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|賞歴='''コーチ時代''' |
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*2×[[NBAファイナル|NBAチャンピオン]]:1989, 1990 |
*2×[[NBAファイナル|NBAチャンピオン]]:1989, 1990 |
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*No.2 [[デトロイト・ピストンズ]]永久欠番<br>※ (注:デイリー自身は選手としての経験はなかったが、'''[[デトロイト・ピストンズ]]を2連覇 |
*No.2 [[デトロイト・ピストンズ]]永久欠番<br>※ (注:デイリー自身は選手としての経験はなかったが、'''[[デトロイト・ピストンズ]]を2連覇'''に導いたことに敬意を表して永久欠番が授与された) |
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*[[NBA50周年記念オールタイムチーム]]:1996<br>※(コーチ部門で選出) |
*[[NBA50周年記念オールタイムチーム]]:1996<br>※(コーチ部門で選出) |
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|監督歴=[[フィラデルフィア・76ers]](AC)<br />[[クリーブランド・キャバリアーズ]]<br />[[デトロイト・ピストンズ]]<br />[[ニュージャージー・ネッツ]]<br />[[オーランド・マジック]] |
|監督歴=[[フィラデルフィア・76ers]](AC)<br />[[クリーブランド・キャバリアーズ]]<br />[[デトロイト・ピストンズ]]<br />[[ニュージャージー・ネッツ]]<br />[[オーランド・マジック]] |
2015年4月28日 (火) 21:42時点における版
殿堂 HC | |
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役職 | ヘッドコーチ |
基本情報 | |
愛称 | "Chuck" |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1930年7月20日 |
没年月日 | 2009年5月9日(78歳没) |
出身地 | ペンシルベニア州セントメアリーズ |
身長(現役時) | 188cm (6 ft 2 in) |
体重(現役時) | 82kg (181 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ブルームバーグ大学 (ペンシルバニア州) |
指導者経歴 | |
1978-81 1981-82 1983-92 1992-94 1997-99 |
フィラデルフィア・76ers(AC) クリーブランド・キャバリアーズ デトロイト・ピストンズ ニュージャージー・ネッツ オーランド・マジック |
受賞歴 | |
コーチ時代
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チャック・デイリー(Charles Jerome Daly, 1930年7月20日 - 2009年5月9日)は、ペンシルベニア州セントメアリーズ出身の元バスケットボールコーチ。
経歴
地元ペンシルバニア州の高校でコーチ業を始め、デューク大学のアシスタントコーチやボストンカレッジとペンシルベニア大学でコーチを務めたあと、NBAのデトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任。アイザイア・トーマス、ビル・レインビア、デニス・ロッドマンなどのバッド・ボーイズと言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。1989年と1990年に2年連続NBA制覇を達成した。
プロの出場が解禁された1992年のバルセロナオリンピックでは、その指導力を買われてスーパースター軍団の「ドリームチーム」の指揮を取り、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。
その後、ロサンゼルス・クリッパーズ、ニュージャージー・ネッツ、オーランド・マジックのヘッドコーチを歴任。それぞれのチームの成績を立て直し、多くのシーズンでプレイオフに進出させることに成功している。
合計で14シーズンの間、コーチを務め、638勝437敗の記録を残している。これらのコーチとしての功績により1994年5月9日にバスケットボール殿堂入りを果たしている。自身はNBAでの選手歴はないが、デトロイト・ピストンズは彼の功績をたたえ、背番号2をチャック・デイリーの永久欠番とした。
脚註
- ^ ドリームチーム監督デイリー氏が死去 スポーツニッポン 2009年5月10日閲覧
外部リンク