雷型駆逐艦
雷型駆逐艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 水雷艇(駆逐艇) → 軍艦(駆逐艦) → 駆逐艦 → 三等駆逐艦 |
艦名 | 雷、電、曙、漣、朧、霓 |
前級 | ― |
次級 | 東雲型駆逐艦 |
性能諸元 | |
排水量 | 305トン(公試) |
全長 | 68.4m |
全幅 | 6.26m |
吃水 | 1.58m |
機関 | レシプロエンジン2軸、6,000馬力 |
最大速力 | 31.0ノット |
航続距離 | |
乗員 | 55人 |
兵装 | 8cm砲×2、6cm砲×4、45cm魚雷発射管×2 |
雷型駆逐艦(いかずちがたくちくかん)は大日本帝国海軍が運用した駆逐艦のうち、最初の艦級。設計はイギリスのヤーロー社(現在はBAEシステムズの子会社)であり、イギリスのB型駆逐艦をもとにしている。建造後日本に回航され、日露戦争で活躍した。一番艦の就役開始は1899年2月25日、最後の艦の退役完了は1925年。
概要
1896年(明治29年)度計画で4隻、1897年(明治30年)度計画で2隻が発注されたもので、1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけて6隻が就役し、当初は水雷艇(駆逐艇)に類別された。1900年6月22日に軍艦(駆逐艦)に編入され、1905年12月12日に軍艦籍から駆逐艦に移籍、1912年8月28日には等級が付与され、三等駆逐艦となった。
霓は就役した年に座礁、沈没しているが、残りの艦は日露戦争に参加している。雷・電の二隻も事故で失われているが残りは艦歴を全うし大正10年までに全艦退役した。
同型艦
雷(いかづち)
詳細は「雷 (雷型駆逐艦)」を参照
- 1899年2月25日、竣工。同年5月25日、佐世保に到着。1912年(大正元年)10月9日、大湊港で機関破裂事故により船体切断・着底。1913年(大正2年)11月5日、除籍。1914年(大正3年)4月29日、売却。
電(いなづま)
- 1899年4月25日、竣工。同月26日に出航し[1]、同年6月25日、横須賀に到着。1909年(明治42年)12月16日、函館南方で汽帆船と衝突し、沈没。1910年(明治43年)夏に浮揚後、9月15日除籍。
- 艦長
- 吉島重太郎 少佐:1900年6月22日 - 1903年4月12日
- 篠原利七 少佐:1903年4月12日 -
- 駆逐艦長
- 田中漸 大尉:1908年11月20日 -
- 艦長
曙(あけぼの)
- 1899年7月3日、竣工。1900年2月20日、横須賀に到着。1921年(大正10年)4月30日、特務艇(二等掃海艇)に類別。同年6月21日、雑役船(標的船)に編入。1925年(大正14年)5月2日、廃船。
- 回航委員長
- 河瀬早治 少佐:1899年1月23日 - 1900年6月22日
- 艦長
- 駆逐艦長
- 山内四郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- 岸科政雄 大尉:1909年12月1日 - 1911年5月23日
- 荒糺 大尉:1917年6月1日 - 1918年6月13日
- 日暮豊年 大尉:1918年6月13日 - 12月1日
- 高橋頴雄 大尉:1918年12月1日 - 1919年7月12日
- 木幡行 大尉:1920年6月1日 - 1920年12月1日
- (兼)久保九次 大尉:1921年4月1日 - 1921年6月1日
- 回航委員長
漣(さざなみ)
- 1899年8月28日、竣工。1900年3月24日、佐世保に到着。1905年の日本海海戦では5月28日にロシア駆逐艦のベドーヴイを拿捕し、バルチック艦隊司令長官ロジェストヴェンスキー中将を捕虜とした。1913年4月1日、除籍のうえ雑役船(掃海船)に編入、後に標的船となり漣丸に改称。1930年(昭和5年)8月29日、館山沖で撃沈処分。同年10月18日、廃船。
- 回航委員長
- 竹内次郎 少佐:1899年2月14日 - 1900年6月22日
- 艦長
- 竹内次郎 少佐:1900年6月22日 - 1902年8月12日
- 井出謙治 少佐:1902年12月3日 - 1903年2月3日
- 近藤常松 少佐:1903年2月3日 -
- 阿部真一郎 少佐:不詳 - 1908年11月20日
- 酒井重之助 大尉:1908年11月20日 -
- 杉浦正雄 大尉:1912年12月20日 - 1913年4月1日
- 回航委員長
朧(おぼろ)
- 発注時の艦名は第11号水雷艇駆逐艇[2]。1899年11月1日、竣工。1900年4月28日、神戸に到着。1921年4月30日、特務艇(二等掃海艇)に編入。同年6月21日、雑役船(標的船)に編入。同年10月末、廃船。
- 回航委員長
- 山田猶之助 少佐:1899年6月17日 -
- 艦長
- 松永光敬 少佐:1900年6月22日 - 10月22日
- 田中格次郎 少佐:1900年10月22日 - 1901年4月10日
- 森義臣 少佐:1901年4月10日 - 1902年2月15日
- 高木東太郎 大尉:1902年2月15日 -
- 藤原英三郎 大尉:1905年1月12日 - 11月21日
- 井上鉄治 大尉:不詳 - 1908年11月20日
- 堀当 大尉:1908年11月20日 -
- (兼)久保九次 大尉:1921年4月1日 - 1921年6月1日
- 回航委員長
霓(にじ)
- 発注時の艦名は第12号水雷艇駆逐艇[2]。1900年1月1日、竣工。同年5月26日、横須賀に到着。同年7月29日、清国山東省南東岬沖で、濃霧のため座礁、8月3日に沈没。1901年(明治34年)4月8日、除籍。
- 回航委員長
- 財部彪 大尉:1899年7月25日 - 1899年10月6日
- 艦長
- 財部彪 少佐:1900年6月22日 - 1900年7月4日
- 荒川仲吾 大尉:1900年7月4日 - 1900年8月10日
- 回航委員長
脚注
参考文献
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『官報』