GWINKO
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GWINKO | |
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出生名 | 金城吟子 |
別名 |
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生誕 | 1973年6月4日(49歳) |
出身地 |
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ジャンル | J-POP、 R&B、ファンク |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1987年 - 1994年, 2020年 - |
レーベル |
CBSソニー (1987年 - 1991年) メディア・レモラス (1994年) |
事務所 |
CSアーティスツ (1987年 - 1993年) |
共同作業者 | 西村麻聡、大沢誉志幸、久保田利伸 |
GWINKO(ぎんこ、1973年6月4日 - )は日本の歌手。沖縄県出身。現在はKINA&GWINKO WORLDCHAMPLOOで歌手の喜納昌吉と活動している。
経歴[編集]
沖縄アクターズスクール第1期生で、1986年にソニーのオーディションに合格し上京、アクターズスクール出身第1号タレントとなる。翌1987年9月にシングル『STAR SHIP-I'm going high-』(CBSソニー)でレコードデビュー。デジタルサウンドを前面に押し出したR&Bをややハスキーで伸びやかなヴォーカルで歌い、シャープなダンスでキメるというスタイルは、のちのアクターズスクール出身歌手のひな型となった。
1988年夏、CBSソニーの創立20周年記念コンサート『NEW BLOOD 88-89』に参加。同年末、大沢誉志幸プロデュースのEPIC/SONY10周年記念コンサート『Dance To Christmas』(及び同名のクリスマス・アルバム)への参加で注目を集める。翌1989年夏に『NEW BLOODS』の一員[1]として全国7ヶ所を巡るライブツアー『NEW BLOODS presents Funk a Hips Live Show』に参加。同年10月から音楽番組『ヒットスタジオR&N』で古舘伊知郎と共に司会を務め、ザ・タイマーズのFM東京事件にも立ち会っている。1991年、アルバム『東京UKIUKI GIRL』発表直後に沖縄に拠点を置いて活動。[2]。
1994年初夏に所属事務所とレコード会社を移籍。同年9月、アルバム『Princess Moon』 (メディア・レモラス)を発表。
2003年3月リリースの鉄腕アトムのトリビュートアルバム『MUSIC FOR ATOM AGE』に「GWINKO(吟呼)」で参加。
2020年現在、ミュージシャン喜納昌吉とKINA&GWINKO WORLDCHAMPLOOとして歌手活動を再開している。
ディスコグラフィ[編集]
アルバム[編集]
- YESTERDAY TODAY FOREVER (1987年9月21日)
- TEENAGE BEAT (1988年6月1日)
- EVERY GIRL (1989年6月21日)
- I'M IN (1990年7月21日)
- 東京UKIUKI GIRL (1991年5月22日)
- Princess Moon (1994年9月21日)
シングル[編集]
- STAR SHIP-I'm going high- (1987年9月2日)
- GWINKO'S CHRISTMAS CAROL(SWEET HEART REMIX)/DREAMIN' KISS(BOY MEETS GIRL MIX)/SCRAMBLE MOON(DANCE REMIX) (1987年11月21日、12インチ)
- GET ON (1988年4月2日)
- "us" (1990年1月21日) - 『ヒットスタジオR&N」』エンディングテーマ
- よくばりなウィークエンド (1990年7月21日)
- DOWNTOWN GAME (1991年4月25日)『シティーハンター '91』オープニングテーマ
- ブーゲンビリアを抱いて笑って/夏の後悔(1994年7月21日)
参加作品[編集]
- P.J 『INTIMACY』(1991年12月12日)
- 「Don't Get Me Wrong」 - P.Jとデュエット
- オムニバス『Dance To Christmas』
- 「Merry Christmas Go Round」 - 大沢誉志幸とデュエット
- 鉄腕アトムのトリビュートアルバム『MUSIC FOR ATOM AGE♪』
- 「Sleep-less dreaming」
テレビ[編集]
- ヒットスタジオR&N(1989年-1990年) - 司会
ラジオ[編集]
映画[編集]
- 短編集 STEP OUT(1990年) - 監督:小松壮一郎
- ハートブレイカー 〜弾丸より愛を込めて (1992年) - 監督:小松壮一郎
舞台・ミュージカル[編集]
脚注[編集]
- ^ 『NEW BLOODS』のメンバーは久保田利伸、バブルガムブラザーズ、AMAZONS、富樫明生等。『NEW BLOOD 88-89』とは一部メンバーが異なっている。
- ^ 片岡義朗のブログ2005年10月5日に当時の思い出話が綴られている。