白日会
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設立年 | 1924年(大正13年)1月 |
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設立者 | 中沢弘光、川島理一郎 |
本部 | 東京都中央区八丁堀4-2-8 月村マンション No.27-202 |
座標 | 北緯35度40分28秒 東経139度46分24秒 / 北緯35.67444度 東経139.77333度座標: 北緯35度40分28秒 東経139度46分24秒 / 北緯35.67444度 東経139.77333度 |
公用語 | 日本語 |
会長 | 中山 忠彦 |
ウェブサイト | 白日会 |
白日会(はくじつかい)は、公募美術展覧会の1つである白日会展を主催する美術団体であり、任意団体である。
本部事務所は、東京都中央区八丁堀4丁目2番8号202号室にある[1]。
概要[編集]
「絵画部(油彩・水彩・版画)」と「彫刻部」の2つからなる(白日会定款第6条)[1][2]。毎年春3月から4月にかけた時期に国立新美術館で公募展として白日会展を開催している[3]。
2007年までは、上野の東京都美術館で開催されてきた[4]。しかし老朽化のため同美術館の改修工事が行われたことと、より広い展示スペースを確保するため、2008年以降は、多くの公募団体の展覧会が会場変更したのと同様に公募展専用の広い展示スペースを保有する六本木に新設された国立新美術館で白日会展を開催するようになった[5]。
名前の由来と会の結成[編集]
1923年(大正12年)欧遊の帰途にあった中沢弘光が、同船に乗り合わせた川島理一郎と出合い、互いに話を深めるうち、当時の日本洋画壇の将来に心をいため、美術研究団体の発足を誓い合あった。中沢弘光は、その時インド洋上で仰いだ白日に輝く太陽にちなみ、新団体を「白日会」と命名し、翌年1924年(大正13年)1月に正式に結成された[1]。
略史[編集]
発足後は時局の影響を受け、また紆余曲折を経た後、1986年に会長となった前任の伊藤清永(1984年日本芸術院会員、1996年文化勲章受章、2001年逝去)[6]、小堀進、平松譲、彫刻の中村晋也(2007年文化勲章受章)等を中心に、健全、自由な具象作家の集団という創設の意図を受け継ぎながら、独自の活動を続けてきた[1]。
2016年3月現在、2002年に会長となった中山忠彦(1998年日本芸術院会員、2009年日展理事長就任、2015年5月理事退任・顧問就任[7])を中心に活動をしている[1]。
組織[編集]
会員の種別は、会員、準会員、会友と白日会定款(以下、定款)で定められている(定款第7条)[2]。
役員の種別と員数は、会長1名、副会長2名、常任委員10名以上15名以内と定款で定められている(定款第14条)[9]。
支部については、北海道、茨城、栃木、神奈川、静岡、中部、関西、岡山、長崎、大分、熊本、南九州の12支部がある[10]。
内閣総理大臣賞受賞者[編集]
第54回展覧会(1978年)から内閣総理大臣賞が下付されるようになった[11]。
白日会展における特別賞[編集]
内閣総理大臣賞(白日会が委嘱した美術評論家1名により選出される。)以外に特別賞が授与される[12]。
平成元年以降の主な退会者[編集]
- 本人逝去による[13] --- 伊藤清永[6]、柳沢淑郎、平松譲(1995年日本芸術院会員)[14]、市村緑郎(彫刻、2008年日本芸術院会員)[15]。
- 上記以外のもの[13] --- 野田弘志、柴田清治(水彩)、五味文彦 (画家)、平松征一、傍嶋幹司、矢倉弘資、柳瀬雅夫、小尾修、湯山俊久、舟木誠一郎。
脚注[編集]
- ^ a b c d e “白日会について”. 白日会. 2015年12月10日閲覧。
- ^ a b 白日会創立九十周年記念展出品目録 46頁
- ^ 国立新美術館公募展スケジュール 国立新美術館公式サイト
- ^ 白日会九十一年回展出品目録(白日会略史)47-81頁
- ^ 白日会九十一年回展出品目録(白日会略史)82-88頁
- ^ a b “伊藤清永氏紹介”. 豊岡市立美術館(伊藤清永記念館). 2015年12月10日閲覧。
- ^ “日展新人事、新役員・準会員決まる”. Art Annual onine. (2015年6月4日) 2015年6月17日閲覧。
- ^ “白日会創立九十周年記念展、受賞者を発表”. Art Annual onine. (2014年3月26日) 2015年11月12日閲覧。
- ^ 白日会創立九十周年記念展出品目録 47頁
- ^ 白日会創立九十周年記念展出品目録 106頁
- ^ 白日会九十一年回展出品目録(白日会略史)60頁
- ^ 白日会九十一年回展出品目録 4-5頁
- ^ a b 白日会九十一年回展出品目録(白日会略史)67-88頁
- ^ “平松譲氏が死去 洋画家、日本芸術院会員”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2013年7月27日) 2016年11月27日閲覧。
- ^ “市村緑郎氏が死去 彫刻家”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2014年4月29日) 2015年11月24日閲覧。