Wikipedia:第2回秋の加筆コンクール/コメント

第2回秋の加筆コンクール
第2回秋の加筆コンクール
第2回秋の加筆コンクール
第2回秋の加筆コンクール
第2回秋の加筆コンクール

ここは、第2回秋の加筆コンクールにエントリーされた記事について、審査員、加筆者、コメンテーターが自由闊達に意見を交換する空間です。11月1日から11月15日(日本時間)の間、積極的な意見交換を期待したいと思います。なお、本コンテストにおけるコメント付与期間が過ぎた以降についても、コメントを思い立ちましたら随時、遠慮なく、コメントを追加してくださっても結構です。そのほうが記事の充実につながると思います。サロン的な場所として、ご利用ください。

分野A[編集]

ジョアン・ロドリゲス[編集]

9/30最終版:2008年7月31日 (木) 20:54 - 10/31最終版:2008年10月31日(金) 03:51 - 差分

  • (質問)今後の加筆を期待するとして、イエズス会士として活躍したジョアンが日本、マカオ、ポルトガルにおける大まかな評価を具体的に教えていただければと思います。--Tantal 2008年11月3日 (月) 02:39 (UTC)[返信]
    • ご高覧いただきありがとうございました。期限までにじゅうぶんに書けなかったことを心苦しく思っており、近日の成稿を目指したいと思っています。
    • さて、ご質問の事項について、書こうと考えていたことの摘要をもうしあげますと、ロドリゲスの事績をイエズス会の財政活動におけるものと文筆によるものとに二分し、位置づけを探ろうというものでした。そのため、各地域における評価ということはとりたてて意識しておりませんでした。
    • と申しますのは、わたくしの知るところ、ロドリゲスの事績への注目は日本におけるものがおもであるからであり、生国ではほとんど知られるところなく(わずかに生誕地において顕彰されており、感嘆したとの報告が、ロドリゲスの研究をなさった方の旅行記に記されています)、それを明かすかのように、ポルトガル語版におけるロドリゲスの項目では、Girãoと混同がいまだに見うけられます。
    • ただし、マカオにおいては、より積極的な評価がなされているかもしれません。マカオ存続についてロドリゲスは一定の貢献をしており、管見に入らないだけで、マカオ史においてはよりロドリゲスの事績研究が進んでいるのかも知れません。もうすこし手を広げて調査してみたいと思います。ご意見ありがとうございました。 Kzhr 2008年11月3日 (月) 06:37 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターコメント)読み物としても楽しめる良い記事だと思います。後半は1文1文が若干長くなっており、ぱっと読んだだけでは分かりにくい箇所があります。そのほか、記事の良し悪しと直接関係ありませんが「その地の両方」は療法の間違い?「宗論を争わせたという。家康からは、」の後、文が切れています。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 11:47 (UTC)[返信]
  • (コメンテータ・コメント)加筆作業、お疲れさまでした。一応、加筆前の版と最終版を拝読させて頂きましたが、記事は未執筆部分が残るとはいえ、格段に質的に向上していると思います。ただ、文章を拝読させて頂いていて、多くの疑問を感じました。乱暴な言い方かも知れませんが、一言で述べると、執筆者は「殴り書き」をしているのではないかという印象を受けました。
    • 誤字(誤変換)は仕方ないものとしても、高度な文章執筆力がうかがえる一方で、主語が一致しないとか、何を書いているのか不明な部分が多々あります。一つに、主語を省略していることや、長い文章だと、能動・受動などの整合に乱れがあるように思います。
    • いま一つに、全般に記述が平板で、「格調高い」文章がめりはりなく続いているという感です。「司祭叙階」が二回出てきて、両方とも、年代記述のなかで出てくるので、奇妙に感じました。このあたりは、記述の「構成」をもっと工夫する必要があるのではと感じます。
    • また、「言葉・説明」が少な過ぎる(欠けている)のではと思います。「日本司教」とは何のことか脚注に出てきますが、これは本文に書いて説明すべきことだとも思います。
  • 出典をいちいち本文のなかに書いているのも、どうかとも思います。気を悪くされましたらお詫び致します。--Stella maris 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)興味深い経歴の人物だけに、未完で期限を迎えてしまったのは惜しいです。今後の加筆に期待します。
    • 「所用のため京を離れ……」の段落について。主語が欠けているため行為主体が分かりにくいです。「疑い」「疑いを解いた」のは秀吉と文脈で推測できますが、所用で京都を離れたのはロドリゲスとヴァリニャーノのどちらでしょうか。ヴァリニャーノの場合、「所用のため京を離れた」は前段落の「九州に戻った」と同じ行動を指しているのでしょうか。
    • 「1592(天正10)年……」の段落について。「その地の両方」は「療法」の誤変換と解釈してよろしいでしょうか。また、以前に宣教師追放令の発布を働きかけた施薬院全宗が、この時はロドリゲスのために取りなしたのには何か理由があるのでしょうか。
    • 出典の記載場所については、Stella marisさんと同意見です。脚注に移した方が読みやすいかなと思います。
    • 個人的興味として、彼の貿易に関する事績についてもっと知りたいなと思いました。
    • これも個人的感想ですけど、脚注で色々な話が読めると、何というか、「一粒で二度おいしい」という気持ちになりますね。
記事には関係ないでしょうけど、今朝日新聞に連載中の小説『徒然王子』が、ロドリゲスのことを扱ってますね。--Arawodas 2008年11月3日 (月) 14:58 (UTC)[返信]

(返答)たいへんおそくなりましたが、コメントをいただいたみなさまに、まず感謝もうしあげます。乱文や誤脱のご指摘をたまわることが多く、未完成のままお見せせざるを得なかったことを恥じ入る次第です。次回かようなコンクールに参加する機会がありましたら、きちんと表現や構成を練る余裕を作るよう心がけます。

さて、ご指摘のいくつかについては、11月3日の加筆によって、修正しえた、あるいは修正の方向性を示し得たのではないかと思いますので、そちらをご参照ください。そのうえで、ひとつひとつのご指摘から選んでお答えいたしますと、

  • 「司祭叙階」が二回出てきて、両方とも、年代記述のなかで出てくるので、奇妙に感じた (Stella Marisさんのご指摘)
    生涯の記述において、とくに日本のことがらについては、渡日〜神学生時代、通訳時代、プロクラドール時代というように分けて書いています。ロドリゲスの活動は、神への信仰を強く持ちつつ、しかしそれ以外の面について発揮されたものですから、導入としては活動によって分割したほうがわかりやすいのではないか、と考えての構成でした。そのため、それぞれ重なる時期について、記述が年代において前後しています。司祭叙階について二度記述したのはそのゆえで、通訳時代の空白期間であり、その帰国後は日本司教=インド副王使節の秀吉謁見のために早速通訳として活動するため、その意味でも欠かせません。しかし、この記述方針についてなんらかの誘導がなかったのは不十分だったと思います。改善策を検討したいと思います。
  • 「日本司教」とは何のことか脚注に出てきますが、これは本文に書いて説明すべき(Stella Marisさんのご指摘)
    ロドリゲスはイエズス会の人間としては梶取役ではなくパイプ役なのであって、基本的には上役の指示を越えた行動は取っていません。ですから、あまり周辺事項を説いても、ロドリゲスの行動が見えにくくなるおそれがあり、どれくらいを読むうえで欠かせない註記とするかは、判断に迷うところかと思います。ご指摘の件に限っていえば、日本人司教は、1927年までいなかったようですから、日本司教区の司教は基本的に外国人司教であり、とくにいわゆるキリシタン世紀ではとぎれなく司教が着任し得た「わけではない」ことは、日本キリスト教史に対する知識に属することのように思え、かかる宣教体制を知らねば府内司教区設置の意図なども伝わらないのであり、一宣教師の項目で説いても中途半端にならないかと恐れます。ロドリゲスを中心に描けない事項はできるだけ省いたのもこのためです。
  • 出典をいちいち本文のなかに書いている(Stella Marisさん、Arawodasさんのご指摘)
    これは、MLA方式を参考にして原稿を書いていたのでこうなったものですが、ウィキペディアに掲載するときにどういう形式で註を付けようか決めかねたため、そのままになったものです。ref機能が進歩して、脚註と出展註を区別できるようになったらしいことを知りましたので、分離を検討いたします。
  • 以前に宣教師追放令の発布を働きかけた施薬院全宗が、この時はロドリゲスのために取りなしたのには何か理由があるのか(Arawodasさんのご指摘)
    これについてはよく知られていません。ロドリゲスに対して感情を軟化させていたのではないか、とCooper氏は考えているようです。
  • 彼の貿易に関する事績についてもっと知りたい(Arawodasさんのご指摘)
    現在、プロクラドールとしての評価について稿を用意していますので、そちらでご紹介できるのではと考えています。
  • 脚注で色々な話が読めると、何というか、「一粒で二度おいしい」という気持ちになる(Arawodasさんのご指摘)
    現在の予定では、生涯の節で説く事績の量はあまり増やさないつもりで、議論などある部分は、すべて評価やそれを伴う内容のための節に書くつもりです。それがいつになるかはお約束できないのですが……。

回答は以上です。あらためてご高覧ありがとうございました。 Kzhr 2008年11月9日 (日) 14:40 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント)教科書等ではまず取り上げられない事柄について触れていらっしゃる、殊、一個人の視点から往時の日本との関係について紹介戴いたことに感謝いたします。事柄に個別に立ち入ることが出来ず申し訳ないのですが、読んでいて気になるところを。
    • 冒頭 「権力者との折衝にもあたり、ついに陰謀に遭って」というところは、権力者に接近していたことから常々陰謀に晒されていたという理解で宜しいのでしょうか。
    • 全般に因果関係が読み取り難い表現が見られます。例えば、「通訳から財務担当になるまで」の節では、「~の通訳はルイス・フロイスだったが、年老い、病を得たため新任されたのであった」では、読み手が前後の情報から、「フロイスが病を得て通訳職を辞し、代わりにロドリゲスが通訳職に就いた」と因果関係を理解をする必要があります。また、「宣教師追放令が厳格になされていないことが知られるのを恐れたイエズス会では、」の部分は、誰に知られるのがまずかったのか、隠す事でどの様な利点を得ようとしたのか、などの因果関係が良く判りませんでした。冗長になるかと存じますが、語句を補っていくと判りやすいと存じます。
    • 全般に表現に混乱が見られます。例えば、「通訳から財務担当になるまで」の末尾では「秀吉は答えず、はなしを変えた」というのは、個人的には「秀吉は応じず、話題を変えた」が宜しいかなと存じます。また、「財務担当から追放まで」の中盤では「これらの商行為や政治への関与は、強い反感と反撥をもたらした。」は、前後から情報を補うと「ロドリゲスがこれらの商行為や政治に関与することに対しイエスズ会からは強い反感や反撥が示された」という表現が必要かと存じますし、この節の冒頭に、「イエズス会は、聖性を乱すとしてかねてより聖職者が商行為へ関与する事を否定していたがロドリゲスはこの方面に傾注していった」旨の前提があることを説明するとわかりやすいと存じます。

時間切れで途中までの様で残念ですが、今後も執筆に邁進いただけると幸いです。東 遥 2008年11月15日 (土) 12:30 (UTC)[返信]

    • (返答)読んでいただきありがとうございます。ご質問についてお答えもうしあげます。
      陰謀
      権力者とつながりがあり、決定を覆すことさえ可能であったロドリゲスゆえ、ロドリゲスを追放させた長安だけでなく、大村氏や寺沢氏より除かれようとされたことがありました。「ついに」の用法がすこし破格かな、といま反省していますが、文意はご理解のとおりです。
      フロイスとの交替
      うまくわかりやすい文章が書けないと流してしまったところでしたが、代ったことについての表現が欠けていたのですね。ご指摘に感謝いたします。
      「宣教師追放令が厳格になされていないことが知られるのを恐れたイエズス会」
      これは、秀吉が激怒するのを恐れ、ロドリゲスとポルトガル船船長を派遣し、なだめさせようとしたもので、秀吉がポルトガル貿易を非常に重んじていたこと、ロドリゲスがその仲介として頼りにされていたことを前もって知らないと、わかりにくい箇所であるかもしれません。説明を補うことを検討いたします。
      ロドリゲスへの批判
      これは、単にロドリゲスへと向けられたわけではなく、ロドリゲス(と副管区長パシオ)を代表とするイエズス会の貿易関与について、他のイエズス会関係者、他の修道会、大名などから批判されたものです。イエズス会や宣教師としての貿易と清貧規定とのかねあいについては研究も複雑で、うまく組み込みうるかわかりませんが、ほかの項目の増補と参照なども含めて、記述を検討したいと思います。
    • 回答は以上です。ふたたび資料集めに入っておりますので、少しずつ書いてゆきたいと思っております。 Kzhr 2008年11月15日 (土) 16:24 (UTC)[返信]

アトランタ[編集]

9/30最終版:2008年9月30日 (火) 01:04 - 10/31最終版:2008年10月29日 (水) 01:09 - 差分

  • (質問)今般、秀逸な記事の選考を通過したワシントンD.C.に劣らず、充実した記事へ変貌を遂げたと思います。米国の地理に弱い審査員から質問となりますが、
  1. CNNコカ・コーラの企業城下町(と勝手に思っている)としての性格が強いアトランタですが、なぜ、この2社がアトランタに本社機能を置く事にしたのか簡潔な理由で結構なので、教えていただければ幸いです。
  2. 南北戦争から立ち直ったアトランタがジョージア州の経済の中心となったことは、記事本文を読めば理解できますが、どうして、政治の中心にまでなったのでしょうか。州都の誘致活動でもあったのでしょうか。何でこんな質問を出したかというと、例えば、カリフォルニア州の州都は最大の都市のロサンゼルスではなくて、サクラメントであったり、必ずしも最大の都市に州都をおかないことがあるからです。
  • 私からは、以上2点です。よろしくお願いします。--Tantal 2008年11月1日 (土) 11:26 (UTC)[返信]
    • (回答)上記2点に回答いたします。
      1. コカ・コーラ、CNNのどちらも、アトランタが創業の地であります。ただし、「なぜ創業の地に今も本社を置いているのか」については、アトランタというよりは各企業の企業戦略の部分の話と思われ、申し訳ありませんが、私には判りません。
      2. 記事中にも示しましたこちらの文献に、アトランタ遷都への経緯に関する記述があります。南北戦争からの復興によるアトランタの人口の成長と鉄道の便のよさが評価され、加えて、「もしもアトランタが州都に選定された場合、州会議事堂をはじめとする州の各種機関のための建物を10年間無償で提供する」とアトランタ市当局が州政府に働きかけたことも功を奏して、アトランタを州都と定めることを明記した州憲法の改正案が州議会で可決され、アトランタへの遷都となったようです。
以上、お答えしました。また2.については、記事中にも反映しました。Yassie 2008年11月2日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)完成度の高い記事と感じました。宗教への言及があればなお良いと思います。一点質問ですが、人種構成や歴史など土着的要素に基づく地域固有の文化的特徴(風習、祭礼など)がありましたら教えて頂きたいです。--Arawodas 2008年11月2日 (日) 11:52 (UTC)[返信]
    • (回答)コメントありがとうございます。宗教への言及については、元記事にもデータ的なものになりますがあることはあるので、検討することにいたします。ご質問の件ですが、アトランタのイベントということでしたら、こちらにリストがあります。音楽・芸術・スポーツなどの文化的イベントから、黒人歴史月間(Black History Month)、アジア文化体験、ラテン祭といった、アトランタの民族構成の多様性を反映したイベントまであるようです。Yassie 2008年11月2日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)歴史や文化などの充実は好ましいことですし、最近の人口動態に触れられていることは、急激な人口増大があったことを考えれば大変意義深いと思います。さて、私の感想及び今後の要望として、次の点を挙げたいと思います。
  1. 長距離鉄道の敷設の際にアパラチア山脈を避けた結果、アトランタの地に鉄道が集中したこと
  2. TVA設立以降水力電気の大規模使用が可能になり、また付近で良質の粘土が産出されたため、窯業(煉瓦やタイルの生産)が盛んになったこと
  3. 窯業のほか、鉄製品、化学薬品、肥料、家具の生産が盛んであること
これらについて、詳しく判るといいかなと考えます。あくまで思いつきの感想ではありますが。ともあれ、Yassieさん、加筆作業お疲れ様でした。--Lombroso 2008年11月3日 (月) 13:01 (UTC)[返信]
  • (回答)コメントありがとうございます。上記3点についてですが、それを裏付ける資料が見つかりましたら記事に反映させていただきたく存じます(アトランタの産業については、こちらにも解説があるようです)。もし良い資料をご存知でしたら、お教えいただくか、資料を基に加筆していただければ幸甚に存じます。Yassie 2008年11月3日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
  • (追加コメント)宗教について、採用頂きありがとうございました。新たに二点質問を。
    • 犯罪の多発について。貧困率や他の都市記事を参照すると、アトランタの貧困層の割合は特に高いという印象を受けますが、やはり貧困率の高さが犯罪の原因とみてよろしいのでしょうか。自治体などによる犯罪多発原因の分析資料はありますか。また近年の犯罪率減少傾向について、自治体による犯罪防止策として特筆すべきものがありましたら挙げて頂きたいです。
    • 素朴な疑問として。人口の過半をアフリカ系が占め、30年以上アフリカ系市長が続いていることから、アフリカ系市民の政治的発言力は大きいものと推察します。ストーン・マウンテンの南軍三将帥の像について、彼らから批判が起こることはないのでしょうか。
以上質問でした。--Arawodas 2008年11月3日 (月) 14:58 (UTC)[返信]
  • (回答)犯罪多発原因については、地元ジョージア州立大学の犯罪学教授の調査で、貧困率の高さが大きな要因であるという結果が出ています。また対策については、警察力の強化と貧困家庭への教育用品・資源の支援を行っているようです。これらにつきましては記事中に反映しました。一方、ストーン・マウンテンに彫られたレリーフについてですが、こちらへの批判はもしかしたらあるのかもしれませんが、それを示す資料は見つかっていません。Yassie 2008年11月8日 (土) 02:47 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)こうした長い記事だと読者に続きを読みたいと思わせるような冒頭部であることが望ましいと思いますが、その点、この記事は十分に成功していると感じました。英語版の冒頭部とも見比べてみましたが、興味を掻き立てる度合いは日本語版の方が上でしょう。また、いくつかの場所で日本の都道府県などとの比較を出しているのも読み手に対する細やかな配慮として評価できる点だと思います(この点、日本語版であって日本版でないことを理由に否定的に見る方もいるかもしれませんが、想定できる主たる読者が日本人であることを考えるなら、許されてよい気遣いだと思います)。ただ、細かい点でちょっと注文をつけるとすれば、
    • 20世紀の節で「人種差別撤廃への機運がさらに高まっていった。」とありますが、「さらに」の前提になる撤廃への動きの話がないので、ちょっと流れが分かりにくいかと思いました。
    • 「ジェントリフィケーション」「プロフェッショナル職」等のカタカナ語が少し引っかかりました。日本語に置き換えにくいものは確かにあると思いますが、この場合「高級住宅地化」「専門職」などでも良いのではないか、と素人目には思えました。--Sumaru 2008年11月6日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
      • (回答)1番目については、確かに仰る通りなので「さらに」の語を削りました。2番目についてですが、本記事に限らず、カタカナ語を日本語に置き換えることによってその意味が本来の意味よりもかなり限定されてしまうということがあります(「アカウンタビリティ」などはその最たる例でしょう)。Sumaru様の挙げられた2語もそれで、ジェントリフィケーションに関して言えば「高級住宅地化」はその一形態であってイコールではありませんし、プロフェッショナル職も然りです(そもそも「プロフェッショナル」の定義自体が曖昧なところがあります)。そういうわけで、こういった語に関してはカタカナ書きのまま残しております。Yassie 2008年11月8日 (土) 02:47 (UTC)[返信]
        • (コメント)お返事ありがとうございました。上の質問をした時点ではジェントリフィケーションが既に単独記事として存在していることを認識していなかったので、読者にとって分かりづらいのではと思ったのですが、的外れな疑問でした。つまらない質問にもご丁寧にお答えいただいたことに御礼申し上げます。--Sumaru 2008年11月9日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)大分な記事の編集おつかれさまです。とても充実したと存じます。読んでいて気になった点を挙げさせていただきますと、
    • 冒頭部分が少し長いかな、という気が致します。「概要」などの節を立てて、ある程度、こちらに移しても良いかなと存じます。
    • 歴史 - 市の創設と初期 の部分で、スタンディング・ピーチツリーの名称は、ネイティブ・アメリカン側からもそう呼ばれていたのでしょうか。
    • 同じく、「非公式の取引所」があったとありますが、ここでは、何が取引されていたのでしょうか。この辺りが知りたく存じました。
    • 南北戦争と再建 の部分で、戦争開始時のアトランタの立場についての説明があると良いでしょう。読み進めていくとアトランタは南軍の支配下にあり、それを北軍が奪ったと理解できますが、その点を予め明示しておくと理解しやすいと存じます。「鉄道交通・軍需品供給の中心地として重要な地」とあるのも、南軍の要衝地であると見られたから北軍が狙ったのか、或いは、アメリカ全土の中で要衝の域にあったのか、そのあたりも説明があると判りやすいと存じます。
    • 同じく、再建の部分で「綿花」が主要な産業として発達した旨の説明がありますが、これは、明示的に再建の手段として綿花が選択されたのか、それとも、自然発生的に綿花が適していると再発見されたのか、そのあたりが判るとよいです。
    • 交通 の節で州間高速道路が周囲へ延びる接続関係と12本の放射状の道路の説明が有りますが、これは簡単な図解があるとわかりやすいと存じます。
    • 同じく、公共交通機関の説明で、「デルタ航空最大のハブ空港である同空港には、全米各地のみならず~も就航している。」の部分は、デルタ航空のハブ空港であることと、世界への路線がある事との因果関係がどうなのか疑問に存じました。
    • 同じく、鉄道・地下鉄の説明で、市の歴史の初期に鉄道交通の要衝であったという説明があり、その鉄道が今、どうなっているのかが疑問です。モータライゼーションの中で鉄路が廃れ、改めて公共機関としての地下鉄がつくられた、という理解で宜しいのでしょうか。

