「妥当性」の版間の差分
Yusuke1109 bot (会話 | 投稿記録) |
・妥当性の構成要素が何なのか明確に ・演繹的か帰納的かは本質ではない ・論証/推論など用語の不統一/混乱を是正 |
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ある[[論証]]が、前提が全て真であれば結論も必ず真となるような形になっている時、その論証を'''妥当である'''({{lang-en-short|Validity}})という。より厳密に表現すると、『全ての前提が真である』ことと『結論が偽である』ことが'''決して'''両立しない論証を妥当であるという。 |
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'''妥当性'''({{lang-en-short|Validity}})は、[[演繹]]的[[論証]]が持つ論理的特性であるが、一般に任意の文に対して使われる(ここでいう文とは、真か偽かという[[真理値]]を持つものをいう)。ここでは、'''論証'''を文の集まりとし、そのうちの1つの文が結論で残りは前提であるとする。前提とは、結論が(おそらく)真であると示す根拠である。 |
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論証 |
論証が妥当であるか否かはその形によってのみ決まり、個々の[[命題|文]]の[[真理値]]は問わない。論証の妥当性は結論が真であることを保証しない(妥当な論証でも前提に偽があれば結論も偽になりうる)し、妥当でない論証(「不当; invalid」と表現することがある)の結論が偽とも限らない。 |
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妥当であり、かつ全ての前提が真である論証を'''[[健全性|健全]]な論証'''という。妥当性および健全性の定義により、健全な論証の結論は常に真である。 |
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(なお前述からも分かるように、帰納的論証の場合には、形式が「妥当」であっても、真なる前提から導かれた結論が偽であることが「けしてない」とまでは言えない。) |
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三段論法の例として有名な以下の論証は妥当である。 |
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'''例1'''(妥当) |
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妥当でない論証は「不当; invalid」である。 |
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これは[[演繹]]的な論証であり、記号におきかえると次のように記述できる。 |
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以下は、演繹的に妥当な論証の有名な例である。 |
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'''例1'''の一般化 |
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*P⇒Q |
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**集合P(人間)は例外なくQである(死ぬ) |
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:従って、ソクラテスは死ぬ。 |
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*n∈P |
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*結論:n⇒Q |
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**nは(Pなのだから)Qである(死ぬ) |
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この形式を保ったまま(つまり記号にした部分だけを)任意の言葉を差し替えて別の論証を作ると、真理値は変わる可能性があるが、妥当性は形式に依拠するため保たれる。この例は元の文が妥当なので、次の文も(ナンセンスではあるが)妥当である。 |
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これは、前提が真で結論も真だから「妥当」な論証だというわけではない。そうではなく、論理的に他の結論を導くことが不可能であるという事実によって「妥当」とされる。例をもうひとつ挙げる。 |
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'''例2'''(妥当) |
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:ゴリラは消費税である。 |
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*全ての猿はバナナを好む。 |
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:消費税は富士山である。 |
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*富士山は猿である。 |
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*結論:富士山はバナナを好む。 |
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例2の結論は偽である。妥当な論証の結論が真でないということから、前提のどれかが必ず偽だといえる。逆に言うと、例2の前提を(強引に)真と仮定するならば、富士山はバナナを好むと結論するのが[[論理的帰結]]となる。 |
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おかしな文だが、これも妥当な推論である。ただしこの二つの前提は真ではない(よってこの推論は[[健全性|健全]]ではない)。しかしそれでもこの推論は、妥当性は持つ。つまり妥当性というのは推論が持つ「形式」に対してのみ使われる言葉だということである。 |
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==妥当でない論証の例== |
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以上の二つの論証では、前提群が真でありさえすれば、結論が偽となることはあり得ない。 |
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次の論証は妥当ではない。 |
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'''例3'''(妥当ではない) |
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*すべてのカラスは黒い。 |
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上記の論証とよく似た、次のような不当な論証がある。 |
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*この鳥は黒い。 |
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*結論:この鳥はカラスである。 |
