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|caption = ヴァーツラフ・ホーラーが[[1638年]]頃に描いた再建後のグローブ座のスケッチ<ref>{{cite book|editor=Cooper, Tarnya|title=Searching for Shakespeare|publisher=[[ナショナル・ポートレート・ギャラリー]]|location=London|isbn=9780300116113|pages=92–93|chapter=A view from St Mary Overy, Southwark, looking towards Westminster, c.1638}}</ref>
|caption = ヴァーツラフ・ホーラーが[[1638年]]頃に描いた再建後のグローブ座のスケッチ<ref>{{cite book|editor=Cooper, Tarnya|title=Searching for Shakespeare|publisher=[[ナショナル・ポートレート・ギャラリー]]|location=London|isbn=9780300116113|pages=92–93|chapter=A view from St Mary Overy, Southwark, looking towards Westminster, c.1638}}</ref>
|address = [[サザーク・ロンドン特別区|サザーク]] メイデン・レーン(現パーク・ストリート)<ref name = Mulryne>{{Cite book|last=Mulryne |first=J R |authorlink= |coauthors=Shewring, Margaret |title= Shakespeare’s Globe Rebuilt|year=1997 |publisher=Cambridge University Press |location= |isbn=0521599881 }}</ref><ref>{{Cite book|last=Wilson|first=Ian|authorlink=Ian Wilson (writer)|title=Shakespeare the Evidence|publisher=Headline|location=London |year=1993|pages=xiii|isbn=0747205825|nopp=true}}</ref>
|address = [[サザーク・ロンドン特別区|サザーク]] メイデン・レーン(現パーク・ストリート)<ref name = Mulryne>{{Cite book|last=Mulryne |first=J R |authorlink= |coauthors=Shewring, Margaret |title= Shakespeare’s Globe Rebuilt|year=1997 |publisher=Cambridge University Press |location= |isbn=0521599881 }}</ref><ref>{{Cite book|last=Wilson|first=Ian|title=Shakespeare the Evidence|publisher=Headline|location=London |year=1993|pages=xiii|isbn=0747205825|nopp=true}}</ref>
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[[File:Hodge's conjectural Globe reconstruction.jpg|thumb|300px|グローブ座の復元断面図(1958年)]]
[[File:Hodge's conjectural Globe reconstruction.jpg|thumb|300px|C・ウォルター・ホッジズによるグローブ座の復元断面図(1958年)]]
'''グローブ座'''(グローブざ、{{lang|en|Globe Theatre}})は、[[ロンドン]]の[[テムズ川]]南岸([[サウス・バンク (ロンドン)|サウス・バンク]])の[[サザーク・ロンドン特別区|サザーク地区]]にあった[[劇場]]であり、しばしば[[ウィリアム・シェイクスピア]]と結びつけられている。[[1599年]]にシェイクスピアの[[劇団]]であった[[国王一座|宮内大臣一座]]によって建てられた。土地はトマス・ブレンドの所有地で、息子のニコラス・ブレンドと孫のサー・マシュー・ブレンドが受け継いだものであった。初代の建物は1613年6月29日の火事で壊れてしまった<ref>Nagler 1958, p. 8.</ref>。 二代目のグローブ座は同じ場所に1614年6月に建てられ、1642年9月6日の劇場閉鎖により廃業した<ref name=britannica_globe>''Encyclopædia Britannica'' 1998 edition.</ref>。
[[画像:Globe theatre.jpg|thumb|300px|復元されたグローブ座(シェイクスピアズ・グローブ)]]
[[File:The Globe Theatre, Panorama Innenraum, London.jpg|thumb|400px|right|同上内部]]
'''グローブ座'''(グローブざ、{{lang|en|Globe Theatre}})は、[[ロンドン]]の[[テムズ川]]南岸([[サウス・バンク (ロンドン) |サウス・バンク]])の[[サザーク・ロンドン特別区|サザーク地区]]にあった[[劇場]]。[[1599年]]開業。[[ウィリアム・シェイクスピア]]の[[戯曲]]が数多く初演された劇場として、また[[エリザベス朝]]を代表する[[劇場]]の一つとして演劇史に名を残している。


グローブ座を現代に再現した劇場「[[シェイクスピアズ・グローブ]]」は1997年、もともと劇場があった場所から230メートルほど離れたところで開館した<ref name="Measuredusing">Measured using [[Google earth]]</ref>。1909年より、現在のギールグッド劇場は「グローブ座」という名称を使用していたが、1994年に[[ジョン・ギールグッド]]を顕彰するため改名した。
劇場は[[木造]]で、20角形の円筒型の構造となっていた。中央の中庭部分は立ち見客用の平土間と、建物から土間に突き出す形で設けられた[[舞台]]からなっていた。また、円筒の部分は桟敷席となっており、追加料金を支払った観客が上がっていくことができた。この桟敷席では、座って舞台を見下ろしながら観劇することが可能であった。


==位置==
舞台上には2本の柱がそびえて居た。この柱は劇的効果を高めるように[[演出]]されることもあったが、柱より奥で演じる[[俳優]]の演技を隠してしまうこともあった。ただし当時の観客は、好きな時に見やすい場所へ自由に移動して見るという観劇スタイルであったため、大きな問題にはならなかったという。
土地に関する古文書の調査により、グローブ座があった区画は現在のサザーク・ブリッジ・ロードの西側から東に向かってポーター・ストリートまで、パーク・ストリートから南側はゲイトハウス・スクエア裏手までのびていたことがわかっている<ref>Mulryne; Shewring (1997: 69)</ref><ref>{{cite book |last=Braines |first=William |year=1924 |title=The site of the Globe Playhouse Southwark |edition=2 |publisher=Hodder and Stoughton |location=London |oclc=3157657}}</ref>。しかしながら、1989年にパーク・ストリートのアンカー・テラス後部の駐車場でもともとの桟橋の土台を含む基礎の一部が発見されるまで、建物の正確な場所はわかっていなかった<ref name="McCudden">[http://archaeologydataservice.ac.uk/archiveDS/archiveDownload?t=arch-457-1/dissemination/pdf/vol06/vol06_06/06_06_143_144.pdf Simon McCudden 'The Discovery of The Globe]</ref>。土台の形は現在、土地の表面に転写されている。土台の大部分は[[イギリス指定建造物]]であるアンカー・テラス67-70番の下にあり、それ以上の発掘は許可されていない<ref>Bowsher and Miller (2009: 4)</ref>。


