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大山定一

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1949年時の近影(アサヒグラフより)

大山 定一(おおやま ていいち、1904年4月30日 - 1974年7月1日)は、日本ドイツ文学者京都大学名誉教授香川県出身。

経歴

旧制第六高等学校から京都帝国大学文学部独文科に進み1928年に卒業。旧制第三高等学校講師、京都帝国大学文学部講師、法政大学予科講師などを経て、1946年に京都大学文学部助教授、1950年に同教授となり、1968年に京大を定年退官してからは関西学院大学教授を務めた。

文人気質の外国文学者としてゲーテリルケをはじめとする多数の翻訳を著した。戦後まもなく出版の『洛中書問』は、中国文学者吉川幸次郎と書簡で、東西古典の翻訳のあり方をめぐる論議である。

著書

没後刊
  • 追悼文集『大山定一』吉川幸次郎富士正晴編(創樹社、1977)
  • 『ドイツをあるく』知道出版 2004 生誕百年記念出版(年譜・著作目録ほか)

翻訳

脚注