細かい点で申し訳ありませんが。東 遥 2008年11月15日 (土) 10:44 (UTC)[返信]

日本の経済[編集]

9/30最終版:2008年9月23日 (火) 16:44 - 10/31最終版:2008年10月25日 (土) 22:33 - 差分

(執筆者コメント)正直言って、時間不足で基本的なデータ--GDPの基礎統計、第1次産業の推移、第2次産業の一部しか――加筆できませんでした。一人でマクロ経済全体と各産業、マクロ経済の諸問題を取り上げてまとめるというのは無理だなと思いました。白旗です...orz。また、周知のとおり、世界金融危機_(2007年-)以降、金融業のみならず、自動車産業・電気機械の動向(まだ、不確定要素が多く書く気にもなれませんでしたが)が混沌としておりますので、どうしたものかと思います。とっつきにくい内容があるかもしれませんので、簡単に構想として最低でも書かねばならない作業として以下のことを挙げておきます(箇条書きにしているのは当方の思い込みのところもあるので再構成はいくらでも)。

  1. マクロ経済政策:金融政策は日本銀行をあげておくこと、また、ゼロ金利政策量的金融緩和政策も書く。財政問題は公共工事の無駄とか「霞が関埋蔵金」を織り込んだ形で一般会計のみならず特別会計まで記事に盛り込む。
  2. 経済格差:昨今の、派遣・請負などの労働問題、ジニ係数などを統計データを盛り込んだ形で加筆する。
  3. 歴史:日本の経済史の記事があるが、現代の分に関しては、こちらに極力盛り込みたい。とりわけ、高度経済成長でなぜ、1960~1970年代前半に可能だったかについての記述。(本当は経済成長理論の論文あたりから持ってきたいがそんな時間がなく…orz)
  4. 各種産業:最低でも化学、自動車、建設業、金融業は統計を持ってきて加筆できるかなと思う。電気・電子機器では、任天堂vsソニーのゲーム戦争は書きたかったなと思う。(任天堂は時価総額でもトップクラスだけに記事の内部にやはり欲しい)。
  5. 公害問題:四大公害病(奇しくも今回はイタイイタイ病が加筆コンクールに入っていますが)は歴史の中で入れておくべきかと。

他にもお気づきの点があればご指摘ください。--Wushi 2008年11月2日 (日) 14:50 (UTC)(5.を追加)--Wushi 2008年11月2日 (日) 15:03 (UTC)[返信]

  • (ライバルコメント)幅広い内容を包括する項目となると、調査範囲も多岐にわたったことでしょう。果敢なる挑戦に敬意を表します。第一次産業から二次、三次に行くにつれて徐々に加筆量が少なくなっている辺りが何と言うか、ご苦労をしのばせます。質問ですが、加筆前にはあった素材産業と超微細技術産業・ナノテクノロジーの部分を削った理由についてお聞きしたいです。--Arawodas 2008年11月4日 (火) 10:29 (UTC)[返信]
コメントアウトしている文章は以下のとおりです。

<!--====素材産業==== 光ファイバー、炭素繊維、ネオジム磁石、単結晶シリコン、二次電池、気層薄膜用インゴット、金属合金、セラミックス、各種触媒、粉体微細加工などの素材加工・応用品製造において世界シェアを有する企業を多く持ち、技術は世界最高水準にある。 金属、電池、半導体、化学の節に分解できる--> <!--====超微細技術産業・ナノテクノロジー==== [[ナノテクノロジー]]関連分野は、非常に発達している{{要出典}}??何を以って最先端というのか根拠を示してください。美辞麗句が多すぎです??。京都をはじめとする全国13地域で産学官連携による研究が推進されており、地域間の交流組織として「ナノ イニシアティブズ」がある。-->

日本標準産業分類にそくして考えるならば、
  1. 光ファイバー炭素繊維→繊維ないし石油化学
  2. 二次電池→電気・電子産業(電気機械製造業)(2008年11月現在、パナソニック三洋電機に対するTOBが世間を騒がせている最中なので結果が決まるまでひとまず放置しておこうと思っています)。
  3. インゴット・金属合金→23.非鉄金属製造業
  4. ファインセラミックならば21.窯業・土石製品製造業
  5. 各種触媒→石油化学
  6. 粉体微細加工なら機械工業でしょう(ホソカワミクロンが代表企業との一つとして挙げられます。)
といったふうにに書いたほうが適当と考えます。同様の論法で、ナノテクノロジー半導体関係かあるいはフラーレンカーボンナノチューブに代表されるように化学に書いておいたほうがいいと思います。そのため、コメントアウントしています。
最先端の研究分野が自動車や鉄鋼業などのように一産業として確立していけば、日本標準産業分類の枠組みにとらわれることもなかろうと思いますが、まだシーズ段階の2008年現在では一つの節として書くのは不適当だと思います。また、「非常に発達している」といった文言は数字で表せないならば只の美辞麗句に過ぎません。経済に関する記事ですので定量的・定性的な根拠が欲しいと思います。以上、長々とコメントしましたが、また質問があればよろしくお願いいたします。--Wushi 2008年11月4日 (火) 13:55 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターコメント)(長いので全てに目を通してはいないのですがごめんなさい)話題を厳選しているため、大きなテーマなのにまとまった記事になっている点が優れていると思います。あえて割愛したのかもしれませんが、個人的には税制、決済制度(手形制度など)、軍事費などの外国との比較や、主要関係国(主要国以外では例えばインド、ベトナムなど)との経済関係も気になるところです。また、英語版にはkeiretsuって節があるのですが、これが日本特有の制度ならば触れておく必要があるかもしれません。(単に私の見落としですでに書かれていたらごめんなさい。)ただ、1記事にまとまっている点がいいと思うので、あまり肥大させて分割になるなら今のままがいいかも。--Freetrashbox 2008年11月4日 (火) 13:55 (UTC)[返信]
    • (回答)コメントありがとうございます。Freetrashbox氏のコメントに対して、箇条書きで書きたいと存じます。
  1. 税制・決済制度は正直言って手つかずですorz。財政政策・金融政策についてまったくもって書いていないので、折を見て、一つの節を立てて書ければなと思います。また、軍事費は防衛のほうがいいのかもしれません。金額とGDP比約1%くらいはこの記事で取り上げていいのかもしれませんが。
  2. 系列に関しては日本の経済#第3次産業の金融業のところで、メインバンクシステムの確立で書けるのかなともやもやと考えています。keiretsuは日本のことにもかかわらず、日本語版にないという不思議な現象が起きているんですね。たぶん、en:Economy of Japanの大本の記事がCIA_FACTBOOKから来ているからと推測されます。この記事を日本語訳したほうが早いのかな・・・orz。
  3. 貿易関係についてもどうしようかと考えています。インドはスズキ_(企業)が自動車工場を建設し、シェアも相当高いのは知っていますし、ベトナムには家電メーカーやアパレルメーカーが進出しているんですが、貿易額だと上位20位には入ってこないんです。中華人民共和国の経済インドの経済のように貿易の節を作って独立させるしかないかと思ってはいますが、そうすると日本の経済#概要の貿易等の節との関係がごちゃごちゃになるし・・・苦慮しているところです。
回答になっているんだかなっていないんだか、うんうん唸っているところだけはご理解ください。コメントありがとうございます。--Wushi 2008年11月4日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)非常に包括的な記事で読み応えがありました。ただ、細かい点の感想や疑問を少々。
    • 締め切り時点でのコメントアウトの多さが目を引きましたが、質的向上を目指すという加筆コンクールの趣旨からすれば、既存の主観的・非中立的な記述を色々整理なさろうという姿勢は、高く評価されてしかるべき点だと感じました。ただし、建設機械の節のコメントアウトは、本来ノートでやるべき話ではないでしょうか。また、時間的制約によるものでしょうが、「国民一人当たりGDPの下落」の節前後で出典のない「指摘もある」「意見もある」などが整理されきっていない点も気になりました。
    • 畜産の節などでは細かい数字が出過ぎではないかと感じました。関連記事がない項目の場合、この記事で統計的裏付けを示さざるをえないというのは理解できるのですが、包括的な記事のスタイルとしてどうかという気がしないでもありませんでした。例えばグラフにすることで視覚的に分かりやすくするといった工夫があれば、などと無責任に思わないでもありませんでしたが
    • 農業の節の「農家の多くは、他に仕事をもつ副業的農家である」という表現が引っかかりました。文脈からすれば、かつての分類で言う「兼業農家」と同じ意味で使われているようにも見えますが、『日本国勢図会2008/09』p.134欄外の「副業的農家」の定義とは、若干ずれているように思います。農家の半分以上が「副業的農家」なのは事実ですから、農業センサスの定義通りに使われているのかもしれませんが、だとすると「他に仕事をもつ」という形容は不適切ではないか(=もうすこし詳しく書くか、いっそ省かないとミスリーディングになりうるのではないか)と思います。--Sumaru 2008年11月6日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
(回答)返信遅れました。力及ばずながらの回答です。
  1. 第1のコメントの前半(建設機械)に関しては、日本国勢図会には掲載されていないし、加筆前からコメントアウトの状態でした。アナリストのレポートかコマツ日立建機キャタピラーの社員の方ならわかるのかもしれませんが・・・。
  2. 第1のコメントの後半(「国民一人当たりGDPの下落」の節前後)に関しては、そこまで手が及ばずということで今後の課題ということになるかと思います。
  3. 第2のコメントに関しては、ExcelのグラフからJPEGに落とす方法がわかればvisual面で対応できるかと思います。畜産以外にも時系列データのグラフ化しないといけないもの(水産業とか実質GDP成長率の推移とかありますので)も方法がわかれば、アップできるかと思います。
  4. 第3のコメントに関してはご指摘の通り修正いたしました。--Wushi 2008年11月15日 (土) 08:05 (UTC)[返信]
  • (運営委員コメント)非常に大きなテーマをまとめて、INDEX的に判り易くまとめていらっしゃると存じます。冒頭の部分は、現在の版に到るまでに更に加筆されていますが、これは、概要の中に移すか、概要の中の歴史に併せるくらいがよいかもしれません。細かい事にまで立ち入る事ができず申し訳ないのですが、読んでいて気になったのは、表現的にまだまだ工夫が出来る個所が散見されると存じます。「概要」の中の「産業」の中で「工業用ロボットなどの付加価値の高い、独自の技術をひねり出すケースも各所で見受けられる。」は、創出するなどが宜しいかと存じます。個人的には直ぐ下の「金融」のところは、間接金融に触れる序に窓口指導などの政策もあったことを触れても宜しいかなと存じますが。表現の面は今後もブラッシュアップしていかれると読みやすくなると存じます。大分な記事の編集お疲れ様でした。2008年11月15日 (土) 14:58 (UTC)

マーシャル・プラン[編集]

9/30最終版:2008年9月6日 (土) 15:32 - 10/31最終版:2008年10月27日 (月) 04:31 - 差分

  • 本格的な経済の記事の加筆ありがとうございます。特に、「フランス、イタリアの外貨不足による国家破綻の可能性とその救済のためのマーシャル・プラン実行」は、今般のサブプライム問題を起因とする新興国からの資本流出、外貨不足(アイスランド、パキスタンなど)と何か通じるものがあると感じます。質問は、以下の1点になります。
  1. 「要出典」が1ヶ所のみ残されています(「東欧の離脱」節)が、ソ連ないしは、イギリスからの外交文書で裏づけできそうでしょうか?--Tantal 2008年11月1日 (土) 12:01 (UTC)[返信]
  • (回答)残念ながら、現在のところ裏付けとなる記述が発見できておりません。この一件は私の無学を晒す結果となっており、大変恥ずかしく思っております。可能であれば、その筋の専門家の助言を仰ぎたいところですが。--Lombroso 2008年11月3日 (月) 06:53 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)単に反共の施策であると理解していたところ、こんな出来事があったのか、と詳細に追って記述していただき、個人的には感謝する次第です。一般には「いつ行われた=始まったか」が触れられていますが、「どのように終息したか」というのは余り伺わないので、そこまで丹念に追ったのは新鮮な視点でしたし、具体的な経済の動向・援助の内容を見るのも新鮮でした。残念ながら細かいところまで追いきれないのですが、全般に上からの視点というか、制度の視点からの記述が主ですが、これが市民からどのように受け取られたか、その視点・評価もあれば、尚、理解が深まったかと存じます。大分の編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 11:56 (UTC)[返信]
  • (回答)世論の反応に関して、私は生憎多くを存じないのですが、ごく簡単に。復興4箇年計画の策定を終了した欧州の外交官らが米国を視察したとき、米国民が援助計画について余りに無知であることに驚いたといいます。1947年秋の時点における米国民は、マーシャルが演説の中でいみじくも語ったように、大西洋の向こうの出来事を把握することが困難な状況にあったといえそうです。のちにとある機関が実施した世論調査によると、世論は概ね援助計画を支持したそうで、特に過半数の国民がこの援助を慈善事業と捉えていたことが注目されます。共和党が多数を占める議会は反共政策としての援助を重んじ、トルーマン政権も共和党の支持を得る必要もあり、こうした路線にやや擦り寄った嫌いがある(典型例がトルーマン・ドクトリン)わけですが、少なからざる数の国民は議会と異なる援助観を持っていたようです。--Lombroso 2008年11月16日 (日) 12:31 (UTC)[返信]

イタイイタイ病[編集]

9/30最終版:2008年9月8日 (月) 00:18 - 10/31最終版:2008年10月25日(土)09:12 - 差分

  • (質問)脚注をうまく使いながら、必要最低限の記述が達成されたと思います。水俣病四日市ぜんそく新潟水俣病とならぶ、日本の高度経済成長時代の負の側面の記事を丁寧に叙述してあると思いますが、「要出典」タグが文頭に残されています。その点に関しては、何か、いい案がありますでしょうか?--Tantal 2008年11月2日 (日) 04:02 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント・質問)富山県神通川下流域の鉱害について経緯・訴訟を含め幅広い面から記述戴いていると存じます。
    • イタイイタイ病の命名の経緯について略最後にまわしたのは何か理由がおありでしょうか。
    • 「イタイイタイ病」では神通川の話が第一に思い起こされますが、日本では他にもカドミウム鉱毒による同様の公害が幾つかあります。これにちついても簡単に触れて置くとよいでしょう。
    • 公害の損害賠償訴訟について、従来の裁判事例からは民法709条の規定により因果関係の立証に膨大な科学的データ用いた過大な立証責任が要求されると考えられたところを、被告側企業の立証責任が必要と方針が転換した面についても触れると宜しいかと存じます。

以上、コメント・質問させていただきます。東 遥 2008年11月2日 (日) 11:28 (UTC)[返信]

  • (回答)高評価してくださりありがとうございます。早速、ご質問にお答えします。
    • まず、Tantalさんのご質問について。「要出典」タグは除いておくべきでした。加筆前は出典の問題で何度か議論があって特定版削除も行われました。それで「要出典」タグを除くのをためらってしまいました。しかし、この質問を見た後にこの記事を雑草取りをしてくださったMinqueさんにこのことに関して質問したところ「取っといたほうがよい。」というご回答を得ましたので除いておきます。
    • 次に東 遥さんのご質問について。イタイイタイ病の命名の経緯の節は加筆前から最後にあったのでそのままにしておきました。展開上、前半に移動したほうがよかったと後悔しております。イタイイタイ病と類似の公害についても「関連項目」の節にて軽く触れておいた方が公害の記事としてより充実しそうですね。コンテスト終了後にじっくり調べてやっておきます。イタイイタイ裁判の件ですが、そういう裁判制度については詳しくないので私の手では改良することができないかと思います。もし、機会があればやっていただくと嬉しい限りです。--ネプチューン 2008年11月3日 (月) 04:28 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)名前は良く知っている病気ですし、メカニズムや経緯も多少知っているつもりでしたが、初めて知ることも色々あり、興味深く拝読させていただきました。
    • 出典の提示が丁寧で、検証可能性の向上という点で高く評価できると感じました。
    • 細かい点ですが、原因究明の節冒頭で唐突に「記事が掲載された」とあるのが分かりにくいと感じました。おそらく最後の方に出てきた富山新聞の記事のことなのでしょうけれど、その辺りが明記されないとどの媒体に載ったものなのか、判断がつきにくいのではないでしょうか。--Sumaru 2008年11月6日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)加筆お疲れ様です。健康被害の症状、公害の発生や訴訟の経過などについて詳しい記述が加わり、出典も丁寧に明示され良くなったと思います。名前は有名ですが、詳細はよく知らなかったので興味深く拝読させていただきました。
    • 出典がほぼ「富山大百科事典」に限られているのが気になりました。百科事典は資料としては三次資料であり、その情報源となっている一般的な書籍や研究などの二次資料があるはずですから、そのような資料にも当たって、二次資料を出典とできる部分についてはそちらを出典とするとよいと思います。
    • 上のコメントと絡みますが、主な出典が1976年と古いものであるのが気になりました。32年間で症状に対する知見の進歩や病気に関わる環境の変化などがあるかもしれません。記事中では1980年代以降の話があまり出てきませんが、未だに患者認定を受けることができず苦しんでいる人々もいるということですし、近年の話をもう少し盛り込んでほしいと思いました。Enirac Sum 2008年11月15日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
  • (コメント)出典が古いとのご指摘に関してですが、出典の刊行年に関しては私が補完になるようにと詳しく調べて調査して記入したものですが間違えておりました。出典の明記をした本人でない訳で私の早とちりに過ぎませんでしたし、とてもよくない行為でした。ネプチューンさんからもご指摘を受けましたが、1994年刊行との事です。この点、訂正させて頂きます。--minque 2008年11月16日 (日) 10:56 (UTC)[返信]

秋田弁[編集]

9/30最終版:2008年9月1日 (月) 17:42 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:52 - 差分

