「デ・ハビランド DH.114 ヘロン」の版間の差分
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発足間もない[[日本航空]](旧)がローカル線に使うつもりでヘロン3機を購入したが、受領したときには[[特殊会社]]の日本航空となり、ローカル線の運航ができなくなったため、未使用のまま(乗員訓練に短期間使用したが)日本ヘリコプター輸送(現在の[[全日本空輸]])に売却し、「白鷺」の愛称で運用していた。 |
発足間もない[[日本航空]](旧)がローカル線に使うつもりでヘロン3機を購入したが、受領したときには[[特殊会社]]の日本航空(現在の[[日本航空インターナショナル]])となり、ローカル線の運航ができなくなったため、未使用のまま(乗員訓練に短期間使用したが)日本ヘリコプター輸送(現在の[[全日本空輸]])に売却し、「白鷺」の愛称で運用していた。 |
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* [[東亜航空]](TAW/その後の[[日本エアシステム]]・現在の日本航空インターナショナル)は多くのヘロンを運用していたが、搭載エンジンの部品入手が困難になり、エンジンを[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のコンチネンタルIO-470に換装し、「タウロン(TAWロン)」と命名し運用していた。「TAWロン」とはTAW(東亜航空)+ヘロン」の合成語である。 |
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* ヘロンとタウロンの区別の仕方は、ヘロンのエンジン吸気口がプロペラの下側に付いていたのに対して、タウロンの吸気口は横側についていることである。なおノースギア(前輪)は引き込み式に改造されていないため、ゾウの鼻のような独特の姿はそのままであった。 |
* ヘロンとタウロンの区別の仕方は、ヘロンのエンジン吸気口がプロペラの下側に付いていたのに対して、タウロンの吸気口は横側についていることである。なおノースギア(前輪)は引き込み式に改造されていないため、ゾウの鼻のような独特の姿はそのままであった。 |
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* 最後は[[奄美群島]]の離島間路線で細々と活躍を続けていたが、[[東亜国内航空]]時代初期の[[1973年]]3月をもって引退、日本の空から完全に姿を消した。 |
* 最後は[[奄美群島]]の離島間路線で細々と活躍を続けていたが、[[東亜国内航空]]時代初期の[[1973年]]3月をもって引退、日本の空から完全に姿を消した。 |
2010年8月3日 (火) 00:45時点における版
デ・ハビランド DH.114 ヘロン (de Havilland 114 Heron) とはイギリスのデ・ハビランド (de Havilland Aircraft Company) が開発した4発レシプロ旅客機である。DH.104 ダブと姉妹機でもあるがこちらは双発機であった。また日本においても1950年代に近距離旅客機として運用されていた。なお、ヘロンとは水鳥のサギの意である。
概略
デ・ハビランド DH.114 ヘロンの開発は市場の動向から遅れ、DH.104 ダブよりも遅くなった。そのため生産決定は1940年代後半になってからで、初飛行は1950年5月10日のことであった。機体はダブを大きくすることで、共通部品を多くすることにし、胴体を延長するとともに2機のエンジンのために翼長を延長するものとした。また最初に引き渡された航空会社はNAC(ニュージーランド航空の前身)であった。また初期に生産されたヘロンは降着装置が固定式であったが、後のMk.2では引き込み式に改良された。149機が生産され、およそ30カ国に輸出された。
またヘロンは4発であったが、それぞれが250馬力しかもたないデ・ハビランド ジプシークイン 30 エンジンであったため、非力であった。初期生産型であるMk.1A-Dが51機生産された後、Mk.2が生産されこちらは降着装置が引き込み式になった。また燃料消費を減らすとともに、いくぶん最高速度を上げた。また1963年には、12機がカナダのSaunders社の手によってエンジンを換装して双発に改造されたSaunders ST-27と命名された機体もあった。
