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「ジャック・ザ・ストリッパー」の版間の差分

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'''ジャック・ザ・ストリッパー''' ({{lang-en|'''Jack the Stripper'''}}、和訳: '''剥ぎ取りジャック'''<ref>{{Cite book|和書|title=現代殺人百科|year=2004|publisher=青土社|month=8|page=208|last=Wilson|first=Colin|last2=Seaman|first2=Donald|translator=関口篤|location=東京|edition=新装版|isbn=4-7917-6132-4|date=}}</ref>) とは1964年から1965年にかけて[[イングランド]]の[[ロンドン]]で起きた[[シリアルキラー|連続殺人]]事件の犯人である<ref>{{cite news|title=Retro: The mystery of the Jack the Stripper murders|first=James|last=Gates|date=12 March 2012|work={{仮リンク|Trinity Mirror|en|Trinity Mirror|label=Get West London}}|url=http://www.getwestlondon.co.uk/lifestyle/nostalgia/retro-mystery-jack-stripper-murders-5978691|accessdate=4 January 2017}}</ref>。被害者は全員売春婦であり、遺体は服を脱がされた状態で[[テムズ川]]の中やその付近で発見された。これにより、報道を通じて「[[切り裂きジャック|ジャック・ザ・リッパー]]」をもじったあだ名がつけられた<ref>{{cite news|title=Crime: Mark Sanderson on the seductively seamy side of 1960S london|first=Mark|last=Sanderson|work={{仮リンク|サンデー・テレグラフ|en|The Sunday Telegraph}}|location=ロンドン|date=17 September 2006|accessdate=4 January 2017|url=http://link.galegroup.com/apps/doc/A151494043/STND?sid=wikipedia|subscription=yes|via=[[InfoTrac]]}}</ref><ref name="stewart">{{cite news|title=A gruesome echo of the Suffolk horror|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=16 December 2006|page=19|first=Graham|last=Stewart|issue=68885}}</ref>。この事件よりも前に起こった1959年と1963年の殺人事件もこの人物に関係があるとする説もある<ref name=stewart/>{{sfn|Newton|2006|page=135}}{{sfn|Moore|2013|page=105}}。この事件は「'''ハマースミス裸体殺人事件'''」 ({{Lang-en-short|'''Hammersmith nude murders'''|links=no}}) とも呼ばれる。
'''ジャック・ザ・ストリッパー''' (Jack the Stripper) は、[[ロンドン]]で起きた[[連続殺人]]事件の[[犯人]]のあだ名。いまだに犯人自体が特定されていない。[[1964年]]から[[1965年]]にかけて事件はおこり、「ロンドン裸体殺人」(London Nude Murders)、「ハマースミス殺人」(Hammersmith Murders)、「ハマースミス裸体事件」(Hammersmith Nudes case) として知られている([[ハマースミス]]は[[ロンドン特別区]]内にある地名である)。


メディアからの関心を集め、[[スコットランドヤード]]史上最大級の規模で犯人が捜査されたが、事件は未解決である<ref name=stewart/><ref name="get">{{cite web|title=Author 'solves' Hammersmith Nudes murder riddle|url=https://www.getwestlondon.co.uk/news/local-news/author-solves-hammersmith-nudes-murder-5991798|website=Get West London|accessdate=6 April 2018|date=10 November 2010}}</ref>。
== 概要 ==
[[被害者学]]的な見地では「[[切り裂きジャック]]」(ジャック・ザ・リッパー)に類似しており、ジャック・ザ・ストリッパーというあだ名は彼から取られている。6人の[[売春婦]]を殺害。その遺体はロンドンの各所、ないしは[[テムズ川]]に遺棄されている。[[被害者]]の全てとは言えないもののその多くは、強制的な[[ディープ・スロート (性行為)|ディープ・スロート]]の結果、窒息死したものと考えられている。


==被害者==
[[英国放送協会|BBC]]の[[ジャーナリスト]]、アンソニー・サマーズは、被害者の内の2人は[[プロヒューモ事件]]に末端的な繋がりがあったと報道している。被害者のうちの数人は、秘密パーティや[[ポルノ映画]]に出演に従事していたことが知られている。幾人かの執筆家は、被害者達はそれぞれお互いのことを知っており、[[ストリップ (性風俗)|ストリッパー]]は彼女たちが出演した[[ポルノ映画]]の関係者かもしれないと、仮説を立てている。


===エリザベス・フィッグ===
ジャック・ザ・リッパーと同様に、ストリッパーによる凶行は彼の凶行の終結により納まる。また、この事件には警察の調査により確かな手掛かりがある。ストリッパーは特定されていないが、犯罪執筆家ドナルド・ランベローは凶行終結後、南ロンドンで自殺した青年がストリッパーであった可能性を指摘している。この主要な[[容疑者]]は、ロンドン・[[アクトン (ロンドン)|アクトン]]地区にあるヘロン商業団地の[[警備員]]をしていた男である。また、この男は、[[ロンドン市警察]]の著名な殺人担当[[刑事]]で、この事件の陣頭指揮を行っていたジョン・デュ・ロースにより犯人と目されている。男の住居の周辺には、事件後遺体の一部が隠されていたとされるペンキ屋があり、男が犯人と特定できる物証は無かったものの、家族は男の自殺に不可解な物を感じた。最近の書籍では、[[ボクシング]]の世界[[ライトヘビー級]]王者であった男が犯人として名前を挙げられているが、立証されていない。
{{Infobox person
|name = エリザベス・フィッグ ({{lang-en-short|Elizabeth Figg|links=no}})
|other_names = アン・フィリップス ({{lang-en-short|Ann Phillips|links=no}}){{sfn|Seabrook|2007|page=13}}
|birth_date = {{Birth date|1938|3|24|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=8}}
|birth_place = {{仮リンク|ベビントン|en|Bebington}} ([[チェシャー]])
|death_date = {{Death date and age|1959|6|17|1938|3|24|df=y}}
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 手での絞首による窒息
|body_discovered = {{仮リンク|デュークス・メドーズ|en|Dukes Meadows}} ([[チジック]])
}}
1959年6月17日午前5時10分、フィッグの遺体が日常業務で[[チジック]]にある{{仮リンク|デュークス・メドーズ|en|Dukes Meadows}}を巡視していた警察官<ref name="historic">{{cite web|last1=Hewitt|first1=Les|title=Jack the Stripper|url=https://www.historicmysteries.com/jack-the-stripper/|website=Historic Mysteries|accessdate=6 April 2018|date=7 May 2015}}</ref>によって発見された。この場所はテムズ川の北岸にある<ref>{{cite news|title=Murdered Woman Identified|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=19 June 1959|page=12|issue=54491}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|page=4}}。恋人同士が二人きりになれる場所として評判があるところで、売春婦が客を連れてくることでも知られていた{{sfn|Seabrook|2007|page=3}}。


