川西市立黒川小学校

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川西市立黒川小学校
過去の名称 兵庫県川辺郡山下小学校
智嚢小学校
智嚢小学校黒川分校
黒川尋常小学校
東谷村立黒川国民学校
東谷村立黒川小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 Flag of Kawanishi, Hyogo.svg川西市
設立年月日 1873年9月10日
閉校年月日 1977年3月31日休校
共学・別学 男女共学
所在地 666-0101
兵庫県川西市黒川字谷垣内295番地

北緯34度55分37.9秒 東経135度26分24.6秒 / 北緯34.927194度 東経135.440167度 / 34.927194; 135.440167座標: 北緯34度55分37.9秒 東経135度26分24.6秒 / 北緯34.927194度 東経135.440167度 / 34.927194; 135.440167
外部リンク 黒川公民館(旧黒川小学校)
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川西市立黒川小学校(かわにししりつ くろかわしょうがっこう)は、兵庫県川西市黒川に存在する公立小学校

概要[編集]

川西市内最古の小学校[1]。また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である。

1873年に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した[2]。創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった[2]東谷村では、東谷小学校しか他になかったため、生徒数は増加の一途を辿り、1904年には北校舎を改築した[2]

第二次世界大戦が始まると、大阪市神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加。1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築[2]終戦直後が児童数のピークだった。しかし、場所が非常に不便だった事や川西市制開始による都市化の進行に伴い、過疎化が進行。加えて1968年一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し、地区外へ移転する世帯が出ることが決定された[2]。そして1977年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人[2]は東谷小学校に編入された。廃校閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった[2]

休校後は、黒川公民館として一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれたイス教材[3]が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している。 なお川西市は2019年現在も廃校としていない(外部リンク参照)。

歴史[編集]

周辺施設[編集]

開館時間[編集]

  • 9:00~17:30(但し、図書室開室、貸し出し時間は平日9:00~17:10)
  • 休館日:年末年始12月29日1月3日)。但し、臨時休館あり。

観覧料金[編集]

  • 入館無料

アクセス[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 休校中の当学校を除けば川西小学校が最古である(1878年7月1日設立)。
  2. ^ a b c d e f g h 礎(いしずえ)近代が残したもの #20 - 築102年古里の原風景 旧黒川小学校神戸新聞2006年2月9日記事。
  3. ^ また昭和末期(1988年頃)には飲みかけのバヤリースオレンジが瓶ごと残されていた。
  4. ^ a b c d 学校のあゆみ川西市立東谷小学校HP
  5. ^ 管理上は4月1日より休校となっている

外部リンク[編集]