==来歴==
舞台奥には俳優や[[舞台機構|舞台装置]]の出入り口があり、その向こう側は、[[楽屋]]や劇場の外などに通じていた。劇場の外側も、群衆シーンや軍隊の行進シーンなどに出演する役者の控え場所や、「遠くから聞こえてくる効果音」を作り出す場所などとして使われていた。更に舞台奥二階にはバルコニーがあった。その他、舞台面にはセリや吊り物を上下させる装置などがあったことも知られている。
[[File:Hollar Long View detail.png|thumb|left|ホーラーの''View of London'' (1647)に描かれた2代目グローブ座。ホーラーは実物をモデルにして建物をスケッチしたが(記事冒頭の絵を参照)、あとになってからこの絵にドローイングを組み込んだ。グローブ座と近くにあった熊いじめ場の標識は間違っており、この絵では正しいものに復元されている。左側にある小さい建物は劇場に食べ物やビールを供給していた<ref name=Cooper2006>{{cite book |year=2006 |editor=Cooper, Tarnya|title=Searching for Shakespeare |publisher=National Portrait Gallery |location=London |isbn=978-0-300-11611-3 |pages=92–93 |chapter=A view from St Mary Overy, Southwark, looking towards Westminster, c.1638}}</ref><ref>Bowsher; Miller (2009:112)</ref>。]]
[[File:London theatres C16—C17, after Redwood.png|thumb|このロンドンのストリートマップではグローブ座は中央下にある<ref>Location taken from Bowsher; Miller (2009:107)</ref>。]]グローブ座は宮内大臣一座の株主だった役者たちの所有物だった。6人のグローブ座の株主のうちの2人、[[リチャード・バーベッジ]]とその兄カスバート・バーベッジはひとり2株、つまり25%ずつの権利を所有していた。他の4人はシェイクスピア、ジョン・ヘミングズ、オーガスティン・フィリップス、トマス・ポープは1株、つまり12.5%を持っていた。もともとは[[ウィリアム・ケンプ]]が7人目の株主になる予定だったが、自分の株を上記4人の小規模株主に売ったので、4人はもともと予定されていた10%を越える株を持つことになった<ref>Gurr (1991: 45–46)</ref>。この最初の株の保有比率は時が移るに新しい株主が加わるにつれて変わり、シェイクスピアの株の保有率はキャリアの後期になると8分の1から14分の1、だいたい7%くらいに減った<ref>Schoenbaum, pp. 648–9.</ref>。[[File:Globe Southwark street plan.png|thumb|現代の区画にあわせたグローブ座の位置|左]]グローブ座は1599年にそれよりも前にあった劇場、[[シアター座]]の[[材木]]を使って作られた。シアター座はリチャード・バーベッジの父であるジェイムズ・バーベッジが1576年に[[ショーディッチ]]に建てたものである。バーベッジ家はもともと21年間、シアター座がある場所の土地をリースしていたが、劇場の建物自体はバーベッジ家のものであった。しかしながら土地を貸していたジャイルズ・アレンが、リースの期限が切れると建物も自分のものになると主張した。1598年12月28日、アレンが田舎の自宅で[[クリスマス]]を祝っている間に、大工のピーター・ストリートが役者やその仲間たちの助けでシアター座の柱を1本1本解体し、[[ブライドウェル]]の川岸にあるストリートの倉庫に運んだ<ref>{{Cite book |last=Shapiro |first=James |year=2005 |title=1599—a year in the life of William Shakespeare |publisher=Faber and Faber |location=London |page=7 |isbn=0-571-21480-0 }}</ref>。翌春もっと気候が良くなり始めると、この素材は[[サザーク]]のメイデン・レーンの南側にあった湿地の庭にグローブ座を作るため、フェリーで[[テムズ川]]の対岸に運ばれた。過密なテムズ川の岸辺から100メートルほどもないところで、農地や開けた野原に近い場所であった<ref>Shapiro (2005: 122–3; 129)</ref>。 排水の状態が悪く、川からの距離にもかかわらず、とくに満潮時には時々浸水しがちであった。材木を使った護岸工事で地面から高いところに引き揚げた土手を作り、浸水レベルより建物を高くする必要があった<ref name="BM90">Bowsher and Miller (2009: 90)</ref>。新しい劇場は以前のシアター座の建物より大きく、新しい構造の一部に古い材木が再利用された。グローブ座は単に古いシアター座を[[バンクサイド]]に移して建て替えただけではなかったのである<ref>Allen's court proceedings against Street and the Burbages noted that the timber from The Theatre was "sett up…in an other forme" at Bankside. Quoted in Bowsher and Miller (2009: 90)</ref><ref>{{Cite book |last=Adams |first=John Cranford |year=1961 |title=The Globe Playhouse. Its design and equipment |edition=2 |publisher=John Constable |location=London |oclc=556737149}}</ref>。おそらく1599年の夏、『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』のオープニング上演に間に合うように完成しており、この劇には「木のO」(wooden O)、つまりグローブ座の中での上演に関する有名な言及がある<ref>{{Cite book |last1=Bate |first1=Jonathan |year=2007 |last2=Rasmussen |first2=Eric |title=William Shakespeare Complete Works |publisher=Macmillan |location=London |isbn=978-0-230-00350-7 |page=1030}}</ref>。しかしながらドーヴァー・ウィルソンは、「木のO」に関する言及は卑下的でグローブ座のこけら落としを祝う舞台で行われるにはふさわしくないと考え、開館の時期を1599年9月くらいまで遅れたと主張している。ウィルソンは、1599年9月21日に『[[ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)|ジュリアス・シーザー]]』の上演を見た[[スイス]]の旅行者の記述のほうがグローブ座の最初の上演としてもっともらしいと示唆している<ref>{{cite book |last=Dover Wilson |first=John |year=1968 |title=The Works of Shakespeare—Julius Caesar |series=Cambridge New Shakespeare |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge, England |isbn=0-521-09482-8 |page=ix}}</ref>。たしかな記録が残っているグローブ座最初の上演は年末の[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]の『気質なおし』(''Every Man out of His Humour'')であり、最初の場面で「やさしくご親切なお客様方」を歓迎している<ref name="BM90" /><ref name="Sanders2010">{{Cite book |last=Stern |first=Tiffany |year=2010 |editor=Sanders, Julie |title=Ben Jonson in Context |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge, England |isbn=0-521-89571-5 |page=113 |chapter=The Globe Theatre and the open-air amphitheatres}}</ref>。[[File:Original Globe.jpg|thumb|パークストリートから見たグローブ座のあと。中央の黒い線は土台の位置を示している。後ろの白い壁はアンカー・テラスである。]]1613年6月29日、『[[ヘンリー八世 (シェイクスピア)|ヘンリー八世]]』の上演中にグローブ座で火事が起きた。上演中に舞台用の大砲を撃ったところうまくいかず、木の梁や茅葺き屋根に点火してしまった。このことに関して残っている数少ない説明によると、半ズボンを瓶入りビールで消した男以外にケガ人はいなかったという<ref name="wotton">{{Cite book|last=Wotton|author=|editor=Smith, Logan Pearsall|editor-link=|first=Henry|title=The Life and Letters of Sir Henry Wotton|date=2 July 1613|year=|publisher=Clarendon Press|pages=32–33|chapter=Letters of Wotton|volume=Two|location=Oxford, England}}</ref>。翌年、グローブ座は再建された。


