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堀江正彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀江 正彦(ほりえ まさひこ、1946年昭和21年〉 - )は、日本外交官カタール駐箚特命全権大使マレーシア駐箚特命全権大使、地球環境問題担当特命全権大使を歴任した。2012年以降、国際連合「万人のための持続可能なエネルギー」諮問理事やマレーシア工科大学・日馬国際工科院担当特別教授を務めるとともに、現在は国際自然保護連合の理事(外務省参与・大使)、明治大学学長特任補佐、京都大学特任教授、筑波大学客員教授を勤めている。

IUCN関連国際会議

人物・経歴

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岡山県津山市出身。1969年(昭和44年)大阪大学経済学部を卒業後、渡し、1971年(昭和46年)チューレイン大学大学院経済学修士課程を修了する。1973年(昭和48年)大阪大学法学部を卒業し、外務省に入省した。1975年(昭和50年)には、フランス国立行政学院(ENA、エナ)に留学している。

2011年(平成23年)3月15日東日本大震災に対するマレーシア政府及び国民からの支援に感謝の意を表した。堀江大使は被災者や福島第一原子力発言所の状況について説明したほか、海外のボランティアの受け入れが難しい現状についても言及した。またマレーシア国民からの多数の追悼と激励のメッセージが寄せられたことについては時折、言葉を詰まらせながら語った[4]2011年(平成23年)4月28日、離任。離任に先立ち4月26日に行われた記者会見では日本はマレーシアから多くのことを学べる「ルック・ウェスト」を心がけるべきだと述べた[5]

2007年にマレーシアに着任して2011年に離任するまでの間、堀江大使が精力的に努力を傾注したのは、2001年当時マハティール首相が小泉首相に対して要請した「日本式工学教育」を行う大学をマレーシアに設立することであった。その努力の甲斐あって、2011年の離任直前の時点で「日本マレーシア国際工科院」(MJIIT)を設立することが、日本政府とマレーシア政府との間で合意され、念願が叶った。( The Star 2012.2.29 p.18, The New Straits times 2012.5.31 p.2 )

「日本マレーシア国際工科院」10周年を記念するマレーシア工科大学の出版物では「MJIITの父」と称されている。(”Commemorating 10 Years of Achievement” UTM, 2023)

2011年(平成24年)に帰国後は、地球環境問題担当大使として、2015年12月の気候変動枠組条約のパリ締約国会議COP21まで、5回連続して締約国会議(COP)に出席し京都議定書に代わるパリ協定の成立に貢献した。(「明治」特別寄稿 2016年 春号 Vol.70 p.54~57)

また国連「万人のための持続可能なエネルギー」諮問理事会メンバーとして、富山市を「エネルギー効率改善モデル都市」に推薦するとともに、一般財団法人「省エネルギーセンター」を「エネルギー効率改善ハブ」として世界のエネルギー効率の改善促進に貢献した。(「明治」2015 秋号 Vol .68 特別寄稿 p.76~79)

国際自然保護連合(IUCN)理事としては、シンガーソングライターのイルカさんにIUCNの歌の創作を依頼し、2014年新作「We Love You Planet!~ひびけ!惑星に。」の普及にも貢献し、世界1200を超えるIUCNメンバーに歓迎されている。(「明治」2017年 冬号 Vol.73 特別寄稿 p.78~81)

2020年、瑞宝中綬章受章[6]

同期

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脚注

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  1. ^ 平成12年 2000年9月27日付 官報 本紙 第2963号 12頁
  2. ^ (日本語) 堀江大使履歴”. 在マレーシア日本国大使館. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 「特別職国家公務員の再就職状況の公表について(平成24年4月1日~平成25年3月31日)」外務省
  4. ^ (日本語) 堀江駐マレーシア大使が記者会見、マレーシア国民の支援に感謝”. 南国新聞 (2011年3月17日 ). 2011年5月14日閲覧。
  5. ^ (日本語) 堀江大使が離任記者会見、「ルック・ウェスト」日本はマレーシアから学ぶべきと語る”. 南国新聞 (2011年4月28日 ). 2011年5月14日閲覧。
  6. ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日

外部リンク

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先代
樽井澄夫
国際担当防衛参事官
2002年 - 2004年
次代
門司健次郎
先代
西田芳弘
博覧会国際事務局総会日本政府代表
2000年 - 2002年
次代
川田司