床丹駅

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床丹駅
とこたん
Tokotan
(4.0 km) 若里仮乗降場
所在地 北海道常呂郡佐呂間町字若里
北緯44度4分58.8秒 東経143度45分36.8秒 / 北緯44.083000度 東経143.760222度 / 44.083000; 143.760222
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 湧網線
キロ程 21.0 km(中湧別起点)
電報略号 トコ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)10月17日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)3月20日[1]
備考 湧網線廃線に伴い廃駅
仮乗降場との距離は実キロ
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1977年の床丹駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。無人化に伴って、島式ホームの駅舎側が撤去され、埋められて棒線化されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

床丹駅(とこたんえき)は、かつて北海道網走支庁常呂郡佐呂間町字若里に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線廃駅)である。電報略号トコ事務管理コードは▲122403[2]

歴史[編集]

駅構造[編集]

廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(網走方面に向かって左側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[5]。かつては島式ホーム1面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[5]

無人駅となっていた[4]が、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し、旧線跡を渡りホームを結ぶ通路で連絡した[5]。無人化後も清掃が行き届いていた[5]

駅名の由来[編集]

当駅が所在した地、字若里附近を流れる川の名より。アイヌ語由来であるが、「なくなった・村(コタン)」を意味する「トゥコタン(tu-kotan)」、あるいは「沼・村」を意味する「トコタン(to-kotan)」などの説があり、特定しがたい[6][7]

後者については、サロマ湖畔にあるために付けられたと考えられる[6][7]

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

2011年(平成23年)時点では、草生した空地に駅跡と線路跡があるのみとなっている[9]。また、以前は駅への取り付け道路入口部分に「床丹」バス停留所が設けられていた[9]

2017年(平成29年)時点では、駅周辺の線路跡は一部が道路へと転用されている。

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
湧網線
計呂地駅 - <浜床丹仮乗降場> - 床丹駅 - <若里仮乗降場> - 佐呂間駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、915頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、243頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ “日本国有鉄道公示第570号”. 官報. (1972年2月8日) 
  4. ^ a b 「通報 ●湧網線床丹駅ほか4駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1972年2月8日、2面。
  5. ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、160頁。ISBN 978-4093951012 
  6. ^ a b アイヌ語地名リスト ツキサ~トヨコ P81-90P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月24日閲覧。
  7. ^ a b 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、169頁。ISBN 978-4893915498 
  8. ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、19頁。 
  9. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、101頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目[編集]