ロンドンの他の劇場同様、1642年に[[清教徒革命]]よりグローブ座は閉鎖となった。1644年から1645年頃にグローブ座は取り壊された。1644年4月15日に取り壊しが行われたと説明する文書も残っているが、この文書の信憑性には疑問が持たれている<ref>Mulryne; Shewring (1997: 75)</ref>。
[[1613年]][[6月29日]]、『[[ヘンリー八世 (シェイクスピア)|ヘンリー八世]]』の上演中、装置の[[大砲]]から発火した火によって火災が発生し、劇場は全焼したが、翌年には再建された。


==設計==
[[1642年]]、[[清教徒革命]]の影響で劇場は閉鎖され、2年後の[[1644年]]に取り壊された。[[1970年]]、[[アメリカ]]出身の[[映画監督]]・[[舞台監督]]・俳優で、[[赤狩り]]後にイギリスに移住した[[サム・ワナメイカー]]がグローブ座再興のために基金を設立し、[[1997年]]には、サウス・バンクのグローブ座跡地から、北西約200[[メートル|m]]ほど離れたテムズ川沿いの場所に、新たなグローブ座が復元された。「シェイクスピアズ・グローブ(Shakespeare's Globe)」と呼ばれているこの建物は、建築当初の16世紀末の姿を再現した木造建築で、鋼材などは一切使用されていない。
グローブ座の実際の寸法は正確にはわからないが、形や大きさは学術的研究により相当に近いと思われるものがわかっている<ref name=Egan>{{harvnb|Egan|1999|pp=1–16}}</ref>。3階建てで、直径30メートルくらいあり、3000人の観客を収容できる野外の円形劇場であった<ref>{{harvnb|Orrell|1989}}</ref>。グローブ座はヴァーツラフ・ホーラーによる建物のスケッチ(のちに1647年のエッチングである''Long View of London from Banksideに組み込まれた'')では円形に見える。しかしながら1988年から1989年にかけてグローブ座の土台のごく一部が発見され、20面の多角形であったらしいことがわかった<ref>Mulryne; Shewring (1997: 37; 44)</ref><ref name=Egan2>{{harvnb|Egan|2004|pp=5.1–22}}</ref>。


舞台の土台には「ピット」、あるいはかつて宿屋や[[パブ]]の庭(inn-yards)で上演されていた伝統に立ち戻る「ヤード」と呼ばれるエリアがあった<ref>''Britannica Student: The Theater past to present > Shakespeare and the Elizabethan Theater''</ref><ref>Dekker, Thomas (1609), reprinted 1907, {{ISBN|0-7812-7199-1}}. ''The Gull’s Hornbook'': "the stage...will bring you to most perfect light... though the scarecrows in the yard hoot at you".</ref>。ここでは1ペニー払って入場した「土間客」(groundlings)と呼ばれる人々が、地面に[[イグサ]]をまいたフロアで立ち見をしていた<ref>Dekker (1609)</ref>。1989年のグローブ座の発掘では新しい表面層を作るため土の床に押し固められたナッツの殻の層が見つかっている<ref name =McCudden/>。ヤードから縦方向に三階層からなるスタジアム式の客席があり、ここは立ち見より高かった。四角い[[張り出し舞台]](エプロンステージとも言われる)が屋根のないヤードにつきだしていた。舞台はだいたい幅が13.1メートル、深さが8.2メートルで、地面から1.5メートルの高さにあった。舞台下の「地下室」部分から役者が入場する時に使うトラップドアが舞台上にあった<ref>Nagler 1958, pp. 23–24.</ref>。
グローブ座を模した劇場はアメリカや[[ドイツ]]など各地に多数建てられ、シェイクスピア演劇の上演などに供されている。

