ムーンクラフト・紫電

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ムーンクラフト・紫電
SUPER GT GT300仕様
紫電 MC/RT-16
(2006 SUPER GT デビュー当時)
ボディ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 1UZ-FE改:4.5L V8 DOHC
最高出力 300PS以上/5,600rpm
最大トルク 35kg·m以上/5,000rpm
変速機 6速MT シーケンシャル
前/後:ダブルウィッシュボーン
前/後:ダブルウィッシュボーン
車両寸法
全長 4,640mm
全幅 1,995mm
車両重量 1,150kg
(特別性能調整を除く)
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ムーンクラフト・紫電(しでん)は、レーシングカーコンストラクターのムーンクラフトが、公道での究極のパフォーマンスを目指し開発した2ドアスポーツカー。ただし、現時点で市販には至っておらず、2006年から2012年までプロモーションと開発をかねてSUPER GTのGT300クラスに参戦していた。

概要[編集]

レーシングカーデザイナーの由良拓也が率いるムーンクラフトが企画開発したスポーツカー。名前の由来は、由良がカウルのデザインを行ない1977年に誕生した富士グランチャンピオンレース(富士GC)用マシン「紫電77」の再来とされたことによる。

安全性と運動性能とを高い次元で両立させるべく、車両のベースにはライリー・テクノロジーズ社のデイトナ・プロトタイプデイトナ24時間レース参戦を主目的としたプロトタイプレーシングカー)「ライリー MK XI」が流用されているが、パイプフレームの一部以外はオリジナルの設計となっている。車両の前後左右にはカーボン製の衝撃吸収構造体が設置されており、高い安全性が確保されている。エンジンも、ベース車両と同一の1UZ-FEが搭載されている。

ただし、プロトタイプレーシングカーをベースに設計されており、車両形状はかつてのグループCカーを髣髴とさせる空力処理が施され、限りなく純粋なレーシングカーに近い車である。同様な例としてASL・ガライヤ等(いずれもかつてSUPER GTのGT300クラスに参戦していた)があるが、これらは市販車の販売促進に捕らわれないプライベーターの選択肢として、空力などを考慮した自由な設計が現れている。

レース活動[編集]

2006年からCars Tokai Dream28(当初名称はホンダベルノ東海ドリーム)よりSUPER GTのGT300クラスに参戦しており、ドライバーは高橋一穂加藤寛規。参戦当初より高いパフォーマンスを発揮し、第8戦(オートポリス)で初優勝を果たしたものの、惜しくもドライバーズチャンピオンは逃した。(チャンピオンの山野哲也井入宏之組とは、ポイントは同点で優勝回数も同じであったが、2位の回数で敗れた)

2007年も前年と同様 GT300に参戦し、第6戦(鈴鹿1000km)で優勝し、第8戦終了時点ではドライバーズ/チームズとも、ポイントランキング首位に立った。最終的にはドライバーズポイントでは大嶋和也石浦宏明組にまたも同点で(優勝回数の差)逆転チャンピオンを許したものの、チームズチャンピオンを見事獲得した。

戦績[編集]

ドライバー Rd.1 Rd.2 Rd.3 Rd.4 Rd.5 Rd.6 Rd.7 Rd.8 Rd.9 ポイント ランキング
合計 有効
2006 日本の旗 高橋一穂
日本の旗 加藤寛規
日本の旗 吉本大樹(Rd.6)
6th 11th 4th 4th 3rd 5th 21st 1st 12th 86 86 2nd
2007 日本の旗 高橋一穂
日本の旗 加藤寛規
日本の旗 吉本大樹(Rd.6)
2nd 2nd 5th 11th 4th 1st 6th 10th 3rd 96 89 2nd
2008 日本の旗 高橋一穂
日本の旗 加藤寛規
日本の旗 吉本大樹(Rd.6)
2nd 9th 3rd 5th 10th Ret 2nd 3rd 11th 69 68 4th
2009 日本の旗 高橋一穂(Rd.1)
日本の旗 吉本大樹(Rd.2〜9)
日本の旗 加藤寛規
6th 7th 9th 1st 2nd 3rd 5th 16th 16th 63 - 6th
2010 日本の旗 加藤寛規
日本の旗 濱口弘
日本の旗 高橋一穂(Rd.6)
Ret 2nd 13th Ret 1st 18th C 2nd 50 - 4th
2011 日本の旗 高橋一穂
日本の旗 加藤寛規
7th Ret 10th 13th 6th 3rd 4th 8th 32 - 10th
2012 日本の旗 高橋一穂
日本の旗 加藤寛規
日本の旗 濱口弘(Rd.5)
7th 2nd DNS Ret 15th 13th DNQ 16th 25 11th

引退[編集]

2013年のシーズンから、SUPER GT300クラスのレギュレーションが変更に伴い、紫電の参戦が不可能となることが決定したため、2012年シーズンをもって引退することが、由良のFacebookにて発表された。引退後は売却する方針であることが発表されており、レーシングチューンが施された1UZ-FEエンジン2基と、予備パーツ一式をセットで販売するとのことで、買取手を募集していたが[1][2]、2017年現在はムーンクラフトで保管されている[3]

脚注[編集]

  1. ^ “紫電、JAF GPを最後に“引退”。今後は車両売却”. AUTOSPORT Web. (2012年11月6日). https://www.as-web.jp/past/%e7%b4%ab%e9%9b%bb%e3%80%81jaf-gp%e3%82%92%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ab%e5%bc%95%e9%80%80%e3%80%82%e4%bb%8a%e5%be%8c%e3%81%af%e8%bb%8a%e4%b8%a1%e5%a3%b2%e5%8d%b4 
  2. ^ ムーンクラフト紫電ラストラン!そして・・・ モバイルファン・ガジェットブログ
  3. ^ “『紫電』展示情報”. ムーンクラフトSTAFF BLOG. (2017年9月7日). https://www.mooncraft.jp/blogstaff/event/shiden-2017/ 

外部リンク[編集]