901運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

901運動(キュウマルイチうんどう)とは、1980年代日産自動車1990年代までに技術の世界一を目指す」車作りを目標とした運動である。P901活動[1]901活動901計画901作戦プロジェクト901とも呼ばれる。

概要[編集]

1980年すぎから、ハイソカーブームのあおりで日産自動車の販売シェアが落ち始め、日産社内も対策を練っていた。そこで浮上したのが901運動である。この計画は「1990年代までに技術世界一を目指す」という名の下、1990年代まで開発された全車種を対象にシャシーエンジンサスペンション、ハンドリング、デザイン、そして品質向上などの技術開発に力を注いだ。

901運動の成果[編集]

この運動の結果、1980年代後半から1990年代前半に発売された、N13 - N14型パルサー、Y31 - Y32型セドリック / グロリア、FPY31型シーマ、F31型レパード(特に後期型)、U12 - U13型ブルーバード、S13型シルビア/ 180SX、A31型初代セフィーロ、J30型マキシマ、C33型ローレル、R32型スカイライン、BNR32型スカイラインGT-R、Z32型フェアレディZ初代インフィニティQ45、B12 - B13型サニー、P10型初代プリメーラ、W10型初代アベニール、R10型初代プレセア、K11型マーチなどの名車を生み出した。

またハンドリング技術としては、ATTESA(FFベース)やATTESA E-TS(FRベース)、後輪制御のHICASマルチリンク式サスペンション、油圧アクティブサスペンションなどの新開発による向上、SR系、RB26DETTを含むRB系などのエンジンでは性能と耐久性が大幅に向上し、日産のブランドイメージアップと販売回復に貢献していた。

レース活動、1990年代にはWRCにも積極的に参戦していた。

バブル崩壊後の衰退[編集]

しかし、1990年代前半のバブル景気崩壊で販売台数は下降線をたどり、さらに地球環境対策でリサイクルシステムの構築と推進に巨額の費用を投じなければならず、当時日産自動車の社長であった辻義文は、生き残りの為にコスト削減への路線変更を強力に推し進めることとなり、901運動を終了せざるを得なくなった。しかし、技術力や商品力の低下と言った代償を避けることが出来ず、販売台数はさらに下降線をたどり、日産が経営危機に陥るまでの事態となってしまう。2002年平成14年)にルノーから派遣されてきた、カルロス・ゴーンリバイバルプランを達成するまで、日産は不遇の時代を迎える事となった。

このような経緯で901運動は終わりを告げたが、品質向上運動そのものは当時日産と提携して資本参加も行っていた富士重工(現・SUBARU)に受け継がれ、同社製乗用車の品質向上に大きく貢献した。

脚注[編集]

[ヘルプ]

関連項目[編集]