*[[早稲田大学]]構内にある[[早稲田大学坪内博士記念演劇博物館|演劇博物館]]は、グローブ座の構造を参考に、正面が舞台になるよう設計されている(設計は[[今井兼次]])。
舞台の後ろの壁には2つか3つのドアが1階部分にあり、中央にカーテンで仕切られた奥まった部分があったと考えられているが、この中央奥のステージの実在については学者の間でも意見が分かれている<ref name="Kuritz1988">{{cite book |last=Kuritz |first=Paul |year=1988 |title=The making of theatre history |publisher=Prentice Hall|location=Englewood Cliffs, N.J |isbn=0-13-547861-8 |pages=189–191}}</ref>。舞台上にはバルコニーがあった。ドアは「楽屋」(舞台裏)部分につながっており、ここで役者が着替えたり出番を待ったりしていた<ref>from ''attiring''—dressing: {{cite book |year=1989 |title=[[Oxford English Dictionary]] |edition=2 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford, England |chapter=tiring, n.<sup>3</sup>}}</ref>。上の階は衣装や[[小道具]]をしまう倉庫か、管理用のオフィスとして使われていたのかもしれない<ref>Bowsher and Miller (2009: 136–137)</ref>。バルコニーには演奏家がいるか、『[[ロミオとジュリエット]]』のバルコニーの場面のように上の階が必要な場面に使われていた。舞台には上演上、必要な場合はイグサがしいてあった<ref name="wotton" />。
*[[1988年]]には、グローブ座を模した[[東京グローブ座]]が、東京都新宿区百人町に建造された(設計は[[磯崎新]])。

舞台の両側に大きな柱があり、舞台後方の屋根を支えていた。屋根の下にある天井部分は「天」(heavens)と呼ばれ、雲や空が描かれていた<ref>Mulryne; Shewring (1997: 139)</ref>。天にもトラップドアがあり、ロープやハーネスなどを用いて役者がここから降りてくることができた<ref>Mulryne; Shewring (1997: 166)</ref>。舞台は夏の午後のパフォーマンスで陰になるよう、建物の南東側にあった<ref name= "lighting">{{Cite book |last=Egan |first=Gabriel |year=2015 |editor=Wells, Stanley |title=The Oxford Companion to Shakespeare|publisher=Oxford University Press|chapter=Lighting|edition=2|isbn= 9780198708735}}</ref>。

==名称==
グローブ座という名称はおそらくラテン語の引用句"''totus mundus agit histrionem''"からきているが、これはもともと[[ペトロニウス]]の一節"''quod fere totus mundus exerceat histrionem''"、つまり「世界はすべて舞台<ref>{{Cite book|author=|editor=Monro, John|title=The Shakespere allusion-book : a collection of allusions to Shakespere from 1591 to 1700|date=|year=1909|publisher=Chatto and Windus|page=373|volume=2|location=London|last1=Ingleby|last2=Toulmin Smith|last3=Furnival|first1=Clement Mansfield|first2=Lucy| first3=Frederick |oclc=603995070}}</ref>」という語句に由来する。この言葉はバーベッジが活動していた時期のイングランドで広く知られていた。後述するように、この言葉が劇場のモットーのように使われていたかもしれないと推測するむきもある。観客によく知られていたと考えられる言葉がもうひとつあるが、それは「世界劇場」(''Teatrum Mundi'')というものであり、これは12世紀の古典学者で哲学者だったソールズベリのジョンが『ポリクラティクス』第3巻で述べた瞑想である<ref name=Gillies/>。どちらにせよ、公式にモットーを採用しなくても古典から派生したよく知られていた言葉であった<ref name=Gillies>{{cite book|last1=Gillies|first1=John|title=Shakespeare and the Geography of Difference|date=1994|publisher=Cambridge University Press|location=Cambridge, England|isbn=9780521417198|page=76}}</ref>。

推定されているモットーとグローブ座の関係は後になってから考えられたものであり、勤勉な初期のシェイクスピアの伝記作家ウィリアム・オールディスに由来する。オールディズはこの典拠をかつて見た個人蔵の手稿だとしている。この解釈をオールディズの遺作管理人である[[ジョージ・スティーヴンズ]]も善意から踏襲したが、今ではこの話は「疑わしい」と考えられている<ref>{{Cite journal |last=Stern |first=Tiffany |year=1997 |title=Was 'Totus mundus agit histrionem' ever the motto of the Globe Theatre? |journal=Theatre Notebook |publisher=The Society for Theatre Research |volume=51 |issue=3 |page=121 |issn=0040-5523}}</ref><ref>{{cite book |last=Egan |first=Gabriel |year=2001 |editor=Dobson, Michael |editor2=[[Stanley Wells|Wells, Stanley]] |title=The Oxford Companion to Shakespeare |publisher=Oxford University Press |location=Oxford, England |isbn=978-0-19280614-7 |page=166 |chapter=Globe theatre}}</ref>。

== 現在のグローブ座 ==
{{Main|シェイクスピアズ・グローブ}}
[[画像:Globe theatre.jpg|thumb|300px|復元されたグローブ座(シェイクスピアズ・グローブ)]]
[[File:The Globe Theatre, Panorama Innenraum, London.jpg|thumb|400px|right|同上内部]]
「[[シェイクスピアズ・グローブ]]」と名付けられた現代のグローブ座の復元が1997年に『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』の上演でこけら落としした。もともとの設計を学術的に推定して復元したもので、1599年と1614年の建物についてわかっている証拠にもとづいている<ref>Martin, Douglas. [https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B0DEFD6133DF93BA1575AC0A9659C8B63&n=Top/Reference/Times%20Topics/Subjects/D/Deaths%20(Obituaries) "John Orrell, 68, Historian On New Globe Theater, Dies"], ''[[The New York Times]]'', 28 September 2003, accessed 19 December 2012</ref>。もともとのグローブ座があった場所から約230メートル離れている<ref name="Measuredusing" />。

