芭露駅

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芭露駅
保存されていた頃の旧・芭露駅舎(1993年5月)
ばろう
Barō
福島仮乗降場 (5.6 km)
所在地 北海道紋別郡湧別町字芭露
北緯44度9分5秒 東経143度41分36秒 / 北緯44.15139度 東経143.69333度 / 44.15139; 143.69333
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 湧網線
キロ程 9.9 km(中湧別起点)
電報略号 ハロ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1935年昭和10年)10月20日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)3月20日[1]
備考 湧網線廃線に伴い廃駅
仮乗降場との距離は実キロ
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1977年の芭露駅と周囲約500m範囲。右下が網走方面。中湧別側にずれた島式ホームを有するが、駅舎側に開いた片開分岐を持ち、駅裏側が本線、駅舎側は中湧別側に貨物積卸場を持つ貨物線として使用されている。輪郭が判り難いが、その副本線上中湧別側に留置された一両の貨車らしき影が見える。また本線の外側にも副本線が見えるが、これは後に引込み線化されている。駅裏のストックヤードは原生に戻っているが、昭和20年代中頃までは駅舎横と共に多くの木材が野積みされていた。中湧別方面の駅表裏両側に当時からの木工場が残っているのが見える[2]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

芭露駅(ばろうえき)は、北海道網走支庁紋別郡湧別町字芭露にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線廃駅)である。電報略号ハロ事務管理コードは▲122401[3]

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

当駅が所在していた地名より。由来は、現在の芭露川の河口が大きいことから、アイヌ語で「パ[5]」〔口〕あるいは「パ[6]」〔その口〕と呼ばれたことによる[7][8]

駅構造[編集]

廃止時点で、島式ホームの片面を使用する、1面1線のホームと線路を有した地上駅であった。ホームは、線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した[9]。かつては1面2線の島式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も転轍機が中湧別方、網走方の両方向とも維持された形で側線として残っていた[9]。その他、本線網走方の交換設備ポイントより網走寄りからホームの外側に分岐する行き止まりの側線を1線有していた[9]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南西側に位置し、構内踏切で側線を渡りホーム南側とを結ぶ通路で連絡した[9]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は69人[9]

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

石碑と枕木があるのみ

芭露地区住民により結成された「旧芭露駅保存会」により、廃駅後も20年近くにわたって駅舎、ホーム、レールが保存され、駅舎は休憩・簡易宿泊施設として利用されていたが、国道からやや奥まったあまり目立たない場所にあったため訪れる客は少なく、老朽化や地域住民の高齢化と過疎化が進んだため、保存が困難になり2006年(平成18年)夏に駅舎が解体され、その後ホームと駅名標も撤去された。

1999年(平成11年)時点では、駅構内一式が廃駅当時のままであった[11]2001年(平成13年)時点でも駅銘板、駅舎内の路線廃止時の運賃表、駅舎とは別棟のトイレ棟、駅舎横の観光案内板などが残存していた[12]2010年(平成22年)時点では「芭露駅の跡」と記載された記念碑と、その後ろに撤去された枕木が積み上げられているのみとなっており[13]2011年(平成23年)時点でも同様であったが[12]、2014年(平成26年)5月に駅跡地に介護福祉施設「サポートセンターばろう 湖水の杜」が建てられた。記念碑は、この施設の敷地内に残されている。

同じ湧別町内にある計呂地駅は国道沿いにあり、公園として引き続き整備されているため、網走市内の能取駅と卯原内駅の関係と同じような状態となっている。

また、2011年(平成23年)時点では駅跡から志撫子仮乗降場方の線路跡が未舗装の道路として再利用されていた[12]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
湧網線
中湧別駅 - <五鹿山仮乗降場> - <福島仮乗降場> - 芭露駅 - <志撫子仮乗降場> - 計呂地駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、915頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、243頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  4. ^ 「通報 ●深名線上多度志駅ほか9駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1982年3月29日、3面。
  5. ^ アイヌ語ラテン翻字: par
  6. ^ アイヌ語ラテン翻字: paro
  7. ^ アイヌ語地名リスト ノブト~ヒラキ P101-110”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月20日閲覧。
  8. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、168頁。ISBN 978-4893915498 
  9. ^ a b c d e f 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、160頁。ISBN 978-4093951012 
  10. ^ a b c 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、19頁。 
  11. ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVI』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1999年3月、32頁。ISBN 978-4533031502 
  12. ^ a b c 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、98-99頁。ISBN 978-4894536128 
  13. ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、53頁。ISBN 978-4533078583 

関連項目[編集]