フィッグの遺体は{{仮リンク|バーンズ橋|en|Barnes Bridge}}から西におよそ180mのところにある、ダン・メイソン・ドライブと川の曳船道の間の低木で覆われた場所で見つかった{{sfn|Seabrook|2007|page=4}}。衣服の腰の部分が切り裂かれ、胸があらわになっていた<ref>{{cite news|title=Woman Found Dead Near Towpath|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=18 June 1959|page=10|issue=54490}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|page=4}}。首には絞められた跡がついていた{{sfn|Seabrook|2007|page=4}}{{sfn|McConnell|1975|page=35}}。下着と靴は無くなっており、身元の確認できるものや所有物も見つからなかった{{sfn|Seabrook|2007|page=26}}。病理学者は6月17日の午前0時から午前2時の間に死亡したと結論付けた{{sfn|Seabrook|2007|page=4}}{{sfn|McConnell|1975|page=36}}。
[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]による[[スリラー映画]]『[[フレンジー]]』は、この事件を大まかなベースとしている。

死後に撮影した顔の写真を報道機関に配布したところ、フィッグの同居人と母親がそれに気付いた<ref>{{cite news|work={{仮リンク|スター (ロンドン)|label=スター|en|The Star (London)}}|location=ロンドン|date=18 June 1959|title=Murdered Girl: Yard Issue Picture|page=1}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|page=7}}{{sfn|Seabrook|2007|page=18}}。

川床を含めてその地域を広範囲に捜索したが、フィッグの下着や黒色のスチレットヒール、白色のハンドバッグは発見できなかった{{sfn|Seabrook|2007|page=26}}。警察は、フィッグは靴や下着を脱いだ後に客に車の中で殺されたと推測し、下着や靴、ハンドバッグは遺体をデュークス・メドーズで処分した後も車に残していると考えた<ref name="times54539">{{cite news|title=Murder Verdict|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=14 August 1959|page=6|issue=54539}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|page=26}}{{sfn|McConnell|1975|page=43}}。フィッグが発見された場所から川を挟んだところにある酒場の経営者は、殺人があった夜の午前0:05に自分と妻がその場所に駐車する車のヘッドライトを見たと発言した。2人はヘッドライドが切れて間もなく、女性の絶叫を聞いた{{sfn|McConnell|1975|page=36}}。

===グウィネス・リース===
{{Infobox person
|name = グウィネス・リース ({{lang-en-short|Gwynneth Rees|links=no}})
|other_names = ジョージェット・リース ({{lang-en-short|Georgette Rees|links=no}})<br />ティーナ・スマート ({{lang-en-short|Tina Smart|links=no}})<br />ティーナ・ドーソン ({{lang-en-short|Tina Dawson|links=no}})
|birth_date = {{Birth date|1941|8|6|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=38}}
|birth_place = {{仮リンク|バリー (イギリス)|label=バリー|en|Barry, Vale of Glamorgan}} ([[ウェールズ]])
|death_date = 1963 (22歳)
|disappeared_date = 1963年9月29日{{sfn|Seabrook|2007|page=63}}
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 不明
|body_discovered = タウンミード街 ({{仮リンク|モートレイク|en|Mortlake}})
}}
1963年11月8日、リースの遺体が{{仮リンク|モートレイク|en|Mortlake}}のタウンミード・ロードにある[[リッチモンド・アポン・テムズ区|バーンズ区議会]]家庭ごみ処分場で発見された<ref>{{cite news|title=Girl's Body On Dump Identified|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=27 November 1963|page=8|issue=55869}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|p=35}}。このごみ捨て場はテムズ川の曳船道から40m弱のところにあり、デュークス・メドーズからは約1.5km離れている{{sfn|Seabrook|2007|p=35}}。

リースは右脚のストッキングを残し全裸になっていた。ストッキングは足首より上には伸ばしていなかった{{sfn|Seabrook|2007|p=36}}{{sfn|McConnell|1975|p=45}}。労働者がごみをシャベルで均していたときに首をはねられてしまったという{{sfn|Seabrook|2007|p=36}}。

===ハンナ・テールフォード===
{{Infobox person
|name = ハンナ・テールフォード ({{lang-en-short|Hannah Tailford|links=no}})
|other_names = ハンナ・リンチ ({{lang-en-short|Hannah Lynch|links=no}})<br />アンネ・テーラー ({{lang-en-short|Anne Tailer|links=no}}、{{lang-en-short|Anne Taylor|links=no}}){{sfn|McConnell|1975|page=84}}
|birth_date = {{Birth date|1933|8|19|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=94}}
|birth_place = {{仮リンク|ヘドン・オン・ザ・ウォール|en|Heddon-on-the-Wall}} ([[ノーサンバーランド (イングランド)|ノーサンバーランド]])
|death_date = 1964 (30歳)
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 溺死
|body_discovered = アッパーモール ([[ハマースミス]])
}}
1964年2月2日<ref name="map">{{cite web|title=The Nude Murders: Jack the Stripper{{!}}MurderMap - London Homicide Reported Direct from The Old Bailey|url=http://www.murdermap.co.uk/pages/cases/case.asp?CID=597117303|website=Murdermap|accessdate=6 April 2018}}</ref>、テールフォードの遺体がテムズ川の水辺で発見された。その場所はリンデンハウス ({{仮リンク|ロンドン・コリンシアン・セーリング・クラブ|en|London Corinthian Sailing Club}}のクラブハウス) の下の方であり、{{仮リンク|ハマースミス橋|en|Hammersmith Bridge}}の西の方でもある{{sfn|Seabrook|2007|page=94}}{{sfn|Moore|2013|p=108}}。テールフォードは首を絞められており、いくつかの歯が無くなっていた<ref name="historic" />。身につけていた下着が喉に押し込まれていた<ref name="map" />。

