立川キウイ

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立川たてかわ キウイ
.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}立川(たてかわ) キウイ
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。
本名 塚田つかだ 洋一郎よういちろう
生年月日 (1967-01-11) 1967年1月11日(53歳)
出身地 日本の旗 日本東京都板橋区
師匠 7代目立川談志
出囃子 木曽節
活動期間 1990年 -
所属 落語立川流

立川 キウイ(たてかわ キウイ、1967年1月11日[1][2] - ) は落語家。本名、塚田つかだ 洋一郎よういちろう[2]東京都板橋区出身[2]落語立川流所属。立川談志直門。2011年7月1日に真打昇進[3][4][5]

略歴[編集]

入門まで[編集]

中学生(板橋区立中台中学校)、高校生(東京都立高島高等学校)時代は「無頼な表現者」として太宰治檀一雄に憧れ、下駄で登校し笑われるなどのエピソードを持つ[6]。漫才ブーム到来で「芸人こそ現代の無頼」と考え、ブームの立役者であるビートたけしが立川錦之介として所属する落語立川流と、その家元である7代目立川談志の存在を知る[6]。談志に弟子入りを志願するも「100万円貯金してからこい」と追い返され、4年かけて100万円貯めて再訪し入門[7]

1990年12月、立川談志門下に入門し、立川キウイを名乗る。キウイ自身は由来について「入門当時、よしもとばななや、トマト銀行などが流行っていたからでは」など諸説を挙げている[2]。談志はキウイフルーツを「毛の生えた気持ち悪いもの」[8]としている。談志からは「談の文字が欲しければ、‘談キウイ’と名乗ってもよい」と言われたこともある[9]

前座時代[編集]

前座生活は足掛け16年にも及ぶ。同一門下における前座修行期間としては戦後最長記録とされる[10]。弟弟子の真打昇進パーティに前座の身分で裏方に回るという経験もあった[11]。前座時代に3回破門を受けた[7][12]

  • 1999年ごろ、談志が石原慎太郎都知事の会合に前座を連れて行こうとしたところ、連絡ミスで集まらず激怒、 破門(1週間で復帰)[7]
  • 2000年に上納金の未納が発覚。月1万円を1年半も納めておらず、即座に破門。 未納分18万円の3倍の約50万円を納入後1カ月半で復帰[7]
  • 2002年5月、談志より「二つ目への昇進意欲が感じられない」として他の前座(談修、志加吾、談号、談大、談吉)とまとめて破門される[7]。2003年5月、談志により一門復帰試験と二つ目昇進試験が行なわれるが不合格(談修のみ復帰と二つ目昇進が認められる。これを機に志加吾と談号は立川流から脱退し、名古屋の雷門小福門下に移籍し、雷門獅篭雷門幸福に改名)。
  • 2004年1月、一門の新年会席上で再度復帰試験が行なわれるが、師匠について稽古した踊りは真打の兄弟子から「ラジオ体操」と評されるレベルであり、窮した談志は判断を真打達に委ねる。当初は厳しい意見が相次いだが、二つ目ではなくあくまでも前座としての復帰を認めるかどうかであるとの条件提示が談志からあり、談志の意を汲んだ立川志の輔の支援で復帰を許された[7][13]

前座という立場ではあったが、真打がトリや独演会で掛ける「紺屋高尾」などの大根多を勉強会の高座にかける(一般には前座が真打のネタを高座に掛けるのは禁じられている)[14]。破門期間中は一度も勉強会などを開かなかった。本人は、勉強会の日と復帰試験の日が重なってはいけないからとの配慮からであったと述べている[14]

二つ目昇進[編集]

2007年4月10日に実施された二つ目昇進試験で談志より「昇格内定」を言い渡される。しかし、以前から朝令暮改の傾向がある談志はキウイを含む合格者全員の内定を取り消し、音曲歌謡を中心とする追試を課すと発表。しかしこれも間もなく中止となり、正式な二つ目昇格が決まった。

2007年7月に二ツ目に昇進[1]

真打昇進[編集]

