蓬田城

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蓬田城
青森県
別名 蓬田大館・蓬田小館・蓬田館
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 潮潟通貞
築城年 嘉禎4年(暦仁元・1238年)
主な改修者 不明
主な城主 潮潟氏・奥瀬氏・蓬田氏
廃城年 天正13年(1585年)
遺構 郭・堀・土橋
指定文化財 なし

蓬田城(よもぎだじょう)は青森県東津軽郡蓬田村大字蓬田字汐越にあった日本の城平城)。

概要[編集]

大きく大館と小館に分けられる。大館は、蓬田川の北、10万m2の広大な面積を有している。東西600m南北300m。水田に囲まれ、周囲より一段高い、杉木立に覆われた場所である。八幡宮・弁天堂が残っている。北と南東に堀が残り、北側の堀は長さ約300m・幅15〜0m・深さ3m、南東側の堀は長さ50m・幅2m・深さ50cmほどである。館周辺は縄文時代の遺跡でもあり、現在も縄文土器や土師器が出土し、昭和47年の発掘調査の際も、陶磁器が出土してる。小館は東西150m南北150m。周囲を水田に囲まれ、比高2-3mほどの場所にあり、中央の幅5m、深さ3mほどの堀により東西に分けられている。この堀は北の阿弥陀川の水を引いている。擦文土器も発見され、昭和46.47年に早稲田大学文学部考古学研究室の発掘により竪穴住居跡や井戸が発見された。築城当初は小館のみであったのが、南北朝時代から室町時代に大館が築城され、そちらに移ったと思われる。

歴史[編集]

嘉禎4年(暦仁元年・1238年)に安東盛季の弟の潮潟通貞が築城したとされる。安東氏南部氏が駆逐すると、奥瀬氏が入城し、奥瀬建助などの名が伝わっている。奥瀬氏が退去すると、文明年間に平将門より8代目の相馬則政が入城し、蓬田越前と名乗った。その後、油川城などと共に大浦為信に対抗していたようである。「一統志」に「天正七年津軽三郡大方大浦為信の手に属しけれども、外ヶ浜筋平均未だ成らず。油川、高田、荒川、蓬田、横内の者ども召に応ぜざりしかば、油川を追落さるべしとて天正十三年三月彼の表へ手遣あり云々」との記述から、油川城落城と同時、またはその後蓬田城も大浦氏の支配下にはいり、蓬田氏は南部に逃れたようである。これにより廃城となった[1]

脚注[編集]

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  1. ^ ふるさとの文化遺産『郷土資料事典』2、39頁

参考文献[編集]

  • 津軽諸城の研究(1981) 伊吉書院 沼館愛三著
  • 日本の城郭大系(1980) 新人物往来社 菅英志

関連項目[編集]