2016年2月に、1614年の建物について残っている証拠を学術的に再分析した結果にもとづいて2代目グローブ座をそのままの大きさで復元した「ポップアップグローブ」と呼ばれる仮設建築物が[[ニュージーランド]]、[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]のダウンタウンにオープンし、劇場付の劇団と地元の客演グループが3ヶ月間シェイクスピア劇を上演した<ref>{{cite web|url=https://www.thestage.co.uk/features/2016/shakespeares-other-home-in-the-southern-hemisphere/|title=Shakespeare's Other Home in the Southern Hemisphere|accessdate=21 November 2016|last1=Awde|first1=Nick|website=thestage.co.uk}}</ref>。2017年、別の場所に移動して3か月のシーズンのため再建された<ref>{{cite news|title=Pop-up Globe to rise in the gardens at Ellerslie Racecourse|date=25 October 2016|url=http://www.stuff.co.nz/entertainment/stage-and-theatre/85703490/popup-globe-to-rise-in-the-gardens-at-ellerslie-racecourse|accessdate=3 May 2017|publisher=Fairfax NZ Ltd|work=Stuff}}</ref>。

===その他のレプリカ===
グローブ座を模した劇場はアメリカや[[ドイツ]]など各地に多数建てられ、シェイクスピア演劇の上演などに供されている。[[早稲田大学]]構内にある[[早稲田大学坪内博士記念演劇博物館|演劇博物館]]は[[今井兼次]]による設計で、グローブ座の構造を参考にしており、正面が舞台に相当する。[[1988年]]には、グローブ座を模した[[東京グローブ座]]が[[磯崎新]]の設計により、東京都新宿区百人町に建造された。

== 登場作品 ==
;『[[ドクター・フー]]』(2007)
:歴史通り、シェイクスピアが演劇を上演する場として登場する。魔女に似たエイリアンのキャリオナイトがシェイクスピアの能力を利用、闇の世界をこの世にもたらそうと画策する。10代目ドクターとマーサ・ジョーンズがこれを阻み、水晶の中へ封印した。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|author1=Bowsher, Julian |author2=Miller, Pat |title=The Rose and the Globe – playhouses of Shakespeare's Bankside, Southwark|year=2009|publisher=Museum of London|isbn=978-1-901992-85-4}}
*{{Cite journal |last=Egan |first=Gabriel |year=1999 |title=Reconstructions of The Globe: A Retrospective |journal=Shakespeare Survey |volume=52 |issue=1 |pages=1–16 |url=http://dspace.lboro.ac.uk/dspace/bitstream/2134/469/1/Recon_S-S.pdf |accessdate=25 July 2007 |isbn=0-521-66074-2 |doi=10.1017/CCOL0521660742.001 |series=Shakespeare Survey |ref=harv}}
*{{Cite journal |last=Egan |first=Gabriel |year=2004 |title=The 1599 Globe and its modern replica: Virtual Reality modelling of the archaeological and pictorial evidence |journal=Early Modern Literary Studies |volume=13 |pages=5.1–22 |url=http://extra.shu.ac.uk/emls/si-13/egan/index.htm |id=[[International Standard Serial Number|ISSN]] 1201-2459 |accessdate=25 July 2007 |ref=harv}}
* {{Cite book|author=Gurr, Andrew |year=1991 |title=The Shakespearean Stage 1574–1642|publisher=Cambridge University Press Press|location=Cambridge|isbn=0-521-42240-X}}
* {{Cite book|author1=Mulryne, J. R |author2=Shewring, Margaret |title=Shakespeare's Globe Rebuilt|year=1997|publisher=Cambridge University Press|isbn=0-521-59988-1}}
* {{Cite book|author=Nagler, A.M. |year=1958 |title=Shakespeare's Stage |publisher=Yale University Press |location=New Haven, CT |isbn=0-300-02689-7}}
*{{Cite web |last=Orrell |first=John |year=1989 |title=Reconstructing Shakespeare's Globe |work=History Trails |publisher=University of Alberta |url=http://www.ualberta.ca/ALUMNI/history/peopleh-o/89sumorrell.htm |accessdate=10 December 2007 |ref=harv}}
* {{Cite book|author=Schoenbaum, Samuel |year=1991 |title=Shakespeare's Lives|publisher=Clarendon Press|location=Oxford|isbn=0-19-818618-5}}

*本橋哲也 (2008). [http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/hans/127/127_motohashi.pdf 境界の身体 -近代初期ヨーロッパとシェイクスピア演劇の場所- ] 東京経済大学 人文自然科学論集 第 127 号. 2017年2月7日閲覧
*石塚倫子 (1998). 都市と周縁文化-エリザベス時代におけるロンドンの劇場 [https://uhe.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=10&item_no=1&page_id=13&block_id=17] 人間環境大学 人間環境学研究所研究報告 1号 (1998.3.31) 2017年2月7日閲覧


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commons|Shakespeare's Globe}}
{{Commons|Shakespeare's Globe}}
*[http://www.shakespearesglobe.com/ 公式サイト]
*[http://www.shakespearesglobe.com/ ''Shakespeare's Globe''] The 1996 reconstruction
*''[http://www.gutenberg.org/etext/22397 Shakespearean Playhouses]'', by Joseph Quincy Adams, Jr. from [[Project Gutenberg]]
*[http://ses.library.usyd.edu.au/bitstream/2123/3567/3/fitzpatrick_TF%2BRE%20RECONSTRUCTING%20HOLLAR'S%20GLOBE.ppt ''A reconstruction of the second Globe''] The structure of the Globe by extrapolation from Hollar's sketch. University of Sydney.
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*[http://www.shakespearestudyguide.com/Globe.html#Globe Comprehensive Guide to Shakespeare's Globe Theatre]


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2017年8月19日 (土) 00:05時点における版

グローブ座
ヴァーツラフ・ホーラーが1638年頃に描いた再建後のグローブ座のスケッチ[1]
地図
概要
住所 サザーク メイデン・レーン(現パーク・ストリート)[2][3]
ロンドン
イングランドの旗 イングランド
座標 北緯51度30分25秒 西経0度05分41秒 / 北緯51.506932度 西経0.094598度 / 51.506932; -0.094598
所有者 宮内大臣一座
種類 エリザベス朝演劇
座席数 3,000名
建設
開業 1599年
閉鎖 1642年
再建 1614年
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C・ウォルター・ホッジズによるグローブ座の復元断面図(1958年)