真打昇進が決まった時期は2011年7月1日である[3][4]。その決定は2010年3月17日頃なされた。キウイの著書『万年前座』を師の談志が褒め、「よく書けている、偉い。褒美に真打昇進させてやる」と言った。この一言はシャレかも知れない。言われたキウイ自身も「師匠に真打ち昇進を言われたときはとっさに意味が分からなかった」と振り返るが、ためらわず『ありがとうございます』と受けた[5]。これで真打ち昇進が決まった。その後、談志は「あの時は気が弱っていた」と後悔しており、昇進への反対意見を募集していたという[15]

本人も認めるとおり、落語界でおそらく初となる「本で真打ちになった男」となる。反面、真打ち昇進試験は行っていない。しかしこれは立川流内で先行して真打になった者たちの事例と同様である。談志はキウイに対して「まともな芸は期待していない。落語をぶっ壊してやってみろ。求めるのはうまいやつじゃなく面白いやつ」と言葉を贈った[4]。二ツ目から真打まで約4年と、極めてスピード出世となる。ただし、真打昇進記念パーティーは「ビン・ラーディンの喪に服している」ため欠席[16]、また、真打昇進披露に立川談志が出演すると広告していたが、いずれも出席しなかった。

人物[編集]

自著によれば、実家暮らし[6]。母親と喧嘩して家出するが、公園で一泊して帰宅したこともあった[6]。主な収入源は、立川流の若手が代々引き継いでいる、師匠・談志が懇意にしている銀座にあるバーでのバーテンダーのアルバイトであった[17]。バーは2016年末に閉店。

雷門獅篭が談志門下所属中に立川志加吾の名前でモーニングで連載していた漫画『風とマンダラ』で、個性的な兄弟子として描かれた[18]。また、快楽亭ブラック (2代目)の新作「イメクラ五人廻し」にも実名で登場している。

立川志の輔原作の映画「歓喜の歌」(2008年2月2日公開)に出演しており、ロールにも名を連ねている。

著書[編集]

DVD[編集]

  • 『落語対決DVD 快楽亭ブラックVS立川キウイ 「~断罪!立川キウイ 腐った果物~」』Cat Panic Entertainment 2014年1月25日

出演[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 立川キウイ | 落語立川流, 落語立川流
  2. ^ a b c d 公式サイト『立川キウイの小屋』内プロフィール
  3. ^ a b 前座記録保持の立川キウイ、来春真打昇進。師匠談志が認める 日本テレビ
  4. ^ a b c 前座16年立川キウイ真打ちにスピード昇格 日刊スポーツ, 2010年3月27日8時49分
  5. ^ a b 前座16年半 キウイ真打ちへ 産經
  6. ^ a b c d 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「第1章 親がかりじゃないと食っていけない」より
  7. ^ a b c d e f 立川キウイ前座15年で二つ目に昇進 - 芸能ニュース, 2007年6月10日8時55分, 日刊スポーツ
  8. ^ 高田文夫・笑芸人編 『落語ファン倶楽部 Vol.5』 白夜書房 ISBN 978-4861914027
  9. ^ 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「第3章 キウイ このバカヤロウ」より
  10. ^ 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「第7章 真打になるなら早いとこなりな」より
  11. ^ 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「第2章 言っておくが、俺には時間がない」より
  12. ^ 異色落語家・立川キウイ、16年半でやっと「二つ目」 , 2007/06/21, ZAKZAK
  13. ^ 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「第5章 キウイ いい可限にしろ」より
  14. ^ a b 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「第6章 …面白ぇな」より
  15. ^ 「談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ」(立川談志、落語立川流一門 著 dZERO 2013年)366-367頁
  16. ^ 恩田雅和の日日是繁昌 番外編(下) , 2011年12月24日, 大阪日日新聞
  17. ^ 万年前座 - 僕と師匠・談志の16年「あとがき(のようなもの)」より
  18. ^ 『万年前座』から見た立川談志…落語家立川キウイに独占インタビュー前編”. リアルライブ (2010年6月30日). 2017年1月5日閲覧。
  19. ^ ドキュメンタリー『落語を救った男たち 天才現る!古今亭志ん朝の衝撃』がNHK BSプレミアムで6月13日放送”. amass (2017年6月8日). 2018年3月10日閲覧。

外部リンク[編集]