足立区女性教師殺人事件

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足立区女性教師殺人事件 (あだちくじょせいきょうしさつじんじけん)は、1978年8月東京都で女性教師が失踪した事件である。

未解決事件となっていたが、公訴時効成立後の2004年真犯人の男性が女性教師の殺害を自供した。

最高裁判所判例
事件名 損害賠償請求事件
事件番号 平成20(受)804
2009年(平成21年)4月28日
判例集 民集第63巻4号853頁
裁判要旨
殺人事件の加害者が殊更に死体を隠匿するなどしたため,被害者の相続人が死亡の事実を知り得なかった場合において,相続人確定時から6か月内に権利が行使されたなど特段の事情があるときは,不法行為に基づく損害賠償請求権は除斥期間により消滅しない
第三小法廷
裁判長 那須弘平
陪席裁判官 藤田宙靖 堀籠幸男 田原睦夫 近藤崇晴
意見
多数意見 全員一致
意見 田原睦夫
反対意見 なし
参照法条
民法160条,民法724条
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事件の概要[編集]

1978年8月14日、東京都足立区の区立中川小学校で当時29歳の女性教師が失踪した。女性教師の最後の目撃者は小学校で警備員をしていた男性Wであり、女性教師が最後に目撃されたのは同日であった。

警察も事件として捜査していたものの女性を発見できずにいた。また女性教師の失踪から10年後の1987年大韓航空機爆破事件において、北朝鮮工作員の金賢姫の日本語教師の「李恩恵」が女性教師と似ていると特定失踪者問題調査会から指摘を受け、女性は北朝鮮による日本人拉致問題の被害者であるとして、女性教師の家族は北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会に参加した。

しかし、事件から26年後の2004年8月21日、女性教師の最後の目撃者である元警備員の男性Wが警視庁綾瀬警察署に出頭して殺害を自首、事件の全容が判明した。Wは自首の動機は良心の呵責ではなく、遺体を隠匿していた元の自宅が道路拡張のための土地区画整理の対象となり、家が取り壊される予定だったので、事件が発覚すると思ったからと述べた。またWは、「高齢の夫婦二人暮しで移転できない」として、警察への出頭直前まで強硬に立退きを拒んでいた。

女性教師は失踪当日にWによって殺害された。事件発覚を恐れたWの手により、女性教師の遺体はコンクリート詰めにされ、公訴時効まで隠されることとなった。犯行の詳細については、Wの一方的な証言しかないが、それによれば、校内で肩がぶつかったことから口論となり、騒がれたので逆上して殺害したということである。遺族は被害者について「人と争うことのない穏やかな人だった」として、この供述の信憑性を否定しており、真相は不明である。殺人罪の公訴時効(当時は15年)が成立していたため、Wを殺人罪で起訴することができなかった。

遺族は元警備員の男性Wに対して民事訴訟を起こした。2006年9月26日東京地方裁判所はWの行為を「殺人」(1978年時点)と「遺体の隠匿」(2004年時点)に分けて検討した上で、「殺人」については民事上でも時効が成立しており(不法行為(殺害)後20年の除斥期間の経過)、女性教師の遺体を頻繁に移動させていた「遺体の隠匿」についてのみWの責任を認定して330万円の賠償を命じた判決を言い渡した[1]

これに対し、東京高等裁判所2008年1月31日、上記地裁判決を破棄し、Wによって「遺体の隠匿」され続けたために「殺人」が判明しない中で「殺人」を基点として除斥期間を認めることが「著しく正義・公平の理念に反する」場合など一定の条件下においては除斥期間の効果は排除されるとして、「殺人」と「遺体の隠匿」を一連の行為と認定したことで、「殺人」についてもWの責任を認め、約4255万円の支払いを命じる判決を言い渡した[2]。2009年4月28日、最高裁判所は、Wの上告を退け[3]、判決が確定した。

脚注[編集]

  1. ^ 東京地方裁判所判決 2006年9月26日 、平成17(ワ)7168、『損害賠償請求事件』。
  2. ^ 東京高判平成20年1月31日、判タ1268号208頁、判時2013号68頁
  3. ^ 最高裁判所第三小法廷判決 2009年4月28日 、平成20(受)804、『損害賠償請求事件』。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]