グローブ座(グローブざ、Globe Theatre)は、ロンドンテムズ川南岸(サウス・バンク)のサザーク地区にあった劇場であり、しばしばウィリアム・シェイクスピアと結びつけられている。1599年にシェイクスピアの劇団であった宮内大臣一座によって建てられた。土地はトマス・ブレンドの所有地で、息子のニコラス・ブレンドと孫のサー・マシュー・ブレンドが受け継いだものであった。初代の建物は1613年6月29日の火事で壊れてしまった[4]。 二代目のグローブ座は同じ場所に1614年6月に建てられ、1642年9月6日の劇場閉鎖により廃業した[5]

グローブ座を現代に再現した劇場「シェイクスピアズ・グローブ」は1997年、もともと劇場があった場所から230メートルほど離れたところで開館した[6]。1909年より、現在のギールグッド劇場は「グローブ座」という名称を使用していたが、1994年にジョン・ギールグッドを顕彰するため改名した。

位置

土地に関する古文書の調査により、グローブ座があった区画は現在のサザーク・ブリッジ・ロードの西側から東に向かってポーター・ストリートまで、パーク・ストリートから南側はゲイトハウス・スクエア裏手までのびていたことがわかっている[7][8]。しかしながら、1989年にパーク・ストリートのアンカー・テラス後部の駐車場でもともとの桟橋の土台を含む基礎の一部が発見されるまで、建物の正確な場所はわかっていなかった[9]。土台の形は現在、土地の表面に転写されている。土台の大部分はイギリス指定建造物であるアンカー・テラス67-70番の下にあり、それ以上の発掘は許可されていない[10]

来歴

ホーラーのView of London (1647)に描かれた2代目グローブ座。ホーラーは実物をモデルにして建物をスケッチしたが(記事冒頭の絵を参照)、あとになってからこの絵にドローイングを組み込んだ。グローブ座と近くにあった熊いじめ場の標識は間違っており、この絵では正しいものに復元されている。左側にある小さい建物は劇場に食べ物やビールを供給していた[11][12]
このロンドンのストリートマップではグローブ座は中央下にある[13]

グローブ座は宮内大臣一座の株主だった役者たちの所有物だった。6人のグローブ座の株主のうちの2人、リチャード・バーベッジとその兄カスバート・バーベッジはひとり2株、つまり25%ずつの権利を所有していた。他の4人はシェイクスピア、ジョン・ヘミングズ、オーガスティン・フィリップス、トマス・ポープは1株、つまり12.5%を持っていた。もともとはウィリアム・ケンプが7人目の株主になる予定だったが、自分の株を上記4人の小規模株主に売ったので、4人はもともと予定されていた10%を越える株を持つことになった[14]。この最初の株の保有比率は時が移るに新しい株主が加わるにつれて変わり、シェイクスピアの株の保有率はキャリアの後期になると8分の1から14分の1、だいたい7%くらいに減った[15]

現代の区画にあわせたグローブ座の位置

グローブ座は1599年にそれよりも前にあった劇場、シアター座材木を使って作られた。シアター座はリチャード・バーベッジの父であるジェイムズ・バーベッジが1576年にショーディッチに建てたものである。バーベッジ家はもともと21年間、シアター座がある場所の土地をリースしていたが、劇場の建物自体はバーベッジ家のものであった。しかしながら土地を貸していたジャイルズ・アレンが、リースの期限が切れると建物も自分のものになると主張した。1598年12月28日、アレンが田舎の自宅でクリスマスを祝っている間に、大工のピーター・ストリートが役者やその仲間たちの助けでシアター座の柱を1本1本解体し、ブライドウェルの川岸にあるストリートの倉庫に運んだ[16]。翌春もっと気候が良くなり始めると、この素材はサザークのメイデン・レーンの南側にあった湿地の庭にグローブ座を作るため、フェリーでテムズ川の対岸に運ばれた。過密なテムズ川の岸辺から100メートルほどもないところで、農地や開けた野原に近い場所であった[17]。 排水の状態が悪く、川からの距離にもかかわらず、とくに満潮時には時々浸水しがちであった。材木を使った護岸工事で地面から高いところに引き揚げた土手を作り、浸水レベルより建物を高くする必要があった[18]。新しい劇場は以前のシアター座の建物より大きく、新しい構造の一部に古い材木が再利用された。グローブ座は単に古いシアター座をバンクサイドに移して建て替えただけではなかったのである[19][20]。おそらく1599年の夏、『ヘンリー五世』のオープニング上演に間に合うように完成しており、この劇には「木のO」(wooden O)、つまりグローブ座の中での上演に関する有名な言及がある[21]。しかしながらドーヴァー・ウィルソンは、「木のO」に関する言及は卑下的でグローブ座のこけら落としを祝う舞台で行われるにはふさわしくないと考え、開館の時期を1599年9月くらいまで遅れたと主張している。ウィルソンは、1599年9月21日に『ジュリアス・シーザー』の上演を見たスイスの旅行者の記述のほうがグローブ座の最初の上演としてもっともらしいと示唆している[22]。たしかな記録が残っているグローブ座最初の上演は年末のベン・ジョンソンの『気質なおし』(Every Man out of His Humour)であり、最初の場面で「やさしくご親切なお客様方」を歓迎している[18][23]

パークストリートから見たグローブ座のあと。中央の黒い線は土台の位置を示している。後ろの白い壁はアンカー・テラスである。

1613年6月29日、『ヘンリー八世』の上演中にグローブ座で火事が起きた。上演中に舞台用の大砲を撃ったところうまくいかず、木の梁や茅葺き屋根に点火してしまった。このことに関して残っている数少ない説明によると、半ズボンを瓶入りビールで消した男以外にケガ人はいなかったという[24]。翌年、グローブ座は再建された。

