コヴェントリー

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シティ・オブ・コヴェントリー
City of Coventry
イングランドの旗
シティ・オブ・コヴェントリーの市章
市章
位置
コヴェントリーの位置の位置図
コヴェントリーの位置
位置
コヴェントリーの位置(イングランド内)
コヴェントリー
コヴェントリー
コヴェントリー (イングランド)
コヴェントリーの位置(イギリス内)
コヴェントリー
コヴェントリー
コヴェントリー (イギリス)
座標 : 北緯52度24分29秒 西経1度30分38秒 / 北緯52.40806度 西経1.51056度 / 52.40806; -1.51056
歴史
Founded 1043
創設者 en:Leofric, Earl of Mercia
行政
イギリスの旗 イギリス
 連合王国 イングランドの旗 イングランド
 リージョン ウェスト・ミッドランズ
 大都市カウンティ ウェスト・ミッドランズ
 市 シティ・オブ・コヴェントリー
地理
面積  
  市域 98.64 km2 (38.09 mi2)
人口
人口 (2019年現在)
  市域 363,242人
    人口密度   3,108人/km2(8,050人/mi2
その他
等時帯 西ヨーロッパ時間 (UTC+0)
夏時間 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1)
Postcode CV
市外局番 024
ISO 3166-2 GB-COV
公式ウェブサイト : http://www.coventry.gov.uk/

コヴェントリー (Coventry [ˈkɒvəntɹi] ( 音声ファイル)) は、イギリスイングランドウェスト・ミッドランズ州にある都市。イングランドで8番目に人口が多い都市である。

コヴェントリーは自動車産業大聖堂ゴダイヴァ夫人(ゴディバ夫人とも表記される)の伝説で有名である。

歴史[編集]

ゴダイヴァ夫人の伝説[編集]

コヴェントリーは1043年、領主であったレオフリック (Leofric) とその妻ゴダイヴァ夫人 (Lady Godiva) により、ベネディクト派修道院が設立されたことに端を発していると言われてきた[誰によって?]。最近の調査では、この修道院は1022年には存在していたようであり、2人はそれを支援したといった見方が強い[誰によって?]

領主レオフリックとゴダイヴァ夫人については有名な伝説がある。重税に苦しむ領民を気の毒に思ったゴダイヴァが、夫レオフリックに税を軽くするように申し述べたところ、レオフリックはゴダイヴァが慎み深い女性であることを知りながら「お前が全裸で馬に乗って町を一周したら考えてやろう」と言った。悩んだ末にゴダイヴァは決意し、町中の民に外を見ないように命じた上、長い髪だけを身にまとって馬で町を一周したのである。町民はみな、このゴダイヴァのふるまいに心を打たれ、窓を閉めて閉じこもった。これにより、レオフリックはやむを得ず税を軽くしたという。なお、このときにただ1人外を覗いた男がおり、これがピーピング・トム (Peeping Tom) という言葉の由来になったという。

中世を専門とする歴史家の見解は、上記の伝説が史実ではないことで一致している[1][2][3]

この伝説にちなんで、市の中心部には、馬に乗ったゴダイヴァの像が建っている。

近世・近代[編集]

14世紀になると、布貿易の中心地として栄えるようになる。中世にはイングランドでも最も重要な都市の1つであった[要出典]

19世紀後半になると自転車が流行し、英国中にサイクリング・クラブができる。ローバーがコヴェントリーで自転車製造を開始し、多くの自転車製造業者が後に続いた。1896年に赤旗法が廃止されたのをきっかけとして、20世紀初頭、これら自転車製造業者は自動車の製造を始める。こうしてコヴェントリーは自動車産業の中心地となった。

コヴェントリー爆撃[編集]

破壊された大聖堂
新大聖堂の内部

工業都市であったため、第二次世界大戦中の1940年11月14日にはナチス・ドイツによる爆撃「コヴェントリー爆撃英語版(Coventry Blitz)」の標的となり、コヴェントリー大聖堂英語版を含む市の中心の大部分が破壊された。

1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。設計を勝ち取ったのは、バジル・スペンス英語版。1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとして知られる。ジェイコブ・エプスタイン英語版作「聖ミカエルと悪魔」の青銅像、ジョン・パイパー英語版作の色彩豊なステンドグラス及びグレアム・サザランドのキリストの巨大なタペストリーに有名になった。

この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍エニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかしBBCによれば、真相はイギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがすなわちコヴェントリーであるということまではわからなかったとされる[4]

観光[編集]

上記のコヴェントリー大聖堂が有名である。現在では破壊された旧大聖堂の隣に、近代的な新しい大聖堂がたつ。

コヴェントリー交通博物館 (Coventry Transport Museum) では自動車・自転車の街としてのコヴェントリーを知ることが出来る。

近郊にはシェイクスピアの生地であるストラトフォード・アポン・エイヴォン(30km)や、荘厳な城で有名なウォリック(19km)がある。バーミンガム(30km)からも近い。

経済[編集]

コヴェントリーは1890年代から自転車と自動車産業で栄えた都市である。ジャガーの本部、コヴェントリー・クライマックスの本社と工場があり、組立工場は、デイムラートライアンフ郊外プジョーなどがある。ロンドンタクシーとして有名なブラック・キャブもコヴェントリーで生産されている。

芸術[編集]

クリスマス・キャロルのひとつで、16世紀に成立した『コヴェントリー・キャロル』で知られる。

19世紀初めには、小説家のジョージ・エリオットの作品『ミドルマーチ』の舞台になった。

1962年、ベンジャミン・ブリテンによる『戦争レクイエム』が初演された。

現在ではコヴェントリー・ジャズ・フェスティバルなどの音楽イベントで有名。

市内のウォーリック大学には、ロンドン以外ではイングランド最大規模の舞台劇場を備えたウォリック・アート・センター (Warwick Arts Centre) がある。

教育[編集]

スポーツ[編集]

出身人物[編集]

姉妹都市[編集]

出典[編集]

  1. ^ [1] Coe, Charles. "Lady Godiva: The Naked Truth." Harvard Magazine. July-Aug. 2003 (July 28, 2008) 第2段落目 But as it happens, most medieval scholars agree the ride never took place.
  2. ^ [2] Lady Godiva: The naked truth, BBC News, 24 August, 2001, 15:31 GMT 第13段落目 Regrettably, though, the story of Lady Godiva's ride is almost certainly a myth. 
  3. ^ [3] Why did Lady Godiva take a naked horse ride?  第2ページの最終段落 Too bad it's not true. On the next page, we'll take a closer look at the story and see why historians have discounted it. 第3ページの第5段落目 Therefore, Godiva's ride never happened because there simply was no need for her to prove anything.  
  4. ^ “The Coventry Blitz 'conspiracy'”. BBC News. (2012年11月10日). http://www.bbc.co.uk/news/mobile/uk-11486219 
  5. ^ “City remembers schoolgirl Mowlam”. BBC News Online (BBC). (2005年8月19日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/coventry_warwickshire/4165334.stm 2009年9月23日閲覧。 

外部リンク[編集]