阪田正芳
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基本情報 | |
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出身地 | 日本 大阪府 |
生年月日 | 1928年4月6日 |
没年月日 | 1992年8月20日(64歳没) |
身長 体重 |
167 cm 66 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1950年 |
初出場 | 1950年 |
最終出場 | 1952年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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阪田 正芳(さかた まさよし、1928年4月6日 - 1992年8月20日[1])は大阪府[1]出身のプロ野球選手。三兄弟の次男で、長男は阪田清春(滝川中-阪急他)、三男は高校後輩の阪田芳秀(毎日)である。
来歴・人物
[編集]浪華商業では、1946年に平古場昭二の控え投手として戦後初の夏の甲子園に出場。決勝で京都二中を降し初優勝を飾る。平古場以外のチームメイトに遊撃手、四番打者の島田雄三がいた。翌1947年はエースとして夏の甲子園に連続出場。しかし2回戦(初戦)で仙台二中に敗退。1948年の春の選抜は、弟の芳秀とバッテリーを組み出場。1回戦で下関商の山本司(日本魚網)と投げ合い、延長14回の末に敗退。高校同期に外野手の東谷夏樹がいた。
卒業後は郡山日東紡を経て1950年に大阪タイガースに入団[1]。藤村富美男とノックを受けるなど非常に期待された。同年は遊撃手として4試合、捕手として1試合に先発出場。しかしその後は活躍できず1952年限りで退団[1]。社会人野球の松下電器に移る。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1950 | 阪神 | 41 | 60 | 58 | 6 | 15 | 3 | 1 | 0 | 20 | 3 | 0 | 1 | 0 | -- | 1 | -- | 1 | 7 | 4 | .259 | .283 | .345 | .628 |
1951 | 38 | 26 | 24 | 7 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | -- | 2 | -- | 0 | 2 | 0 | .125 | .192 | .125 | .317 | |
1952 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:3年 | 83 | 87 | 83 | 13 | 18 | 3 | 1 | 0 | 23 | 5 | 0 | 2 | 0 | -- | 3 | -- | 1 | 9 | 4 | .217 | .253 | .277 | .530 |
背番号
[編集]- 33 (1950年)
- 20 (1951年 - 1952年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 阪田正芳 - NPB.jp 日本野球機構