無尽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Matthew.eyes (会話 | 投稿記録) による 2021年1月4日 (月) 08:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

無尽(むじん)とは、日本の金融の一形態である。複数の個人法人等が等の組織に加盟して、一定又は変動した金品を定期又は不定期に講等に対して払い込み、利息の額で競合う競り抽選によって金品の給付を受ける。

概要

通常の無尽は、毎回参加した全会員が一定の金を拠出して資金を集め、その回の参加者のひとりがその全資金を受領することを繰り返す。各会員は全期間の内の1回は必ず資金を受領することで、会員間の公平性を担保している。この形態の場合には、資金の受領が一巡した時点で一旦終了となる。その後合意が得られた会員で、次の一巡を開始することを繰り返していく。原則として各会員が受け取る金額は、全員同一となる。ただし、一巡の初期に受け取った会員は、後から自分が払う分の積立金を前借りするのと同様のメリットがあり、この意味で相互扶助の一形態としてとらえられる。 地域により呼び方や運用寄合等の方法などに違いがある。現代においては、「無尽」という名のもとに積み立てた金額で会員同士旅行に行ったり(旅行無尽)、誰も資金を取らずに積み立てておき、一定期間後に積立金を全額会員に払い戻す(積立無尽)こともある。これらの場合は「講」や相互扶助といった役目は担っておらず、単なる親睦のための集まりとなる。

日本の無尽

呼称

無尽講(むじんこう)、頼母子(たのもし)あるいは頼母子講(たのもしこう)、沖縄県奄美群島では模合(もあい、むえー)という。

歴史

江戸時代まで

無尽は、貞永式目追加法にも記述があり、鎌倉時代に登場したといわれる。庶民の相互扶助として始まったものだと考えられる。江戸時代になると、身分や地域に問わず大衆的な金融手段として確立し、大規模化していく講も存在するようになった。

無尽を変形させ賭博にしたものは「取退無尽(とりのきむじん)」と呼ばれ、陰富と並んで江戸時代にはしばしば禁令が出された[1]。また、公認の無尽にも「花くじ」と呼ばれるちょっとした金額の賞金が付くが設けられた講が現れるようになった[1]

戦前

明治時代には、大規模で営業を目的とした無尽業者が発生していった。中には会社組織として営業無尽をするものが多く現れるようになったものの、これらの事業者には脆弱な経営、詐欺的経営や利用者に不利な契約をさせる者も多かったが、当時は、これを規制する法令がなかったため、業界団体である無尽集会所などを中心に規制する法律の制定が求められるようになり、1915年に旧・無尽業法が制定され、免許制となり、悪質業者は排除されていった。現在の「無尽業法」は1931年に改めて制定されたものである。1934年11月農林省は、1月から実施中の頼母子講調査結果を発表し、総数29万8696講、負債額4億7107万円など実態が初めてあきらかになった[2]

ただ、業として無尽と、無尽管理業務についてのみの規制に留まり、住民や職場などで、業者を関与させずに無尽をする行為を禁止するものではなかったので、その後も無尽は続けられ、現在に至っている。

世界恐慌が起こると、無尽会社による無尽は更に発展し、銀行に相当するほどの規模を持つものまで存在するようになり、日本の経済を担う金融機関の一つとなっていった。

太平洋戦争勃発後、無尽会社は戦時統合の対象とされ、都道府県別に1社に「強制的に合併させられた」と第二地方銀行協会は記念誌で主張しているが、これは、陸上交通事業調整法のような直接的法律に基づき行なわれた明確な処分ではないので、実態は未詳である。これにより、大部分の無尽会社が信用組合などより大規模で、銀行と変わりない程度の規模となるようになった。

戦後

太平洋戦争終結後、戦災復興のために各方面より無尽会社でも当座預金の取扱を可能としようとする要請が為されるようになったものの、GHQは当時、無尽を賭博的でギャンブルの一つであると見ており、これに難色を示したため、政府は当時の銀行並の業務を可能としつつも、無尽の取扱が可能で制度・監督上は無尽会社程度で設立可能な金融機関制度を企画、1951年相互銀行法が成立し、日本住宅無尽株式会社を除く全社が相互銀行へ転換した。相互銀行では、無尽に類似した制度である相互掛金という相互銀行専用商品が可能であったが、相互掛金制度自体が無尽とは大きく異なるものであったことや、取扱が面倒なことから早期に有名無実の制度となった。

