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だが[[日露戦争]]の結果、[[樺太]]・[[関東州]]を獲得し、[[朝鮮]]の保護権を確立したことから、1910年に内閣直属の拓務局が設置された。拓務局は[[大正時代]]には廃止・再設置・改称を繰り返していたが、外地統治・移民事業を担当するには拓務局では不十分であるとして、1929年に拓務省が新設され、[[朝鮮総督府]]・[[台湾総督府]]・[[樺太庁]]・[[南洋庁]]の統治事務の監督、および海外移民の募集や指導を行うことになった。 |
だが[[日露戦争]]の結果、[[樺太]]・[[関東州]]を獲得し、[[朝鮮]]の保護権を確立したことから、1910年(明治43年)に内閣直属の拓務局が設置された。拓務局は[[大正時代]]には廃止・再設置・改称を繰り返していたが、外地統治・移民事業を担当するには拓務局では不十分であるとして、1929年(昭和4年)に拓務省が新設され、[[朝鮮総督府]]・[[台湾総督府]]・[[樺太庁]]・[[南洋庁]]の統治事務の監督、および海外移民の募集や指導を行うことになった。 |
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しかし、省設置後に始まった[[満州事変]]以降に獲得した占領地は軍部が統治していて拓務省が関与できなかったこと、[[朝鮮総督府]]には直接の監督権がないなど、当初から問題点が指摘されていた。1942年に[[大東亜共栄圏]]を包括的に管理する[[大東亜省]]が設置されると、拓務省は、[[大東亜省]]・内務省・[[外務省]]などに分割された。 |
しかし、省設置後に始まった[[満州事変]]以降に獲得した占領地は軍部が統治していて拓務省が関与できなかったこと、[[朝鮮総督府]]には直接の監督権がないなど、当初から問題点が指摘されていた。1942年(昭和17年)に[[大東亜共栄圏]]を包括的に管理する[[大東亜省]]が設置されると、拓務省は、[[大東亜省]]・内務省・[[外務省]]などに分割された。 |
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2009年9月25日 (金) 03:01時点における版
拓務省(たくむしょう)は、1929年(昭和4年)から1942年(昭和17年)にかけて日本に存在した省で、外地と言われた日本の植民地の統治事務・監督のほか、南満州鉄道・東洋拓殖の業務監督、海外移民事務を担当した。長は拓務大臣(たくむだいじん、拓相)。明治時代に、同じく植民地事務を所管した拓殖務省も本項目で解説する。
沿革
1896年(明治29年)4月2日、台湾総督府を監督する目的で拓殖務省(たくしょくむしょう)が設置されて高島鞆之助が拓殖務大臣に任じられたが、行政整理により翌年の1897年(明治30年)9月2日に廃止された(高島が同省廃止まで大臣を務めていた)。以後、内務省が台湾事務を担当した。
だが日露戦争の結果、樺太・関東州を獲得し、朝鮮の保護権を確立したことから、1910年(明治43年)に内閣直属の拓務局が設置された。拓務局は大正時代には廃止・再設置・改称を繰り返していたが、外地統治・移民事業を担当するには拓務局では不十分であるとして、1929年(昭和4年)に拓務省が新設され、朝鮮総督府・台湾総督府・樺太庁・南洋庁の統治事務の監督、および海外移民の募集や指導を行うことになった。
しかし、省設置後に始まった満州事変以降に獲得した占領地は軍部が統治していて拓務省が関与できなかったこと、朝鮮総督府には直接の監督権がないなど、当初から問題点が指摘されていた。1942年(昭和17年)に大東亜共栄圏を包括的に管理する大東亜省が設置されると、拓務省は、大東亜省・内務省・外務省などに分割された。
設立当初の組織
- 大臣官房
- 秘書課
- 文書課
- 会計課
- 調査課
- 朝鮮部 - 朝鮮総督府に関する事務を担当
- 管理局 - 地方行政・警察などを担当
- 行政課
- 司計課
- 警務課
- 殖産局 - 産業振興・物資統制・植民会社を担当
- 農林課
- 商工課
- 理財課
- 物資調整課
- 拓務局 - 海外・外地移民を担当(のち拓北局・拓南局に分割)
- 総務課
- 東亜第一課
- 東亜第二課
- 南米課
- 南洋課
歴代大臣
- 辞令のある再任は代として数え、辞令のない留任は数えない。
- 臨時代理は空位の場合のみ記載し、海外出張等の一時不在代理は記載しない。
拓殖務大臣(拓殖務省) | |||||
代 | 氏名 | 内閣 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 高島鞆之助 | 第2次伊藤内閣 第2次松方内閣 |
1896年(明治29年)4月2日 | 1897年(明治30年)9月2日 | 拓殖務省の設置から廃止に同じ。 |
拓務大臣(拓務省) | ||||
代 | 氏名 | 内閣 | 就任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 田中義一 | 田中内閣 | 1929年(昭和4年)6月10日 | 内閣総理大臣・外務大臣兼務 |
2 | 松田源治 | 浜口内閣 | 1929年(昭和4年)7月2日 | |
3 | 原脩次郎 | 第2次若槻内閣 | 1931年(昭和6年)4月14日 | |
4 | 若槻禮次郎 | 第2次若槻内閣 | 1931年(昭和6年)9月10日 | 内閣総理大臣兼務 |
5 | 秦豊助 | 犬養内閣 | 1931年(昭和6年)12月13日 | |
6 | 永井柳太郎 | 齋藤内閣 | 1932年(昭和7年)5月26日 | |
7 | 岡田啓介 | 岡田内閣 | 1934年(昭和9年)7月8日 | 内閣総理大臣兼務 |
8 | 児玉秀雄 | 岡田内閣 | 1934年(昭和9年)10月25日 | |
9 | 永田秀次郎 | 廣田内閣 | 1936年(昭和11年)3月9日 | |
10 | 結城豊太郎 | 林内閣 | 1937年(昭和12年)2月2日 | 大蔵大臣兼務 |
11 | 大谷尊由 | 第1次近衛内閣 | 1937年(昭和12年)6月4日 | |
12 | 宇垣一成 | 第1次近衛内閣 | 1938年(昭和13年)5月26日 | 外務大臣兼務 |
13 | 近衞文麿 | 第1次近衛内閣 | 1938年(昭和13年)9月30日 | 内閣総理大臣・外務大臣兼務 |
14 | 八田嘉明 | 第1次近衛内閣 | 1938年(昭和13年)10月29日 | 商工大臣兼務 (1939年(昭和14年)1月5日以降) |
15 | 小磯國昭 | 平沼内閣 | 1939年(昭和14年)4月7日 | |
16 | 金光庸夫 | 阿部内閣 | 1939年(昭和14年)8月30日 | |
17 | 小磯國昭 | 米内内閣 | 1940年(昭和15年)1月16日 | |
18 | 松岡洋右 | 第2次近衛内閣 | 1940年(昭和15年)7月22日 | 外務大臣兼務 |
19 | 秋田清 | 第2次近衛内閣 | 1940年(昭和15年)9月28日 | |
20 | 豐田貞次郎 | 第3次近衛内閣 | 1941年(昭和16年)7月18日 | 外務大臣兼務 |
21 | 東郷茂徳 | 東条内閣 | 1941年(昭和16年)10月18日 | 外務大臣兼務 |
22 | 井野碩哉 | 東条内閣 | 1941年(昭和16年)12月2日 |