運用国
軍用型運用国
民間用運用国
- オーストラリア
- バハマ
- バーレーン
- ベルギー
- カナダ
- コートジボワール
- デンマーク
- フィジー
- フランス
- ホンジュラス
- インド
- インドネシア
- イタリア
- ジャマイカ
- 日本
- ナイジェリア
- ニュージーランド
- ノルウェー
- プエルトリコ
- ローデシア
- サントメ・プリンシペ
- セントルシア
- シエラレオネ
- タイ
- トルコ
- イギリス
- アメリカ合衆国
- ウルグアイ
日本のヘロン
発足間もない日本航空(旧)がローカル線に使うつもりでヘロン3機を購入したが、受領したときには特殊会社の日本航空(現在の日本航空インターナショナル)となり、ローカル線の運航ができなくなったため、未使用のまま(乗員訓練に短期間使用したが)日本ヘリコプター輸送(現在の全日本空輸)に売却し、「白鷺」の愛称で運用していた。
- 東亜航空(TAW/その後の日本エアシステム・現在の日本航空インターナショナル)は多くのヘロンを運用していたが、搭載エンジンの部品入手が困難になり、エンジンをアメリカのコンチネンタルIO-470に換装し、「タウロン(TAWロン)」と命名し運用していた。「TAWロン」とはTAW(東亜航空)+ヘロン」の合成語である。
- ヘロンとタウロンの区別の仕方は、ヘロンのエンジン吸気口がプロペラの下側に付いていたのに対して、タウロンの吸気口は横側についていることである。なおノースギア(前輪)は引き込み式に改造されていないため、ゾウの鼻のような独特の姿はそのままであった。
- 最後は奄美群島の離島間路線で細々と活躍を続けていたが、東亜国内航空時代初期の1973年3月をもって引退、日本の空から完全に姿を消した。
- 1963年8月17日、八丈島にて藤田航空(同年全日空に吸収合併)のヘロン(JA6155)が八丈島空港離陸直後に八丈富士に激突、乗客・乗員19名全員が死亡する事故が起こっている。
- 日本国内で数機のヘロン(及びタウロン)が保存されていた。東亜航空のJA6151が広島県東広島市西条町にあったドライブインの屋上に、日本航空(旧)→日本ヘリコプター輸送→全日空→東亜航空のJA6152(タウロン)が広島県佐伯郡大野町のチチヤスハイパークに、全日空→日本遊覧航空(のちの藤田航空)→東亜航空のJA6153が熊本県荒尾市の三井グリーンランドに、富士航空→日本国内航空のJA6159が福岡県福岡市東区の貝塚公園に、東亜国内航空のJA6162(タウロン)が広島県府中市上下町の中元クリーニング工場屋上に、ガルーダ・インドネシア航空のPK-GHRが三重県四日市市の四日市ヘルスセンター(現在の天然温泉ユラックス)に展示されたが、JA6151、JA6152、JA6153、PK-GHRの4機は既に解体され現存していない。以上のことからヘロンが1機、タウロンが1機ずつが日本国内で保存されている。
派生型
- ヘロン 1 : 初期生産型。
- ヘロン 1B :
- ヘロン 2 :
- ヘロン 2A :
- ヘロン 2B :
- ヘロン 2C :
- ヘロン 2D :
- ヘロン 2E : VIP輸送型、1機製造。
- ヘロン 3 : エリザベス女王用VIP輸送型。イギリス空軍(RAF)、2機製造。
- ヘロン 4 : エリザベス女王用VIP輸送型。イギリス空軍(RAF)、1機製造。
- シーヘロン C.Mk 20 : 輸送および兵員輸送型。イギリス海軍。
- ライリー ターボ・スカイライナー :
- サンダース ST-27 : 双発型旅客機に改造
- サンダース ST-28 :
- タウロン : エンジンをアメリカ製IO-470エンジンに換装。
要目 (Mk 2D)
- 操縦乗員:2
- 乗客:14(最大)
- 全長:14.78 m
- 全幅:21.80 m
- 全高:4.75 m
- 自重:3,700
- エンジン:デ・ハビランド ジプシークイン 30 Mk 2 × 4
- 出力:250HP
- 最大速度:295km/h
- 航続距離:1,473 km
- 最大上昇限界高度:5600m