ロンドンの他の劇場同様、1642年に清教徒革命よりグローブ座は閉鎖となった。1644年から1645年頃にグローブ座は取り壊された。1644年4月15日に取り壊しが行われたと説明する文書も残っているが、この文書の信憑性には疑問が持たれている[25]

設計

グローブ座の実際の寸法は正確にはわからないが、形や大きさは学術的研究により相当に近いと思われるものがわかっている[26]。3階建てで、直径30メートルくらいあり、3000人の観客を収容できる野外の円形劇場であった[27]。グローブ座はヴァーツラフ・ホーラーによる建物のスケッチ(のちに1647年のエッチングであるLong View of London from Banksideに組み込まれた)では円形に見える。しかしながら1988年から1989年にかけてグローブ座の土台のごく一部が発見され、20面の多角形であったらしいことがわかった[28][29]

舞台の土台には「ピット」、あるいはかつて宿屋やパブの庭(inn-yards)で上演されていた伝統に立ち戻る「ヤード」と呼ばれるエリアがあった[30][31]。ここでは1ペニー払って入場した「土間客」(groundlings)と呼ばれる人々が、地面にイグサをまいたフロアで立ち見をしていた[32]。1989年のグローブ座の発掘では新しい表面層を作るため土の床に押し固められたナッツの殻の層が見つかっている[9]。ヤードから縦方向に三階層からなるスタジアム式の客席があり、ここは立ち見より高かった。四角い張り出し舞台(エプロンステージとも言われる)が屋根のないヤードにつきだしていた。舞台はだいたい幅が13.1メートル、深さが8.2メートルで、地面から1.5メートルの高さにあった。舞台下の「地下室」部分から役者が入場する時に使うトラップドアが舞台上にあった[33]

舞台の後ろの壁には2つか3つのドアが1階部分にあり、中央にカーテンで仕切られた奥まった部分があったと考えられているが、この中央奥のステージの実在については学者の間でも意見が分かれている[34]。舞台上にはバルコニーがあった。ドアは「楽屋」(舞台裏)部分につながっており、ここで役者が着替えたり出番を待ったりしていた[35]。上の階は衣装や小道具をしまう倉庫か、管理用のオフィスとして使われていたのかもしれない[36]。バルコニーには演奏家がいるか、『ロミオとジュリエット』のバルコニーの場面のように上の階が必要な場面に使われていた。舞台には上演上、必要な場合はイグサがしいてあった[24]

舞台の両側に大きな柱があり、舞台後方の屋根を支えていた。屋根の下にある天井部分は「天」(heavens)と呼ばれ、雲や空が描かれていた[37]。天にもトラップドアがあり、ロープやハーネスなどを用いて役者がここから降りてくることができた[38]。舞台は夏の午後のパフォーマンスで陰になるよう、建物の南東側にあった[39]

名称

グローブ座という名称はおそらくラテン語の引用句"totus mundus agit histrionem"からきているが、これはもともとペトロニウスの一節"quod fere totus mundus exerceat histrionem"、つまり「世界はすべて舞台[40]」という語句に由来する。この言葉はバーベッジが活動していた時期のイングランドで広く知られていた。後述するように、この言葉が劇場のモットーのように使われていたかもしれないと推測するむきもある。観客によく知られていたと考えられる言葉がもうひとつあるが、それは「世界劇場」(Teatrum Mundi)というものであり、これは12世紀の古典学者で哲学者だったソールズベリのジョンが『ポリクラティクス』第3巻で述べた瞑想である[41]。どちらにせよ、公式にモットーを採用しなくても古典から派生したよく知られていた言葉であった[41]

推定されているモットーとグローブ座の関係は後になってから考えられたものであり、勤勉な初期のシェイクスピアの伝記作家ウィリアム・オールディスに由来する。オールディズはこの典拠をかつて見た個人蔵の手稿だとしている。この解釈をオールディズの遺作管理人であるジョージ・スティーヴンズも善意から踏襲したが、今ではこの話は「疑わしい」と考えられている[42][43]

現在のグローブ座

復元されたグローブ座(シェイクスピアズ・グローブ)
同上内部

シェイクスピアズ・グローブ」と名付けられた現代のグローブ座の復元が1997年に『ヘンリー五世』の上演でこけら落としした。もともとの設計を学術的に推定して復元したもので、1599年と1614年の建物についてわかっている証拠にもとづいている[44]。もともとのグローブ座があった場所から約230メートル離れている[6]

2016年2月に、1614年の建物について残っている証拠を学術的に再分析した結果にもとづいて2代目グローブ座をそのままの大きさで復元した「ポップアップグローブ」と呼ばれる仮設建築物がニュージーランドオークランドのダウンタウンにオープンし、劇場付の劇団と地元の客演グループが3ヶ月間シェイクスピア劇を上演した[45]。2017年、別の場所に移動して3か月のシーズンのため再建された[46]

その他のレプリカ

グローブ座を模した劇場はアメリカやドイツなど各地に多数建てられ、シェイクスピア演劇の上演などに供されている。早稲田大学構内にある演劇博物館今井兼次による設計で、グローブ座の構造を参考にしており、正面が舞台に相当する。1988年には、グローブ座を模した東京グローブ座磯崎新の設計により、東京都新宿区百人町に建造された。

登場作品

ドクター・フー』(2007)
歴史通り、シェイクスピアが演劇を上演する場として登場する。魔女に似たエイリアンのキャリオナイトがシェイクスピアの能力を利用、闇の世界をこの世にもたらそうと画策する。10代目ドクターとマーサ・ジョーンズがこれを阻み、水晶の中へ封印した。

