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== 経歴 ==
== 経歴 ==
地元[[ペンシルバニア州]]の高校でコーチ業を始め、[[デューク大学]]のアシスタントコーチや[[ボストンカレッジ]]と[[ペンシルベニア大学]]でコーチを務めた後<ref name="pennmg">[http://www.pennathletics.com/pdf4/352744.pdf?ATCLID=3619778&SPSID=19817&SPID=539&DB_OEM_ID=1700 University of Pennsylvania 2008–09 Men's Basketball Media Guide.]</ref><ref>[http://www.pennathletics.com/ViewArticle.dbml?&ATCLID=3735846&DB_OEM_ID=1700 "Chuck Daly Passes Away at Age 78," University of Pennsylvania Athletics, Saturday, May 9, 2009.]</ref>、1978年[[NBA]]の[[フィラデルフィア・セブンティシクサーズ|フィラデルフィア・76サーズ]]のアシスタントコーチとしてNBAでのキャリアをスタートさせた。その後、[[クリーブランド・キャバリアーズ]]のヘッドコーチを経て<ref>http://bleacherreport.com/articles/171140-remembering-chuck-daly</ref>、1983年[[デトロイト・ピストンズ]]のヘッドコーチに就任。[[アイザイア・トーマス]]、[[ビル・レインビア]]、[[デニス・ロッドマン]]などの[[バッド・ボーイズ]]と言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。[[1989年]]と[[1990年]]に2年連続NBA制覇を達成した。
地元[[ペンシルバニア州]]の高校でコーチ業を始め、[[デューク大学]]のアシスタントコーチや[[ボストンカレッジ]]と[[ペンシルベニア大学]]でコーチを務めた後<ref name="pennmg">[http://www.pennathletics.com/pdf4/352744.pdf?ATCLID=3619778&SPSID=19817&SPID=539&DB_OEM_ID=1700 University of Pennsylvania 2008–09 Men's Basketball Media Guide.] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110719145747/http://www.pennathletics.com/pdf4/352744.pdf?ATCLID=3619778&SPSID=19817&SPID=539&DB_OEM_ID=1700 |date=2011年7月19日 }}</ref><ref>[http://www.pennathletics.com/ViewArticle.dbml?&ATCLID=3735846&DB_OEM_ID=1700 "Chuck Daly Passes Away at Age 78," University of Pennsylvania Athletics, Saturday, May 9, 2009.]</ref>、1978年[[NBA]]の[[フィラデルフィア・セブンティシクサーズ|フィラデルフィア・76サーズ]]のアシスタントコーチとしてNBAでのキャリアをスタートさせた。その後、[[クリーブランド・キャバリアーズ]]のヘッドコーチを経て<ref>http://bleacherreport.com/articles/171140-remembering-chuck-daly</ref>、1983年[[デトロイト・ピストンズ]]のヘッドコーチに就任。[[アイザイア・トーマス]]、[[ビル・レインビア]]、[[デニス・ロッドマン]]などの[[バッド・ボーイズ]]と言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。[[1989年]]と[[1990年]]に2年連続NBA制覇を達成した。


プロの出場が解禁された[[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]では、その指導力を買われてスーパースター軍団の「'''[[ドリームチーム (バスケットボール)|ドリームチーム]]'''」の指揮を取り、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。
プロの出場が解禁された[[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]では、その指導力を買われてスーパースター軍団の「'''[[ドリームチーム (バスケットボール)|ドリームチーム]]'''」の指揮を取り、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
[http://www.hoophall.com/hall-of-famers/tag/charles-j-chuck-daly バスケットボール殿堂公式サイト チャック・デイリー]
[https://web.archive.org/web/20090831072757/http://www.hoophall.com/hall-of-famers/tag/charles-j-chuck-daly バスケットボール殿堂公式サイト チャック・デイリー]
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2017年9月14日 (木) 18:28時点における版

チャック・デイリー
Chuck Daly
故人
愛称 "Chuck"
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1930-07-20) 1930年7月20日
没年月日 (2009-05-09) 2009年5月9日(78歳没)
出身地 ペンシルベニア州セントメアリーズ
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 82kg (181 lb)
キャリア情報
出身 ブルームバーグ大学 (ペンシルバニア州)
永久欠番 ピストンズ  2 (HC)
指導者経歴
1978-81
1981-82
1983-92
1992-94
1997-99
フィラデルフィア・76ers(AC)
クリーブランド・キャバリアーズ
デトロイト・ピストンズ
ニュージャージー・ネッツ
オーランド・マジック
受賞歴

コーチ時代

獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1992 バルセロナ バスケットボール

チャック・デイリーCharles Jerome "Chuck" Daly, 1930年7月20日 - 2009年5月9日)は、ペンシルベニア州セントメリーズ出身のバスケットボール指導者。NBAデトロイト・ピストンズで、バッド・ボーイズを率い、1989年、1990年と連覇を達成しており、当時全盛期であったマイケル・ジョーダンに対して、ダブルチームを駆使し、時にはファウルをも辞さない激しいプレスディフェンスを行う、所謂ジョーダン・ルールと呼ばれる戦術を編み出し、このディフェンス戦術は、その後も歴代スタープレーヤに対抗する戦術の一つとして受け継がれている。1992年のバルセロナ・オリンピックではドリームチームを率いて金メダルを獲得し[1]NBA10人の名将にも選ばれている。また1994年と2010年の2度のバスケットボール殿堂入りを果たしている[2]

経歴

地元ペンシルバニア州の高校でコーチ業を始め、デューク大学のアシスタントコーチやボストンカレッジペンシルベニア大学でコーチを務めた後[3][4]、1978年NBAフィラデルフィア・76サーズのアシスタントコーチとしてNBAでのキャリアをスタートさせた。その後、クリーブランド・キャバリアーズのヘッドコーチを経て[5]、1983年デトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任。アイザイア・トーマスビル・レインビアデニス・ロッドマンなどのバッド・ボーイズと言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。1989年1990年に2年連続NBA制覇を達成した。

プロの出場が解禁された1992年バルセロナオリンピックでは、その指導力を買われてスーパースター軍団の「ドリームチーム」の指揮を取り、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。

その後、ロサンゼルス・クリッパーズニュージャージー・ネッツオーランド・マジックのヘッドコーチを歴任。それぞれのチームの成績を立て直し、多くのシーズンでプレイオフに進出させることに成功している。

合計で14シーズンの間、コーチを務め、638勝437敗の記録を残している。これらのコーチとしての功績により1994年5月9日バスケットボール殿堂入りを果たしている。自身はNBAでの選手歴はないが、デトロイト・ピストンズは彼の功績をたたえ、背番号2をチャック・デイリーの永久欠番とした。

2009年5月9日に永眠した[6][1][7]。78歳没。

脚註

外部リンク

バスケットボール殿堂公式サイト チャック・デイリー