===アイリーン・ロックウッド===
{{Infobox person
|name = アイリーン・シャーロット・ロックウッド ({{lang-en-short|Irene Charlotte Lockwood|links=no}})
|other_names = サンドラ・ラッセル ({{lang-en-short|Sandra Russell|links=no}})<br />サンドラ・ロックウッド ({{lang-en-short|Sandra Lockwood|links=no}})
|birth_date = {{Birth date|1938|9|29|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=129}}
|birth_place = {{仮リンク|ウォーカーリンガム|en|Walkeringham}} ([[ノッティンガムシャー]])
|death_date = {{Death date and age|1964|4|8|1938|9|29|df=y}}
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 溺死
|body_discovered = デュークス・メドーズ (チジック)
}}
1964年4月8日、ロックウッドの遺体がチジックのコーニー・リーチにあるテムズ川の水辺<ref name="get" />で発見された。その場所はテールフォードの遺体が発見された場所からそれほど遠くないところだった。この3人目の被害者の発見により、警察は連続殺人犯が野放しになっていることを認識した<ref>{{cite news|title=Police Believe Nude Was Murdered|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=10 April 1964|page=15|issue=55982}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|page=129}}{{sfn|Seabrook|2007|page=136}}。ロックウッドは死亡時に妊娠していた{{sfn|Seabrook|2007|page=129}}。

===ヘレン・バーレミー===
{{Infobox person
|name = へレン・キャサリン・バーセレミー ({{lang-en-short|Helen Catherine Barthelemy|links=no}})
|birth_date = {{Birth date|1941|6|9|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=185}}
|birth_place = {{仮リンク|オーミストン|en|Ormiston}} ([[イースト・ロージアン]])
|death_date = {{Death date and age|1964|4|24|1941|6|9|df=y}}
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 絞首による窒息
|body_discovered = ボストン・マナー街 ([[ブレントフォード]])
}}
1964年4月24日<ref name="map" />、バーセレミーの遺体が[[ブレントフォード]]にあるボストン・マナー・ロード199番地の後方の小道で発見された<ref>{{cite news|title=Naked Woman Dead In Alley|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=25 April 1964|page=8|issue=55995}}</ref>{{sfn|Kirby|2016}}。この調査によりこの事件で最初の確実な証拠である、自動車製造に使用される塗料の微小片<ref name="map" />が発見された。警察は塗料がおそらく殺人者の職場に由来すると考えた。そこで、その出所の探索に焦点を置いたところ、近場の店に突き当たった。

===メアリー・フレミング===
{{Infobox person
|name = メアリー・フレミング ({{lang-en-short|Mary Fleming|links=no}})
|birth_date = {{Birth date|1933|9|16|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=199}}
|birth_place = {{仮リンク|クライドバンク|en|Clydebank}}
|disappeared_date = 1964年7月11日
|death_date = 1964 (30歳)
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 絞首による窒息
|body_discovered = ベリーミード街 (チジック)
}}
1964年7月14日<ref name="map" />、フレミングの遺体がチジックのベリーミード・ロード48番地の外れで発見された{{sfn|Seabrook|2007|page=204}}。再び塗料の粒が遺体に付着しているのが発見された<ref name="map" />。多くの近隣住民が、遺体が発見される直前に車が通りをバックする音を聞いた<ref name="historic" />。

===フランシス・ブラウン===
{{Infobox person
|name = フランシス・ブラウン ({{lang-en-short|Frances Brown|links=no}})
|other_names = マーガレット・マクゴワン ({{lang-en-short|Margaret McGowan|links=no}})<br />フランシス・クイン ({{lang-en-short|Frances Quinn|links=no}})<br />アン・サザーランド ({{lang-en-short|Anne Sutherland|links=no}})<br />ドナ・サザーランド ({{lang-en-short|Donna Sutherland|links=no}})<br />スーザン・エドワーズ ({{lang-en-short|Susan Edwards|links=no}})<br />ヌアラ・ローランズ ({{lang-en-short|Nuala Rowlands|links=no}})
|birth_date = {{Birth date|1943|1|3|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=219}}
|birth_place = [[グラスゴー]]
|death_date = 1964 (21歳)
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 絞首による窒息
|body_discovered = ホーントン通り ([[ケンジントン]])
}}
生きているブラウンが最後に目撃されたのは1964年10月23日のことだった。同業者が客の車に入るのを目撃していた。11月25日に遺体が[[ケンジントン]]のホーントン・ストリートにある自動車駐車場で発見された<ref name="map" />。ブラウンは首を絞められていた<ref>{{cite news|title=No Real Suspect In Nude Death|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=25 February 1965|page=6|issue=56255}}</ref>。前述の同業者の証言により、モンタージュ写真を作ることができ、車の説明も得られた。車は灰色で、[[イギリス・フォード|フォード]]の{{仮リンク|フォード・ゼファー|en|Ford Zephyr|label=ゼファー}}という車種と考えられた<ref name="map" />{{sfn|Seabrook|2007|page=241}}。ブラウンは[[プロヒューモ事件]]に関する{{仮リンク|スティーブン・ウォード|en|Stephen Ward}}の1963年7月の裁判で、被告側の証人として[[クリスティーン・キーラー]]や{{仮リンク|マンディ・ライス・デーヴィス|en|Mandy Rice-Davies}}とともに証言した人物でもあった<ref name="map" /><ref>{{cite news|title=Nude Victim Was Ward Trial Witness|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=27 November 1964|page=6|issue=56180}}</ref>{{sfn|Seabrook|2007|page=218}}{{sfn|Thompson|2012}}。