脚注

  1. ^ Cooper, Tarnya, ed. “A view from St Mary Overy, Southwark, looking towards Westminster, c.1638”. Searching for Shakespeare. London: ナショナル・ポートレート・ギャラリー. pp. 92–93. ISBN 9780300116113 
  2. ^ Mulryne, J R; Shewring, Margaret (1997). Shakespeare’s Globe Rebuilt. Cambridge University Press. ISBN 0521599881 
  3. ^ Wilson, Ian (1993). Shakespeare the Evidence. London: Headline. xiii. ISBN 0747205825 
  4. ^ Nagler 1958, p. 8.
  5. ^ Encyclopædia Britannica 1998 edition.
  6. ^ a b Measured using Google earth
  7. ^ Mulryne; Shewring (1997: 69)
  8. ^ Braines, William (1924). The site of the Globe Playhouse Southwark (2 ed.). London: Hodder and Stoughton. OCLC 3157657 
  9. ^ a b Simon McCudden 'The Discovery of The Globe
  10. ^ Bowsher and Miller (2009: 4)
  11. ^ Cooper, Tarnya, ed (2006). “A view from St Mary Overy, Southwark, looking towards Westminster, c.1638”. Searching for Shakespeare. London: National Portrait Gallery. pp. 92–93. ISBN 978-0-300-11611-3 
  12. ^ Bowsher; Miller (2009:112)
  13. ^ Location taken from Bowsher; Miller (2009:107)
  14. ^ Gurr (1991: 45–46)
  15. ^ Schoenbaum, pp. 648–9.
  16. ^ Shapiro, James (2005). 1599—a year in the life of William Shakespeare. London: Faber and Faber. p. 7. ISBN 0-571-21480-0 
  17. ^ Shapiro (2005: 122–3; 129)
  18. ^ a b Bowsher and Miller (2009: 90)
  19. ^ Allen's court proceedings against Street and the Burbages noted that the timber from The Theatre was "sett up…in an other forme" at Bankside. Quoted in Bowsher and Miller (2009: 90)
  20. ^ Adams, John Cranford (1961). The Globe Playhouse. Its design and equipment (2 ed.). London: John Constable. OCLC 556737149 
  21. ^ Bate, Jonathan; Rasmussen, Eric (2007). William Shakespeare Complete Works. London: Macmillan. p. 1030. ISBN 978-0-230-00350-7 
  22. ^ Dover Wilson, John (1968). The Works of Shakespeare—Julius Caesar. Cambridge New Shakespeare. Cambridge, England: Cambridge University Press. p. ix. ISBN 0-521-09482-8 
  23. ^ Stern, Tiffany (2010). “The Globe Theatre and the open-air amphitheatres”. In Sanders, Julie. Ben Jonson in Context. Cambridge, England: Cambridge University Press. p. 113. ISBN 0-521-89571-5 
  24. ^ a b Wotton, Henry (2 July 1613). “Letters of Wotton”. In Smith, Logan Pearsall. The Life and Letters of Sir Henry Wotton. Two. Oxford, England: Clarendon Press. pp. 32–33 
  25. ^ Mulryne; Shewring (1997: 75)
  26. ^ Egan 1999, pp. 1–16
  27. ^ Orrell 1989
  28. ^ Mulryne; Shewring (1997: 37; 44)
  29. ^ Egan 2004, pp. 5.1–22
  30. ^ Britannica Student: The Theater past to present > Shakespeare and the Elizabethan Theater
  31. ^ Dekker, Thomas (1609), reprinted 1907, ISBN 0-7812-7199-1. The Gull’s Hornbook: "the stage...will bring you to most perfect light... though the scarecrows in the yard hoot at you".
  32. ^ Dekker (1609)
  33. ^ Nagler 1958, pp. 23–24.
  34. ^ Kuritz, Paul (1988). The making of theatre history. Englewood Cliffs, N.J: Prentice Hall. pp. 189–191. ISBN 0-13-547861-8 
  35. ^ from attiring—dressing: “tiring, n.3”. Oxford English Dictionary (2 ed.). Oxford, England: Oxford University Press. (1989) 
  36. ^ Bowsher and Miller (2009: 136–137)
  37. ^ Mulryne; Shewring (1997: 139)
  38. ^ Mulryne; Shewring (1997: 166)
  39. ^ Egan, Gabriel (2015). “Lighting”. In Wells, Stanley. The Oxford Companion to Shakespeare (2 ed.). Oxford University Press. ISBN 9780198708735 
  40. ^ Ingleby, Clement Mansfield; Toulmin Smith, Lucy; Furnival, Frederick (1909). Monro, John. ed. The Shakespere allusion-book : a collection of allusions to Shakespere from 1591 to 1700. 2. London: Chatto and Windus. p. 373. OCLC 603995070 
  41. ^ a b Gillies, John (1994). Shakespeare and the Geography of Difference. Cambridge, England: Cambridge University Press. p. 76. ISBN 9780521417198 
  42. ^ Stern, Tiffany (1997). “Was 'Totus mundus agit histrionem' ever the motto of the Globe Theatre?”. Theatre Notebook (The Society for Theatre Research) 51 (3): 121. ISSN 0040-5523. 
  43. ^ Egan, Gabriel (2001). “Globe theatre”. In Dobson, Michael; Wells, Stanley. The Oxford Companion to Shakespeare. Oxford, England: Oxford University Press. p. 166. ISBN 978-0-19280614-7 
  44. ^ Martin, Douglas. "John Orrell, 68, Historian On New Globe Theater, Dies", The New York Times, 28 September 2003, accessed 19 December 2012
  45. ^ Shakespeare's Other Home in the Southern Hemisphere”. thestage.co.uk. 2016年11月21日閲覧。
  46. ^ “Pop-up Globe to rise in the gardens at Ellerslie Racecourse”. Stuff (Fairfax NZ Ltd). (2016年10月25日). http://www.stuff.co.nz/entertainment/stage-and-theatre/85703490/popup-globe-to-rise-in-the-gardens-at-ellerslie-racecourse 2017年5月3日閲覧。 

参考文献

外部リンク