フリッツ・アルベルト・リップマン

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Fritz Albert Lipmann
フリッツ・アルベルト・リップマン
生誕 (1899-06-12) 1899年6月12日
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国
ケーニヒスベルク
(現 ロシアの旗 ロシア カリーニングラード
死没 1986年7月24日(1986-07-24)(87歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州
ポキプシー
研究機関 マックス・プランク研究所
出身校 アルベルトゥス大学ケーニヒスベルク
フンボルト大学ベルリン
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン
主な受賞歴 ノーベル生理学・医学賞(1953)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1953年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:代謝における高エネルギーリン酸結合の意義、およびコエンザイムAの発見

フリッツ・アルベルト・リップマン(Fritz Albert Lipmann, 1899年6月12日 - 1986年7月24日)は、ドイツアメリカ人生化学者。1945年に補酵素Aを発見した。この研究により、ハンス・クレブスとともに1953年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

生涯[編集]

ドイツのケーニヒスベルク(現ロシアカリーニングラード)でユダヤ人の家庭に生まれた。ケーニヒスベルク大学ミュンヘン大学ベルリン大学で医学を学び、1924年にベルリン大学で卒業した。その後彼はハンス・メーアヴァイン英語版ドイツ語版の元で化学を学ぶためにケーニヒスベルクに戻った。1926年、博士号を取るため、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所オットー・マイヤーホフに師事した。博士号取得後は、マイヤーホフについてハイデルベルクのカイザー・ヴィルヘルム医学研究所へ移った。

1939年からはアメリカ合衆国に拠点を移して研究を行い、1949年から57年にかけてハーバード・メディカルスクールで生化学の教授を務めた。1957年からはニューヨークロックフェラー大学で教えた。1966年にアメリカ国家科学賞を受賞した。

論文の日本人の共著者としては、向井純一郎[1]が挙げられる。


脚註[編集]

書籍[編集]

外部リンク[編集]