1981年銀行法が全部改正された際に、「定期積金等」という定義によって、相互掛金は普通銀行での取扱も可能にはなったものの、銀行法以外の法律に基づいて設立された長期信用銀行信用金庫信用組合農協漁協労働金庫の各根拠法は改正されなかったため、1992年に相互銀行法が廃止されてからは、普通銀行のみが取扱えるものとなっている。だが、現在まで、この定期積金等の金融商品を発売した銀行はない。

現在、営業無尽を行う企業は「日本住宅無尽株式会社」ただ1社のみである(→「無尽会社」の項を参照)。

無尽から発展したものとしては、現在の第二地方銀行消費者金融に多く見られる。

現状

21世紀となった現在でも、日本各地(主に農村・漁村地域)に、無尽や頼母子、模合と呼ばれる会・組織が存在している。メンバーが毎月金を出し合い、積み立てられた金で宴会や旅行を催す場合もあれば、くじに当たった者(くじと言いながら実際は順番であることが多い)が金額を総取りする形態のものもある。多くは実質的な目的よりも職場や友人、地縁的な付き合いの延長としての色彩が強く、中には一人で複数の無尽に入っている人もいる。沖縄県では県民の過半数が参加していると言われるほか、九州各地や山梨県福島県会津地方、岐阜県飛騨地方などでもよく行われている。

  • 民間においては、現在でも親しい仲などが集まり小規模で行われている。近所付き合いや職場での無尽、同窓会内で行われる無尽などがある。毎月飲み会を主催する「飲み無尽」や定期的な親睦旅行を目的とした無尽など、本来の金融以外の目的で行われているものも多い。山梨県では地縁血縁選挙の舞台ともなっており、同県選出の宮川典子の最大支持基盤は無尽であると言われている[要出典]が、会費の扱いなど政治資金規正法上グレーな部分が多く、政治と無尽の関係が近年は問題視されている。
  • 甲府市裏春日や、会津地方では、飲食店に「無尽(会)承ります」などの看板が掲げられ、無尽向けのサービスを行っているところもある。具体的には、宴席の準備だけではなく、参加者の出欠の取りまとめなども行なう代わりに、固定の開催場所として利用してもらうというものである。
  • 無尽の存在が金融リテラシーの低下につながっているという指摘がある。2016年6月に日本銀行が発表した金融リテラシーのランキングにおいて無尽が活発な山梨県が最下位であり、その原因として「金融知識がなくても仲間との互助でやっていけている」とする一方で「無尽頼みで金融知識が低いだけに、たまに金融機関などと接点を持つとトラブルになりやすい」と分析されている[3]
  • 日本においては、金融機関から融資を受けられなかった社会的マイノリティー層においても、古くから現在に至るまで運用されている民間金融手法である。
  • 町内会や商店会などで運用される場合もある。
  • 「無尽」の行為自体に関する法律は現在まで存在しない。
  • 石川県加賀市の特に山中温泉地区山代温泉地区では預金講(「よきんこ」と呼ばれる)という無尽が盛んである。これは蓮如が信者に講を勧めたことの名残りとされるが、現在では浄土真宗の信仰とは無関係である。特にこの地域で無尽が発達した理由には零細な旅館業者や山中塗の問屋や個人事業主である職人が多かったことから、金融機関に頼らずに相互に金を融通しあう組織が必要とされたことが大きいとされる。1990年代までは平時には宴会や旅行目的の会であるが、メンバー本人あるいはその身内に不幸があった場合は葬儀を業者に頼らず、預金講仲間が取り仕切るのが地域の常識であった。しかし2000年代に入ってからは地区の高齢化率の高さと地区住民の多くが従事する地場産業の疲弊ゆえにこの葬儀の際の互助組織という役割は廃れている。

日本以外の無尽

  • 同様の物は古くから世界中で運営されており、en:ROSCA(Rotating Savings and Credit Association 回転型貯蓄信用講)と総称される。現代ではFintechを利用したROSCA専用のスマートフォンアプリなども存在している[4]
  • 中国三階教無尽蔵
  • 発祥は異なるが、「マイクロクレジット」と呼ばれる発展途上国の個人に対する融資も、同様に共同体を基盤にしている点を指摘する論者もいる。
  • 中華民国台湾)では互助会という。民法第2編第2章第19節の一の「合會」に定められている。

脚注

  1. ^ a b 増川宏一『合わせもの』<ものと人間の文化史> 法政大学出版局 2000年 ISBN 4588209418 pp.188-189.
  2. ^ 『東京朝日新聞』1934年11月30日
  3. ^ 「金融リテラシー」最下位の山梨 理由は「無尽」の影響?【東日本編】
  4. ^ 『Moneyfellows』グループで貯蓄・運用を行う金融慣習をデジタル化”. 2020年6月18日閲覧。

外部リンク

関連項目