ブレンダン・マローン

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ブレンダン・マローン
Brendan Malone
Brendan Malone in 2008.jpg
2008年、オーランド・マジックAC時のマローン
デトロイト・ピストンズ AC
役職 アシスタントコーチ
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基本情報
本名 Brendan Thomas Malone
ラテン文字 Brendan Malone
誕生日 (1942-04-21) 1942年4月21日(75歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州ニューヨーク市
マンハッタン区ハーレム
出身 イオナ大学 (ニューヨーク州)
ドラフト  
指導者経歴
1976-1977
1977-1978
1978-1984
1984-1986
1986-1988
1988-1995
1995-1996
1996-1999
2000-2003
2003-2004
2004-2005
2007-2011
2014-
フォーダム大学 (AC)
イェール大学 (AC)
シラキュース大学 (AC)
ロードアイランド大学
ニューヨーク・ニックス (AC)
デトロイト・ピストンズ (AC)
トロント・ラプターズ
ニューヨーク・ニックス (AC)
インディアナ・ペイサーズ (AC)
ニューヨーク・ニックス (AC)
クリーブランド・キャバリアーズ (AC→暫定HC)
オーランド・マジック (AC)
デトロイト・ピストンズ (AC)
受賞歴

ブレンダン・マローン (Brendan Thomas Malone 1942年4月21日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身のバスケットボール指導者。NCAANBAの各チームで長年に亘りコーチを務め、現在はデトロイト・ピストンズのアシスタントコーチを務めている。

息子のマイケル・マローンNBAの各チームでコーチを務めており、現在はデンバー・ナゲッツのヘッドコーチを務めている。

経歴[編集]

ブレンダン・マローンは、地元ニューヨーク州の大学を卒業後、選手としては活動せず、地元の高校からコーチ業を開始。1976年から1986年にかけてはフォーダム大学イェール大学シラキュース大学のアシスタントコーチを務め、ロードアイランド大学のヘッドコーチも務めた。

1986年ニューヨーク・ニックスにアシスタントコーチとして招かれNBA入り。1988年からはチャック・デイリーの下でデトロイト・ピストンズのアシスタントコーチを務め、1989年1990年NBA優勝を経験。1995年までピストンズのコーチを務めた。

1995年、当時カナダに新しく誕生したトロント・ラプターズのヘッドコーチに、ピストンズ時代に指導したアイザイア・トーマスGMからの誘いを受け、初代ヘッドコーチに就任。しかし、寄せ集めの即席チームを纏めることが出来ず、更にトーマスとは1995年のNBAドラフトで1巡目指名で獲得したデイモン・スタウダマイアーの起用法を巡って対立するなど、初のヘッドコーチ業は苦難の連続となり、結局は21勝61敗に終わり、シーズン終了後に解任された。

1996年から3年間は、ジェフ・ヴァン・ガンディの下でニューヨーク・ニックスのアシスタントコーチを務め、2000年から3年間はインディアナ・ペイサーズのアシスタントコーチとして、アイザイア・トーマスのサポート役を務めた。

2003-2004シーズンは、息子のマイケル・マローンと共にニューヨーク・ニックスのアシスタントコーチを務めた。

2004-2005シーズンクリーブランド・キャバリアーズのアシスタントコーチを務めていたが、シーズン途中にポール・サイラスヘッドコーチが解任されたのを受け、暫定ヘッドコーチに昇格。しかし8勝10敗に終わり、シーズン全体でも42勝40敗でニュージャージー・ネッツと同率で直接対戦の関係でプレーオフ進出を果たせず退任。因みに父と入れ替わる形で、マイケルが翌シーズンからキャバリアーズのコーチに就任している。

2007年夏、スタン・ヴァン・ガンディがヘッドコーチに就任したオーランド・マジックのアシスタントコーチに就任[1]。翌2009年プレーオフカンファレンスファイナルのクリーブランド・キャバリアーズ戦では、相手ベンチでコーチを務める息子マイケルとの "親子対決" が話題となった。

2013年、マイケルがヘッドコーチに就任したサクラメント・キングスのアソシエイトコーチに就任したものの、経営陣と対立し、シーズン開幕を待たずに退任[2]

2014年7月30日、スタン・ヴァン・ガンディが社長兼ヘッドコーチに就任したデトロイト・ピストンズのアシスタントコーチに就任した[3]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]