  • (質問)明治以前の文献が数少ない中で、これだけの加筆をされたことに驚嘆を禁じえません。他の方言の記事が「独自研究」色が強いものも多いだけに、言語学の記事の嚆矢たりえると思います。肥筑方言話者の私が聞くのもなんですが、津軽、盛岡、庄内といった隣接する方言群と共通あるいは相違する語彙とかが分かれば、東北方言の中における秋田方言の特色が打ち出せると思うのですが、いかがでしょうか?--Tantal 2008年11月2日 (日) 04:41 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)方言研究じたいは多少見てきたものもあったのですが、方言の大観というと、あまり長いものを目にすることもなかったので、ていねいにまとめるとかほどのものになるのかと、たいへん驚きました。以下、気になった点を箇条書きに。
    • 方言学では〜弁は使わない、とのことで、これはあやまりではないとは思うのですが、さして一言語体へのコメントとして重大でない問題と、この項目にも関係する問題のふたつがあるように思います:
      • 方言学あるいは、言語学における〈言語単位〉に関する用語に関する議論として、〜言語、〜方言と〜弁の選択をめぐる問題はもっと複雑な問題ではないだろうか
      • なぜ秋田県を単位とする言語体について、秋田方言ではなく秋田弁を(積極的、あるいは消極的に)選択なさったのか(本文における記述では秋田方言と記されているのですし)
    • 参考文献ですが、編者が立てられているものは、ほとんどが論文集ではなかったでしょうか(記憶が正しければ、飯豊ほか編、井上ほか編、小林編、小林ほか編はそうだったように思いますし、とりわけ、井上ほか編は、既発表論文をアンソロジーにしたものですから、その処置が必要であるように思います)。そのようなものについては論文名と筆者も明示くださるとありがたく存じます。
  • 枝葉に属することではありますが、ご検討ください。 Kzhr 2008年11月3日 (月) 12:59 (UTC)[返信]
  • (加筆者コメント・回答)加筆者です。コメント頂きありがとうございます。今回の記事については4月ごろから本格的な文献調査を始め、8月ごろから記事本文の執筆に取り掛かりました。その結果、音韻、アクセント、文法についてはかなり詳細に書くことができましたが、それらの部分に時間を割きすぎ、語彙や歴史の部分はかなり手薄になってしまいましたし、音韻、アクセント、文法の詳細を別記事に分離させることを決めたのが締め切り数日前だったので、本記事と子記事との内容の分担にもやや不安が残っております。音韻、アクセント、文法が日本語の歴史の流れの中でどう位置づけられるか(古い日本語を残す面や共通語以上に変化が進んでいる面はどこか)に関する記述も今後の課題です。秋田弁が使われている看板や道路標識などの実例の写真も今後可能ならば取り入れたいです。
    • 隣接する方言と連続する現象、逆に相違する現象にはどのようなものがあるかというのは大変興味深いところで、国立国語研究所の『日本言語地図』や『方言文法地図』といった既刊の言語地図から分布が明らかにされている語彙や語法もありますし、それらを基に東北方言の中での語彙の分布を論じた研究もあります。今回は手が回りませんでしたが、語彙や語法の分布図は上記の言語地図から今後是非取り入れたいと思っています。
    • 「-言語」と「-方言」の違いについては確かに複雑な問題がありますが、今回の対象は「秋田語」のように扱う向きは特にないので問題とはしませんでした。「秋田弁」を採るか「秋田方言」を採るかは迷いました。一般には「秋田弁」と呼ばれるのが普通です。一方、方言学者による方言学の文献では、「東北方言」「四国方言」のような広いものから「秋田方言」「鹿角方言」のような狭いものまで方言一般を「-方言」と呼んでいるものばかりで、「-弁」と呼んでいるものはほとんど見つけられなかったので、方言学では「-方言」という呼称を用いるのが一般的だと判断しました。しかし、以前にノート:日本語の方言で個別方言の記事を「-弁」から「-方言」に改名しようという提案をして、ほとんど同意を得られず撤回したという経緯がありましたので、記事名を「秋田方言」に改名するというのは現時点のコミュニティーの意思に反すると判断しました。そこで、記事名は一般的な「秋田弁」のまま、方言学的な文脈では方言学の慣用に従い「秋田方言」を用いることにしました。結果として記事名が「秋田弁」なのに本文ではほとんど「秋田方言」になってしまい、ちぐはぐな印象が否めないかもしれませんが、現時点ではこれ以上の解決策が思いつきません。
    • 参考文献の中で、井上ほか編は確かに既刊論文のアンソロジーですので、出典の部分には論文名と著者を明示していましたが、参考文献の部分にもどの論文を参考にしたかを改めて明示致しました。また他のものに関しましても、各部分の著者が明示されているものは参考文献の節に示すようにしましたのでご確認ください。Enirac Sum 2008年11月4日 (火) 01:36 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)一つの方言についてここまで詳細に説明が為されのか、と感動いたしました。なんというか、この内容、音韻やアクセントの部分を忠実に学習すると、聞いた事のない秋田弁を喋ることができるのではないかと錯覚する程です。一方で、音韻・アクセント・文法については、個別の記事も立っているので、もう少しそちらに譲って、本稿は簡略化しても良いのかな、と存じました。構成としては、歴史の節がもう少し前にあってもよいかと個人的には存じます。欲望を言えば、実際に話される秋多弁の音声が貼り付けられる、乃至は関連へのリンクがあると、言語の解説としてはカンペキじゃないかと。大分の編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 12:43 (UTC)[返信]
  • (加筆者回答)コメントありがとうございます。私は分割作業の際には本記事だけを読んでも一通りのことは分かるようにと思って本記事にやや多めに内容を残したのですが、改めて見てみると確かに子記事とかなり重複していて冗長なところもありますので、本記事で削れる部分は削ってみます。歴史が最後になっているのも確かに再考の余地はあるのですが、言語自体についての部分(音韻・アクセント・文法・語彙)は一まとまりであるのが自然と考え、それらの説明の前よりは後に歴史を置くのがよいと考えまして現時点ではこのようになっています。音声は、音韻の説明で実際に(例えば単母音の発音などを)聞けるようにできれば一番いいのですが、私自身は共通語化が非常に進んだ若年層にあたりますので私自身の音声は使えませんし、本文中に組み込むのはちょっと難しいところです。実は末尾にある外部リンクの「秋田の昔話」「秋田の民話」というページで秋田弁による昔話の読み上げの音声を聞くことができるのですが、今の状態では目立たないですね。これについては後で説明を加えておきます。Enirac Sum 2008年11月15日 (土) 15:16 (UTC)[返信]

記念貨幣[編集]

9/30最終版:2008年9月20日 (土) 21:01 - 10/31最終版:2008年10月31日(金)20:55 - 差分

  • (審査員コメント)歴史から説き起こし、これまでの発行事例、根拠法、変遷、最近の各種の要素を手際良く且つ丁寧にまとめていらっしゃるところ脱帽いたします。「記念紙幣」というのもあるんですか、感心しました(笑)。とても読み応えがある記事ですし、「記念貨幣」を知る手がかりとして最初に読むべきとお勧め出来る内容と存じます。東 遥 2008年11月2日 (日) 10:28 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)加筆お疲れ様です。日本以外の情報を集めて世界的な観点から説明するのがなかなか難しい題材だろうと思うのですが、日本以外の地域にも広く目を配った解説がなされているのが大変良い点だと思います。図版も多く視覚的にも楽しく読むことができました。以下多少気になったところを述べされていただきます。
    • 日本における記念貨幣の節が全体の分量の半分ほどを占めていますが、これだけの分量があるのなら「日本の記念貨幣」などとして独立した記事にしてもよいのではないでしょうか。今の分量の比率だとJPOVであるという感じを受けます。また贅沢を言うなら、日本以外の国についても日本と同様の詳しい解説(別記事に分離?)を是非読んでみたいと思いました。
    • ローマ帝国も記念貨幣を発行していたということで歴史の長さに驚きましたが、その後近代までの説明が空白になっているので、そこについても説明があるとなおよいと思います。例えば中世には記念貨幣は発行されていたのか、どんな国家がどのような経緯で記念貨幣を発行してきたのかなどについてももう少し具体的に知りたいところです。Enirac Sum 2008年11月15日 (土) 14:25 (UTC)[返信]

死刑存廃問題[編集]

9/30最終版:2008年9月27日 (土) 18:42 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 13:32 - 差分

  • (審査員コメント)非常に大分の記事の編集・整理、お疲れ様です。以前よりは大分見通しが良くなったかと存じますが、やはり大分ですし、読むのはなかなか努力が要りました。具体的な実例が丁寧に数多く全般にちりばめられている点は、記述に説得力を持たせていますが、一方で、文章の中に事例をどの様に組み入れるかは工夫の余地があるやに思われます。「αという実例をみて(も)、βであることが分かる」という説明ですと、論旨が何か把握するまでに読む情報が多くてちょっと疲れますので、「βの視点・指摘もある、実例としてαがある」という書き方にすると、先に前提が分かるので読みやすくなると存じます。まだまだ書き掛け、編集の途中と存じますが、今後も編集に邁進いただけると幸いです。東 遥 2008年11月2日 (日) 12:05 (UTC)[返信]

山内清男[編集]

9/30最終版:2008年7月22日 (火) 07:02 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:59 - 差分

  • (質問)私たちの日本史の教科書を書き換えた人物であるということをこの記事を読んで理解できました。希望するところは、やはり、画像が欲しいというところですが、いかがでしょうか?--Tantal 2008年11月3日 (月) 02:41 (UTC)[返信]
    • (回答)ご質問ありがとうございます。画像の追加案ということですが、例えば「縄文原体」は粘土と縄で自作できますので今すぐにでも可能です。矢柄研磨器についても今イメージ検索していたら、たまたま概念図と実物の画像を掲載して、且つ有溝砥石について詳しくまとめたページがあったので、すぐにリンクを張ろうかと思います。ただ、土器に関しては博物館に展示されていることが多く、しかも当方は九州に住んでいるので、山内が研究地域としていた関東・東北の縄文土器については既存の画像でカバーするしかありません。そして(おそらく最大の懸案である)山内本人の写真についてですが、今イメージ検索してみましたが見当たりませんし、1970年の『考古学ジャーナル』49号、1974年の佐藤達夫『山内清男集』、1995年の明治大学考古学博物館編『考古学者―その人と学問』、1996年の山内清男先生没後25年記念論集刊行会『画竜点晴 山内清男先生没後25年記念論集』、入手しやすい本では岩波新書黄版209の芹沢長介『日本旧石器時代』、2006年の新東晃一『上野原遺跡』に山内の顔写真が写っています。ただ、いずれも著作権上転載はクリアできそうにも無いので、どうしても顔が気になる人は、そちらを(最寄の図書館、もしくは博物館か埋蔵文化財関係の施設で)ご参照頂きたいとしか当方には言えません。ただ、他の画像についてはできる限り追加したいと思っております。--厄無し 2008年11月3日 (月) 13:05 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)「縄文式土器の紋様は縄を転がしてつけられた」当たり前の様に学んできた事柄を提唱した方について、その人となりから簡潔に纏めていただいたと存じます。また、業績についても概観できるところが、読みやすいと存じます。一点、「東京帝国大学人類学教室」の末尾で、「大半を衛戍病院で過ごして除隊されている。」とありますが、これは何らかの病気の為に病院に入院せざるを得ず、また、その病気の為に除隊の処分をうけた、という理解で宜しいでしょうか。このあたり少し詳細に書いていただくと宜しいかと存じます。東 遥 2008年11月15日 (土) 13:00 (UTC)[返信]
    • (回答)長らく回答できなくて申し訳ありません。この記述は、参考文献にも挙げている佐原真の「山内清男論」に記載されていたのですが、深く触れられておらず、また他の文献には記載を見ることが出来ませんでした。従って、どういう事情で入隊し、また除隊されたかは当方も不明としか言えません。今後の課題になるかと思います。--厄無し 2008年12月6日 (土) 13:18 (UTC)[返信]

ヒンドゥー教[編集]

9/30最終版:2008年9月27日 (土) 01:26 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:56 - 差分

  • (質問)インド関連を加筆するうえで、必ず避けて通れない記事に果敢に挑戦されたかと思いますが、ちょっと加筆された上での修正で気になった点がいくつかありますので。質問です。
  1. キリスト教、イスラームが世界宗教へ発展を遂げたのに対して、ヒンドゥーがせいぜい、インド亜大陸と東南アジアにまでしか波及しませんでしたが、加筆される際に、東南アジアにおけるヒンドゥー(バリ・ヒンドゥーなど)が広がっていく課程を盛り込まなかった理由を教えてください。
  2. ここから先はかなり、専門的になるのですが、イギリス領インド帝国において、ラーマクリシュナなどによる改革、タミル・ルネサンスなどを盛り込んでいますが、参考にされたかどうか教えてください。
  3. Wikipedia:ウィキプロジェクト_世界遺産の怠慢にもなるので恥ずかしいことになるのですが、ヒンドゥーに基づく建築、音楽、詩歌や韻文といった文学面からの加筆は、いかがでしょうか。--Tantal 2008年11月2日 (日) 08:22 (UTC)[返信]
    • (お返事)Miya.mです、今回初めてA分野で投稿しました。早速のご質問ありがとうございます。まず一つ目について、この項目に注目した動機が、「インドについて知りたい!」という点から始まりましたので、集めた参考文献もインド主体になっていました。加筆中に「他国もいろいろあるなあ」と感じていましたが、執筆までは手が届きませんでした。ふたつめ、ラーマクリシュナの記事は読んでいましたし、近世のサティー禁止運動や『サードゥ』なども書きたかったのですが、時間不足+力不足でした。三つ目、文学面からの加筆は今の私にはちょっと荷が重いので、これから勉強します。Miya.m 2008年11月2日 (日) 13:14 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)Miya.mさん、加筆作業お疲れ様です。重要項目の1つである本項の充実度が大幅に増したことは、大変喜ばしいことです。参照に値する記事に見事成長したことを踏まえ、私の関心に惹きつけて若干の要望を。
  1. タントラ文献の充実に伴う礼拝儀式の発達
  2. 女神信仰を説くシャクティ派の隆盛
  3. イスラム教の流入による一神教的傾向の強まり
  4. ラーマーヌジャ(11世紀)やチャイタニヤ(16世紀)といった人物の登場が、その後のヒンドゥー教に及ぼした影響
  5. 英国支配下でのキリスト教の影響、及びそれへの反発としての新派の登場
これらについての説明が加わると、さらに厚みが増すのではないかと考えております。それから、「ヒンドゥー教美術」の項目がいまだ存在しないことを今回初めて知りましたが、将来立項されるといいですね。--Lombroso 2008年11月3日 (月) 06:53 (UTC)[返信]
  • (コメンテータ・コメント)加筆作業、お疲れさまでした。加筆前と加筆後を読み比べてみた印象では、確かに文章量や内容が豊かになっているという感はしますが、質的な向上があまり感じられません(失礼な言い方で、お詫び致します)。古代のバラモン教が変化・展開してできたのがヒンドゥー教なのか、バラモン教はヒンドゥー教の一部なのか、別の宗教か、同じ宗教の初期形態と展開形態(世俗化・流布形態)なのか、おそらく後者だと思うのですが、記事からは、両者の関係がはっきり見えて来ません。無論、これはヒンドゥー教自体が多様であり、神や教義が厳密に定義された「アブラハムの宗教」とは、非常に異なるものであるので、やむをえないものだとも言えます。
    • ヒンドゥー教は、インドを統治したイギリスが各地の様々な宗教を総括して呼ぶために造った名称だという説明があります。「ヒンドゥー教の概念規定」はすると、この人為的な総称宗教創始から逆に共通項を取りだしてきたとも言えます。
    • また重要なこととして、「共通項」の背景にある「神学」が説明されていないことがあるように感じます。この神学はヴェーダーンタ哲学と呼ばれるものですが、ここでは不二一元論が根本にあったと思います。三神は結局、根源のブラフマンの時間・現象における現れであり、人は本来アートマンであるという思想です。
    • ラーマクリシュナのような聖者は、カーストを超越しているのであり、またインドには多数の小型のラーマクリシュナ(聖者)が現在もおり、人々は聖者に帰依して解脱やサンサーラでの救いを求めているということもあると思います。
  • 加筆者の方は、宗教などには詳しくないがチャレンジしてみたとのことで、それはたいへん貴重なことだと思います。--Stella maris 2008年11月3日 (月) 12:20 (UTC)[返信]
  • (お返事)Miya.mです。素人が調べて書いたものですので『質的な向上があまり感じられません』については、自分でも全くご指摘の通りと思います。執筆者よりもコメントされる方のほうがお詳しく、(汗顔の至り|ガマの油)状態です。今後皆様のご指摘について勉強しながら加筆出来るところから加筆したいと存じます。個人的には加筆の際の勉強が「インドを知る」手がかりになったと思っています。ちなみに「祭礼」にもありますように、インドでも祭りは庶民にとって楽しいもののようです(独自研究)。私も「コンテスト|お祭り」を楽しませていただいています。Miya.m 2008年11月4日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)専門的な知識のある方から見るとまた違ったようですが、私などにとっては色々と勉強になる記事でした。なお、下らない疑問なのですが、冒頭にある「インド教」についての言及について、言語間リンクにあったzh:印度教との関係はどうなのだろう、と思いました。--Sumaru 2008年11月9日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
(お返事)中国でも「印度教」と呼ぶそうです。『インドを知る辞典』より。言語間リンクを考えれば、本文に書いておいたほうが良いですね。Miya.m 2008年11月9日 (日) 12:49 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)以前より充実したと存じます。細かい質問ですが、「ヒンドゥー教の特徴」の中に「ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァは一体をなす」という旨の表記が御座いますが、これは、一つの存在が3つの姿をとって現れるという理解で宜しいのでしょうか。また、何故、信仰の対象としてブラフマーのかげが薄くなっているのかについて、の説明も簡単にあると、わかりやすいと存じます。編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 15:16 (UTC)[返信]
    • Miya.mです。8世紀頃にヒンドゥー教に三神一体説というのができて、ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァが宇宙の創造・維持・破壊をつかさどるわけですが、「これら三つの役割を持つ三神は、実は同じ一つの最高神であり、三神は一体である」(森本達男 ヒンドゥー教 p113)とされています。ところがブラフマーはヴェーダに基づく「宇宙の創造力」を神格化したもので、ヒンドゥー哲学の中ではStella marisさんがご指摘された「不二一元論」の主体となる非常に重要な神ですが、現世のご利益があまり期待できない神様です。対照的にヴィシュヌとシヴァは自身はもちろん夫婦眷属にもご利益がたくさんある神様で、この辺が庶民の人気の差になったのではないかと思います。この辺は今調べている最中ですので、そのうち加筆したいと存じますMiya.m 2008年11月15日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

裁判外紛争解決手続[編集]

9/30最終版:2008年9月1日 (月) 01:43 - 10/31最終版:2008年10月31日 (月) 22:42 - 差分

執筆者です。限られた期間の中で時間を見つけて編集を行ったので1万バイトちょっとしか量は増やす事は出来ませんでしたが色々調べて具体的な手続きの様子や手続き機関、関連する外部サイトや書籍の紹介などを行いました。これから増々需要が高まり、裁判と並ぶ重要な存在となると思われるADRですでのとくに重要性や実用性の高い記事で有ります。重要な記事でありながら当初、情報量が少なく満足な情報が得られる記事ではありませんでした。しかし、当方で量、質の向上に努めた結果ADRを実際に利用しようと思っている人、興味がある人がADRについて調べる時に基本的な情報を得られるようになっており、さらに外部サイトや書籍の紹介を行っているのでそれを元に簡単にADRについて更に調べる事が出来るようになっています。記事の重要性、実用性を重視して質と量を審査を行ってもらえれば幸いです。--ABC-0120 2008年11月1日 (土) 06:48 (UTC)[返信]

  • (審査員質問)現行制度の説明として充分な内容を把握できるまでに加筆いただいたものと存じます。ところで、
  • アメリカで訴訟が多発しているためできた制度である。
  • 「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」(ADR法)を定めてADRの推進が目指されている。

など、ADRが出来た背景や推進されている事は分かりましたが、それらの要素がどう関係しているのかが良く分かりません。総じて、現在の制度が出来るまでの経過等の情報が少ない様に思われます。

  • 「アメリカで訴訟が多発しているためできた制度である。」とは、アメリカで訴訟の弊害が問題になりADRの制度が出来あがった、それを日本が参考にしたのか、それとも、アメリカで訴訟の弊害が問題になっているのを見て日本でADR様の制度を作ったのか、どちらでしょうか。
  • 日本でADRを推進したきっかけは何か、また、誰が最初に推進の音頭をとったのか。
  • 司法制度改革との関係は如何でしょうか。改革の一環として行われているのか、それとも独立した事柄なのか。

これらの点が、読んでいての疑問です。これに解答戴ける記述を加えられると、宜しいかと存じます。それから、他の紛争解決の手続き(民事調停民事訴訟他)との違いについて表があるとわかりやすいでしょう。東 遥 2008年11月2日 (日) 10:12 (UTC)[返信]

(回答)加筆を行う予定です。--ABC-0120 2008年11月3日 (月) 04:05 (UTC)[返信]

(回答)加筆を行いました。アメリカで出来てから日本に広がった制度で記事で書いているような裁判の欠点を補うために司法制度改革審議会によってADRの推進を提唱されたことがきっかけです。司法制度改革の一環として行われています。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

  • (ライバルコメント)情報量が増えて充実しましたが、読みやすさの点で損をしているかな、という気がします。もう少し読点を入れた方が読みやすいと思います。リンクも過剰気味なので抑えた方がいいと思います。項目名や書名にまで単語レベルのリンクを設けたり、「司法制度改革」に「司法」「制度」「改革」とそれぞれリンクを張ったりするのはあまりお勧めはできないです。で、質問を。
    • 「ADRの推進」の項で、ADRの表記に全角と半角が混在してるのには何か意図があってのことでしょうか。
    • 民事調停がADRに含まれない、または含まれるというのはそれぞれ誰による分類でしょうか。
以上、コメントと質問でした。--Arawodas 2008年11月3日 (月) 14:58 (UTC)[返信]

(回答)字体には何も意図はありません。ADRは「裁判外」で有るのに対し裁判所の調停は裁判の一種であるため、本来は含まれませんが国民生活センター等、実際には裁判所の調停もADRに含めて紹介する事が多いです。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

マンハイム[編集]

