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ヨーゼフ・ヴュルムヘラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨーゼフ・ヴュルムヘラー
Josef Wurmheller
渾名 ゼップ(Sepp)
生誕 1917年5月4日
ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国
バイエルン州
ミースバッハ郡
ミースバッハ
ハウスハム
死没 (1944-06-22) 1944年6月22日(27歳没)
フランスの旗 フランス
アランソン付近
所属組織 ドイツ空軍
軍歴 1937年 - 1944年
最終階級 少佐
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ヨーゼフ・"ゼップ"・ヴュルムヘラーJosef "Sepp" Wurmheller1917年5月4日 - 1944年6月22日)は、ドイツ空軍軍人少佐第二次世界大戦で102機を撃墜したエース・パイロットであり、その戦功から柏葉・剣付騎士鉄十字章を追贈された。

前半生

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1917年5月4日ドイツ帝国バイエルン王国ハウスハムで生まれた。シュリールゼーにある叔父の農場で育った後、父親と同じく鉱夫として4年間働いた。彼は若い頃、熱狂的なグライダーパイロットで、1937年ドイツ空軍に入隊した。戦闘機パイロットとしての訓練修了後、1939年伍長の階級で第53戦闘飛行隊(JG 53)第2飛行中隊に配属された[1][注釈 1]

第二次世界大戦

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9月1日ドイツ軍ポーランドを侵攻第二次世界大戦が始まった。9月30日、大戦初期のまやかし戦争の期間中にJG 53第I飛行隊の部隊は、ザールブリュッケン付近で英国空軍(RAF)第150飛行隊のフェアリー バトル5機による編隊に遭遇した[1]。ヴュルムヘラーはフェアリー バトル K9283を撃墜し、初戦果を記録した。この機体にはメッツァンからザールブリュッケンまでの航空偵察任務中のウィリアム・マクドナルド空軍少佐が搭乗しており、エキュリー=シュル=クールに不時着した[2][3][4]。この戦功により10月19日二級鉄十字章を受章。11月、ヴェルヌヘンの戦闘機パイロット学校の教官となった[1]

バトル・オブ・ブリテンと東部戦線

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1940年6月、バトル・オブ・ブリテンに間に合うようにJG 53第5飛行中隊に戻った。彼はこの戦いの間、戦闘機と戦闘爆撃機のパイロットとして戦闘任務を務めた。9月28日スピットファイアを撃墜し、2機撃墜を記録。10月16日ブリストル ブレニムを撃墜。5機撃墜でエース・パイロットとなり、一級鉄十字章を受章した。ヴュルムヘラーはRAFの戦闘機によって3回撃墜されており、毎回ベイルアウトをしている。3回目は、11月23日午後5時10分ごろで、イギリス海峡上空で搭乗するメッサーシュミット Bf109 E-4(製造番号 5242)を撃墜され、不時着水した。彼はドイツ海軍Sボートによって救助されるまで、4時間半もの間泳がなければならなかった[5]1941年3月まで入院し、戦闘任務に戻ると5月7日にスピットファイア2機を撃墜し、10機撃墜を達成した[1]

その後ヴュルムヘラーの部隊は、6月22日に始まったバルバロッサ作戦の準備のために、東部戦線に転戦した。バルバロッサ作戦の期間中、ヴュルムヘラーは南方軍集団に配属された。この作戦戦域で8機のSBと1機のポリカルポフ I-16を撃墜。7月15日、東部戦線での最後の撃墜となる19機目を撃墜した[1]

西部戦線

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第2戦闘航空団のエンブレム

7月20日西部戦線に転戦し、第2戦闘航空団(JG 2)第II飛行隊の参謀に任命された。7月24日、20機撃墜を達成し、8月中にはスピットファイアを10機撃墜した[1]

8月30日空軍名誉杯を授与され、9月4日には31機撃墜の功により騎士鉄十字章を受章した。ヴュルムヘラーの古巣の部隊であるJG 53第5飛行中隊は騎士鉄十字章に彼を推薦していたが、JG 2に配属されるまで承認されなかった[1]。同日、第II飛行隊の同僚のパイロットのクルト・ビューリゲン(112機撃墜)も騎士鉄十字章を受章している[6]

軽傷を負った後、再びヴェルヌヘンの戦闘機パイロット学校の教官となった。1942年5月、最前線に戻ると第1飛行中隊に配属され、5月に10機、6月に11機のスピットファイアを撃墜した。この中には、5月31日に撃墜した4機と、6月5日に撃墜した4機が含まれている[7]。これらの任務のほとんどは、ルドルフ・プランツェが僚機だった[8]

8月19日ディエップの戦いでヴュルムヘラーは最も戦果を挙げた。この日、連合軍はドイツ占領下のディエップの攻撃に失敗した。右足にギプスをはめたヴュルムヘラーは、4回の戦闘任務の間にスピットファイア6機とブリストル・ブレニム1機(おそらく誤認されたA-30)を撃墜し、「1日で規定の記録を達成したエース・パイロット(ace in a day)」 の称号を受ける[7][9]。最初の任務はエンジントラブルのために中止しなければならず、不時着した際に軽い脳震盪を起こした。2回目の任務でスピットファイア2機とブレニム1機を撃墜。3回目の任務でさらにスピットファイア3機を撃墜。 4回目の任務でスピットファイア1機を撃墜し、59機撃墜を記録。8月20日、60機撃墜を達成し、8月21日ドイツ十字章金章を受章した[7]

1942年10月1日少尉に昇進した。約150回の戦闘任務で67機撃墜を記録した後、11月14日柏葉付騎士鉄十字章を受章。ドイツ国防軍で146人目の受章者だった[7]