===ブリジェット・オハラ===
{{Infobox person
|name = ブリジェット・オハラ ({{lang-en-short|Bridget O'Hara|links=no}})
|other_names = ブライディー・オハラ ({{lang-en-short|Bridie O'Hara|links=no}})
|birth_date = {{Birth date|1937|3|2|df=y}}{{sfn|Seabrook|2007|page=297}}
|birth_place = [[ダブリン]]
|disappeared_date = 1965年1月11日
|death_date = 1965 (27歳)
|death_place = ロンドン
|occupation = 売春婦
|death_cause = 窒息{{sfn|Seabrook|2007|page=305}}
|body_discovered = ヘロン工業団地 ([[アクトン (ロンドン)|アクトン]])
}}
1965年2月16日、[[アイルランド]]移民のオハラの遺体が[[アクトン (ロンドン)|アクトン]]にあるヘロン工業団地の後方の物置の近くで発見された<ref name="map" />{{sfn|Seabrook|2007|page=296}}。オハラは1月11日から失踪していた。再びオハラの遺体から工業用塗料の微小片が見つかり、その出所を探したところ、遺体の発見された場所の近くの[[変圧器]]に突き当たった。遺体には暖かい環境に置かれていた形跡もあった<ref>{{harvnb|Murder Casebook|1990|p=1183}}</ref>。件の変圧器は塗料や熱を帯びていることがよく一致していた<ref name="Murder Casebook">{{harvnb|Murder Casebook|1990|p=1186}}</ref>。

==捜査==
スコットランドヤードのジョン・デュ・ローズ ({{Lang-en-short|John Du Rose|links=no}}) 警視がこの事件を担当<ref name="eadt">{{cite web|last1=Russell|first1=Steve|title=Can we finally unmask serial killer 'Jack'?|url=http://www.eadt.co.uk/ea-life/can-we-finally-unmask-serial-killer-jack-1-4712842|website=East Anglian Daily Times|accessdate=6 April 2018|language=en|date=27 September 2016}}</ref><ref>{{cite web|last1=Russell|first1=Steve|title=Can we finally unmask serial killer 'Jack'?|url=http://www.eadt.co.uk/ea-life/can-we-finally-unmask-serial-killer-jack-1-4712842|website=East Anglian Daily Times|accessdate=6 April 2018|language=en}}</ref>し、約7,000人の被疑者と尋問した<ref name="Murder Casebook"/>。

1965年の春、数名の被害者の遺体から回収された塗料と完全に一致する試料が、アクトンにあるヘロン工業団地の建物の後方に人目に隠れて設置されていた変圧器の下から発見され、事件の捜査が大きく進展した。この工業団地は塗料の吹き付けを行う店に面していた。それから間もなく、デュ・ローズは記者会見を開き、警察は被疑者を20人に狭めており、消去法によって被疑者を捜査から除去していると偽って告知した。それからすぐに、被疑者は10人のみになったと告知し、その後に3人となった<ref>{{harvnb|Murder Casebook|1990|pp=1183?1184}}</ref>。最初の記者会見以降、犯人による新たな犯罪は知られていない<ref name="eadt" />。

作家の{{仮リンク|アンソニー・サマーズ|en|Anthony Summers}} ({{Lang-en-short|Anthony Summers|links=no}}) によれば、ハンナ・テールフォードとフランシス・ブラウン、つまりは3番目と7番目の犠牲者の2人は1963年の[[プロヒューモ事件]]と末梢的に関係していたらしい。被害者の中には地下の集まりの場に携わり、[[ポルノグラフィ]]映画に出演した者もいるという。数名の作家は、被害者たちは互いを知っていたかもしれず、殺人者もこのような場でつながりがあった可能性があると主張している<ref>{{cite news|url=http://chiswickherald.co.uk/the-serial-killer-that-visited-chiswick-p1233-95.htm|title=The serial killer that visited Chiswick|access-date=30 June 2017|newspaper=Chiswick Herald|date=16 October 2015}}</ref>。

==被疑者==
===ケネス・アーチボルド===
1964年4月27日、{{仮リンク|ホランド・パーク|en|Holland Park|label=ホランド・パーク・ローンテニス・クラブ}}の管理人を勤める54歳のケネス・アーチボルド ({{Lang-en-short|Kenneth Archibald|links=no}}) は[[ノッティング・ヒル]]警察署へ歩いていき、自らアイリーン・ロックウッドの殺害を告白した<ref name="historic" /><ref>{{cite news|title=Caretaker Remanded On Murder Charge|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=2 May 1964|page=6|issue=56001}}</ref>。アーチボルドは殺人罪で起訴され、1964年6月に中央刑事裁判所で裁判にかけられた。裁判では自白を翻して無罪を主張した。1964年6月23日、アーチボルドと犯行を結びつける証拠は自白以外に他に無く、陪臣は無罪という評決を下し、裁判官の{{仮リンク|バジル・ニールド|en|Basil Nield}} ({{Lang-en-short|Basil Nield|links=no}}) は無罪判決を言い渡した<ref>{{cite web|url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/unsolved/jack_the_stripper/12.html|title=Jack the Stripper: "I killed her"|first=Johnny|last=Sharp|work=[[truTV]]|year=2007|accessdate=3 January 2017|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080601032633/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/unsolved/jack_the_stripper/5.html|archivedate=1 June 2008}}</ref><ref>{{cite news|title=Caretaker Acquitted On Murder Charge|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=24 June 1964|page=8|issue=56046}}</ref>。

===マンゴー・アイルランド===
デュ・ローズが最も怪しいと思っていた被疑者は、マンゴー・アイルランド ({{Lang-en-short|Mungo Ireland|links=no}}) と呼ばれるスコットランド人の警備員だった。デュ・ローズが最初に1970年の[[英国放送協会|BBC]]の番組のインタビューで、正業に就いた既婚者で40代の男性と言及した人物のことである。「ビッグ・ジョン」 ({{Lang-en-short|Big John|links=no}}) というコードネームが与えられていた<ref>{{cite news|title=Nudes case man dead|work=[[タイムズ]]|location=ロンドン|date=3 April 1970|page=4|issue=57834}}</ref>。ブリジェット・オハラの殺害から間もなく、アイルランドは被疑者と見なされていたようだ。工業用塗料の微小片の出所がヘロン工業団地であると突き止められたが、アイルランドはそこで警備員として働いていた<ref name="get" />。

