大久保利世

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大久保 利世(おおくぼ としよ、寛政6年11月19日1794年12月11日) - 文久3年5月19日1863年7月4日))は、江戸時代後期の薩摩藩士。通称は次右衛門。は子老。隠居後、冠雪とも称したらしい。大久保利通の父。家格は小姓与。本姓藤原氏

来歴[編集]

親族[編集]

宅地[編集]

『鹿児島城下絵図散歩』では、天保13年の大久保次右衛門の宅地が、現在の鹿児島市高麗町7番地東(一部道路になっている。、番地は平成15年現在)にあり、広さは150。なお、同年の加治屋町の西郷竜右衛門(西郷隆盛の祖父、西郷隆充)宅地は259坪、東郷吉左衛門(東郷平八郎の父、東郷実友)宅地は267坪。

人物[編集]

  • 大久保利世の体格について『大久保利通伝 上』では次のように言っている。「體軀長大ならざれども、頗る肥満して色白く、実に厳然たる違丈夫なりき」
  • 大久保利世は神仏を信じること厚く、常に気節の士と交わり、陽明学禅学に通じていたらしい。また、相撲好きだったという。
  • 利世は放任主義者で子供を叱責することがなかったという。ただ、「男児の乱暴なるは深く咎むること要しないが、卑劣なる行為に至っては一歩も之を仮借してはならない」といっていたらしい。
  • 2回にわたる沖永良部島代官付役在任中、沖永良部島のチカヒルヤ(屋号)の筆との間にタケとマツの2女をもうける。藩法により、島妻と子ども達は連れ帰れなかったため、3人を残して鹿児島に戻る。なお、マツは土持政照の妻になる。
  • 利世が喜界島流刑時に、少しも臆することなく、護送していた役人に冗談で「足下等よ、われは間隙に乗じて逃走せんも測り難い、油断し給うな。」といったという。
  • 利世は琉球館附役時代は琉球館内の宅地に住んでいたが、利通に郷中教育を受けさせるべく加治屋町の家にいた兄の未亡人の許で暮らさせた。後に利通も琉球館内の宅地に移ったらしい。

登場作品[編集]

テレビドラマ

参考文献[編集]

  • 勝田孫弥『大久保利通伝 上』(臨川書店)
  • 勝田孫弥『甲東逸話』
  • 塩満郁夫、友野春久編『鹿児島城下絵図散歩』高城書房、2007年12月1日初版
  • 友野春久『池上四郎貞固系譜』(『敬天愛人』別刷 西郷南州顕彰会)
  • 『奄美資料集成』
  • 『和泊町誌 歴史編』
  • 『大久保利通文書』

脚注[編集]

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  1. ^ 植村花菜のルーツは大久保利通!祖母の故郷で知る:スポニチ(2011年3月10日)

関連項目[編集]