D.I.E.

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Japan ExpoでのRa:INのライブにて(2009年、フランス

DIE(ダイ、本名:野澤 大二郎(のざわ だいじろう)、1964年2月15日 - )は東京都出身のミュージシャンキーボーディストスタジオミュージシャン北区立赤羽台東小学校北区立赤羽台中学校東京都立板橋高等学校学習院大学出身。

来歴[編集]

hideX JAPAN)のソロ活動の初期からのサポートメンバーであり、後に「hide with Spread Beaver」のメンバーとして活動。同じメンバーのCHIROLYNと共に、通常のサポートメンバーの枠を超えて色々な意味で暴れ、「珍獣」や「怪人」とも呼ばれた。

1994年から1998年までGLAYのサポートメンバーとしても活動。コーラスとしても参加。97年秋頃、頭髪をモヒカンにして、数あるサポートメンバーの中でも際立つ存在になる。

また、DER ZIBETのサポートメンバーとしても活動し、ライブだけでなく、アルバム『HOMO DEMENS』(1990年)全曲で演奏に参加しており、その際、かなり自由にやらせてもらえたことがその後の活動のきっかけになったとコメントしている。ちなみアルバム『POP MANIA』(1994年)収録の「ぜんまい仕掛けのピエロ」では演奏だけでなく作曲でも関与している。

2002年から2004年までLOOPUSに参加。また、「二枚舌」や、PATAX JAPAN)や真矢LUNA SEA)達と共に相川七瀬のバックバンド、久松史奈のサポートメンバーで活動。

2006年10月にミュージシャン名を「D.I.E.」から「DIE」へ改名。2007年5月19日のYOKOHAMA 7th Avenueでのライブをもって、PATA率いるRa:INの正式メンバーとなる。

エピソード[編集]

1996年9月8日千葉マリンスタジアムで行われたhideのライブの最中ステージから飛び降りた際、左足かかとを骨折する。そのため同年に行われた『hide solo tour 1996-PSYENCE A GO GO』はギプスをして参加する。ちなみにその時のギプスはツアーファイナルの仙台公演のときに客席に投げている(なお骨折したときの映像は全国のライブ会場で流され、のちに発売されたビデオにもしっかり収録されている)。hideからは「キィボードなのに、なぁぜか骨折」と、MCのネタにされていた。

『PSYENCE A GO GO』にはD.I.E.のソロコーナーがあったが、その際カスタム車椅子に乗って『NATURAL BORN ONANIST』をティッシュペーパーを撒き散らしながら熱唱する。このカスタム車椅子は火花が出る仕掛けがあったが、1996年9月28日金沢公演において車椅子を押していたhideの衣装が燃える珍事が起きる(この時D.I.E.は真後ろでhideが素になっていることに気付かずティッシュを撒き散らしていた)。

子供の頃 (1970年代半ば) から、アンチ読売巨人軍で大の中日ドラゴンズファンである。現在でも、首都圏で行われる中日の試合には、ビジターにかかわらず年間を通して観戦し、応援団と共に声をからすまで声援を送っている。

hideが他界した日はGLAYのツアーで三重にいた。訃報を聞いた後のライブだったため、自身にとって最も辛いステージだったとブログで回想している。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

アルバム[編集]

ビデオ[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]