赤ハゲ山
赤ハゲ山 | |
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標高 | 325 m |
所在地 |
![]() 島根県隠岐郡知夫村 |
位置 | 北緯36度01分14.6秒 東経133度00分52.8秒 / 北緯36.020722度 東経133.014667度座標: 北緯36度01分14.6秒 東経133度00分52.8秒 / 北緯36.020722度 東経133.014667度 |
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赤ハゲ山(あかハゲやま)は、島根県隠岐郡知夫村にある山。標高325メートルであり、知夫里島の最高峰である。赤はげ山やアカハゲ山や赤禿山などとも表記される。しま山100選、島の宝100景。
頂上に展望台があり、世界的にも珍しいとされるカルデラ湾(島前カルデラ)を囲む島前諸島など、360度の眺望がある[4][5][1]。
地理
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Cows_near_Chiburijima_road.jpg/220px-Cows_near_Chiburijima_road.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8b/Mount_Akahage_%E4%B8%80%E7%AD%89%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%82%B9.jpg/220px-Mount_Akahage_%E4%B8%80%E7%AD%89%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%82%B9.jpg)
赤ハゲ山は島前諸島の南に位置する知夫里島の東にあり、最高標高は約325メートルである[6][7]。冬期は雪が積もる[7]。
海に面した東の山裾に、知夫赤壁と呼ばれる崖がある。なだらかな山頂付近にはほとんど木はなく、草原が広がっており、名の通りハゲているようにみえる[8][9]。
山頂からの眺望は360度あり、眼下には知夫里島、中ノ島、西ノ島に囲まれた島前湾(島前カルデラ)が広がっている[10][5]。中ノ島(海士町)の向こうには島後の山も見ることが出来[10]、南方は島根半島や大山まで見通すことができる[5]。
赤ハゲ山の頂上から少し東側に下がったところには仁夫里坊跡と宇類美坊跡があり、石碑がたっている[11]。
湧き水の湧く場所が複数個所あり、牛馬の放牧に適し[12]、2024年現在も放牧が行われている[11]。周辺一帯には昭和十年代まで牧畑が広がっていたため、その名残で「名垣(みょうがき)」と呼ばれる牧畑の境界であった石積みが残り、「万里の長城」という異名を持っている[11]。
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昭和初期における牛の放牧
自然環境
[編集]植生
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/66/Oki01.jpg/220px-Oki01.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cb/Veronica_ornata2.jpg/220px-Veronica_ornata2.jpg)
赤ハゲ山までの道のりには4月下旬から5月頃にかけて野ダイコンが咲き乱れ、写真家の加藤庸二は「その美しさはまさに絶景である」と評している[13][7]。知夫村ではこの光景にちなみ、春に「野だいこん祭り」と称する島開きイベントを開催する[7]。
赤ハゲ山には、貴重な隠岐の固有種が生息している[14]。代表的なものとして、オキタンポポ、オキノアザミ、オキノアブラギクなどが挙げられる[14]。オキタンポポは、主に林縁や草原に生育している[15]。オキノアザミは主に沿岸部から、山地まで幅広く分布していて、特に牛馬が本種の棘を嫌い、食さないこともあり、放牧地で数多く生育している[16]。オキノアブラギクは海岸崖地、林縁などに生育している[17]。
また、赤ハゲ山の北斜面下部からウグイガ崎までの範囲で、落葉広葉樹林が見られる[18]。この林の高木には主に、アキニレ、クマノミズキ、ネムノキ、アカメガシワ、ヤマグワなどの広葉樹が混生して林が成り立っており、そのなかで特に多いのがアキニレである[19]。林の中の低木にも主に、マユミ、ガマズミ、ウツギ、サンショウ、ゴマギ、ムラサキシキブ、ニワトコ、アキグミ、クサギなどの落葉性低木が多く自生している[19]。さらに、林内にはタブノキの幼木が多く見られることから、将来このまま放置されれば、タブノキ林が形成されていく範囲になると考察されている[19]。
