アストゥリアス王国
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| アストゥリアス王国 | |||||
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| Reinu d'Asturies | |||||
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アストゥリアス王国の位置(814年) | |||||
| 国の標語:Hoc Signo Tuetur Pius, Hoc Signo Vincitur Inimicus | |||||
| 言語 | アストゥリアス語、ラテン語、俗ラテン語 | ||||
| 宗教 | キリスト教 | ||||
| 首都 | カンガス・デ・オニス、ラングレーオ、プラビア、オビエド | ||||
| 国王 | |||||
| 718年 - 737年 | ペラーヨ | ||||
| 910年 - 924年 | フルエーラ2世 | ||||
| 変遷 | |||||
| コバドンガの戦い | 718年 | ||||
| 世襲君主制導入 | 842年 | ||||
| レオン王国へ発展のため消滅 | 925年 | ||||
| 現在 |
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アストゥリアス王国(アストゥリアスおうこく、アストゥリアス語: Reinu d'Asturies、スペイン語: Reino de Asturias、ラテン語: Asturorum Regnum)は、イベリア半島にかつて存在した王国である。
歴史
[編集]711年、グアダレーテ河畔の戦いでイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年にコバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
アルフォンソ2世の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブを守護聖人とするサンティアゴ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスに代わりオビエドを支配の拠点とした。この頃より、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。
ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへと遷された。これ以降の王国はレオン王国と称される。
→詳細は「レオン王国」を参照
脚注
[編集]- ↑ Collins, Roger (1989). The Arab Conquest of Spain 710–797. Oxford, UK; Cambridge, Mass.: Blackwell. p. 49. ISBN 0-631-19405-3.