9/30最終版:2008年9月21日 (日) 23:37 - 10/31最終版:2008年10月27日 (月) 09:07 - 差分

  • (ライバルコメント)名物料理の項目があると、行ってみたい、食べてみたいという気にさせられます。一点のみ。米軍及び施設の経済・文化的役割について。野球などのスポーツについては説明はありましたが、その他に「重要な役割を果たした」例はどのようなものがありますか。--Arawodas 2008年11月2日 (日) 11:52 (UTC)[返信]
Arawodasさん、早速コメントありがとうございます。マンハイムの米軍は、隣接するハイデルベルクの第7軍司令部との連携で考えるべきだと思います。この点がうまく記事に表現できていないことは反省点の一つです。その上で、経済的・文化的な影響では、単に約2万人という兵士やその家族・関係者の人口に基づく消費という経済的な点はもちろんあるのですが、その他の文化的役割について具体的に何がと言われると、申しわけありません、お答えできるほどの知識を持ち合わせておりません。他にもお気づきの点がありましたらご指摘下さい。--汲平 2008年11月3日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
(コメント)膨大な記事の翻訳、お疲れ様です!写真や図版も効果的に配置され、非常に美しい記事に仕上がっていると思います。感動いたしました。
まだ詳細に読み込んでおりませんが、気になった点を挙げます。
  • 「教育 - 大学」小節内のFreie Hochschule für anthroposophische Pädagogik Mannheimの訳
    Hochschuleの訳がここだけ大学となっていますが、これは故意にそう訳したのでしょうか?UniversitätとHochschuleは性格が異なる学校であると思います。
  • 「教育 - 研究センター、研究所」小節内Goethe-Institutの訳
    一般にGoethe-Institutというと、「ドイツ文化やドイツ語を広く外国人に広めるための機関」です。日本では語学学校と思われていることもままありますが、語学学校としての性格だけでなく、文化交流の基点としても機能しています。ドイツ国内にある場合は、留学生に対応しているようです。ゲーテ研究所と訳してしまうとあたかもゲーテを研究しているかの印象を与えてしまうのではないでしょうか?「ゲーテ・インスティトゥート」や「ゲーテ・インスティテュート」などと片仮名であらわされることが多いと思います。--Risenjudas 2008年11月3日 (月) 03:34 (UTC)[返信]
Risenjudasさん、ご指摘ありがとうございます。Freie Hochschuleというのが実際どういう性格のものであるかよく分からないまま、「自由大学」と訳してしまったのですが、他のHochschuleを「専門大学」としておりますので、統一して「自由専門大学」と修正いたしました。ゲーテ・インスティテュートについてはまったくご指摘の通りです。修正させて頂きました。他に気づかれた点がございましたら、忌憚なくご指摘下さい。よろしくご教示下さいますよう、お願いいたします。--汲平 2008年11月3日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
  • (審査員質問)いつもながら、ドイツの地理記事に関しては、汲平さんの記事はぐいぐいと読む側を読ませようという記事に仕上がるので、ちょいと意地の悪い質問ですが、細部の質問です。
  1. 人によって、現地企業の現地語表記は、読み方が分からないあるいは複数ある場合に遣う形を使うこともありますが、マンハイムの記事では、複数の企業がドイツ語表記のままになっているようです。その理由を教えてください。もし、ドイツ語晩ウィキペディアにそれらの企業の記事があれば、リンクすることも考慮できたかと思いますが、いかがでしょうか?
  2. これは、専門性の高い細部の質問ですけど、「4つのLBBW(バーデン=ヴュルテンベルク州立銀行)の1つがある」という表現ですが、ドイツ語版バーデン=ヴュルテンベルク州立銀行によるとシュトゥットガルト、カールスルーエ、マインツ、マンハイムに本店の所在地があるようです。そのあたりの正確なところはどう表記すべきが教えてください。--Tantal 2008年11月3日 (月) 07:21 (UTC)[返信]
Tantalさん、ご指摘ありがとうございます。LBBWについては、私の勘違いです。原文は"Eine der vier Unternehmenssitze der LBBW"ですので、「LBBWの4つの本社所在地の1つ」とするのが正しい解釈だと思われます。本文を修正いたしました。企業名については、日本語で一般的な音訳がないものについては、ドイツ語表記のままとしました。ここに挙げた企業の多くはドイツ語版記事があり、ドイツ語へのリンクを考えたこともあるのですが、ドイツ語が、日本語話者の多くがそうであろう日本人にとって、一般的な言語ではなく、リンクを付しても読んでもらうことは難しいかな、と思ったのでやめにしました。今後も何かお気づきの点がありましたら、ご指摘よろしくお願いいたします。--汲平 2008年11月3日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)所用でコメントが遅くなり、申しわけありません。今回の記事は、ここでいただいたコメントがそのまま、他の記事や今後の街記事作成の参考になればいいなという意図で、なるべく特別なことをせずに普段通りの記事を書こうと心がけていました。忌憚のないご意見を頂戴できればと思います。この後、隣のハイデルベルクについても執筆予定です。参考にさせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。--汲平 2008年11月3日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

体感治安[編集]

9/30最終版:2008年9月2日 (火) 11:38 - 10月31日最終版:2008年10月31日(金)22:02

(注)本記事の扱いについてはこちらで議論されました。

サラエヴォ[編集]

9/30最終版:2008年9月28日 (日) 15:01 - 10/31最終版:2008年10月30日 (木) 19:19 - 差分

執筆者です。記事内容に関して足らざる点、気になった点、興味深いところ、残念なところ、感想など、いろいろな角度からのご意見をいただければ幸いです。目下の課題としは、記事のノートページに寄せられている、サラエヴォの語源に関するものがあります。--Peccafly 2008年11月1日 (土) 13:58 (UTC)[返信]

  • (質問)(私としては、サライェヴォ表記で学んだ世代なので……)歴史記事としても中世以降の歴史が丹念に描かれており、1984年の冬季オリンピック、1991年以降のユーゴスラビア紛争といった重要なトピックも盛り込まれており、十分な記事に成長したと思います。そこで、質問ですが、
  1. ボスニア・ヘルツェゴビナ自体、世界に代表する企業は皆目見当がつかないのですが、「経済」セクションに記述してある企業群が占める位置づけ(トヨタ自動車であれば、世界1位の自動車生産量を誇る、マイクロソフトのWindowsであれば、世界シェア9割を占めているなど)が大まかで結構ですから知りたいです。
  2. 人口の帰還が始まったということですが、最近、アジア系住民が増えている理由で考えられるものは何でしょうか?
  • (お返事)コメントありがとうございます。「サラエボ」世代からみれば、「あの美しいオリンピックの町が紛争でこんなことに・・・」という痛切感もまた強いことでしょう。1点目についてですが、確かに企業名だけ並べてみてもピンとこないですね。いずれもBiHで最大手クラスの企業群であることは間違いないかと思いますが、逆に言えばBiH国内留まりではないかと思います。また、BiH最大手とは言っても、BiH国内でもセルビア人主体の「スルプスカ共和国」ではまったく別の企業群が主に活動していたり、また非セルビア人主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の中でもクロアチア人が支配的な「ヘルツェグ=ボスナ」地域でもやはり有力企業の顔ぶれはずいぶん異なるようです。こちらに掲げた企業群の中では、タバコ会社はBiH国外の旧ユーゴ諸国にも拠点があるようですので、一応、国際企業と見てよいのではないかと思います。エネルゴペトロルは、クロアチアの半国営エネルギー会社INAと提携関係にあり、「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」も有力株主となっているので、BiHの半分を占める「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」では有力企業なのだろうと思います。電話会社BHテレコムについてですが、電話に関してはバニャ・ルカに本社を置くセルビア人の会社、モスタルに本社を置くクロアチア人の会社、そしてこのBHテレコムと、民族ごとに分断されている状況ですので、この会社のシェアはBiHの全人口の47%を占めるムスリム人の人口比率とほぼ比例しているのではないかと思います。サラエヴォ・ビール会社もおそらく活動は大きくともBiH国内を大きく越えるものではないと思います(余談ですが私もこの会社のビールや飲料水などを買って飲んだことがあります 笑)。2点目はまた後ほど、回答いたしたいと思います。--Peccafly 2008年11月5日 (水) 06:51 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)都市の概略が一通り分かり、画像も十分なバランスの取れた記事だと思います。いくつか気づいたことを。
    • 冒頭部最終文の「終日運行のトラムの世界初は……」の一文は、サラエヴォとは直接関係ないので丸ごと脚注化した方がいいような気がします。
    • 「温厚な大陸性気候」という表現がよく分かりません。大陸性気候にしては温暖ということなのか、夏冬の気温差が少ないということなのか、あるいは比較的過ごしやすいという感覚的なことを指しているのか、その辺の説明が欲しいです。
    • 「1461年ごろ町は都市へと生まれ変わり」とありますが、具体的にどう変わったのか書いて欲しいです。「町」と「都市」で何か具体的な定義の違いがあるんでしょうか。
    • 「殺害と強制追放により、1995年の時点での人口は……」の部分。知識がある方にとっては言わいでもの事柄なのでしょうが、一応誰による誰の追放なのか説明があるといいと思います。
    • informal marketは、もしかして闇市場(地下経済闇市)のことでしょうか? いや、私の英語なんて心許ないものですが。
    • 「東アジアからの移民も増加」……これは中国系移民と考えてよいのでしょうか。
細かいことをずらずらと、失礼しました。--Arawodas 2008年11月2日 (日) 11:52 (UTC)[返信]
  • コメントありがとうございます。1点目、4点目、5点目はご指摘の通りかと思います。ご教示ありがとうございました。また後ほど修正しておきます。6点目についても、おっしゃるとおり、サラエヴォで増えているのは中国人です。2点目については、大陸性気候にしては緩やかな、という意味ですので、わかりやすい表現に直しておきます。それでも海岸部とくらべるとずいぶん厳しい気候のようですが・・・。また、4点目ですが、「移住を強いられる」としたほうが正確かも知れませんね。セルビア人勢力の言うところの「同意による追放」(=脅迫や嫌がらせによる追放)もまた、移住を強いていることには違いありませんので。3点目については、また後ほど回答いたしたいと思います。--Peccafly 2008年11月5日 (水) 06:51 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)正直言ってサラエヴォ事件の舞台というくらいのお粗末な予備知識しかなかった身としては、大変興味深く拝読させて頂きました。ただ、観光業が盛んであると複数回書かれているため、「観光」の節が独立してもう少し膨らんでいると、より楽しい記事になるようにも思いました(経済の一部分としてだとちょっと残念かと・・・)。あと非常に細かい話ですが、トラム路面電車は表記をどちらかに統一した方がよいのではないかと思いました。--Sumaru 2008年11月9日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
    • (コメント)コメントありがとうございます。表記については「路面電車」に統一したいと思います。観光に関しては確かに寂しい内容でしたので、多少加筆してみました。ただ、サラエヴォの観光地にはいろいろあるようなので、更なる加筆を目指していきたいと思います。--Peccafly 2008年11月11日 (火) 16:30 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)、第一次大戦の引き金となった皇太子暗殺事件と、紛争でビルが砲撃を受ける映像とが私のサラエボに対する印象でございましたが、復興したのですねぇ。全般に必要なことを手際よくまとめていらっしゃると存じます。「催しもの」の節があるところは、この街の特色をあらわすものとして感心して拝見させていただきました。読んでいて気付いたのは、「歴史」の節が長いので、小項目を立てても良いかなと言う点と、教育の節の「最初の高等教育」で、「スーフィズム哲学の学校」や、設立した「ガジ・フスレヴ=ベグ」についての素性も簡単にあると宜しいかなと存じます。編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 13:25 (UTC)[返信]

紀州征伐[編集]

9/30最終版:2008年9月11日 (木) 02:37 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:49 - 差分

  • (コメント)加筆が簡単なようで難しい安土桃山時代の、それも1地方の記事を加筆され、かなり、楽しく読めました。--Tantal 2008年11月2日 (日) 08:50 (UTC)[返信]
  • (加筆者より)まずは記事中に人名の誤記があった点をお詫び致します(修正差分)。さて、書き上げた直後はやり切ったつもりでおりましたが、改めて読み返してみて、突っ込み所の多さに愕然としております。しかも周辺項目は手つかず。放散した気力が回復したら、徐々に取り組んでいくつもりです。Tantalさんには楽しく読んで頂けたとのこと、加筆者としてはそれこそが喜びです。ありがたいことです。--Arawodas 2008年11月2日 (日) 10:35 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターコメント)事実関係が細かく書かれており、事件の意義まで書かれた奥深い面白い記事だと思います。前半、記事があるのに内部リンクが無い箇所が目立ちます。津田氏学侶行人 (仏教)など。内部リンクがあれば理解がさらに深まりますので、氏族や地名、仏教用語だけでも作って頂ければと思います。また、この記事、地図が無いのが残念です。当時の地図を正確に書くのは難しいでしょうが、現在の白地図に主要な地名の中心位置を書き込むだけでも、大分理解の助けになります。ぜひとも御検討を。絵が少ないのもさみしいです。あまり多いと見難くなりますが、主要人物の肖像等をちらほらと掲げて見るのはいかがでしょうか?--Freetrashbox 2008年11月7日 (金) 10:56 (UTC)[返信]
    • (加筆者より)的確なご指摘ありがとうございます。リンクについては、とりあえず分かる範囲で追加しました。画像については、まさに痛い所を突かれたという気持ちです。特に地図があるとよいというご指摘は、自身でも加筆期間中から必要性を感じていました。自力で実用に耐えるものを作れる自信がないために後回しにしてしまい、せめてもの代替措置として記事のない地名には現在の自治体記事へのリンクを付属させましたが、やはりこれだけでは不足ですよね……。なんとか頑張ってみます。旧国境で描かれたいい白地図があることを期待しましょう。--Arawodas 2008年11月8日 (土) 12:12 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)ぐいぐいと引き込まれるような文章で、非常に楽しんで読ませていただきました。ただ、そのことと表裏一体なのですが、「信長の威を借る孫一」「高野攻めの実態は」などの節名は、百科事典の見出しとしてはちょっとどうかという気がしないでもありませんでした(その辺りは好みの問題かもしれませんが)。--Sumaru 2008年11月9日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
  • (コメンテータ・コメント)加筆たいへん、お疲れさまです。一読させて頂きまして、力作というか、迫力に感嘆しました。ただ、百科事典の記事として考えると、何か疑問が起こります。丹念に歴史のディーテイルを記されているのは、ただただ驚きます。しかし、「結語」の節があることから推測しますに、これは一つの論文のようなものではないのかとも感じます。「独自研究」とまで言いませんが、中世と近世を分ける象徴的な出来事がこの紀州征伐であったという話になっているように感じます。他の方は絶賛されているように感じますが、わたし個人としては、武将・人名の羅列、事件の羅列の感がします。百科事典の記事としますと、中世から近世への移行を象徴する記事としてなら、誰が武将で、どんな戦闘がどういう経過で行われたという詳細は、寧ろ邪魔なのではとも感じました。「縦」と「横」の繋がりの争いで、縦が勝利し、近世の社会体制が成立したという記事なら、それに見合う書き方があったのではとも僭越ですが思います。他方、個々の戦闘や戦争の詳細は、貴重な資料とも言え、この詳細な記述も非常に価値があると思います。中世から近世への転換の経緯記事は背景にある社会構造などの記述に重点を置き、個々の戦闘での武将や人物や事件経過の詳細は省き、それらは、別記事として複数立てるのが良いのではとも素人考えながら思いました。たいへんな力作であることは承知の上で、あえて、述べさせて頂きます。失礼なことを述べました。ご不快を感じましたら、何とぞご容赦願います。--Stella maris 2008年11月13日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
  • ……と以上は、最終版を読んでの感想ですが、現在の版で見てみますと、画像が多く追加されており、かなり分かりやすい記事になっているとも感じました。(画像があるとないで、これだけ印象に違いが出てくるというのも驚きです)。すばらしい記事を有り難うございます。--Stella maris 2008年11月13日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
    • (加筆者より)踏み込んだコメントをありがとうございます。確かに、時代背景や戦いの歴史的意義を述べた節と戦闘そのものを説明する節で内容に落差があることは、自身でも書きながら感じていました。実は別方面からも別の観点から記事の分割について示唆を受けていた所です。人名や事件の羅列と感じるというご指摘は、その通りとしか言えませんね……。戦国武将に興味のない人にとっては、人名の羅列などは読みづらい所でしょう。改善の余地ありですね。
秀吉の紀州攻めに時代の転換点(または思想的対立)を認めているのは、『中世終焉』『秀吉の天下統一戦争』『寺社勢力の中世』『日本の中世寺院』の各書です。特に書名がそのものズバリの『中世終焉』に早い段階で出会ったことが、記事の設計に大きく影響したことは間違いないでしょう。--Arawodas 2008年11月14日 (金) 10:14 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)教科書等では、この時代は大名が領国を治める、或いは、群雄割拠の視点から紹介されるところですが、「いわば宗教共和国」というのは新鮮に映りました。また、個々の戦等についても、教科書では一行・一言で終わるところが、ここまで詳細に記述されているところ、興味深く拝見させていただきました。細かく見るとPOV的に疑問な表現がある、例えば「精鋭鉄砲衆、数に屈す」では「上方勢の攻撃の前にわずか三日で~」とあるのは立場を変えれば3日という期日の受け取り方に違いがあるでしょうし、「根来・雑賀衆の発想は戦国時代においては特段奇異な思考ではない。」とあるのは、この分野に詳しい方にとって当たり前かも知れませんが、見方によっては執筆者の主観とも読めます。丁寧に引用をつけて根拠を示していらっしゃるなかで、この様な表現が残っているのはちょっと残念です。「あっけない最期だった。」というのも、百科事典としてはそぐわない表現かも知れません。細かい事を申し上げて申し訳ないのですが、このあたりをブラッシュアップすると宜しいのではないかと存じます。大分な編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 13:57 (UTC)[返信]
    • (加筆者より)遅れましたが、コメントありがとうございます。POV的に疑問な表現については、気づいた範囲で修正してみました。ご指摘の節については、元の資料に「当然」「わずか」「(当時の)常識」という表現が使われているのであまり心配せずに使った所、ご指摘を被ってしまいました。確かに当該節は一冊の資料のみに依拠して書いているので、資料著者のPOVに対してもう少し注意を払うべきでした。
「根来・雑賀衆の敗因(旧節名:精鋭鉄砲衆、数に屈す)」節の目的は、結果を知っている現代の読者には無謀な抵抗にも見える(であろう)根来・雑賀衆の行動について、彼らなりの勝算があったことを説明することにあります。戦国時代についてある程度知識がある方々の間でも、ここに書かれていることが必ずしも常識として共有されているわけではないことは申しあげておきます。--Arawodas 2008年11月19日 (水) 11:27 (UTC)[返信]

分野B[編集]

蝗害[編集]

9/30最終版:2008年9月9日 (火) 06:18 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 20:53 - 差分

(加筆者コメント)関連記事としてロッキートビバッタオーストラリアトビバッタ サバクトビバッタ1915年のパレスチナ蝗害メタリジウム菌昆虫病原糸状菌大元聖政国朝典章も作っていますので、お手すきであればそちらもごらん頂ければ幸いです。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 07:11 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)バッタの生態や蝗害対策などよくまとめられていると思います。歴史の項が中国に集中しているのは、中国だけ資料が多かったのか、それとも本質的に蝗害が中国に多かったのか、どちらなのでしょうか。--Tam0031 2008年11月2日 (日) 07:57 (UTC)[返信]

(回答)コメントありがとうございます。一番の理由は、中国情報に関しては中国語版に記事があったためです。また、推定ですが、中国は農業国のため被害を受けやすかった、中国人は昔から記録好きだった、などの理由で元々の情報量も多いのではないかと思います。--Freetrashbox 2008年11月2日 (日) 08:18 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)日本での蝗害の部分が大変よくまとまっていてよいと思います。さて、2点ほどコメントを述べさせていただきます。まず、中国の歴史の部分ですが、実際の歴史区分にとらわれてしまって節が細かくなりすぎてしまっているような気がします。中国の歴史に詳しくないので見当違いな意見かもしれませんが、もう少し大きな時代区分(中世近代のような)にまとめるか、歴史的転換のあるところで区分するとか、あるいは時代区分での節分けをいっそのこと取っ払ってしまうのも良いかもしれません。次に、脚注出典の部分ですが、ページ数の明記があるものとないものが混在してしまっているのは問題ではないかなぁと思います。この混在(あるいはページ数を明記しないこと)には何か理由があるのでしょうか?--青子守歌会話/履歴 2008年11月2日 (日) 18:44 (UTC)[返信]

(回答)確かに中国の区分は見難いですね。私の調べた範囲では宋代になって駆除対策が具体的になっているので、これを手がかりに、「古代・中世(五代十国まで)」「近世(宋元明清)」「近現代」ぐらいが良いでしょうか?もう少し考えて見ます。
 注釈でページ数が付いているのは外国語版(具体的にはzh:中國蝗災史)からコピーしたものです。私の加筆部分に関しては、ページ数をつけると<ref name>による一括指定機能が使えなくなってしまうので全て無しにしています。その代わりページ数は一部コメントアウトで「<ref name=fuji>[藤崎、田中:2004]</ref><!--p.207-->」のような形で埋め込んでいます。私は時々この方式で書いているため、御意見があればよろしくお願いします。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 02:58 (UTC)[返信]

(審査員コメント)編集お疲れ様です。幅広い視点からの記述があるとともに、各国の具体的な状況に触れており、よくまとまっていると存じます。読んでいて気になった部分を下記に挙げます。

  • 対策 - 方法 の中、「ただし、世界保健機構(WHO)によりきわめて危険(クラス1a)、かなり危険(クラス1b)とされたものは使用されない」では、急に専門の用語が出てきて少々面食らいました。出来れば、具体的な名前があるのもよいかな、と存じました。
  • 地域ごとの歴史と特色 - 中国 - 清代 の中で「日本では ~ 執筆するだけの資料が残っている。」の部分、「だけ」は、「それだけ十分な資料がある」という理解で宜しいでしょうか。
  • 地域ごとの歴史と特色 - 日本 - 歴史 の中で「真の蝗害」という表記がありますが、これは何を指していらっしゃるのでしょうか、また、他とは何が違うのでしょうか。

全般に、ところどころ言葉が足りず、読み手がある程度前後から補って読む必要がある箇所があります。ちょっぴりくどいくらいに足してもよいかと。東 遥 2008年11月3日 (月) 00:24 (UTC)[返信]