赤ハゲ山や高平山などの草原、低木群落の中に岩が露出した場所があるが、その岩の上にミツバイワガサというバラ科の植物の群落がある[19]。また、その群落は群落高1メートル前後の特異な植物群落として形成されている[19]。群落内にはミツバイワガサのほかにも、イボタノキ、ウツギなどの低木、海岸崖地に生える隠岐の固有種のオキノアブラギク、トウテイランも生えることがある[19]。本来、ミツバイワガサ群落は隠岐諸島に固有な群落であり、隠岐全体の海岸寄りの岩場や崖地に生育している。
動物
[編集]自然環境下では山口県の秋吉台や宮崎県のえびの高原などとともに、日本全国で数カ所しかないオオウラギンヒョウモンの生息地である[20]。
歴史
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Mount_Akahage_%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9C%9B%E3%82%80.jpg/220px-Mount_Akahage_%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9C%9B%E3%82%80.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c9/Mount_Akahage_%E5%90%8D%E5%9E%A3%E3%81%A7%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%94%BE%E7%89%A7%E5%9C%B0_%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E5%A4%AB%E9%87%8C%E5%B3%B6.jpg/220px-Mount_Akahage_%E5%90%8D%E5%9E%A3%E3%81%A7%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%94%BE%E7%89%A7%E5%9C%B0_%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E5%A4%AB%E9%87%8C%E5%B3%B6.jpg)
赤褐色の土壌と、風が強く樹木が育ちにくい環境から「赤ハゲ山」と呼ばれる[21][10]。元禄元年(1688年)編纂の地誌「増補隠州記」には「赤平山(あかひらやま)」の表記がある[22]。
先史時代
[編集]山頂やその周辺より、黒曜石の石鏃やその剥片が発見されたが、そのほかに遺物の発見がないため時代の同定はできておらず、縄文時代もしくは弥生時代のものと考えられる[23]。
中世
[編集]元弘2年(1332年)、謀反によって遠流に処された後醍醐天皇が、3月3日に島根半島の美保関に到着、美保関から3月26日に知夫里浦へ着船したとされる[24]。後醍醐天皇が隠岐に移動の途中、知夫の港に到着後に、赤ハゲ山の中腹に建立されていた古寺「古海坊」と「仁夫里坊」に滞在したとされる[24]。
1504年(永正元年)に起きた山火事により、仁夫里坊と古海坊は焼失した[10][25]。
現代
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Mount_Akahage_%E5%B1%B1%E9%A0%82%E3%81%AE%E6%AD%8C%E7%A2%91.jpg/220px-Mount_Akahage_%E5%B1%B1%E9%A0%82%E3%81%AE%E6%AD%8C%E7%A2%91.jpg)
1965年(昭和40年)、赤ハゲ山牧道新設工事が実施され[26]、展望休憩所が完成した[27]。牧道は1967年(昭和42年)3月に完成し[28]、その後、1974年(昭和49年)には赤ハゲ山を周る輪状の形となった[29]。
1976年(昭和51年)5月10日、島根県知事の恒松制治が隠岐諸島を初めて巡視し、赤ハゲ山にも登山した[30]。1979年(昭和54年)、NHK「中国路のどこかで」が赤ハゲ山で収録され、当時の青年団が全員動員された[31]。
1980年(昭和55年)、草地造成工事が行われた[32]。1990年(平成2年)、赤ハゲ山で山開きが行われ、山頂で餅まきが行われた[33]。1996年(平成8年)、赤ハゲ山展望台が完成した[34]。
2021年(令和3年)5月16日 - 東京オリンピックの聖火リレーが行われ[35][36][37]、知夫村では赤ハゲ山の山頂がゴール地点となった[38]。
地元有志で作る古道開拓の会が赤ハゲ山における古道の再発見と整備を進めており、知夫里島観光協会が主催するウォーキングイベントなどが開催されている[39]
史跡
[編集]後醍醐天皇にまつわる史跡
[編集]- 古海坊跡(うるみぼう)
- 古海坊(宇類美坊)とは、松養寺の古い呼び方である[40]。赤ハゲ山古海バージトにあるとされる[41]。自然石の石碑が建立されており[41]、表面には「後醍醐天皇行在所古海坊跡」と彫られている[41]。
- 仁夫里坊跡(にぶりぼう)
- 仁夫里坊跡は、赤ハゲ山の古海バージドにある[41]。自然石の石碑があり、表面には「後醍醐天皇行所仁夫坊跡」と彫られている[41]。