このつながりが判明してすぐにアイルランドは[[一酸化炭素中毒]]で[[自殺]]した<ref name="get" />。妻に手紙を残しており、その手紙には"I can't stick it any longer" (もう耐えられない) と書かれていた。終わりには"To save you and the police looking for me I'll be in the garage" (君と警察が私を探す手間を省くために書いておく。私は車庫にいる) とあった。多くの人から強い疑いをかけられていたが、最近の調査ではアイルランドはオハラが殺されたときに[[スコットランド]]にいたと判明している。そのため、アイルランドはストリッパーであるはずがないという<ref>{{cite web|url=http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/unsolved/jack_the_stripper/12.html|title=Jack the Stripper: "He framed a dead man"|first=Johnny|last=Sharp|work=[[truTV]]|year=2007|accessdate=3 January 2017|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080601032607/http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/unsolved/jack_the_stripper/12.html|archivedate=1 June 2008}}</ref>。

===フレディー・ミルズ===
2001年、更生したギャングのジミー・ティペット・ジュニア ({{Lang-en-short|Jimmy Tippett, Jr.|links=no}}) は、ロンドンの犯罪組織の世界についての自身の著書のための調査の際に、イギリスの[[ライトヘビー級]]ボクシングチャンピオンの{{仮リンク|フレディー・ミルズ|en|Freddie Mills}} ({{Lang-en-short|Freddie Mills|links=no}}) がこの事件の犯人であることを示す情報を見出したと発言した<ref name="thompson">{{cite news|first=Tony|last=Thompson|url=http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,,587298,00.html|title=Boxing hero Freddie Mills 'murdered eight women'|work=[[オブザーバー (イギリスの新聞)|オブザーバー]]|location=ロンドン|date=4 November 2001|accessdate=3 January 2017}}</ref>。ティペットは、犯罪の世界の著名な人物やスコットランドヤードの古参の警察官と話をして、ミルズが殺人犯であると確信したと述べた。ティペットによれば、一般のイメージとは逆に、ミルズは苦痛を与えるのを楽しむ性格を持つ常軌を逸した[[サディスティックパーソナリティ障害|サディスト]]であり<ref name="okelly">{{cite news|work={{仮リンク|メール・オン・サンデー|en|The Mail on Sunday}}|location=ロンドン|title=Seven Women Dead and a City in Fear: Was a British Boxing Hero a Serial Sex Killer?|date=18 November 2001|last=O'Kelly|first=Sebastian|url=https://www.questia.com/read/1G1-80146917/seven-womwn-dead-and-a-city-in-fear-was-a-british|subscription=yes|via=[[Questia Online Library|Questia]]}}</ref>、[[クレイ兄弟]]の時代のギャングたちは、{{仮リンク|チャーリー・リチャードソン|en|Charlie Richardson|label=}}や{{仮リンク|フランキー・フレーザー|en|Frankie Fraser}}も含め、長年ミルズが犯人ではないかと疑ってきたという<ref name="bevan">{{cite news|title=Is Valleys Murderer Jack the Stripper? Welsh Author Finds Link with Grisly Hammersmith Deaths|work={{仮リンク|ウェールズ・メール|label=ウェールズ・オン・サンデー|en|Western Mail (Wales)}}|location=カーディフ|date=10 August 2008|first=Nathan|last=Bevan|url=https://www.highbeam.com/doc/1G1-182565557.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20170829202240/https://www.highbeam.com/doc/1G1-182565557.html|dead-url=yes|archive-date=29 August 2017|via=[[HighBeam Research]]|subscription=yes|accessdate=4 January 2017}}</ref>。

以前に、南ロンドンの{{仮リンク|バラム (ロンドン)|en|Balham|label=バラム}}出身のフリーランスのジャーナリストであるピーター・ニール ({{Lang-en-short|Peter Neale|links=no}}) も、ミルズがこの事件と関係があると考えていた。1972年7月に、ニールは現役の警部からミルズが売春婦たちを裸にして殺したという情報を受け取ったと警察に内密に伝えた。ニールはこのことは[[ウエスト・エンド (ロンドン)|ウエスト・エンド]]では常識であるとも語っている{{sfn|Seabrook|2007|page=289}}。

1965年7月<ref>{{cite news|title=How boxing champion was driven to suicide by threat from Krays|first=Tony|last=Thompson|work=[[オブザーバー (イギリスの新聞)|オブザーバー]]|location=ロンドン|date=11 July 2004|url=https://www.theguardian.com/uk/2004/jul/11/books.crimebooks|accessdate=4 January 2017}}</ref>、ミルズは自身の車の中で銃撃を受けた状態で発見されており、自殺したと見られている<ref name="get" />。

ミルズがこの事件の犯人であるという説はギャングのフランキー・フレーザーに由来し、フレーザーは警察官のボブ・ベリー ({{Lang-en-short|Bob Berry|links=no}}) にこの説を伝えた。ベリーは[[ザ・サン]]の犯罪担当の記者のマイケル・リッチフィールド ({{Lang-en-short|Michael Litchfield|links=no}}) にこの説を伝えた<ref>{{harvnb|Litchfield|Oldfield|2017}}</ref>。フレーザーはこの話はミルズがスコットランドヤードの警視正ジョン・デュ・ローズに告白したことであり、自分へはデュ・ローズから伝えられたと主張した。しかし、デュ・ローズがこの殺人事件について触れた自叙伝を出版したとき、この事件に関してミルズのことを言及していなかった。ピーター・マッキンズ ({{Lang-en-short|Peter McInnes|links=no}}) は捜査官にこの説を話したが、捜査官は捜査の間にミルズが被疑者になったことはないと述べた<ref>{{harvnb|McInnes|1995}}</ref>。

=== ロンドン警視庁警察官 ===
作家の{{仮リンク|デヴィッド・シーブルック|en|David Seabrook}} ({{Lang-en-short|David Seabrook|links=no}}) が2006年の著書''Jack of Jumps''で、この事件を捜査していた数名の古参の刑事が[[ロンドン警視庁]]のある元刑事を被疑者と見なしていたと記した。以前に、[[ザ・サン]]の記者のオーエン・サマーズ ({{Lang-en-short|Owen Summers|links=no}}) は、1972年に発行された新聞の一連の記事において、ある名前を伏せられた警察官が事件に関係しているという疑いを抱いていたと記した。[[デイリー・ミラー]]の記者のブライアン・マッコーネル ({{Lang-en-short|Brian McConnell|links=no}}) も1974年の著書''Found Naked and Dead''において同様の調査を行っている。ロンドン警視庁の元刑事のディック・カービィ ({{Lang-en-short|Dick Kirby|links=no}}) も2016年の著書''Laid Bare: The Nude Murders and the Hunt for 'Jack the Stripper'''において同様の見解を記しており、その警察官をただ"the Cop" ({{Lang-ja-short|警官|no}}) とだけ呼称していた。

