川西市立黒川小学校
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| 川西市立黒川小学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 |
兵庫県川辺郡山下小学校 智嚢小学校 智嚢小学校黒川分校 黒川尋常小学校 東谷村立黒川国民学校 東谷村立黒川小学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
|
| 設立年月日 | 1873年9月10日 |
| 閉校年月日 | 1977年3月31日(休校) |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 所在地 | 〒666-0101 |
| 外部リンク | 黒川公民館(旧黒川小学校) |
| プロジェクト:学校/小学校テンプレート | |
川西市立黒川小学校(かわにししりつ くろかわしょうがっこう)は、兵庫県川西市黒川に存在する公立小学校。
概要[編集]
川西市内最古の小学校[1]。また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である。
1873年に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した[2]。創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった[2]。東谷村では、東谷小学校しか他になかったため、生徒数は増加の一途を辿り、1904年には北校舎を改築した[2]。
第二次世界大戦が始まると、大阪市や神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加。1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築[2]。終戦直後が児童数のピークだった。しかし、場所が非常に不便だった事や川西市制開始による都市化の進行に伴い、過疎化が進行。加えて1968年に一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し、地区外へ移転する世帯が出ることが決定された[2]。そして1977年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人[2]は東谷小学校に編入された。廃校や閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった[2]。
休校後は、黒川公民館として一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれた机・イス・教材[3]が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している。 なお川西市は2019年現在も廃校としていない(外部リンク参照)。
歴史[編集]
- 1873年9月10日 - 甘露寺に兵庫県川辺郡山下小学校を設立[4]。
- 1875年 - 新校舎を設立[2]。
- 1877年10月8日 - 山下小学校を智嚢小学校に改称[4]。
- 1878年11月3日 - 新校舎(後の川西市立東谷小学校)が笹部字古屋敷にも設立される[4]。
- 1879年4月1日 - 東谷小学校に合併され、智嚢小学校黒川分校となる[4]。
- 1887年4月1日 - 改正小学校令より東谷簡易小学校が出来た事に伴い、黒川尋常小学校と改称。
- 1904年 - 従来あった校舎を北校舎として改築。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により東谷村立黒川国民学校となる。
- 1947年4月1日 - 学制改革により東谷村立黒川小学校となる。
- 1947年 - 南校舎を増築。
- 1954年8月1日 - 川西市制施行により、川西市立黒川小学校となる。
- 1968年 - 一庫ダム(1983年竣工)の建設計画が持ち上がる。この頃より戦後進んでいた過疎化が一層進行し、将来の廃校が議論されるようになった。
- 1977年3月31日 - この日を最後に休校[5]。残った児童は東谷小学校に編入された。また校舎は黒川公民館として、2019年現在も利用されている。
周辺施設[編集]
- 兵庫県道68号川西三田線(北摂里山街道)
- 知明湖キャンプ場
開館時間[編集]
観覧料金[編集]
- 入館無料