- 仁夫里坊が焼失した年は正確にはわかっていないが、永禄年間(1558年~1570年)から元亀年間(1570年~1573年)を経て天正年間(1573年~1592年)まで約70年の間の出来事とされる[42]。
- その後、来居地区の願成寺となった[43]。
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古海坊跡
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仁夫里坊跡
名垣(みょうがき)
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/04/%E8%B5%A4%E3%83%8F%E3%82%B2%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%9E%A3.jpg/220px-%E8%B5%A4%E3%83%8F%E3%82%B2%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%9E%A3.jpg)
「赤ハゲ山の牧畑用石垣」は隠岐ユネスコ世界ジオパークのジオサイトに選定されている[44]。
かつて、知夫里島は12人の名主(地主)によって治められており、牧畑も各名主によって支配されていた[45]。現在の赤ハゲ山の名垣は各漁師同士の境界線として建築された物で、「名主の垣」を省略して「名垣」と呼ばれるようになった[45]。
名垣は、畑を耕す際に出てきた石を積んだのが始まりとされており、周囲から出土した石を積んで作られている[45]。
大山さん
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/06/%E7%9F%A5%E5%A4%AB%E6%9D%91%E8%B5%A4%E3%83%8F%E3%82%B2%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E3%81%95%E3%82%93.jpg/220px-%E7%9F%A5%E5%A4%AB%E6%9D%91%E8%B5%A4%E3%83%8F%E3%82%B2%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E3%81%95%E3%82%93.jpg)
1932年(昭和7年)には山頂近くに祠の大山さんが建立された[46]。牛馬の神として畜産農家の信仰を受けており、1985年(昭和60年)に遷宮祭が行われた[46]。
現地情報
[編集]交通アクセス
[編集]来居港から徒歩50分~1時間、または、車で20分[47]。歩行者専用の登山道は無い[7]。
施設
[編集]- 展望台(山頂)
- 公衆トイレ(山頂)
- 駐車場(山頂)
脚注
[編集]- ^ a b “赤ハゲ山”. しまね観光ナビ. 2024年7月29日閲覧。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村誌編纂委員会、1996年12月1日。
- ^ [1]
- ^ “隠岐諸島エリア”. 内閣府. 2024年7月29日閲覧。
- ^ a b c 地球の歩き方編集部『地球の歩き方 島旅09』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、100頁。
- ^ 『郷土学習資料集ちぶ』知夫村小中学校教員会、19頁。
- ^ a b c d e “赤ハゲ山” (PDF). 日本離島センター. 2024年7月29日閲覧。
- ^ 『郷土資料百科事典 島根県・観光の旅』近藤和吉、137頁。
- ^ 島根女子短期大学知夫村謎解き隊『隠岐知夫里島謎解きブック』ハーベスト出版、2003年、6頁。
- ^ a b c d 『隠岐の国散歩』隠岐観光協会、1998年、130頁。
- ^ a b c 『島根の歴史散歩』山川出版社、2008年、264頁。
- ^ 島根女子短期大学知夫村謎解き隊『隠岐知夫里島謎解きブック』ハーベスト出版、2003年、18頁。
- ^ 加藤庸二『原色日本島図鑑』新星出版社、2013年、76頁。
- ^ a b 島根女子短期大学知夫村謎解き隊『隠岐知夫里島謎解きブック』ハーベスト出版、2003年3月31日、20頁。
- ^ 深谷治、小池愛子『島歩きハンドブックⅡ』NPO法人 隠岐しぜんむら、2022年3月、105頁。
- ^ 深谷治、小池愛子『島歩きハンドブックⅡ』NPO法人 隠岐しぜんむら、2022年3月、103頁。
- ^ 深谷治、小池愛子『島歩きハンドブックⅡ』NPO法人 隠岐しぜんむら、2022年3月、102頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村誌編纂委員会、1996年12月1日、45頁。
- ^ a b c d e f 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村誌編纂委員会、1996年12月1日、46頁。