===トミー・バトラー===
ジミー・エヴァンズ ({{Lang-en-short|Jimmy Evans|links=no}}) とマーティン・ショート ({{Lang-en-short|Martin Short|links=no}}) は2002年の著書''The Survivor''で、ロンドン警視庁{{仮リンク|フライング・スクァド|en|Flying Squad|label=特別機動隊}}の{{仮リンク|トミー・バトラー|en|Tommy Butler}} ({{Lang-en-short|Tommy Butler|links=no}}) 警視が犯人という説を記した。バトラーは1970年に死亡している。

===ハロルド・ジョーンズ===
{{仮リンク|Crime & Investigation|en|Crime & Investigation (European TV channel)}}チャンネルのドキュメンタリー{{仮リンク|フレッド・ディネネージ|en|Fred Dinenage|label=''Fred Dinenage: Murder Casebook''}}で、[[ウェールズ]]の殺人犯{{仮リンク|ハロルド・ジョーンズ|en|Harold Jones (murderer)}} ({{Lang-en-short|Harold Jones|links=no}}) がこの事件の犯人の可能性があるという説が出された。ジョーンズは1921年にウェールズの町{{仮リンク|アバーティレアリー|en|Abertillery}}で2人の少女を殺害した。当時、ジョーンズは15歳だったため、[[死刑]]を受ける責任がなく、代わりに終身刑となった。1941年、35歳のとき、模範的な態度から{{仮リンク|ウォンズワース刑務所|en|HM Prison Wandsworth}}から釈放された。その後、アバーティレアリーに戻り、犠牲者の墓を訪れたと考えられている。

1947年までジョーンズはロンドンの[[フラム]]に住んでいた。ストリッパーの犯行にはジョーンズの犯行と同様の特徴があった。被害者に性的暴行はしていないが、極度に暴力を加えていることである。記録の保持が劣悪だったため、警察から被疑者と見なされることはなかった。

作家のニール・ミルキンズ ({{Lang-en-short|Neil Milkins|links=no}}) も、2011年の著書''Who was Jack the Stripper?''において、ジョーンズが犯人であると結論付けている<ref name="get" />。著書''Every Mother's Nightmare''のためのジョーンズの調査の際に<ref name="get" />、ミルキンズは殺人者の行動を追跡した。ジョーンズは1940年代後半にフラムに移ったときにハリー・スティーヴンズ ({{Lang-en-short|Harry Stevens|links=no}}) と称し、1962年までヘスタークーム・アベニューのその住所に留まっており、1962年に姿を消したという。インターネットでジャック・ザ・ストリッパーの事件に出会った筆者は、その事件はジョーンズが1962年から1965年までのどこにいたか不明の期間に、ジョーンズが直近まで住んでいた西ロンドンの地域で起きていることに気付いたそうだ<ref name="bevan" />。

ジョーンズは1971年にハマースミスで死亡している<ref name=bevan/>。

==メディアでの扱い==
この殺人事件はいくつかのドキュメンタリー番組で主題になっている。
*{{仮リンク|24 Hours (テレビシリーズ)|en|24 Hours (TV series)|label=''24 Hours''}} – [[英国放送協会|BBC]]の番組。ジョン・デュ・ローズ警視正がこの事件についてインタビューを受けた。イギリスで1970年4月2日に放送された。
*{{仮リンク|Great Crimes and Trials|en|Great Crimes and Trials|label=''Great Crimes and Trials''}} – "The Hammersmith Murders"という回でこの事件を扱った。[[BBC]]によりイギリスで1993年に最初に放送された。
*{{仮リンク|フレッド・ディネネージ|en|Fred Dinenage|label=''Fred Dinenage: Murder Casebook''}} – "Murders That Shocked a Nation: The Welsh Child Killer"という回でこの事件を扱った。{{仮リンク|Crime & Investigation|en|Crime & Investigation (European TV channel)}}というチャンネルによりイギリスで2011年に最初に放送された。
*''Dark Son'' – 2018年に[[BBCウェールズ]]とMonster Filmsが制作したドキュメンタリー<ref>{{Cite web|url=http://www.tcbmediarights.com/screeners/dark_son.html|title=TCB Media Rights|website=www.tcbmediarights.com|language=en|access-date=2018-09-26}}</ref>。コントリビューターには犯罪学者の{{仮リンク|デヴィッド・ウィルソン (犯罪学者)|en|David Wilson (criminologist)|label=デヴィッド・ウィルソン}} ({{Lang-en-short|David Wilson}}) や''The Hunt For The '60s Ripper''の著者である作家のロビン・ジャロッシ ({{Lang-en-short|Robin Jarossi|links=no}}) が含まれる<ref>{{Cite news|url=https://robinjarossi.com/blog/final-day-shooting-on-dark-son/|title=Final day shooting on Dark Son - Robin Jarossi|date=2018-09-02|work=Robin Jarossi|access-date=2018-09-26|language=en-GB}}</ref>。

==創作での扱い==
{{仮リンク|アーサー・ラ・バーン|fr|Arthur La Bern}} ({{Lang-en-short|Arthur La Bern|links=no}}) の1969年の犯罪小説{{仮リンク|Goodbye Piccadilly, Farewell Leicester Square|en|Goodbye Piccadilly, Farewell Leicester Square|label=''Goodbye Piccadilly, Farewell Leicester Square''}}はおおよそこの事件を元に書かれている。[[アルフレッド・ヒッチコック|アルフレッド・ヒッチコク]]の1972年の映画『[[フレンジー]]』はこの小説が原作である{{sfn|Cooper|2016|p=132}}。同じく1972年の映画{{仮リンク|The Fiend (映画)|en|The Fiend (film)|label=''The Fiend''}}もこの事件が元となっている。この映画では女嫌いの連続殺人者がロンドン中に裸にされた被害者の遺体を残していく{{sfn|Cooper|2016|p=132}}。{{仮リンク|カティ・アンスワース|en|Cathi Unsworth}} ({{Lang-en-short|Cathi Unsworth|links=no}}) の2009年の犯罪小説''Bad Penny Blues''もこの事件が元になっている<ref>{{cite news|url=http://metro.co.uk/2009/12/03/books-interview-cathi-unsworth-talks-about-bad-penny-blues-619141/|title=Cathi Unsworth's Notting Hill blues|date=3 December 2009|work={{仮リンク|メトロ (イギリスの新聞)|label=メトロ|en|Metro (British newspaper)}}|location=ロンドン|accessdate=3 January 2017}}</ref>。