(回答)WHOの区分については調べてみます。(2008年11月3日 (月) 07:11 (UTC)済み)
「執筆するだけの資料が残っている」の箇所は私の加筆部分ではありませんが(途中でけっこういろいろな方が加筆されています)、「それだけ十分な資料がある」の意味でよいと思います。
「真の蝗害」の語は確かに不親切ですね。ここでは集団バッタによるものを「真の蝗害」、イナゴやウンカによるものを「日本でだけ使われている『蝗害』」として説明しています。どう直したらいいのか考えて見ます。(2008年11月9日 (日) 14:56 (UTC)修正してみました。)分かりにくい箇所は他にもあると思います。もう一度見直して見ますが、なかなか自分では気付かないところもありますので、指摘して頂ければ幸いです。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 02:58 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクールの前後の記事を見ましたがコンクール前に比べてとても良くなっていると思います。表や写真も取り入れて各国の対策や歴史や現状などが分かり易く書かれていたと思います。又、出典もたくさん書かれていたと思います。--ABC-0120 2008年11月3日 (月) 04:02 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)ありがとうございます。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 07:11 (UTC)[返信]

(審査員コメント)聞きたいことはある程度、私とっては出尽くした感があるので、コメントだけで失礼します。「蝗」とはバッタのことだったのですね。これだけでも十分、勉強になりました。島国では物理的にバッタが何でも食べつくすこと自体、到底無理だということも分かり、いい記事に仕上がったこと思います。中国とそれ以外の国のバランスが難しいと思いますが、文献の蓄積量に比例してしまうのは仕方ないかとも思います。--Tantal 2008年11月8日 (土) 12:39 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)コメントありがとうございます。中国に関してはまだ検討中です。--Freetrashbox 2008年11月9日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

(コメント)コメンテーター資格はありませんが、ちょっと気になったので。
蝗に限らず、天災は「時の政治に対する天からの警告」であるという思想(天譴思想)があり、政治の反省材料としていつどこで天災が起きたかを逐一記録する必要があると考えられていた、そのため記録がやたら多いのです。北宋#儒教などを参照いただけると幸いです。
あと、時代区分に関しては宋代以降近世説の京都学派と宋代以降中世説の東京学派との論争がいまだ決着しておりませんので、古代・中世・近世・近代の区分は止めておいたほうが無難かと思います。--らりた 2008年11月10日 (月) 12:38 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)コメントとアドバイスありがとうございます。先に挙げた区分は止めておきます。北宋#儒教についても勉強させて頂きます。--Freetrashbox 2008年11月10日 (月) 15:13 (UTC)[返信]
  • (コメンテータ・コメント)加筆、お疲れさまです。非常に興味深い記事でした(以下は、現在の記事についてです)。記事前半は非常に完成度が高いのではと思います。とはいえ、細かい言葉の食い違いが気になったのがあります。そして後半部分に入ると、いささか疑問が起こって来ました。--Stella maris 2008年11月13日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
  • 「このため、被害の年は連続することが多く、毎年大群を作っていた種類が、ある年を境に数年、数十年と大発生が見られないこともある」という文章がありますが、最初の「このため」というのは何のためか、理解困難です。前提にあるのは「風の方向に沿って移動する」という話で、そこから「このため」以降がどうして出てくるのか不明です。また、「被害の年は連続することが多いが、毎年大群を作っていた種類が……」という形でないと文章のつながりがおかしくないでしょうか。「逆説的にではあるが聖天子の出現は蝗の害を食い止めると言う伝説が存在していたのである」という文章の「逆説的」も意味がよく分かりません。聖天子が出現すると、世は平和となり、災害も消え、民は潤うというのが通常の考えではないのでしょうか。
  • 後半は、蝗害についての大量の記録の羅列の感がします。ここで一つ気になったのは、中国の記録の場合、漢文をそのまま引用されていることで、何を述べているのがよく分かりません(漢文は読めませんので)。ここは、日本語の訳にして、脚注で原文の漢文を示すというようにするのがよいのではと僭越ですが思いました。
  • 最後まで読みまして感じたのは、実際の蝗害の事例は代表的なものを挙げ、他は「これ以外にも、これこれ、記録が多数残っている」というような形にするのがよいのではないかということです。「戦争」という記事があったとして(実際にありますが)、古今東西のあらゆる戦争を羅列している訳ではないと思います。「被害の大きかった蝗害の一覧」(というような新記事に分離)するには、例が少なすぎるような気もします。脚注に省略して追い込むというのも方法としてあると思います。
  • 僭越なことを申し上げて申し訳ありません。生物的な現象の記事としては、たいへん良くできていると思いますが、災害の具体例の提示でいま一つ工夫があればとも思いました。--Stella maris 2008年11月13日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
  • (審査員より遅いコメント)大変データ量の多い加筆で、たくさんお調べになったことと思います。しかし率直な感想を述べさせていただければ、ご自身でお調べになった内容を、ご自身が整理し切れていないように感じられます。それが、章立てに出ているのではないか、というのが感想です。結果的に、前からずっと読んでいくと、情報が錯綜してしまって、一本のストーリーが見えなくなってしまっているように感じます。具体的に言いますと、最初の「特徴」という章はむしろ「概略」とでもされるべきでしょうし、その中身の順序も、ワタシなら群生相、生態、群れの大きさ、種類という順番に並べるとおもいます。またなぜ群生相が生まれるのか、という部分は、むしろ冒頭に持ってきてもいい、重要な情報であるように思います。
    しかし、全体としては、大変情報量が増え、いい記事になりつつあるのに、おしいっ!という感想でしょうか。いずれにせよ、大変だったことは想像に難くなく、大変に敬意を表します。--レイキャビク 2008年11月15日 (土) 08:24 (UTC)[返信]
    • (加筆者コメント)Stella marisさん、レイキャビクさん、コメントありがとうございます。中国の箇所に関してはいろいろと書き換える方法を考えているところです。とりあえず、お礼まで。--Freetrashbox 2008年11月15日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
      • (加筆者追記)中国の歴史は中国蝗災史として分割し、蝗害は要約のみにしてみました。中国蝗災史で漢文も一部訳してみました。節の順番はレイキャビクさんのアイディアをほぼそのまま利用させていただきました。とりあえず、ご報告まで。--Freetrashbox 2008年11月30日 (日) 14:25 (UTC)[返信]

鉄道車両[編集]

9/30最終版:2008年8月20日 (水) 10:56 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 00:13 - 差分

(執筆者コメント)これは必要だろうと思うことをどんどん盛り込んでいったら肥大化してしまいました。記事の適切な分割・他項目への転記なども助言いただけたら幸いです。もう少し時間があれば構造の項目をもっときちんと書いて、図を用意したり適切な写真を探してきたりできたのですが、時間切れです。--Tam0031 2008年11月2日 (日) 07:57 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)「分量が多いからと言って良い記事とはいえない」とのがあるのは重々承知していますが、それでもなおこれだけの分量を1人の力で書かれたことにはただただ驚くばかりです。Tam0031さんご自身のおっしゃるとおり、少し記事が大きくなりすぎてしまっている感は確かにあるので、これから分割等も含めて構成の整理を行なう必要があるだろうと私も思います(ここで具体的な提案をしても仕方ないので、落ち着いたら当該記事のノート等で)。また懸案事項であったJPOVの問題もほぼなくなったと思います。さて、1点だけ質問(コメント?)があります。出典の明記方法ですが、『蒸気機関車200年史』のように脚注でそれぞれの情報の出典を示しているのもあれば、逆に『最新 電気鉄道工学』のように参考文献にあがってはいるけれど具体的な明記はない情報源があります。これはどのような違いからくるものなのでしょうか?--青子守歌会話/履歴 2008年11月2日 (日) 18:44 (UTC)[返信]

(回答)コメントありがとうございます。出典の明記については、まず全体にわたって参照している文献は参考文献欄で著者・出版社・ISBN等をフル記載し、refタグでは書名とページ数のみの指定に留める一方で、ワンポイントで参照したものは参考文献欄に記載せずにrefタグでフル記載するという体裁にしています。たとえ具体的にrefタグで指定されていなくても、全体にわたって参照しているというものは参考文献欄に入っています。歴史の項は、ほぼ段落ごとに出典を特定できるものであったためrefタグによる直接出典指定をほぼ全て付けてありますが、それ以外の構造や分類などの項は全般に参照しながら書いていてなかなか個別に出典を特定しづらいので、参考文献欄へまとめて書名のみの記述ということで済ませてしまっています。それが『最新 電気鉄道工学』がどこにもrefタグで現れないことの大きな理由です。もっとも、同書については電気車の動力機構の部分でもっと参考にして詳しく書くつもりだったのですが、時間切れになってしまって今のような簡単な形に留まってしまっていて、それほど参考にされているわけではないという事情もあります。--Tam0031 2008年11月3日 (月) 03:30 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクール前の記事は関連項目へのリンクがメインでしたが加筆によって鉄道の車両について、歴史、仕組みなどがたくさん書かれておりとても良い記事になっていました。一ヶ月間でこれだけの加筆を行ったのは素晴らしいと思います。--ABC-0120 2008年11月3日 (月) 04:20 (UTC)[返信]

(審査員コメント)編集お疲れ様です。写真や図面が豊富で眺めるだけでも楽しいですしとても読み応えのある記事に成長したと存じます。関連する事柄を豊富に手際よくまとめて、一読して概観できるところも宜しいかと存じます。殊、「歴史」と「製造から廃車解体まで」というのは余り見られない視点で、これまた楽しく読ませていただきました。ちょっぴり気になったのは、「初期の客車と貨車」の中、「初期の鉄道では馬車に使われていた車両を、」の部分、前後も含めて、「車両」と「車体」の使い分けが曖昧な点が見受けられました。この辺りを見直すと尚良いと存じます。本当に、編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月3日 (月) 06:07 (UTC)[返信]

(回答)コメントありがとうございます。「車両」は車輪も含めた全体を指し、「車体」は車輪より上の客室部分という意図で使い分けをしています。最初の客車は馬車の客車を車輪も含めてそのまま貨車に載せたので「車両」と触れていて、その後車輪を外して客室だけを載せたものが発展していったので、それ以降は「車体」で触れてあります。--Tam0031 2008年11月3日 (月) 15:15 (UTC)[返信]
(おへんじ)早速回答賜り恐縮です。お返事がおそくなりすみません。なるほど、その様な使い分けがなされていたのですね。一方で、流石に車両記事の中だけに「車両」という単語を見て、どっちがどっちかな、とちょっと戸惑いました。何か、より区別しやすい表現があると良いのですが、ちょっと思い浮かびません。東 遥 2008年11月6日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

(審査員の遅いコメント)恐ろしい文量の加筆、お疲れ様でした。大変によいインデックス記事になったと思います。鉄道の車両のことならまずこの記事を読んで、必要なところに飛べるかんじでしょうか?しかし、蒸気機関の歴史の部分などは、こうなると別記事に分離したほうが良いように思います。おそらく、インデックス記事と割り切って書いてしまうのは、記事執筆者としてはなかなか心苦しいというか、ツラいという側面もあり、ああいった読み物部分が残ってしまったのではないかな、と推察します。しかし、コレだけの章の多さ、情報量を誇る記事であれば、むしろ詳細は各項目を参照にし、全体を網羅したハブ的な記事にしてしまったほうが、いっそ潔かったのではないか、という感想が残ったのも事実です。しかしまぁ、驚きました。--レイキャビク 2008年11月15日 (土) 08:34 (UTC)[返信]

(回答)構造に関してはこういう総論記事で解説して各部分ごとの専門記事に誘導するインデックス的なやり方が不可避だと思いますが、歴史に関してはやはりそれぞれの分類ごとに分けてしまった方がよいのかもしれません。それは書いていても感じました。しかしやはり歴史の解説がないと鉄道車両の記事単体としては物足りないと考えてこのような構成になっています。これから分割・転記を検討したいと考えております。--Tam0031 2008年11月16日 (日) 11:57 (UTC)[返信]

開水路[編集]

9/30最終版:2008年7月24日 (木) 01:51 - 10/31最終版:2008年10月30日 (木) 00:31 - 差分

執筆者ですが、10月は加筆に十分な時間を取れる予定のはずが、第1週目ぐらいから予定が狂いほとんどまとまった時間がとれず、ひどい結果となってしまいましたことをまずはお詫びします。正直、エントリーを取りやめようかとも思いましたが、数少ないB分野でのエントリー記事でしたので、まぁ枯れ木も山の賑わいになるといいますし・・・ということで一応そのままとしました。ただ、分量は全然足りてないにしても、書けたところの記事の質はそれなりに良いものになってるのではないかと思います。現時点では中途半端な形になりましたが、これからも少しずつは時間を見つけてどんどん加筆していくつもりですので、よろしくお願いします。--青子守歌会話/履歴 2008年11月1日 (土) 18:41 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)式を駆使して説明されているのは他にあまりないように思いますが、普通の読者は式を追っていけるわけではないと思うので、それが具体的な水路において何を意味しているのかの簡単な説明文章が欲しいです。
「画像:開水路流れの区分.png」の中について、「流速が早い」は「流速が速い」ですね。--Tam0031 2008年11月2日 (日) 07:57 (UTC)[返信]
(回答)コメントありがとうございます。ひとまず画像の漢字間違いのほうは早速訂正しておきましたのでご確認ください(ついでに、なぜか日本語ファイル名でアップしてたので差し替えました)。それと式のほうですが、記事主題が「開水路」という、現象というよりむしろ「開水路理論」とも呼ぶべきようなある種小難しい内容でしたので、どうしても他の記事と比べて数式等が多くなってしまっていることをご理解いただければと思います。特に、比エネルギーの式のような基礎方程式と理論に載っている式は後に述べる(予定だったのも含む)現象を説明・理解するための取り決め・定義のようなものですので、特にあれ以上のことはないと思います(少なくとも手元の文献からはあれ以上の情報は取得できませんでした)。その他の式についてはなるべく平易な説明を付加しつつ、かつ正確な表現となるよう必要な箇所にのみ式を使う形としましたが、当該記事のノートにも書きましたとおり私自身この分野を専門としてまして、いわゆる「一般人の視点」にはどうしても戻れないところがありますので、具体的に「どこがどう分かりづらい」とご指摘いただければ適宜対応していきたいと考えています。--青子守歌会話/履歴 2008年11月2日 (日) 18:44 (UTC)[返信]
(コメント)例えば「平均流速公式」のところは、水路の中で水深によって流速が変化することを説明して定式化しているものですよね。いきなり「流速分布u(y)は」と言われても、ほとんどの人は水深によって変化する流速を説明しているのだとは分からないと思います。ですので、まず底との摩擦?抵抗で流速は遅くなり、水面に近くなるにつれて速くなることを言葉で説明し、水深方向にy軸を取るとこういう式で水深ごとの速度を表せる、という感じで説明文章を付けると分かりやすくなると思います。私も理系の端くれとして、式のある文章を読むことはよくありますが、式のままで理解することはまずなくて、必ず自分の頭の中で感覚的に理解するようにしています(それゆえに直感に反する相対論や量子論の理解には限界があるのですが)。式の意図を説明する文章が付いていると、とても理解しやすいです。--Tam0031 2008年11月3日 (月) 03:30 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクール前の記事と比べて計算式、表、グラフなどが充実しており説明もあったので分かり易くなっていました。専門的な計算を行っていたのでとても大変な作業だったと思いますが良くできていて素晴らしかったです。又、出典も沢山書いてあり良かったです。--ABC-0120 2008年11月3日 (月) 04:57 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)難しい現象を分かりやすく解説していると思います。全文を読んだわけではないのですが、少しだけ質問orコメントを。

  • 「流れが一方向に卓越しており」の「卓越」の語は国語辞典の説明(「すばらしい」)と合わないので別の語が良いのでは?
  • 「基礎方程式と理論」の節、一次元水理解析法に限定した説明であれば節名かその下にでもちょこっと補記しておいたほうがよいと思います。
  • 十分に発達した乱流」について「十分に発達した」の簡単な説明を乱流の記事にでも補記したほうが良いのではないかと思います。
  • 「開水路のベルヌーイの定理」の式のIbは、図3の「河床勾配θ」と定義は同じなのでしょうか?図3の方は角度を意味するようなので、コサインかタンジェントを取らないと辻褄が合わないような気がします(勘違いならごめんなさい。)
  • 内部リンクがあったほうがいいと思う単語。「損失水頭」(水頭)、ベルヌーイの定理

以上、いかがでしょうか?--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 05:39 (UTC)[返信]

(お三方まとめてお返事)まず、ABC-0120さん、コメントをいただきありがとうございます。出典の書き方についてはこれはこれで批判のある書き方だろうと承知してますが、他の皆さんにもこういう書き方もできるんだということを知っていただき、他の記事に波及していってくれないかなぁ・・・と期待しているところですw。そして、FreetrashboxさんとTam0031さんご指摘の件は修正してみました。なお、河床勾配についてですが、一般に十分に小さくθもそのsinをとったものも等しいとされるので同じものであることには間違いないのですが、明記されていませんでしたので追加しておきました。--青子守歌会話/履歴 2008年11月3日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

(コメント)非常に丁寧な説明で、しかも見目美しい記事であると思います。寄せられているコメントに対して、少し横やりを入れることをお許しください。

  • 「普通の人は式を追っているわけではない」との指摘もありますが、自然科学、ことに物理学や工学の分野においてはその理論を説明するにあたって数式なしというのはあり得ませんし不可能なことです。したがって、このような分野においてある程度その理論を理解せんとする読者は必然的に式を追いますから、特にこの点に問題はないと思います。むしろ個々の式に対してきちんとその意味するところ(定義)を示している点で丁寧であると感じました。
  • 「流れが一方向に卓越しており」の文脈における卓越という言葉は、「卓越風」といった言葉においてあらわれている用語法と同じであり、確かに国語辞典の当該項目の定義から考えると一見妙な感じもしますが、気象学や海流を論ずる時には極めて一般的な表現であり、何ら問題がないと思います。

私の専門は物理学で、工学は門外漢です。しかしとても興味をもったので、改めて仔細に読みたいと思います。--Risenjudas 2008年11月4日 (火) 16:57 (UTC)[返信]

(お返事)遅くなりましたが、コメントありがとうございます。色々と記事の「良いところ」を挙げてくださってとても嬉しく思います。「横やり」の件については、私も工学系の人間ですので式や専門用語に慣れていて「うんうん」と納得するところなのですが、そうでない方にとっては専門用語はもちろんのこと数式自体も理解しづらいものなのだろうなぁと思っております。私事になりますが、某文系の友人に「数式があるだけで本を読みたくなくなる」と言う人もいるので、そういう人もいるんだということを考えると、みなさんのご指摘は大変参考になる貴重なご意見であると考えております。水理学流体力学の分野では、理学系の人から開水路理論などについて「こんなの全然理にかなってない!」なんてご意見も聞かれますが、これはこれで面白い分野ですので、是非読んでいただければと思います!--青子守歌会話/履歴 2008年11月10日 (月) 18:33 (UTC)[返信]

(審査員の遅いコメント)いやぁ、気合の入った加筆、ありがとうございました。これだけ科学的説明を加えるのは大変だったと思います。天晴れです。しかし、ご指摘があるように、「普通の人」の存在が抜けてしまっているのは少し問題です。もちろん、科学的説明、数式での説明は大切です。しかし、それは果たして「開水路」という名前の項目の2章目からはじめるべき事でしょうか?と考えるとやはり疑問なのですよね。むしろ最初は、開水路の歴史、所在、分類・区分などをたくさんの例を挙げて説明し、その後歴史を絡めて技術の推移などを示したうえで、ようやくベルヌーイの定理だと思うのですよね。つまり、まるで野球のピッチングの本を買ったら、2章めから球とその回転と空気抵抗がもたらす物理学について記述されていて、球種やフォームの説明がまったくなかったら困りませんかね、というのがワタシの言いたいことなのです。もしタイトルが「開水路の技術」であれば、何の問題もなかったのですけど。--レイキャビク 2008年11月15日 (土) 08:40 (UTC)[返信]

(お返事)コメントありがとうございます。歴史(あるいは技術の推移)についての記述が全くないという点につきましては、全くご指摘の通りであると考えております。「開水路」についての記事であるのであれば、歴史やその他まだまだ必要な記述がたくさんあることは間違いなく、そういう点において本加筆(時点の本記事)は十分な百科事典の質を満たしていないと言われてもしかたないと思っております。この点につきましては私も特に反論すべき点はないと思いますし、そのとおりであると考えております。--青子守歌会話/履歴 2008年11月15日 (土) 12:52 (UTC)[返信]