- ^ 島根女子短期大学知夫村謎解き隊『隠岐知夫里島謎解きブック』ハーベスト出版、2003年、20-21頁。
- ^ 島根女子短期大学知夫村謎解き隊『隠岐 知夫里島謎解きブック』ハーベスト出版、2003年3月31日、2頁。
- ^ 「隠岐の文化財」編集委員会『新隠岐島史料 増補隠州記』隠岐の島町教育委員会、2020年3月、84頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、1036頁。
- ^ a b 『知夫村誌 復刻版』知夫村、1997年3月、58-61頁。
- ^ 知夫村小中学校教員会『郷土学習資料集 ちぶ』知夫村小中学校教員会、1990年3月、17頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、149頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、326頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、1112頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、157頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、1126頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、1130頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、167頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、1139頁。
- ^ 知夫村役場総務課『村勢要覧 資料編 2014年』知夫村役場総務課、2014年、21頁。
- ^ 藤井俊行、桝井映志「聖火リレー島根14、鳥取14、鳥取19市町村」『山陰中央新報』2019年6月2日、1面。
- ^ 「「美しい島で走れたことが奇跡だ」…島根聖火リレー1日目」『読売新聞』2021年5月16日。
- ^ 「時と国境越えつなぐ思い 五輪へ島根で聖火リレー始まる」『朝日新聞』2021年5月16日。
- ^ “島根県隠岐郡知夫村聖火リレールート周辺地域図”. 国土交通省. 2024年7月27日閲覧。
- ^ 「古道を踏破、沿道に旧跡や絶景 知夫村」『山陰中央新報』2023年11月5日。
- ^ 『隠岐の国散歩』隠岐観光協会、1998年、126頁。
- ^ a b c d e 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、923頁。
- ^ 『知夫村誌 復刻版』知夫村、1997年3月、64頁。
- ^ 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、929頁。
- ^ “赤ハゲ山の牧畑用石垣”. 隠岐ユネスコ世界ジオパーク. 2024年7月23日閲覧。
- ^ a b c 中国四国地方環境事務所隠岐・自然保護館事務所『名垣 歴史と伝統を物語る知夫の風景』環境省、1頁。
- ^ a b 知夫村誌編纂委員会『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日、920頁。
- ^ “赤ハゲ山”. しまね観光ナビ. 2024年7月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『しま山100選』ネイチュアエンタープライズ、2017年
- 中国四国地方環境事務所隠岐・自然保護館事務所『名垣 歴史と伝統を物語る知夫の風景』環境省
- 『知夫村誌 復刻版』知夫村、1997年(原典は1960年刊行)
- 知夫村役場総務課『村勢要覧資料編2014年』知夫村役場総務課、2014年
- 『島根県の歴史散歩』山川出版社、2008年
- 『隠岐の国散歩』隠岐観光協会、1998年
- 人文社観光と旅編集部『郷土資料事典 島根県・観光と旅』人文社、1991年
- 『郷土学習資料集ちぶ』知夫村小中学校教員会、1990年
- 加藤庸二『原色日本島図鑑』新星出版社、2013年
- 地球の歩き方編集部『地球の歩き方 島旅09』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年
- 島根女子短期大学知夫村謎解き隊『隠岐知夫里島謎解きブック』ハーベスト出版、2003年
外部リンク
[編集]- 赤ハゲ山 - 公益社団法人 島根県観光連盟「しまね観光ナビ」
- 特集:子どもと一緒にワイルドな自然を!知夫里島の「赤ハゲ山」へ - 一般社団法人隠岐ジオパーク推進機構
- 【赤ハゲ山展望台】知夫里島最高峰から眺める絶景スポット - りとふる離島のススメ
- アカハゲ山(園地) - 島根県
- 赤ハゲ山の牧畑用石垣 - 隠岐ユネスコ世界ジオパーク
- しま山100選25 - 日本離島センター