023年4月1日 - 黒川小学校が正式に廃止[注釈 1]。川西市黒川里山センターが開設。
校舎
[編集]北校舎
[編集]1904年(明治37年)に建てられた北校舎は兵庫県内で最古級の木造校舎であった[7]。
1977年の休校後は、黒川公民館として一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれた机・イス・教材が保存されていたこともあって、観光地としての地位も確立された。
2010年3月に兵庫県の景観形成重要建造物に指定された[7][19]。NHK連続テレビ小説「スカーレット」のロケ地にもなった[7]。
南校舎
[編集]戦後の児童数の急増により1946年(昭和21年)[注釈 4]に南校舎が建てられた[7]。川西市は、2022年に教育委員会での廃校承認を経て市議会に提案した時点で、南校舎については解体の可能性もあるが、指定管理者の提案があれば保存活用するとしていた[7]。現在は、川西市黒川里山センターにおいて南棟として活用[20]。
周辺施設
[編集]- 兵庫県道68号川西三田線(北摂里山街道)
- 知明湖キャンプ場
開館時間(参考:黒川公民館当時)
[編集](注)新型コロナウイルス感染症拡大による貸館業務中止以前のもの。
観覧料金(参考:黒川公民館当時)
[編集]- 入館無料
アクセス
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 黒川小学校を廃止するための「川西市立小学校、中学校及び特別支援学校の設置に関する条例の一部を改正する条例」(令和4年3月28日条例第22号)が2022年3月25日開催の川西市議会本会議で可決[17]された後、その施行により設置条例上で正式に廃止されたのは2023年4月1日である[18]。なお、川西市黒川里山センターの設置条例の施行日と同日にあたる。
- ^ a b 「正則小学校」は学校の区分を表す[1]。「普通教育小学校変則小学校区別」 (明治13年文部省達第2号)では、小学校のうち、読書・習字・算術・地理・歴史・修身の6教科を具備しないものは変則小学校とし、普通教育小学校と区別された。教育令 (明治13年太政官布告第59号)の第3条は、原則としてその6教科の初歩を普通教育の所定科目としている。
- ^ a b 創立の時期を1875年とする場合は、徳林寺における開設期間が黒川小学校の「前身」(発祥)としてとらえられている[6]。
- ^ a b 出典のうち、南校舎の建築年については、1946年とするもの[7]と1947年とするもの[4]とがあり、新聞記事によって異なっているが、1946年12月27日に竣工したと考えられる[6]。
- ^ 国崎26戸、一庫5戸、豊能町1戸の計32戸の住居が含まれる[8]。別の資料は「水没家屋29戸」とやや異なるものの、当時、黒川小学校から転校する児童が10数人にも上る見通しであったことを伝えている[9]。
- ^ 合併については1879年(明治12年)4月1日とする資料がある[14]。
- ^ 尋常小学校が4年制であるのに対し、簡易小学校は3年制。
- ^ 管理上は4月1日より休校となっていた。
出典
[編集]- ^ a b c 川西市史編集専門委員会 編『かわにし 川西市史 第3巻』川西市、1980年9月、62-64頁。doi:10.11501/9574558。63頁にある「表9 学制創業期における川西市域の小学校」を参照。
- ^ a b 『川西市史 第3巻』, p. 64.
- ^ 川西市史編集専門委員会 編「黒川小学校設立の方法(黒川部落有文書 明治6年5月)」『かわにし 川西市史 第6巻』(史料編3)川西市、1977年11月、426-427頁。doi:10.11501/9574000。「明治6年5月 黒川村戸長 本射直蔵、国崎村戸長 佐渡源四郎、横路村戸長 向井庄左衛門【三者連名】 兵庫県令 神田孝平殿」
- ^ a b c d e f g <礎(いしずえ)>近代が残したもの:築102年古里の原風景 旧黒川小学校(神戸新聞 記者クラブ 2006年2月9日掲載) - ウェイバックマシン(2014年7月20日アーカイブ分)
- ^ a b c d e 川西市史編集室 編「明治の小学校――学校を支えた村びとたち」『川西史話』川西市役所、1981年11月、230-238頁。doi:10.11501/9574974。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「黒川小学校(現 黒川公民館)」『北摂里山 黒川案内人ガイドブック』(PDF)兵庫県阪神北県民局、2018年3月、42-43頁 。46-47頁「黒川の概略年表」。
- ^ a b c d e f g h i j k l “休校から45年後に廃校 川西・黒川小 ダム整備で校区水没、県内最古級の木造校舎”. 神戸新聞 (2022年3月4日). 2022年3月4日閲覧。
- ^ 『川西市30年のあゆみ』, p. 95.
- ^ 「動き出した一庫ダム」『水登ともに』第149号、水資源開発公団広報課、1976年3月、16-17頁、doi:10.11501/3213576。
- ^ 川西市史編集室 編『川西市30年のあゆみ』川西市、1984年8月、67頁。doi:10.11501/9775844。
- ^ 川西市黒川里山センターの設置及び管理に関する条例(令和4年3月28日 条例第16号)。
- ^ “インタビューず:川西市黒川里山センター センター長 藤田美保氏”. 北摂里山地域循環共生圏(hokuCES) (2023年8月3日). 2023年10月12日閲覧。
- ^ 川西市黒川里山センター 指定管理者募集について(川西市ホームページ)(2023年6月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ a b “学校のあゆみ”. 川西市立東谷小学校. 2023年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月27日閲覧。
- ^ 黒川公民館(川西市ホームページ)(2023年3月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 「報告第4号「川西市立小学校、中学校及び特別支援学校の設置に関する条例の一部を改正する条例の制定について」」『令和4年第2回 川西市教育委員会(定例会)議事録』(PDF)(令和4年2月17日開催)川西市教育委員会、2022年3月、18-19頁 。
- ^ a b 「川西市議会本会議」『令和4年3月定例会(第1回)』議事録、03月25日-06号巻、2022年3月25日。2023年10月15日閲覧。「議長(久保義孝) ただいまの起立者は20名であり、所定数以上であります【引用者注:所定数は、本件が特別多数議決を要するため、当日の出席議員数26名の3分の2以上にあたる18名】。よって、議案第26号は原案のとおり可決されました」
- ^ 「報告第4号 専決報告について(川西市立小学校、中学校及び特別支援学校の設置に関する条例の一部を改正する条例の制定について)」『令和4年第2回 川西市教育委員会(定例会)議案書』(PDF)川西市教育委員会、2022年2月17日、19-22頁 。「付則 この条例は、令和5年4月1日から施行する」
- ^ 「兵庫県告示第382号」『兵庫県公報』第2170号、兵庫県、2010年3月30日、15頁。「景観形成重要建造物等として次のものを指定する。平成22年3月30日 兵庫県知事」
- ^ “利用案内”. くろかわさとやまセンター. 2023年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 黒川公民館(旧川西市立黒川小学校)(2023年3月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 黒川里山センター(川西市ホームページ)(2023年6月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- くろかわさとやまセンター(川西市黒川里山センター) - 認定NPO法人コクレオの森が運営するホームページ。