(執筆者コメント2)たくさんのコメントをいただき、その中で「開水路を説明する記事としてこの記事は妥当であるのか?(数式等は不要ではないか)」とのご指摘につきまして、加筆した者として1つの考えを述べさせていただきます。以上でご指摘がありますように、本記事には「開水路の歴史」といったいわゆる「文系的」な要素が一切含まれておりません。歴史につきましては、例えば水理学#歴史で書いたような流れの中で一部開水路に関することがあるものの、私の力不足もあって開水路全体(あるいは一部のまとまり)の歴史についてまとめた情報源と言うのが見つけられませんでしたので、加筆することができませんでした。というよりは、加筆準備の段階でそのような資料が見つけられませんでしたので最初から歴史的・文化的側面からの加筆はあきらめていまして(=他によい情報源をお持ちの方にお任せすることにする)、私の出来る内容として『本加筆の方向性』を「工学的記述」としたため、このような記事(加筆内容)となっております。そして、このような「工学的立場」にたった記述を行なったため、どうしても「理論」を持って「現象」を説明する、つまり「理論先行・現象例後述」式の形となって表れてしまっているのではないか、と思います。このような方式が「良いのか悪いのか」「他の方式より優れているのか劣っているのか」という点につきましてはjawpに限らずさまざまな場所で論争・議論があるだろうと思いますので、その点に関しましては正直申しまして皆様を納得させるだけの力はなく、また私自身もどちらが正しいのか分かっておりません。が、ともかくも、本記事がこのような構成・内容になっている大きな要因の少なくとも1つは、そもそも当初に宣言いたしました「加筆の方向性(記事の概要)」が「工学的立場からの記述を主とする」としたからであるだろうと思っております。--青子守歌会話/履歴 2008年11月15日 (土) 12:52 (UTC)[返信]

ナマズ目[編集]

9/30最終版:2008年7月28日 (月) 11:44 - 10/31最終版:2008年10月26日 (日) 21:39 - 差分

  • (ライバルコメント)生物系の記事は、各種の記事は優れていても、分類系統上の目・科の記事は単なる箇条書きに留まっているところが多いように思うので、この記事は、一般的な特徴や簡単な説明付きでの分類の紹介など、他の記事にも敷衍していけたらと思う内容になっていると思います。写真が多種多様に用意されているところが実に素晴らしいと思います。--Tam0031 2008年11月2日 (日) 07:57 (UTC)[返信]
  • (回答)コメントありがとうございます。分類群の記事では目・科・属・種それぞれどのように内容を分担すべきか、非常に難しい問題だと思います。ナマズ目は35科を抱える大所帯ですので、全体を概観するという目標が自明であり、その意味では書きやすかったと言えます。達成できているかは別問題ですが…。写真はコモンズに優れたものが多く登録されており、選ぶのが大変なほどでした。ただどうしても観賞魚として人気のある特定の科に偏りますので、今後マイナーな科においても増加していくことを期待しています(他力本願です)。--Konowata 2008年11月3日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)「加筆の方向性」で書かれているような「生物学的な視点」からの記述は概ね達成されていると思いますので、後はTam0031さんの言われているような情報の伝え方など記事の構成等を修正していけばよいかと思います。また、せっかくですので文化や歴史方面での加筆もこれから先行なわれていくとよりよい記事になるのではないかと思います。--青子守歌会話/履歴 2008年11月2日 (日) 18:44 (UTC)[返信]
  • (回答)コメントありがとうございます。なるべくわかりやすい構成・文章を目指していますが、この一ヶ月でナマズ漬けになった自分の頭ではなかなか気付きにくいものがあります。全体的あるいは個別にお気づきの点がありましたら、いつでも遠慮なくご指摘ください。今回用いた参考文献にはナマズの歴史・文化に関する記述も豊富にあり、今後反映させていきたいと思います(期間中にとりあえず鯰絵を加筆しました)。なお文化関連は「ナマズ」の項目に記述したいと考えています。--Konowata 2008年11月3日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
  • (コメント)画像の使い方も適切であり、「ナマズ目」というカテゴリーの総括としては、十分な記事に育ったと思います。「食材としてのナマズ」をここに適切かどうかは分かりません。むしろ、それぞれの種で書いたほうがいいのかもしれません。--Tantal 2008年11月3日 (月) 02:55 (UTC)[返信]
  • (回答)貴重なご指摘ありがとうございます。仰る通り、現在の「食材としてのナマズ」は日本のナマズ科に偏っており、ナマズに譲った方がよい内容かもしれません。ナマズ目魚類と人間とのかかわりを説明するにあたって、食用魚としての利用はやはり重要ですので、世界各地でのナマズ類の漁獲量や養殖の実態、魚粉に加工した上での飼肥料としての利用についての記述を増やしたいと思います。すぐには資料が集められませんので、今後の課題とさせて頂きたく思います。--Konowata 2008年11月3日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
  • (追記)「食材としてのナマズ」を廃し、新たに「漁業」を置きました。まだ漁獲量の記述がほとんどでありますが、ナマズ目における項目として適した内容には多少近づいたかと思います。削除された日本でのナマズ利用に関する記述は、後日修正を加えた上でナマズの項目に加筆したいと思います。--Konowata 2008年11月12日 (水) 14:09 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターコメント)当初は非常にに小さく情報がほとんどない記事でしたが一か月間の間に大きく変化したと思います。一か月でこれだけの加筆をするのは大変な事で素晴らしいことだと思います。ナマズ目の各種についてや分布や体についてとても良く書かれていたと思います。--ABC-0120 2008年11月3日 (月) 06:14 (UTC)[返信]
  • (回答)お褒めの言葉を頂きありがとうございます。ナマズ目はリダイレクトから独立されたばかりの記事で元の分量が少なく、その分自由に構成できました。加筆の対象として手をつけやすかったという面はあると思います。--Konowata 2008年11月3日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)知りたいことが知りたい順に書かれているすぐれた記事だと思います。主要な特徴である「脂鰭」の説明ができれば図で欲しいです(この記事というよりは魚類の説明不足?)。また「水揚げされたナマズ」の文は種類が分かれば書いたほうがよいと思います。分からなければ「ナマズの一種」とした方がよいのでは?また、科だけでも、日本語版で記事が無いものはできれば英語版へのリンクがあると有用かと思います。特に日本在来のナマズについては日本語の記事もあるといいなと思います。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
  • (回答)改善点の具体的なご指摘、ありがとうございます。脂鰭の画像はありましたがサケ科魚類のものでしたので[1]、本文に簡単な説明を加えました。脂鰭そのものはナマズ目に限らず複数の群で共有される形質ですが、機能的・系統的意義はあまりわかっていないはずですので、魚類の項目にもそう詳しくは書けないと思います。キャプションについては、ご指摘の通り「ナマズの一種」に訂正しました。種はわかりませんでしたが、脂鰭があるのでナマズ(S. asotus)でないことは確かです。ありがとうございます。科についても、英語版へのリンクを付加しました(科以下の記事を今後どのように構成するか、悩ましい問題です)。日本在来のナマズについても、せっかく良い参考文献が手元にありますので、文化関連と同様に加筆・立項していくつもりです。本当は期間中にやりたかったのですが、力尽きました。しばらくナマズ以外の魚でリフレッシュしてから着手する予定です。--Konowata 2008年11月3日 (月) 12:47 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)写真が豊富で見ていて楽しいですし、幅広い項目が記載されて読み応えがありました。無いものねだりではありますが、「形態学的特徴」、殊に「外部形態」では、説明に合うイラストがあれば、より判りやすく親切かと存じます。構成としては、説明が続いたあとに「化石記録」、そして「分類」とつづけたら、読む流れが途切れなくて良いかなと存じました。これは執筆方針にもよりますが。なんにせよ、大分な記事の編集お疲れ様です。東 遥 2008年11月6日 (木) 14:39 (UTC)[返信]
  • (回答)コメント&ねぎらいのお言葉ありがとうございます。お返事が遅くなりまして申し訳ありません。外部形態に関しては、ナマズならではの「棘」を示した図は個人的にも欲しいところであると感じています。より重要なのは鰭の位置ですが、こちらは今のところ魚類の項目を参照して頂くしかありません。残念ながら…。「化石記録」についてですが、現生種→化石種という流れを漠然と意図していました。ただ文章量の面で「分類」とのバランスを著しく欠いていたこともありますので、ご指摘の通り節の位置を移動してみました。--Konowata 2008年11月12日 (水) 14:09 (UTC)[返信]
  • (コメンテータ・コメント)加筆、お疲れさまです。分類の「目」についての記事とのことですが、生物学はよく分からないながら、たいへん内容的に充実したものとなっているように拝見させて頂きました。ごんずいはナマズ目の魚だったのかと知りました。ナマズが毒刺を持っているとか、色々な点で興味深い記事でした。多数の写真があり、これも驚きと共に、「目」の記事には相応しい、すばらしいこととも拝見させて頂きました。充実した記事を有り難うございます。--Stella maris 2008年11月15日 (土) 14:00 (UTC)[返信]
  • (回答)過分なご高評を頂きありがとうございます。ナマズ目は数ある魚類の目の中でも、特に個性が強い一群ではないかと個人的には思っています。共通した「ナマズらしさ」を保ちながら、あれほどの形態学的・生態学的多様性を獲得した背景が今後どのように明らかにされてゆくのか楽しみです。内容については、「漁業」の項目を含め、まだ加筆の余地があると思います。現時点で研究史に関する記述は手付かずですが、いつかまとめることができればいいな、と考えています。--Konowata 2008年11月16日 (日) 11:34 (UTC)[返信]

迫撃砲[編集]

9/30最終版:2008年9月21日 (日) 17:13 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:58 - 差分

(ライバルコメント)構造・長短・歴史・一覧とおおむね必要事項を満たしていると思います。攻城砲から歴史を解き明かしているのは興味深いです。いくつか指摘事項を。

  • 間接照準や直協支援火器といった言葉は、漢字から何となく意味が分かるものの、内部リンクか簡単な説明が欲しいです。
  • 「命中精度が低く (中略) 、本砲の有用性を示している。」の節は、短所と長所の部分が105mm野砲の説明なのか、120mmクラスの迫撃砲の説明なのかが分かりづらいです。
  • 能力特性や迫撃砲の一覧の節はテーブルを使う意味があるのでしょうか。
  • 日本のことを本邦と参照しているところが2箇所あったので直しておきました。--Tam0031 2008年11月2日 (日) 07:57 (UTC) 誤記修正--Tam0031 2008年11月2日 (日) 07:59 (UTC)[返信]
(回答)
分野Bの方から「興味深い」と言っていただけたのは嬉しかったです。以下、各指摘に対する回答を記します。
  1. 「加筆の方向性」に「入門者にも分かり易く」としているにも拘らず、上記のような用語に何の説明もしていないのは手落ちですね。指摘の通りですので、折を見て加筆しておきます。
  2. う~ん…分かりにくいですか?そもそも迫撃砲の概説を書く場所ですので、主語は省いても自明だと考えたのですが。ただ、元々二つの段落だった文章を一つにまとめたので、つながりが悪いですね。ともかく、Tam0031さんほどの文書力のある方が「分かり辛い」という意見を提示なさっているのですから、改善します。※…「鉄道車両」を拝読した感想
  3. 最初は表を使っていなかったのですが、冗長になるため表にしました。「能力特性」の節は画像を貼り付けるのも相応しくなく、かと言って文章だけだと箇条書きが延々と続き読み難かったためです。また、「一覧」の節は掲載数も増え、加筆前の書き方だとページが伸びるばかりだったためです。個人的には、貴兄の「鉄道車両」は一部の節が少し長く、もう少し小見出しなどを付けたほうが見映えも良く読み易いのではないかと思いましたが、これは好みの問題かもしれませんね。
  4. 了解しました。Wikipediaでは「本邦」という言葉はNGなのでしょうか?(「日本」で統一するなどのガイドラインがある?)--Hisamikabunomura 2008年11月2日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
(コメント)個人的には、まず迫撃砲の長短を述べた文章を書き、その後に105mm野砲を置き換えていることも有用性を示しているという文章を続けるという、2文の方が分かりやすいと思います。前から読んでいくと、「命中精度が低く」以下の文章が105mm野砲の長短を示しているのかと思ってしまいました。よく読めば分かるのですけど。
「本邦」についてですが、ここは「日本版」ではなく「日本語版」Wikipediaなので、読者・執筆者が日本人であることを前提にしてはいけないことになっています。日本語話者であることを前提にするのは構わないのですが。「わが国」とかも駄目です。事実上日本語を話すのが日本だけになっているのであまり違和感が無いのかもしれませんが、英語版でイギリス人が「わが国は」と書いたら、アメリカ人やオーストラリア人は違和感がありますよね。そういうことです。--Tam0031 2008年11月2日 (日) 14:39 (UTC)[返信]
(回答)
「分かり辛い」ことにようやく気付きました。確かに、普通に読めば105mmのほうに係っているように読めますね。これは、「人によって」というレベルではない。それから、本邦云々の件も目からウロコが落ちました。ご指摘、ありがとうございます。とても感謝しています。--Hisamikabunomura 2008年11月2日 (日) 15:01 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)主題が日常生活であまり関わりのない(イメージしにくい)ものでありますが、一応「一般の人」にも理解できるようなないように仕上がっているよい記事だと私は思います。ただ、既に指摘があるテーブルの使い方やあるいは歴史の節の書き方(何故見出し機能による区分を使わなかったのでしょうか?)など、少々記事の書き方が特徴的過ぎて他の記事との整合性という点から考えれば少し問題ありかな・・・と感じました。見た目のきれいさなどは個人的な好みによるところが大きいのは確かにそうですが、一方でjawpでは今まで膨大な記事が書かれてきた中である程度のスタイルというものが確立されて受け入れられてきていますので、そういう観点からもう少し見た目に気を配るとよかったのかなぁとも思います(あるいは、見た目に気を配りすぎてしまった結果なのかもしれません。また、冒頭の画像:Shells trajectory05.pngのキャプション部分も、キャプションにするのではなく本文に組み込んでしまったほうがすっきりするのではと思います。まぁただこのあたりはいわゆる「草取り」の部分ですから、そこまで気にする必要はないと思いますし、内容については私は特に問題があるように感じませんでした。--青子守歌会話/履歴 2008年11月2日 (日) 18:44 (UTC)[返信]

(回答)
コメント、ありがとうございます。
ご指摘のスタイルやレイアウトに関しては、既にどなたかが変更して私が作成したときよりも見難くなってしまいました。もはや表の意味もありません。。
冒頭の弾道部分については、迫撃砲の理解のためには重要なのですが、なにぶん他の火砲のことに大きく言及するので本文には相応しくないかな…と思ったためです。Jawpについては、よく読んでおきます。
青子守歌さんの「開水路」を拝見した瞬間、私の加筆記事は分野Bではないな…と思いました。力作ですね。--Hisamikabunomura 2008年11月3日 (月) 01:54 (UTC)[返信]
(コメント)ウィキペディアはその名の通り「ウィキ」システムを用いた百科事典ですから、「見難くなった」と思われたら修正されればよいと思いますよ(ただし編集合戦にはご注意を)。それと、分野に関してですが、私のエントリー記事の主題がたまたまあぁいうガチガチの工学記事なだけで、迫撃砲も十分分野B(自然科学)に入ると思いますからあまり気にしなくていいと思いますよー。--青子守歌会話/履歴 2008年11月3日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクール前に比べて記事の内容が増えたと思います。写真を載せたり長所・短所を表にしたり構造や仕組みについて分かり易く説明したり参考図書を載せたりしていてとても良かったと思います。--ABC-0120 2008年11月3日 (月) 06:41 (UTC)[返信]

(回答)
ありがとうございます。あ、表は不評だったんですが、ABCさんには賛同してもらえた…のかな?もうレイアウトも崩れてしまったので今更ですが、自分はダラダラと文が続くのは見苦しく感じてしまうので工夫したつもりだったんですが。
とは言え、皆さんが時間をかけて合意した慣習もあるようですし、そのあたりも追々勉強してまいります。--Hisamikabunomura 2008年11月4日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)編集お疲れ様です。ざっと見たところですが、幾つか指摘させていただきたいと存じます。一つは、「近世」の節の末尾で「城郭の様式はヴォーバン式に代表される星型稜堡式要塞へと変貌していく。」と御座います。火力の向上に対応して防塁側の形式が変わる事は判りますが、何故、星型稜堡式になるのか、それがどのようにして大火力に対応するのかの説明も簡単にあれば宜しいかと存じます。もう一つは、他の方も触れていますが、「能力特性」の表について。まず、この表の意味について。この表で何を言わんとしているか、一見して良く判りませんで、暫く内容を追うと、当該兵器の特徴・特性、殊に他の兵器・砲と比較しての長所・利点・短所・欠点、であると判りました。この節の冒頭に、その旨の説明を入れていただくと親切かと存じます。次に、この程度の分量や内容であれば、表にするよりは、項立てした方が良いのではないかな、と存じました。併せて、長所・利点、と、短所・欠点、という項立てで分類してまとめたら、わかりやすいかと存じます。全般には、歴史・種別・発達他の要素を手際よく取り上げてまとめていらっしゃる、図や写真も適切に用いられてわかりやすいと存じます。東 遥 2008年11月3日 (月) 11:28 (UTC)[返信]
(回答)
城砦の変化については、それこそ書きたいことが山ほどあったのですが…結構ボリュームのあるテーマでして、書き出すと「迫撃砲」という記事から大きく逸脱してしまうので、控えた次第です。むしろ、火砲そのものの記事、あるいは城砦の記事で詳述したい項目ですね。しかし、ご指摘のように「簡単に」書けないか検討してみます。
長所・短所に分ける件ですが、投稿前の段階では一時期そのように分けていました。ですが、なかなか短所と一概に言えない項目もあったり、概ね長所であるが、一部短所も含む項目があったりと、グレーな項目もありましたので取り止めていた次第です。表については、否定的意見のほうが多いですね。やはりJawpでは慣行を大切にするスタンスでいらっしゃるのでしょうか?
評価いただいた点、ご指摘ともに感謝します。審査員の方もボリュームのある文章を読んでいかねばならないので大変かと存じます。ありがとうございました。--Hisamikabunomura 2008年11月4日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
  • (コメンテータ・コメント)加筆、お疲れさまです。広い範囲の書籍を元に様々な内容が加筆されています。古代の投石機まで出てきているのには驚きましたが、他方、疑問も感じない訳ではありません。画期的なのは、対戦車砲や野砲、カノン砲などとの飛翔軌道を描き分けた図だと思います。この図を眺めていて、何故軌道が放物線になっていないのかと考えたのですが、尾翼によって垂直落下するように軌道修正しているということのようで、納得しました。そこで、最初は何を書かれているのかまったくというか殆ど理解できませんでしたが、垂直に近い形で弾を打ち上げ、近傍の敵地に対し、空から弾が降って来るような形で攻撃を加える砲だということが理解できてからは、以降の説明が同義反復のように思えてきました。たいへん失礼な表現でお詫びしますが、「迫撃砲」とはどういうものか、の理解が最初たいへん困難で、一旦理解ができると、それ以降の説明は自明的に出てくるというのは、記事の構成として何か問題があるのではとも思います。……そして詳細な「歴史」の節ですが、これは「迫撃砲の歴史」の話とは別のことのように思います。いま一つ、文章が難しいと感じました。これだけの資料を調べられた苦労はたいへんなことであったと思いますが、記事としてうまく生かされていないようにも思います。たいへん僭越なことを記しましたことはお詫びさせて頂きます。未知の領域のことについて知ることも多かったということを最後に記させて頂きます。加筆、ありがとうございました。--Stella maris 2008年11月15日 (土) 14:00 (UTC)[返信]
(回答)
コメント、ありがとうございます。記入くださっているのに気付かず、回答が遅くなりました。
さて、一つずつお答えしていきますが、「同義反復」については、あえてそのような構成にしています。
私は企業法務が本業ですが、軍事や歴史関係の著述にも20年以上前から関わっております。その中でかなりの参考図書にあたりましたが、迫撃砲が「あえて初速を抑えて反動を地面に吸収させる」ことによって様々な機構を省略・簡素化でき、極めて軽便かつ威力の高い兵器になっているという点について言及している文献は意外なことにほとんどありません。その他の特徴については山ほど情報があるにもかかわらず、です。
今回の加筆記事のように、一旦文章になってしまうと特段難しいことでも目新しいことでも何でもないため、おそらくコメントのような感想をもたれる方も多いだろうと思っておりましたが、前述の「初速を抑えて~」のポイントは極めて重要な点であり、そのため何度も繰り返し強調した次第です。
私自身、「迫撃砲は短所に比べて長所が凄いけど、それは何でなんだろう?」と考えていて、執筆しながら気付いたくらいですから。
「構成に問題があるのでは?」というご指摘ですが、いかがでしょう、例えば「秀逸な記事」の中にも、私の畑違いの分野の記事であれば、私は一度や二度読んだくらいでは、ほとんど理解できないものもあります。むしろ、新規の知識体系に接するときというのは、数回読んで「ああ、なるほど」と思えることのほうが多いような気がしますし、それをもって文章の構成が問題だとは即断できません。私の理解力に問題があるのかもしれませんし。(あ、別に嫌味ではありません)
もっとも、今回の私の加筆記事に限っては、ご指摘のような問題を含んでいるかもしれませんが、私は限られた時間でベターと思われる構成にしたつもりですので、諸兄の改善に期待するところです。ただ、既にある程度完成されたものを修正していくのと、スタブ記事を大幅に加筆するのとでは異なった種類のエネルギーが必要ですので、そのあたりは斟酌いただけると嬉しいです。
次に、「歴史は関係ないのでは?」という指摘ですが、迫撃砲が臼砲などの曲射兵器から派生した経緯というのも迫撃砲の理解のために非常に重要な点だと考えています。間接射撃のために曲射兵器が如何に重要だったかということは、臼砲が登場から600年以上も形態を変えずに存続してきた大きなポイントで、それがストークス型迫撃砲の登場で軽く扱い易い、しかも威力もかなりの兵器に進化したことは特筆すべきことです。
したがって、私個人としては、迫撃砲の記事としては逸脱しているかのような歴史についての部分も、あってしかるべきではないかと勘考する次第です。
「未知の領域~」と書かれていることから軍事関係については入門者の方だとお見受けしましたが、今回の執筆方針がそのような方にも理解し易いように、ということだったにもかかわらず、「殆ど理解できません」というのは痛恨の極みです。まだまだ改善の余地がありそうですので、時間を作ってチャレンジしていきたいと存じます。
最後に、長い記事を読んでいただき有難うございます。Stella marisさんは他の方の記事にもたくさん目を通しておられるようで、本当にお疲れさまです。読むだけでも大変なことだろうと推察いたします。--Hisamikabunomura 2008年11月20日 (木) 11:07 (UTC)[返信]

分野C[編集]

青騎士[編集]

9/30最終版:2008年8月10日 (日) 04:37 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:59 - 差分

(追記)図らずも現在、愛知県美術館と名古屋市美術館に特別展として青騎士と周辺及び同時代の芸術家の作品が集まっています。足を運んでいただけたら、青騎士や表現主義などの現代美術に直接触れることができ、理念などにも共感できるかもしれません。たまには美術館巡りなどいかがでしょうか?