==出典==
{{Reflist|30em}}

== 参考文献 ==
*{{cite book|last1=Blundell|first1=Nigel|first2=Susan|last2=Blackhall|title=Serial Killers: A Visual Encyclopedia|location=London|publisher=Salamander Books|year=2004|pages=232?236|isbn=978-1-856-48710-8|ref=}}
*{{cite book|first=Ian|last=Cooper|title=Frightmares: A History of British Horror|publisher=Auteur|location=Leighton Buzzard|year=2016|isbn=978-0-993-07173-7|ref=harv}}
*{{cite book|title=Murder Was My Business|first=John|last=Du Rose|publisher=Mayflower Books|location=St Albans|year=1973|isbn=978-0-491-00477-0|ref=}}
*{{cite book|title=Laid Bare: The Nude Murders and the Hunt for 'Jack the Stripper'|first=Dick|last=Kirby|publisher=The History Press|location=Stroud|year=2016|isbn=978-0-750-96625-2|ref=harv}}
* {{cite book |last1=Litchfield |first1=Michael |last2=Oldfield |first2=Tom |title=The Secret Life of Freddie Mills: National Hero, Boxing Champion, Serial Killer |date=2017 |publisher=John Blake Publishing, Limited |isbn=9781786064455 |url=https://books.google.com/?id=KfJCtAEACAAJ&dq=1786064456 |ref=harv |language=en}}
*{{cite book|title=Found Naked and Dead|first=Brian|last=McConnell|publisher=New English Library|location=London|edition=2nd|year=1975|isbn=978-0-450-02327-9|ref=harv}}
* {{cite book |last1=McInnes |first1=Peter |title=Freddie My Friend |date=1995 |publisher=Caestus |isbn=9780952530107 |url=https://books.google.com/?id=IEbDPAAACAAJ&dq=0952530104 |ref=harv |language=en}}
*{{cite book|first=Neil|last=Milkin|title=Who Was Jack the Stripper?: The Hammersmith Nudes' Murders|year=2011|publisher=Rose Heyworth Press|isbn=978-0956851208|ref=}}
*{{cite book|last=Moore|first=Tony|title=Policing Notting Hill: Fifty Years of Turbulence|year=2013|publisher=Waterside Press|location=Hook|isbn=978-1-904-38061-0|ref=harv}}
* {{cite book |last1=Murder Casebook |title=Jack The Stripper: The Hammersmith Nudes Case |date=1990 |publisher=Marshall Cavendish |isbn=9780748514335 |ref=harv|id= {{ASIN|0748514333|country=uk}} }}
*{{cite book|last=Newton|first=Michael|title=The Encyclopedia of Serial Killers|edition=2nd revised|publisher=Infobase|location=New York|year=2006|isbn=978-0-816-06195-2|ref=harv}}
*{{cite book|title=Jack of Jumps|first=David|last=Seabrook|edition=2nd|publisher=Granta Books|location=London|year=2007|isbn=978-1-862-07928-1|ref=harv}}
*{{cite book|title=Mafialand: How the Mob Invaded Britain|first=Douglas|last=Thompson|publisher=Mainstream Publishing|location=Edinburgh|year=2012|isbn=978-1-780-57550-6|ref=harv}}

==関連項目==

*[[切り裂きジャック|ジャック・ザ・リッパー]] - 「ジャック・ザ・ストリッパー」という呼称の元となった正体不明のシリアルキラー。
*[[ゴードン・カミンズ]] – 「ブラックアウト・リッパー」と呼ばれた連続殺人犯。
*{{仮リンク|アンソニー・ハーディ|en|Anthony Hardy}} – 「カムデン・リッパー」と呼ばれた連続殺人犯。
*[[ゲイリー・リッジウェイ]] – 「グリーン・リバー・キラー」と呼ばれた連続殺人犯。
*[[ピーター・サトクリフ]] – 「ヨークシャー・リッパー」と呼ばれた連続殺人犯。
*[[英国の売春婦連続殺害|スティーブ・ライト]] – 「サフォーク・ストラングラー」と呼ばれた連続殺人犯。
*{{仮リンク|ハロルド・ジョーンズ|en|Harold Jones (murderer)}} – ジャック・ザ・ストリッパーの正体の可能性が指摘されている殺人犯。
*[[未解決事件]]
*[[シリアルキラー]]

== 外部リンク ==
*{{cite news|url=http://www.time.com/time/archive/preview/0,10987,897163,00.html|title=Great Britain: Jack the Stripper|date=8 May 1964|work=[[タイム (雑誌)|タイム]]|location=ニューヨーク市|accessdate=3 January 2017}}

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2019年3月27日 (水) 08:53時点における版

ジャック・ザ・ストリッパー (英語: Jack the Stripper、和訳: 剥ぎ取りジャック[1]) とは1964年から1965年にかけてイングランドロンドンで起きた連続殺人事件の犯人である[2]。被害者は全員売春婦であり、遺体は服を脱がされた状態でテムズ川の中やその付近で発見された。これにより、報道を通じて「ジャック・ザ・リッパー」をもじったあだ名がつけられた[3][4]。この事件よりも前に起こった1959年と1963年の殺人事件もこの人物に関係があるとする説もある[4][5][6]。この事件は「ハマースミス裸体殺人事件」 (英: Hammersmith nude murders) とも呼ばれる。

メディアからの関心を集め、スコットランドヤード史上最大級の規模で犯人が捜査されたが、事件は未解決である[4][7]

被害者

エリザベス・フィッグ

エリザベス・フィッグ (英: Elizabeth Figg)
生誕 (1938-03-24) 1938年3月24日[8]
ベビントン英語版 (チェシャー)
死没 1959年6月17日(1959-06-17)(21歳没)
ロンドン
死因 手での絞首による窒息
遺体発見 デュークス・メドーズ英語版 (チジック)
別名 アン・フィリップス (英: Ann Phillips)[9]
職業 売春婦
テンプレートを表示

