アストゥリアス家
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このページ名「アストゥリアス家」は暫定的なものです。(2015年12月) |
アストゥリアス家(スペイン語:Dinastía astur-leonesa)またはアストゥリアス=レオン王家、カンタブリア=ペラーヨ王家は、8世紀から11世紀までイベリア半島のアストゥリアス王国およびレオン王国を支配した王家。
歴史
[編集]西ゴート王国の貴族出身のペラーヨがアストゥリアス地方でイスラム軍を破り、同地に王国を建国したのが始まりである。以後、ペラーヨの一族とその婿でカンタブリア公ペドロの子アルフォンソ1世の一族の両方で王位を継承したが、789年アルフォンソ1世の甥ベルムード1世が王となって以降は、ベルムード1世の子孫が一族内で継承争いを繰り返しながら王位についた。
910/4年にガルシア1世は首都をオビエドからレオンに遷し、国名も「レオン王国」となった。1037年、ベルムード3世がカスティーリャ・ナバラ連合軍との戦い(「カリオンの戦い」)で戦死したが、ベルムード3世に継嗣がなく、王位はベルムード3世の妹サンチャと結婚していたカスティーリャ王フェルナンド1世のものとなり、以後、カスティーリャ王家がレオン王位も継承した。
系図
[編集]アルフォンソ3世まではアストゥリアス王、以後、レオン王。
西ゴート王家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファビラ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ペラーヨ1 | ペドロ カンタブリア公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファビラ2 | エルメシンダ | アルフォンソ1世3 | フルエーラ カンタブリア公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルエーラ1世4 | シロ6 | アドシンダ | マウレガート7 | アウレリオ5 | ベルムード1世8 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ2世9 | ラミロ1世11 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オルドーニョ1世12 | ロドリゴ カスティーリャ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ3世13 | ディエゴ・ロドリゲス・ポルセロス カスティーリャ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ガルシア1世14 レオン王 | オルドーニョ2世15 ガリシア王 レオン王 | フルエーラ2世16 アストゥリアス王 レオン王 | フェルナンド・ディアス カスティーリャ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ4世18 | ラミロ2世19 | サンチョ・オルドニェス ガリシア王 | アルフォンソ・フロイラス17 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オルドーニョ4世22 | ウラカ (フェルナン・ゴンサレス娘) | オルドーニョ3世20 | サンチョ1世21,23 | エルビラ 摂政 966-967 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルムード2世25 | ラミロ3世24 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ5世26 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルムード3世27 | サンチャ | フェルナンド1世 カスティーリャ王 レオン王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒメノ朝 (カスティーリャ王家) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 鈴木康久 『西ゴート王国の遺産』 中央公論社、1996年
- 西川和子 『スペイン レコンキスタ時代の王たち』 彩流社、2016年
- 関 哲行 他 『世界歴史大系 スペイン史 1』 山川出版社、2008年
- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年