--Risenjudas 2008年11月4日 (火) 10:52 (UTC)[返信]

(加筆者より)締め切りになんとか間に合わせようと駆け込み乗車で投稿してしまったせいで、10/31最終版は少々不備があるものになってしまいました。その後修正を入れましたので、最新版も併せて読んでいただけたら幸いです。

さて今回の加筆では、青騎士が登場に至った歴史からその芸術的理念展覧会及び年刊誌運動の終わり後世への影響まで、総合的に青騎士に迫る記事を目指しました。現段階で個人的に問題だと思っているのは、

  • 内部リンク先記事の貧弱さ - 特に美術関連項目でまだ散発的記述にとどまっているもの、あるいは赤リンクが散見されます。今後充実させていく必要が切にあります。
  • ドイツ語からの翻訳 - 本項目はドイツ語版よりも大きなものになっていますが、ドイツ語版から参照した部分は表現に不十分なところがあります。私もドイツ語版を読み直すつもりですが、併せて査読して頂けたらありがたいです。
  • スマートではない日本語 - 翻訳の問題もあり、また私の表現力不足もあります。
  • 「関連項目」「外部リンク」 - 余分なものが多いかもしれません。

完璧とはいえませんが、元記事からはかなり成長させられたものと思います。建設的な批判分析、率直な感想や意見をぜひお聞かせください。--Risenjudas 2008年11月2日 (日) 04:29 (UTC)[返信]

  • (コメント)ドイツ語は解さないので、ぱっと見の印象ですが、少なくともドイツ語版より充実しているのではないでしょうか。私自身がびっくりしたのは、ジークフリートの記事を読んだ後に青騎士の記事を読んだからなのかもしれませんが、ここでも、「ワーグナー」の名前が出てくるかということと、やはり、ヒトラーの芸術破壊は相当たるものだったのだなということですね。気になるのは、脚注でドイツ語版ウィキペディアをそのまま持ってきたこと。ドイツ語版は、あまり、脚注をつけない方針なので、英語版からの翻訳記事と比べて、検証可能性を細部まで満たそうと試みた場合、苦労しそうだなということです。何はともあれ、お疲れ様でした。--Tantal 2008年11月3日 (月) 07:05 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)普段まったく読むことのない分野の記事ですが、興味深く拝見いたしました。記事そのものに関してではありませんが、ガブリエレ・ミュンターという人物は『ムルナウ出身であったミュンターの家は「ロシアの家」と名付けられ、またたく間に青騎士の芸術家たちのたまり場となった』とあるように青騎士において重要な位置を占めていたことが伺えます。リンクの充実についてはRisenjudasさんご自身が述べておられますが、ミュンターについては特に立項が待たれるところだと思います。-- 2008年11月3日 (月) 07:55 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)拝読いただきありがとうございます。普段読む分野ではない、とのこと、そうした記事を読むのは時としてなかなか骨の折れることだと思います。これを機に少しでも関心を抱いてくれたら、加筆者としてこれ以上嬉しいことはありません。
ご指摘の通り、「ミュンター」の記事は欲しいところです。他にも青騎士周辺の芸術家にまだ数人、そして青騎士成立の重要な契機となった「ミュンヘン新芸術家協会」がまだ赤リンクです。今後、記事立ち上げも検討しています。--Risenjudas 2008年11月4日 (火) 10:52 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクール前は画家の名前一覧と画家の記事がある場合は記事へのリンクがある程度の記事でしたが加筆が行われたことにより青騎士についての情報が多くなり青騎士に関する歴史や理念、メンバーなどについて詳細に書かれていたり絵を載せていたりして大きく発展したと思います。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 10:53 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)コメントありがとうございます。そう言っていただけると加筆者冥利に尽きます^^ 今後もさらに記事を発展させていけたらと思います。--Risenjudas 2008年11月4日 (火) 16:37 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)情報が充実し、図も充実したものと存じます。加えて、読みやすい文章に仕上がっていると存じます。読んでいてちょっと引っかかった点を挙げると、
    • 歴史 - 青騎士の成立、の部分で、「パウル・クレーは公認のメンバーではなかったが」とありますが、この「公認」とは、どのような区分・区別によるものでしょうか。冒頭では、「ゆるやかな結束の~サークル」とありますが、何かしら会員としての認定制度があったのか、それとも「青騎士」なりの特定誌への掲載を持って区別するのか、或いは、後世より振り返って何らかの条件をもって認定するものでしょうか。
    • 同じく「青騎士の成立」で、「ムルナウ出身であったミュンターの家は」とあり、更に「ロシアの家」と名付けられたとありますが、写真のキャプションには「ミュンターの生家(ムルナウ)」とあります。文章とキャプションの因果関係が良くわからないのですが、これは同じものを指していて表現の揺れなのでしょうか、それとも文章で指している家と写真の家は別物でしょうか。
    • 後世の芸術に与えた影響 - ナチスによる弾圧 において、青騎士に属する芸術家が弾圧された旨の記述がありますが、一括して「19世紀半ば以降」であることを理由に弾圧されたという理解でよろしいのでしょうか。それとも青騎士のグループ、或いは青騎士に属する芸術家の個別に理由がつけられて弾圧されたのでしょうか。このあたりの事情ももうすこし詳細にあると宜しいかと存じます。

以上、細かいことで申し訳ありませんでしたが。なんにせよドイツ語版にあたって取りまとめての編集お疲れ様です。東 遥 2008年11月7日 (金) 01:32 (UTC)[返信]

トム・ウェイツ[編集]

9/30最終版:2008年9月27日 (土) 00:31 - 10/31最終版:2008年10月29日 (水) 18:10 - 差分

(執筆者コメント)バイト数的にはそれほど巨大になっていませんが、周辺項目(ウェイツ氏の発表したアルバム、出演映画、特に重要な関連ミュージシャン)の新規作成も並行して行いましたので、ウェイツ氏の活動歴の全貌に迫れるようにはなったかと考えています。加筆の一環として、下記項目(コンクール期間内に作ったもののみ掲載)を立ち上げました。

こちらも簡単に御一読頂ければと思います。-Ikespirit 2008年11月2日 (日) 03:28 (UTC)[返信]

  • (質問)各記事の役割分担を丁寧に行われており、脚注による検証可能性も適切かと思われます。現代を生きる音楽家として、日本語による紹介やレポートもあるかと思いますが、そのあたりは銅でしょうか?--Tantal 2008年11月2日 (日) 04:25 (UTC)[返信]
    • (お返事)日本語による紹介やレポート…案外少ないのです(苦笑)。自宅にある「ミュージック・マガジン」「レココレ」等のバック・ナンバーを読み直しましたが、ウェイツ氏の有用な特集記事は見当たりませんでした(1990年代やそれ以前にまで遡れば結構見つかるかもしれませんが)。ただ、書籍の方は、今回主要参考文献とした『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』以外にもまだあるので、それを入手できれば、また状況は変わるかもしれません。--Ikespirit 2008年11月3日 (月) 01:42 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクール前は作品等の項目へのリンクと簡単な紹介のみでしたが加筆によって評判や著作権の問題、詳しい経歴が書かれて情報が多くなり、いい記事になったと思います。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 11:05 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)トム・ウェイツの業績や人物像やよく伝わってくる良い記事だと思います。他のアーティストによる楽曲のカヴァーが多いようですが、その経緯に関する記述を充実させることは可能でしょうか?資料収集の面でなかなか難しいところがあるとは思いますが、いかがでしょう?-- 2008年11月4日 (火) 14:01 (UTC)[返信]

(お返事)ABC-0120さん、廉さん、ありがとうございます。廉さんのコメントに対してですが、エルヴィス・コステロに関しては、本記事でも加筆したように元々ウェイツ氏のファンなので分かりやすく、ブルース・スプリングスティーンに関しても加筆できそうな感じですが、他のミュージシャンがカヴァーを取り上げた経緯に関しては、まだ「これぞ!」という出典は見つかっていません。ノラ・ジョーンズやスカーレット・ヨハンソン辺りのコメントは欲しい所ですね。--Ikespirit 2008年11月5日 (水) 03:34 (UTC)[返信]

テンポイント[編集]

9/30最終版:2008年9月27日 (土) 17:52 - 10/31最終版:2008年10月29日 (水) 18:20 - 差分

(執筆者コメント)Tantalさんからご案内を頂いたのがきっかけで参加しました。秀逸な記事の選考にかけられるレベルには仕上げることができたかと思います。いずれ選考にかけたいと考えておりますので、お気付きの点がありましたらご指摘頂ければ大変ありがたいです。-- 2008年11月2日 (日) 02:17 (UTC)[返信]

  • (質問)ナリタブライアン以降、競馬分野は、秀逸な記事の書き方が出来上がっており、安心して、加筆の方向性を見守ることができました。死んでから30年経過する同馬を加筆するに当たり、資料収集で困難な側面もあったと思いますが、そういった加筆するに当たり、苦労した側面を教えてください。--Tantal 2008年11月2日 (日) 04:19 (UTC)[返信]
  • (加筆者回答)おっしゃる通りテンポイントは1970年代後半の馬ですので、本来は主要な文献が参照困難な状態にあることを覚悟しなければならないと思います。ただ、今回はたまたま『流星の貴公子テンポイントの生涯』が2005年に出版されたばかりの新書で、入手が容易でした。私の場合過去の経験から、記事の骨組みを作ることができる主要な文献が見つかればあとは手持ちのあの本や雑誌を見て・・・というセオリーがある程度確立しているので、今回は比較的スムーズに作業が進みました(ナリタブライアンの時は本当に苦労しましたが、あの時の経験が活きているのだと思います)。もちろん途中で近隣の図書館に足を伸ばす必要のある文献も出てきましたが、負担の程度はあまり重くはなかったです。これがたとえば、主要文献として目星をつけた本が絶版本で近隣の図書館に所蔵されていないという状態であればかなり辛かったでしょう(実際にこの問題がネックとなってなかなか加筆を実行できずにいる記事もあります)。困難といえば話が少し逸れますが、画像が一枚くらい欲しかったのですが、今から撮るとなると吉田牧場にある墓くらいしか思い浮かびません。しかし北海道まで足を伸ばすのはさすがに無理でした。-- 2008年11月2日 (日) 08:48 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)自分は競馬に関してはなんの知識もありませんでしたが、「テンポイント」という馬に対して応援したい、手に汗握る気持ちになりました。思い入れがあればこそ書き得た良い記事だと思います。体裁も美しいですし、査読したわけでではありませんが豊富な脚注も客観的研究のあとがうかがえます。単なるデータベース的記述にとどまらず、死後の影響などに触れていた点が特に良かったです。--Risenjudas 2008年11月4日 (火) 11:09 (UTC)[返信]
  • (加筆者コメント)高い評価を頂けて光栄です。私はテンポイントをリアルタイムで見ておらず、この記事でエントリーしたきっかけはちょうど手頃な資料が手に入ったことだったのですが、資料を読むうちになるほど人気があったはずだとテンポイントに惹かれてしまいました。客観性の中にもそういった気持ちが反映されているとすれば嬉しいことです。「死後の影響」については普通なら出典の確保が難しいと思われる箇所もあったのですが、人気の高い馬で資料が豊富なのが幸いしました。-- 2008年11月4日 (火) 13:42 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)加筆をしたり問題になっていた出典不明を解決して沢山の出典を載せるなどして出典のはっきりした記事になったと思います。出典の表示の仕方も工夫してあり出典を探すのは大変だった思いますが内容の量も増え、良くなったとおもいます。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 11:15 (UTC)[返信]

(加筆者コメント)出典の問題が解決できたのは私としても何よりでした。今回の加筆では出典を探す中で削除したりコメントアウトせざるを得ない記述が少なかった印象があります。そういった意味でもいい作業ができたと思います。-- 2008年11月4日 (火) 13:42 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)思い入れを感じ取ることが出来ると共に丁寧に文献を引いて安定した記述・表現で、安心してみる事が出来ました。望むらくは美しい馬体、流星が見られる写真があれば、宜しいかと存じます。編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 15:39 (UTC)[返信]
  • (加筆者コメント)ありがとうございます。生前の写真を載せることができれば言うことはないですね。ただ、権利の関係からかなり難しいと思います。-- 2008年11月19日 (水) 13:54 (UTC)[返信]

ジークフリート (楽劇)[編集]

9/30最終版:2008年9月2日 (火) 11:18 - 10/31最終版:2008年10月27日 (月) 18:10 - 差分

(ライバルコメント) 私はこの作品の詳細をまったく知らなかったのですが、興味深く拝見いたしました。2点ほど感想を。

  • 私はまずこの記事で述べられている物語のストーリーがどのようなものであるか知りたいと思い、「構成」や「物語」のところから読み始めました。これはあくまでも私がストーリーに一番の関心を持っていたために抱いた感想で、まったく異なる感想を抱く方もいるだろうという前提で申し上げますが、「構成」や「物語」を前半に持ってきた方が構成的に読みやすかったと思います(「作曲の経緯」や「初演」は記事の前半に位置していますが、これらは私にとっては一番関心の薄い事柄でした)。また、「ジークフリートの出生について」で書かれている情報に「構成」を読む前に触れていれば、「構成」内に記述されているストーリーの理解がより容易であったと思います。話を総合しますと、「構成」「物語」内の記述の組み合わせを工夫しつつ、記事全体の中での「構成」「物語」の位置について改変する余地はないかということです。
  • 「構成」の節にある『ミーメの「思案の動機」、「財宝の動機」、「ニーベルング族の動機」、「苦痛の動機」』の「動機」とはモチーフ (音楽)のことでしょうか?そうだとすれば音楽的な専門用語がリンクや脚注で補われることなくいきなり登場していることになり、やや問題があると思います。-- 2008年11月3日 (月) 01:19 (UTC)[返信]
  • (審査員質問)リヒャルト・ワーグナーの傑作『ニーベルングの指環』4部作。前回の「ラインの黄金」に劣らず、充実した記事になったと思います。なんか、紆余曲折があって、この音楽が出来上がったかと思いますが、そうなるとやはり気になるのは、『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ですね。次回も期待します。また、この記事をいずれ、FAに通すと仮定した場合、どういったあたりを加筆しないといけないか(もしくはこれ以上の加筆は、『ニーベルングの指環』に託すのか)を教えてください。--Tantal 2008年11月3日 (月) 03:22 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)この記事を見ながら「ジークフリート」を聞いたらいっそう楽しめるような内容になっていると思います。事典としては、「ニーベルンゲンの詩」との関係がもう少しあってもよいかなと思います。また、ジークフリート・ヴァーグナーの名前との関係も何かあれば(無いのかな?)どちらかの記事に書いておいて頂ければと思います。また、バイロイト音楽祭などでは確か上演前にファンファーレがあったと思うのですが(ジークフリートの動機だったか)それがワーグナー自身の構想によるものなのか解説も加えていただければ幸いです。なお、動機についてはできればもう少し増やしてもらえるとより分かりやすくなると思います(これは楽譜を書いた人にお願いすべきなのかな?)。--Freetrashbox 2008年11月3日 (月) 08:06 (UTC)[返信]

  • (加筆者コメント)暖かいコメントありがとうございます。興味深い、楽しめるといっていただけると本当にうれしいです。
    • 廉さんのご指摘については、なるほど、と思わせられました。「ジークフリートの出生」は、「構成」の前に置くことも考えたのですが、オペラ中では後にミーメやさすらい人が明かす内容なので、先に書くとネタバレになることと、かといって劇中の該当箇所に挿入すると物語の流れが止まる感じがするため、後の節にまとめたというのが実態です。このあたりは、記述の視点をどこに置くかで変わってくるところだと思います。クラシック音楽を解説する場合、作曲の経緯や編成などのデータ的なものがまず先にあって、内容はその後というのが一般的なスタイルです。しかしオペラの場合はストーリーがあるので、最初の方で簡単なあらすじを別に設けた方が読みやすいかもしれませんね。
    • 「動機」とはご指摘のとおりモチーフ (音楽)で、とくに『指輪』四部作ではライトモティーフと呼ばれます。ここはリンク付けしておくべきでした。ということで、記事を修正しました。
    • Tantalさんのご指摘については、『マイスタージンガー』は私が以前に書いたものですが、最近白水社から詳しい解説本(この『ジークフリート』も多くを依っているシリーズ新刊)が出たので、改訂した方がいいかもしれません。その前に『トリスタン』かな(気が遠くなってきた)。「秀逸」は個人的に狙っていないのでお答えしにくいですが、今回書けなかったと思うのは、初演時の反響やその後の影響面です。ただ、おっしゃるとおり『ジークフリート』一作だけに限っていえることはあっても少ないと思いますので、総論的にまとめたものをだれか書いてくれないかなあ、とf^^;。
    • Freetrashboxさんのご指摘については、「ニーベルンゲン伝説」についてそれほど触れていないのはその通りです。手元に資料がないことと、オペラのもともとのベースになっているためにかえって書くことが難しく、部分的な相違点を示すにとどまっています。ジークフリート・ワーグナーについては、「物語」-「ワーグナーの自己投影」で触れたつもりですが、不十分でしょうか。上演前のファンファーレについて私はよく知らないので、よい資料がありましたら教えていただけると幸いです。ライトモティーフについては、過去の「ラインの黄金」、「ワルキューレ (楽劇)」を含めて記事でどう扱うかまだ固まっておらず、挙げ方もかなり適当だったという自覚があるので、今後『神々の黄昏 (楽劇)』の加筆がもし終わったら、再度全体的に見直す必要があるかもしれません。--みっち 2008年11月4日 (火) 09:22 (UTC)[返信]
      • ごめんなさい、「ワーグナーの自己投影」の節は見落としていました。十分な記述だと思います。ファンファーレについては昔ラジオで聞いただけなので良く覚えていません。すでにバイロイト音楽祭にそれらしい記述があるからこの記事には不要かもしれません。あやふやでごめんなさい。--Freetrashbox 2008年11月4日 (火) 11:20 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)写真や絵やイラストも取り入れて劇の内容がとても詳しくなっておりコンクール前は簡単な説明のみとなっていたのと比べてとても記事の内容が充実したと思います。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 11:38 (UTC)[返信]

(譜例作者より)Freetrashboxさんのご指摘を頂戴して考えたのですが、ライトモティーフの譜例を単に増やすよりも、主なライトモティーフの前の部分に書いてあるモティーフの展開についてわかりやすい譜例を示すべきだろうと気づきました。この考えに基づいて譜例を作成し直しました。ご覧いただき、コメントを頂戴できれば幸いです。あと、バイロイト音楽祭のファンファーレは演目によって変わるのではなかったかしら・・・(かすかな記憶で、不確実情報です。すいません)--汲平 2008年11月4日 (火) 13:07 (UTC)[返信]

  • (加筆者再コメント)ABC-0120さん、加筆前と比較いただいての評価、ありがとうございます。他にお気づきの点などありましたらまたご指摘願います。汲平さん、譜例を修正していただき、感謝します。より文脈に添った画像となり、現時点では理想形だと思います。--みっち 2008年11月5日 (水) 08:26 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)イラスト・写真が充実し、文章も読みやすく適切に加筆されたと存じます。作品そのものに加えて、その作成の事情や周囲の状況も含めて参考になる記事になったと存じます。編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 15:51 (UTC)[返信]

ギリシア神話[編集]

9/30最終版:2008年9月16日 (火) 22:35 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 23:48 - 差分

(執筆者コメント)意見がありましたら、予断なくコメントを記して頂ければ結構ですので、先に記していましたことは削除致しました。申し訳ありません。--Stella maris 2008年11月2日 (日) 16:59 (UTC)[返信]