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この場で論じられている『この黒い鳥』は、本当にカラスかも知れない。つまり結論は真でもありうる。しかしそれは前提から導かれたものではなく、『前提が全て真である』ことと『結論が偽である』ことが両立しうる。よってこの論証に妥当性は無い。<!-- 妥当な論証のすべてが演繹というわけではないが、書き方に気を付けないとそう誤解されそう。 --> |
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:全ての人間は死ぬ。 |
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この場合、前提群が真で結論が偽となる可能性がある。「ソクラテス」という名前の犬を想定すれば、前提群は真だが、結論は偽となる。このような可能性により、この論証は不当性を持つことになる。ただし、論証が妥当か不当かは、このような例を想定することに依存しているわけではなく、単に論証の評価の助けとなる手法というだけである。 |
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== 論理形式 == |
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一般に論証が妥当かどうかは、その論証の[[論理形式]]の問題である。論理学者は様々な技法で論証の論理形式を表現する。単純な例として、上記の2つの例を次のように表す。文字 'P'、'Q'、's' がそれぞれ、人間の集合、死ぬものの集合、ソクラテスを表すとする。これらの記号を使うと、第一の論証は次のように表される。 |
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::全ての P は Q である |
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::s は P である |
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::従って、s は Q である |
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同様に、第二の論証は次のようになる。 |
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::全ての P は Q である |
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::s は Q である |
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::従って、s は P である |
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このような意味の無い略語を用いることで、それぞれの論証の'''論理形式'''がより明らかとなる。このレベルでは、''P''、''Q''、''s'' という文字を任意の表現に置換することで任意の論証を形成することができる。特に、論証の妥当性を検討するにあたって、論証の形式を利用できるという点は重要である。このため、論証形式を明らかにする際の変換では、オブジェクトの集合に大文字を割り当て、特定の個体に小文字を割り当てるよう定義している。この方法により、演繹的妥当性の定義の形式的相似物を得られるだろう。 |
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* 論証が'''形式的に妥当'''であるとは、その形式に任意のオブジェクトやオブジェクトの集合を当てはめても、前提が全て真で結論が偽となるような例が存在しないことである。 |
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既に見たように、第二の論証形式では前提が真で結論が偽となる場合があるため、妥当ではない。 |
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== 参考文献 == |
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== 関連項目 == |
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* [[論理的帰結]] |
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* [[健全性]] |
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* [[恒真式]] |
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== 外部リンク == |
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[[Category:真理論]] |
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[[Category:論理学の概念]] |
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2020年3月23日 (月) 10:16時点における版
ある論証が、前提が全て真であれば結論も必ず真となるような形になっている時、その論証を妥当である(英: Validity)という。より厳密に表現すると、『全ての前提が真である』ことと『結論が偽である』ことが決して両立しない論証を妥当であるという。
論証が妥当であるか否かはその形によってのみ決まり、個々の文の真理値は問わない。論証の妥当性は結論が真であることを保証しない(妥当な論証でも前提に偽があれば結論も偽になりうる)し、妥当でない論証(「不当; invalid」と表現することがある)の結論が偽とも限らない。
妥当であり、かつ全ての前提が真である論証を健全な論証という。妥当性および健全性の定義により、健全な論証の結論は常に真である。
妥当な論証の例
三段論法の例として有名な以下の論証は妥当である。
例1(妥当)
- 全ての人間は死ぬ。
- ソクラテスは人間である。
- 結論:ソクラテスは死ぬ。
これは演繹的な論証であり、記号におきかえると次のように記述できる。
例1の一般化
- P⇒Q
- 集合P(人間)は例外なくQである(死ぬ)
- n∈P
- n(ソクラテス)はPの要素である
- 結論:n⇒Q
- nは(Pなのだから)Qである(死ぬ)
この形式を保ったまま(つまり記号にした部分だけを)任意の言葉を差し替えて別の論証を作ると、真理値は変わる可能性があるが、妥当性は形式に依拠するため保たれる。この例は元の文が妥当なので、次の文も(ナンセンスではあるが)妥当である。
例2(妥当)
- 全ての猿はバナナを好む。
- 富士山は猿である。
- 結論:富士山はバナナを好む。
例2の結論は偽である。妥当な論証の結論が真でないということから、前提のどれかが必ず偽だといえる。逆に言うと、例2の前提を(強引に)真と仮定するならば、富士山はバナナを好むと結論するのが論理的帰結となる。
妥当でない論証の例
次の論証は妥当ではない。
例3(妥当ではない)
- すべてのカラスは黒い。
- この鳥は黒い。
- 結論:この鳥はカラスである。
この場で論じられている『この黒い鳥』は、本当にカラスかも知れない。つまり結論は真でもありうる。しかしそれは前提から導かれたものではなく、『前提が全て真である』ことと『結論が偽である』ことが両立しうる。よってこの論証に妥当性は無い。
参考文献
この節の加筆が望まれています。 |
関連項目
- 論理的帰結
- 健全性
- 恒真式== 外部リンク ==
- Validity and Soundness (英語) - インターネット哲学百科事典「妥当性と健全性」の項目。