8月17日に第8爆撃軍団がルーアンのソットヴィルの操車場を攻撃し、アメリカ陸軍航空軍、特に第8空軍は定期的な戦闘を開始した。1943年1月3日B-17を4機撃墜。4月1日、第54戦闘航空団(JG 54)第III飛行隊に転属したジークフリート・シュネル大尉の後任で[10]、JG 2第9飛行中隊の中隊長に任命された[11]5月17日にB-17を撃墜し、70機撃墜を達成した[11]

9月23日ヴァンヌのミューコンを爆撃中にフォッケウルフ Fw190 A-6を不時着した際に、爆弾の破片で負傷した[12]。彼は仲間から「ゼップ」と名付けられ、8月1日中尉に昇進し、11月1日大尉に昇進した[11]1944年2月8日、ドイツ本土防空戦でル・トレポール付近で重爆撃機を初めて撃墜した。3月8日、90機撃墜を達成した[11]

飛行隊長と最期

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6月6日、連合軍によるノルマンディー上陸作戦の後もさらに撃墜を続けた。6月8日カーン付近で戦死したヘルベルト・フッペルツ大尉の後任でJG 2第III飛行隊の飛行隊長に任命された。6月12日P-47を撃墜し、ドイツ空軍で80人目となる100機撃墜を達成[13]6月16日、生涯最後の撃墜となるP-51を撃墜した[11]

6月22日、フォッケウルフ Fw 190 A-8に搭乗していたヴュルムヘラーはアランソン付近でアメリカ陸軍航空軍のP-47とカナダ空軍のスピットファイアとの戦闘で僚機のクルト・フランツキーと空中衝突し戦死した[14]。享年27。10月24日柏葉・剣付騎士鉄十字章を追贈され、少佐に昇進した。

生涯戦績は出撃回数300回以上、撃墜数102機(西部戦線で93機、東部戦線で9機)だった。西部戦線での戦果の内、少なくとも18機が4発爆撃機であり、56機がスピットファイアである。

叙勲

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注釈

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  1. ^ ドイツ空軍の部隊名称の説明は「第二次世界大戦中のドイツ空軍の編成」を参照。
  2. ^ シャーザーによると第2戦闘航空団第5飛行中隊のパイロット[19]、フォン・シーメンによると第2戦闘航空団第III飛行隊のパイロットとして[20]
  3. ^ シャーザーによると1942年11月14日。[19]
  4. ^ フォン・シーメンによると第2戦闘航空団第III飛行隊の指導者として。[24]

参照

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Stockert 2012, p. 184.
  2. ^ Air Pictorial 1989, vol. 51, p. 352.
  3. ^ Shores, Foreman & Ehrengardt 1992, p. 73.
  4. ^ Goodrum 2013, ch. 5 "Blitzed, Burned But Unbroken"
  5. ^ Prien 1997, p. 201.
  6. ^ Weal 2000, p. 80.
  7. ^ a b c d Stockert 2012, p. 185.
  8. ^ Obermaier 1986, p. 38.
  9. ^ Weal 2000, p. 90.
  10. ^ Weal 1996, p. 47.
  11. ^ a b c d e Stockert 2012, p. 186.
  12. ^ Weal 2000, p. 102.
  13. ^ Obermaier 1989, p. 244.
  14. ^ Berger 2000, pp. 386, 387.
  15. ^ a b c Berger 1999, p. 386.
  16. ^ a b Thomas 1998, p. 465.
  17. ^ Patzwall & Scherzer 2001, p. 526.
  18. ^ Fellgiebel 2000, p. 454.
  19. ^ a b c Scherzer 2007, p. 800.
  20. ^ Von Seemen 1976, p. 367.
  21. ^ Fellgiebel 2000, p. 63.
  22. ^ Von Seemen 1976, p. 31.
  23. ^ Fellgiebel 2000, p. 46.
  24. ^ Von Seemen 1976, p. 18.

参考文献

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  • Air Pictorial. 51. Air League of the British Empire. (1989). OCLC 5459255 
  • Berger, Florian (1999) (German). Mit Eichenlaub und Schwertern. Die höchstdekorierten Soldaten des Zweiten Weltkrieges [With Oak Leaves and Swords. The Highest Decorated Soldiers of the Second World War]. Vienna, Austria: Selbstverlag Florian Berger. ISBN 978-3-9501307-0-6 
  • Fellgiebel, Walther-Peer (2000) [1986] (German). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939–1945 — Die Inhaber der höchsten Auszeichnung des Zweiten Weltkrieges aller Wehrmachtteile [The Bearers of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939–1945 — The Owners of the Highest Award of the Second World War of all Wehrmacht Branches]. Friedberg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 978-3-7909-0284-6 
  • Goodrum, Alastair (2013). They Spread Their Wings: Six Courageous Airmen in Combat in the Second World War. Stroud, Gloucestershire: History Press. ISBN 978-0-7524-9217-9 
  • Obermaier, Ernst (1989) (German). Die Ritterkreuzträger der Luftwaffe Jagdflieger 1939 – 1945 [The Knight's Cross Bearers of the Luftwaffe Fighter Force 1939 – 1945]. Mainz, Germany: Verlag Dieter Hoffmann. ISBN 978-3-87341-065-7 
  • Patzwall, Klaus D.; Scherzer, Veit (2001) (German). Das Deutsche Kreuz 1941 – 1945 Geschichte und Inhaber Band II [The German Cross 1941 – 1945 History and Recipients Volume 2]. Norderstedt, Germany: Verlag Klaus D. Patzwall. ISBN 978-3-931533-45-8 
  • Prien, Jochen (1997). Jagdgeschwader 53 A History of the "Pik As" Geschwader March 1937 – May 1942. Atglen, Pennsylvania: Schiffer Military History. ISBN 978-0-7643-0175-9 
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