  • (審査員質問)ギリシャ神話の概要、また、古代ローマ時代までの神話の受容に関しては、とても分かりやすい文章だったと思います。気になる点は、やはり、古代から一気に近現代に研究の系譜が飛んでしまうことかと思います。ヨーロッパは、途中でルネサンス(文芸復興)を経験しているだけに、中世世界におけるギリシャ神話の受容はどうだったのかを知りたいところであります。--Tantal 2008年11月3日 (月) 06:32 (UTC)[返信]
  • (加筆者・回答)できるだけ、簡単にお答えさせて頂きます。
  1. まず、今回の加筆は「ギリシア神話概論」という部分の加筆であった。ところがみっち様に話をしますと、希望として幾つかのことを加筆してほしいとのことでした。そこで、「古代ギリシアの英雄」について予定していたよりもずっと詳しく説明を書きました。また「ギリシア神話を人々は信じていたのか」という問題についても、予定になかったのですが、節を造り記したという経緯があります。課題としては、「宗教と神話」「哲学と神話」などもあります。
  2. いま一つ、「ギリシア神話が後世に与えた影響・西洋の芸術に与えた影響」という課題があります。Tantal様が求めておられるのは、このあたりです。英語版では、この主題が一番最後に置かれています。
  3. では、どういう影響だったのか、ということは、実は、現在の版の最後の節である「ギリシア神話の解釈と神話学」に答えを示唆しています。西洋がギリシア神話と見なしていたものは、オウィディウスなどが代表するローマ文学、ラテン語を通じての「娯楽を主とする話」であったというのが、答えの示唆です。これは、ボッティチェルリの有名な絵画が、『ヴィーナスの誕生it:Nascita di Venere)』であって、『アプロディーテーの誕生』ではないということからも分かって頂けると思います。その他の西欧が題材として選んだギリシア神話の場面の絵画や詩や文学も、ゼウスではなく、ユピテルと呼ぶとか、明らかにローマ文学を通じたギリシア神話把握だということが分かります。ルネッサンスは、ローマを通しての古代ギリシアへの憧憬であったとも言えます。
  4. こういうことで、「後世への影響」は正面から取り上げようとすると、相当な準備が必要で、記述も非常に込み入った話になってきます。
  5. また英語版は、「神々の時代」の節の最初にカラヴァッジョの絵を掲げていますが、この絵は、en:Amor Vincit Omnia (Caravaggio) で、エロースの絵ではなく、アモールの絵で、このラテン語の題はウェルギリウスの作品から取られています。
  6. 英語版では、なぜルネッサンスにあってオウィディウスの作品・物語が流布したのかという時代背景などは無視して、『ヴィーナスの誕生』とか色々な作品が出現したという記述になっています。こういう記述でよいのであれば、英語版を参照して、節を追加するのは、そんなに困難なことではありません。
  • (ライバルコメント)大いに読み応えある加筆に、ただ驚嘆するばかりです。あらさがしのような指摘で恐縮ですが以下に記します。
    • 冒頭のΜΥΘΟΛΟΓΊΑ ΕΛΛΗΝΙΚΉはすべて大文字ですが、これはどうしてでしょうか?(ギリシア語もラテン語と同じく、古代には大文字のみで分かち書きをしない、ということが多かったと思いますがそれと関係があるのでしょうか)しかし本文では小文字も多用しておりますし、あえて冒頭のみ大文字にした理由があれば伺いたいです。
    • ホメーロスの原語表記がΟμηροςとなっていますが、これは頭に有気音を示す気息記号を付す必要があるのではないでしょうか?実在したかどうかは置いておくとして、ホメーロスはギリシアに文字が生まれる前の人物なのでどの表記が正しいのか私は分かりませんが、少なくとも大学で習う古典ギリシア語の発音では、気息記号がないとたhの音が欠落することになります。(揺籃期のギリシア語に気息記号があったのか、と問われると疑問ですが生憎知識の持ち合わせがありません。)全部検討したわけではなく、中途半端で申し訳ないのですが他にも気息記号の欠落は結構あるようです。
上で指摘した2点はどうやら直接にはStella marisさんの編集ではないようで、なおさら恐縮ですが一応報告まで。以上です。--Risenjudas 2008年11月4日 (火) 11:52 (UTC)[返信]
  • (加筆者・回答)コメントをありがとうございます。過分なお褒めの言葉と感じます。二つの疑問ですが、両方とも、記憶に間違いがなければ、わたしが記したものです。1)大文字を使ったのは、「イーリアス」「オデュッセイア」と「ギリシア神話」の三記事でした。「ウィキプロジェクト:ギリシア神話」で、見出しの後の丸括弧のなかに、古代ギリシア語での表記と、そのラテン文字転写を書くのがよいだろうという緩やかなガイドライン案がありますが、丸括弧のなかに何を書くか、色々な分野の記事でも、必ずしも決まっていないということもあります。古代の碑文などでは、ラテン語もギリシア語もすべて大文字表記だったので、特に重要な三つの記事だけは、大文字表記にしたという経緯があったように思います。将来的にはスタイルが決まって来ると思いますが、特に変更する人もいないので、そのままになっています。個人的には、大文字表記でもよいのではと思っています(スタイルがガイドラインで決まれば、それに訂正することになりますが)。2)二つ目のホメーロスのギリシア語表記は、冒頭の気息音記号とアクセント記号が抜けています。これも、プロジェクトのガイドラインで議論したことがあるのですが、気息記号やアクセントを付けた場合、日本語ユーザーの文字表示環境では、表示されないというケースが多い(存在する)という意見があり、ガイドラインにするのは見送ったという経緯があります。現実に、わたしは古代ギリシア文字のフォントを何種類かインストールしていますが、日本語版では、気息記号を付けた母音はすべて□に近い記号になって表示されません。(ドイツ語版やイタリア語版などでは、気息記号もアクセント記号もわたしの環境で見えるのですが、日本語版では見えないという実情があります)。あと数年経過すれば、おそらく古代ギリシア文字の気息記号付き文字も多くの人に見えるようになるのではと思っています。そのときには、気息記号を付けることをガイドラインにするべきと思いますが、以上のような事情で、気息記号やアクセントを付けた文字を使うと、文字自体が見えなくなるのでは逆効果なので、付けていないというのが実情です。この議論は、プロジェクトのノートに議論の経過があります)。--Stella maris 2008年11月5日 (水) 12:48 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターコメント)加筆前の記事は加筆後の記事と比べると簡単な内容に留まっていましたが加筆によって写真や絵を入れながら作者・著者者や構成から詳しい神話のストーリが書かれており、又出典や参考文献までしっかりと書かれておりとても良い記事に発展したと思います。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 11:53 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)神話の内容ばかりでなく古代から続く解釈や研究の歴史についてもカバーする必要がある、大変大きなテーマに挑まれたことに敬意を表したいと思います。研究史に抜けがある点は少し残念ですが、 それでも素晴らしい加筆をされたと思います。素朴な質問ですが、ギリシア神話にはこれをもって完結するという逸話はないということでしょうか?記事を読んだ限りではそのあたりがいまひとつはっきりしなかったのですが。-- 2008年11月5日 (水) 09:08 (UTC)[返信]

  • (加筆者・コメント)神話の「研究史」は、西欧で18世紀、本格的には19世紀に始まるはずで、それ以前には「研究」というものはなかったと思っています。「神話の解釈」と「学問的な神話の研究」は別のことです。神話をどう解釈するかという問題で、古代においては、それは解釈問題ではなく、信仰の問題であったというのがあり、次に、懐疑主義が出てきて、信仰する心と、造り話、昔の人の想像だろうという二つの考えが並立する状態になり、更にそれが進むと、信仰はなくなり、古代の人が本当に信仰していたのか、という疑問さえ出てきます。この段階になると、宗教ではなく、神話伝承になるので、面白い物語だということになります。中世において西洋の人たちは、キリスト教の神を信仰していたので、当然、ギリシア神話の神々は、古代の無知な人の空想だということになります。あるいは、ブルフィンチが四つにまとめているような「解釈」になります。中世の人がどれを主に考えていたか、個人個人で異なると思います。18世紀頃から、世界の神話を比較するという発想が始まり、例えば、仏教の開祖釈迦は、実在した人間ではなく「太陽の擬人化」だという説などが出てきます。ここで、神話の解釈が、宗教学・神話学などの研究対象になります。それと共に、こういう学問も成立したのです。従って、中世の研究史は意味がない言葉だと思います。「ルネッサンス」やそれ以降での西欧でのギリシア神話の流行は、過去に理想モデルを措定して、これを未来に向けて投射構成しようとする精神の運動で、別にギリシア神話を研究したのではないのです。「ギリシア神話が後世に与えた影響」と「ギリシア神話またはギリシアの古代宗教」の解釈と研究は別のことです。ギリシアの宗教は、ヘレニズムと共に、「生きた宗教」ではなくなるので、つまり、これが「神話」になるということで、その場合、宗教の教え、神学の展開やその研究・議論もなくなります。(古典文献学と神話学は別のことです。文献学はありましたが、中世には神話学はなかったと思います)。不十分な回答で申し訳ありません。なお、ルネッサンスでの西欧のギリシア神話流行の意味などは、追加加筆する予定ですが参考書籍が不確実です。--Stella maris 2008年11月5日 (水) 12:48 (UTC)[返信]
  • (加筆者・質問)廉様にお尋ねしたいのですが、「ギリシア神話にはこれをもって完結するという逸話はないということでしょうか?」という疑問の意味がよく分かりません。--Stella maris 2008年11月5日 (水) 12:48 (UTC)[返信]
  • (質問者回答)ギリシア神話を構成する逸話同士には相対的な先後関係があると思うのですが、最後の逸話はどれか、はっきりと確定しているのかという主旨です。どうも実際の人間の歴史とリンクしているようなので、神話と歴史の境界が曖昧で「ここまでが神話」という線引きが難しいのかな、という気もするのですが。-- 2008年11月5日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
  • (加筆者コメント・返答)お返事が遅くなりました。回答ありがとうございます。ギリシア神話は非常に錯綜している言いますか、恐らくヘレニズムを通じて、なお大量の記録が残ったため、別説・異説を並べて行くと把握困難な状態にもなると思います。確かに、神話での逸話の上で、英雄たちが集結する話が幾つもあり、それらを整理して行くと、「神話上の年代記」のようなものが作れそうな気がします。実際に、ギリシア神話の本には多く、巻末に系図などが載っています。しかし、こういう系図に従っても、矛盾が多数出てきます。歴史のように見えて、あくまで神話なので、時系列は確定しないということです。これと今一つに、古代ギリシアの名家や一般の市民でも、英雄の子孫だと名乗っているので、系図が祖先の英雄に遡り、更にその先は神や女神へと続いて行きます。アルゴナウタイの一人にブーテースという人物がいますが、アテーナイにはブーテースの子孫と称する一族があり、歴史時代にあって、ある社殿の神官職を世襲していたというのがあります。どうも、アテーナイのブーテース一族の祖先の英雄ブーテースはアルゴナウタイのブーテースとは別人ではないのかとも思えるのですが、そこははっきりしません。神話と歴史が比較的明瞭に繋がっている場合は、この人物は歴史的存在、その父親や祖父は伝説・神話の人物だとか判断もできるのですが、英雄の次に伝説時代が来て、次に歴史時代なので、伝説時代がどれぐらいの長さなのか、子孫だと主張する人によって諸説があり、結局分からないことになるのではと思います。(ギリシア神話関係は、資料が非常にたくさんあるのだというのが輪郭が曖昧となる原因だとも思います。パウサニアースの『ギリシア案内記』は岩波文庫でかなり分厚い本で二巻出ていますが、実際はあの四倍の分量があります)。--Stella maris 2008年11月12日 (水) 10:22 (UTC)[返信]
  • (加筆者コメント)こんにちは。ルネッサンス関係への加筆を一応行いました。あれ以上に詳しいことになると、更に参考書籍を調べる必要があります。しかし、西欧、ビザンティン、イスラムの三者のあいだで文物や人物の交流がどうなっていたのか、これは文明史の話になり、実際、かなり省略しました。ギリシア神話とはあまり関係がないからです。おそらく西欧は、キリスト教に抵触しないラテン文学の「娯楽ギリシア神話」は持っていた。しかし、それもあまり公然とは出せなかった。これが15世紀頃から始まる「プラトン・ルネッサンス」において、表面に出てきたのだということが言えるのではと思います。また、ラテン文学の彼方にオリジナルのギリシアを求める傾向が出てきて、ホメーロスの翻訳、その他古典ギリシア神話の翻訳と続いて行ったのではないかと思います。このあたりは、「ルネサンスと古典ギリシア文化」のような別の項目・記事を立てるしかないのではないかとも思います。(個人的な現在の主観としては、ルネサンスにあって、男女の裸身を描く・表現する理由付けとして、ギリシア神話を持ち出して来たのではないかという考えがあります。中世キリスト教は男女の裸身の具体的表現を厳しく規制したという事実があり……今日の原理主義的なイスラームを考えると想像が付きます……、これに対し、女性の裸身の美、男性の裸体の美を表現する理由として、ギリシア神話を題材にしたのでは、とも個人的に想像しています)。各位に感謝致します。--Stella maris 2008年11月12日 (水) 10:22 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)一通りの記述であったものが此処まで充実した事に感動いたしました。大分で読むのは大変でしたが、楽しく読ませていただきました。物語そのものに限らず、成立までの経緯から事後の影響まで触れて充実していると存じます。あまり細かくは立ち入る事ができませんが、気になったところを挙げます。
    • 構成 の節で「膨大な分量を持ち、夥しい登場人物から成る」ことの説明として『古事記』や『日本書紀』を例に挙げるのは妥当でしょうか。記紀を知っているならば、そうか、と連想できますが、一方で適切にギリシャ神話を理解する上でなんらかのミスリードをするのではないかと危惧します。Stella maris さんの加筆ではありませんが、一応。
    • プロメーテウスと最初の女 の節でパンドーラーにつき「すべての贈り物の女」という注釈(括弧書き)がありますが、これは文法的に理解が出来ない表現と存じます。

以上、些細なことですが。大分な編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 16:15 (UTC)[返信]

日本映画[編集]

9/30最終版:2008年9月2日 (火) 17:26 - 10/31最終版:2008年10月31日 (金) 21:26 - 差分

  • (質問)弁士時代から製作委員会方式まで、丹念に調べられており、記事の完成度は、ずいぶん上がったと思いますが、やはり、質問が。
  1. コミック『龍-RON-』の舞台が戦争中の「満州」ですが、映画を題材にした作品とはあるのでしょうか?
  2. 戦前における映画の統計において、製作本数は分かりますが、動員数とはどのくらいあるのでしょうか?
  3. 最近の動きの中で、「不良債権映画」という言葉が出てきていますが、初出はどこでしょうか?

(コメンテーターコメント)記事を大幅に加筆・再構成をしており写真や昔の映画のポスターも交えながら定義についての説明から各国での歴史、各年代・各映画会社での状況が大変詳細に書いてあって非常に素晴らしい記事になったと思います。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)100年以上にわたる日本映画の変遷について、様々な観点から加筆を行うというのは大変な作業だったと思います。映画はたまに観る程度で知らない事柄が多かったのですが、文章が平易かつ丁寧だったので読みづらさを感じませんでした。今後は観客動員数や映画の公開本数、映画館数などのデータを表やグラフにすることができれば、日本映画の変遷をさらに理解しやすくなるのではないでしょうか。あと個人的な感想として「純映画劇運動」について是非立項を待ちたいと思いました。-- 2008年11月5日 (水) 09:08 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント)数多くの視点から大分な加筆がなされ、とても充実したと存じます。また、戦後の部分では、経緯を10年単位で輪切りにして個別に記述していく方法も、簡潔に追いかけることができて良いと個人的には存じます。一つ、五社協定については日本映画の歴史の中でもターニングポイントになると存じますので、簡単に触れると宜しいと存じます。リンクも張るとよいでしょう。分量は多いですが読みやすかったです。編集お疲れ様でした。東 遥 2008年11月15日 (土) 16:40 (UTC)[返信]

ゲオルク・ビューヒナー[編集]

9/30最終版:2008年6月29日 (日) 14:47 - 10/31最終版:2008年10月29日 (水) 21:31 - 差分

  • (質問)JAWPでこういうコンクールに携わると自分が知らない世界を実感するわけで、この記事もそういう記事の1つだったりするわけですが、加筆お疲れ様でした。没後は注目されなかった彼の劇は、現在、どの劇団が中心に行っているのか、また、その本拠地というのも知りたくなります。加えて、日本におけるビューヒナーの評価とはどのようなものなのかも合わせて教えてください。--Tantal 2008年11月3日 (月) 06:38 (UTC)[返信]
    • (執筆者より)こんにちは。運営のお仕事お疲れ様です。ご質問の件ですが、私も翻訳を読んで興味を持っただけでまったくの素人でして、向こうの上演の事情などはよく分かりません(ごめんなさい)。しかしドイツ語版の作品記事を見る限りではかなりの上演例があるようで、特に『ヴォイツェック』は2000年までに420もの演出が確認されているそうです。戦後以降は特定の劇団というに限らず、インディペンデント系を中心に学生劇団や市民劇場でも頻繁に取り上げられているようですね。日本では1928年に新関良三氏によって『ダントンの死』が翻訳紹介されたのが最初で、オペラの『ヴォツェック』とともに『ヴォイツェック』も時おり上演されていますが、認知度は相当低いのではないかと思います(日本の作家や評論家でビューヒナーについて言及しているのを見たことがありません。演劇界では多少違うのかもしれませんが)。ドイツ文学史では偶然にも同じ年に生まれているワーグナー(ちょうど作品記事がエントリされてますね)とヘッベルの二人とともにこの時期を代表する劇作家とされているのですが、日本ではまさに知る人ぞ知るという位置に留まっているようです。--Meridian 2008年11月3日 (月) 17:11 (UTC)[返信]

(コメンテーターコメント)コンクール前の記事は簡単なカール・ゲオルク・ビューヒナーの生涯についての説明程度でしたが、加筆により数倍の大きさの記事に成りカール・ゲオルク・ビューヒナーの人生の詳細や作品がしっかりと書かれており出典や参考文献もちゃんとあって良い記事に成っていると思います。--ABC-0120 2008年11月4日 (火) 12:18 (UTC)[返信]

(執筆者より)ありがとうございます。近いうちに著作の単独記事も立てようと考えていますので、興味がおありでしたら是非そちらのほうも読んでみてください。--Meridian 2008年11月5日 (水) 15:20 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)作家としての活動だけでなく政治活動についても詳細に触れられていて、かなり完成度の高い記事という印象を受けました。記事としての基本的な骨組はほぼ完成されていると思います。今後加筆が望まれる点を挙げれば、ゲオルク・ビューヒナー賞の受賞講演における『それぞれの立場からの優れたビューヒナー論』がどのようなものであるかというあたりだと思います。-- 2008年11月5日 (水) 09:08 (UTC)[返信]

(執筆者より)ご評価に加え、適切なアドヴァイスをありがとうございます。未見であったこともあり参考文献に挙げていなかったのですが、旧版全集のほかにも『照らし出された戦後ドイツ』という本に1951年から1999年までの受賞講演が収められています。所用が入ってしまったのですぐには取り掛かれないのですが、特に代表的な講演内容を抜き出すことはできるかもしれません(まとめるのが難しそうですが・・・)。著作記事の立項ともども挑戦してみたいと思います。--Meridian 2008年11月5日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)ちっとも知らなかった氏に関して、その人となりに触れられる記事だと存じます。あまり細かいところに踏み込めないで申し訳ないのですが以下は読んでいての疑問です。冒頭に「自然科学者」という定義があり、生涯の中でも医学ないし生物学に従事したと読み取れますが、思想家・作家としての著作や業績に較べて、やはり自然科学者としての業績数は少なかったのでしょうか。その少ない業績が注目を集めて招聘を受けるのだとしたら、とても優秀な方だったのだなと存じます。編集お疲れさまでした。東 遥 2008年11月15日 (土) 17:00 (UTC)[返信]
    • (執筆者より)ご評価ありがとうございます。確かに自然科学者という定義に対し自然科学に関する説明が少ないかもしれません。ビューヒナーの科学者としての業績は「ニゴイの神経系に関する覚書」と「頭蓋神経について」の2論文のみで、ビューヒナー自身は文学者としてではなく自然科学者として身を立てるつもりだったようですが、これらの論文における仮説は現在では否定されています。これらの論文は邦訳全集にも収録されているので、可能なようなら「著作」の節に説明を加えておこうかと思います。--Meridian 2008年11月19日 (水) 02:17 (UTC)[返信]

(ライバルコメント)Meridianさんが、ビューヒナー氏の作品「ヴォイツェック」の項目を立てて下さったのは嬉しいですね。私が加筆したトム・ウェイツ及びウェイツ氏の作品『ブラッド・マネー』にも関連した作品なので。早速読ませて頂きました。お疲れさまです。--Ikespirit 2008年11月19日 (水) 05:32 (UTC)[返信]

(執筆者より)まったく関係ないと思っていた名前がいきなり出てきたのでびっくりしました(笑)。遅ればせながらこちらもトム・ウェイツをじっくり読ませていただきました。音楽にもアメリカの文化にもまったく無知なので今まで知らなかったのですが、文学にも関係の深い方のようですね。アルバムの記事も丁寧に書かれていて素晴らしいと思います。機会があれば『ブラッド・マネー』を是非聞いてみたいですね。映画は『コーヒー&シガレッツ』をたまたま観たことがあるのですが、どんな役だったか・・・。レイモンド・カーヴァーは好きなので、今度『ショート・カッツ』も観てみようかなと思います。--Meridian 2008年11月19日 (水) 07:49 (UTC)[返信]