コンテンツにスキップ

村田龍一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Bcxfubot (会話 | 投稿記録) による 2021年11月5日 (金) 18:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンクの修正 http:// -> https:// (ch.nicovideo.jp) (Botによる編集))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
嘉納杯
2003 東京 81kg級
フランス国際
2000 パリ 81kg級
世界ジュニア
1996 ポルト 78kg級

村田 龍一(むらた りゅういち、1976年8月27日 - )は、千葉県出身の日本柔道家。現役時代は78kg級と81kg級の選手。身長は173cm[1]

人物

旭中学から八千代松陰高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の団体戦で、エースである95kg超級の吉永喜史とともに活躍してチームを3位に押し上げた[2]

1995年には日本大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアの78kg級で3位になった。2年の時にも全日本ジュニアで3位になった[1]世界ジュニアでは決勝でフランスのセドリク・クラベリに大外刈で敗れた[1]。3年の時には優勝大会決勝の国士舘大学戦で勝利するなどして、チームの12年ぶりの優勝に貢献した[3]。4年の時には体重別81kg級で3位になった[1]

1999年には平成管財の所属となると、実業個人選手権講道館杯で優勝を飾った[1]。2000年の フランス国際では3位に入った。体重別に優勝すればシドニーオリンピック代表も有り得たが、背中のケガの影響などもあって決勝で大学の2年先輩である瀧本誠体落の有効で敗れて代表にはなれなかった[4]。2001年にはハンガリー国際で優勝を飾るが、体重別と東アジア大会では3位だった。なお、所属が了徳寺学園職員に変更となった[1]。2002年には実業個人選手権で3年ぶり2度目の優勝を果たしたが、講道館杯では3位だった[1]。2003年には嘉納杯で3位、ロシア国際で2位、グルジア国際では優勝を飾るも、体重別では初戦で敗れた[1]

引退後の2005年にはバルセロナオリンピック78kg級金メダリストの吉田秀彦が主宰する吉田道場に加わると、総合格闘技PRIDEDEEPにも参戦することになった[5]。総合格闘技では8勝3敗の成績を残した[6]

主な戦績

78kg級での戦績

81kg級での戦績

(出典[1]JudoInside.com)。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 「平成14年度後期国際試合柔道強化選手」近代柔道 ベースボールマガジン社、2003年2月号
  2. ^ 「全国高等学校柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1994年5月号
  3. ^ 「全日本学生柔道優勝大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1997年11月号
  4. ^ 「全日本選抜柔道体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年5月号
  5. ^ [PRIDE 柔道強豪の小見川道大、村田龍一が吉田道場入り]
  6. ^ 日本の柔道エリートをMMAファイターに育てたら 数字で見る日本vs世界

外部リンク