1959年6月17日午前5時10分、フィッグの遺体が日常業務でチジックにあるデュークス・メドーズ英語版を巡視していた警察官[10]によって発見された。この場所はテムズ川の北岸にある[11][12]。恋人同士が二人きりになれる場所として評判があるところで、売春婦が客を連れてくることでも知られていた[13]

フィッグの遺体はバーンズ橋英語版から西におよそ180mのところにある、ダン・メイソン・ドライブと川の曳船道の間の低木で覆われた場所で見つかった[12]。衣服の腰の部分が切り裂かれ、胸があらわになっていた[14][12]。首には絞められた跡がついていた[12][15]。下着と靴は無くなっており、身元の確認できるものや所有物も見つからなかった[16]。病理学者は6月17日の午前0時から午前2時の間に死亡したと結論付けた[12][17]

死後に撮影した顔の写真を報道機関に配布したところ、フィッグの同居人と母親がそれに気付いた[18][19][20]

川床を含めてその地域を広範囲に捜索したが、フィッグの下着や黒色のスチレットヒール、白色のハンドバッグは発見できなかった[16]。警察は、フィッグは靴や下着を脱いだ後に客に車の中で殺されたと推測し、下着や靴、ハンドバッグは遺体をデュークス・メドーズで処分した後も車に残していると考えた[21][16][22]。フィッグが発見された場所から川を挟んだところにある酒場の経営者は、殺人があった夜の午前0:05に自分と妻がその場所に駐車する車のヘッドライトを見たと発言した。2人はヘッドライドが切れて間もなく、女性の絶叫を聞いた[17]

グウィネス・リース

グウィネス・リース (英: Gwynneth Rees)
生誕 (1941-08-06) 1941年8月6日[23]
バリー英語版 (ウェールズ)
失踪 1963年9月29日[24]
死没 1963 (22歳)
ロンドン
死因 不明
遺体発見 タウンミード街 (モートレイク英語版)
別名 ジョージェット・リース (英: Georgette Rees)
ティーナ・スマート (英: Tina Smart)
ティーナ・ドーソン (英: Tina Dawson)
職業 売春婦
テンプレートを表示

1963年11月8日、リースの遺体がモートレイク英語版のタウンミード・ロードにあるバーンズ区議会家庭ごみ処分場で発見された[25][26]。このごみ捨て場はテムズ川の曳船道から40m弱のところにあり、デュークス・メドーズからは約1.5km離れている[26]

リースは右脚のストッキングを残し全裸になっていた。ストッキングは足首より上には伸ばしていなかった[27][28]。労働者がごみをシャベルで均していたときに首をはねられてしまったという[27]

ハンナ・テールフォード

ハンナ・テールフォード (英: Hannah Tailford)
生誕 (1933-08-19) 1933年8月19日[29]
ヘドン・オン・ザ・ウォール英語版 (ノーサンバーランド)
死没 1964 (30歳)
ロンドン
死因 溺死
遺体発見 アッパーモール (ハマースミス)
別名 ハンナ・リンチ (英: Hannah Lynch)
アンネ・テーラー (英: Anne Tailer、英: Anne Taylor)[30]
職業 売春婦
テンプレートを表示

1964年2月2日[31]、テールフォードの遺体がテムズ川の水辺で発見された。その場所はリンデンハウス (ロンドン・コリンシアン・セーリング・クラブ英語版のクラブハウス) の下の方であり、ハマースミス橋英語版の西の方でもある[29][32]。テールフォードは首を絞められており、いくつかの歯が無くなっていた[10]。身につけていた下着が喉に押し込まれていた[31]

アイリーン・ロックウッド

アイリーン・シャーロット・ロックウッド (英: Irene Charlotte Lockwood)
生誕 (1938-09-29) 1938年9月29日[33]
ウォーカーリンガム英語版 (ノッティンガムシャー)
死没 1964年4月8日(1964-04-08)(25歳没)
ロンドン
死因 溺死
遺体発見 デュークス・メドーズ (チジック)
別名 サンドラ・ラッセル (英: Sandra Russell)
サンドラ・ロックウッド (英: Sandra Lockwood)
職業 売春婦
テンプレートを表示

1964年4月8日、ロックウッドの遺体がチジックのコーニー・リーチにあるテムズ川の水辺[7]で発見された。その場所はテールフォードの遺体が発見された場所からそれほど遠くないところだった。この3人目の被害者の発見により、警察は連続殺人犯が野放しになっていることを認識した[34][33][35]。ロックウッドは死亡時に妊娠していた[33]

ヘレン・バーレミー

へレン・キャサリン・バーセレミー (英: Helen Catherine Barthelemy)
生誕 (1941-06-09) 1941年6月9日[36]
オーミストン英語版 (イースト・ロージアン)
死没 1964年4月24日(1964-04-24)(22歳没)
ロンドン
死因 絞首による窒息
遺体発見 ボストン・マナー街 (ブレントフォード)
職業 売春婦
テンプレートを表示

1964年4月24日[31]、バーセレミーの遺体がブレントフォードにあるボストン・マナー・ロード199番地の後方の小道で発見された[37][38]。この調査によりこの事件で最初の確実な証拠である、自動車製造に使用される塗料の微小片[31]が発見された。警察は塗料がおそらく殺人者の職場に由来すると考えた。そこで、その出所の探索に焦点を置いたところ、近場の店に突き当たった。

メアリー・フレミング

メアリー・フレミング (英: Mary Fleming)
生誕 (1933-09-16) 1933年9月16日[39]
クライドバンク英語版
失踪 1964年7月11日
死没 1964 (30歳)
ロンドン
死因 絞首による窒息
遺体発見 ベリーミード街 (チジック)
職業 売春婦
テンプレートを表示

1964年7月14日[31]、フレミングの遺体がチジックのベリーミード・ロード48番地の外れで発見された[40]。再び塗料の粒が遺体に付着しているのが発見された[31]。多くの近隣住民が、遺体が発見される直前に車が通りをバックする音を聞いた[10]

フランシス・ブラウン

フランシス・ブラウン (英: Frances Brown)
生誕 (1943-01-03) 1943年1月3日[41]
グラスゴー
死没 1964 (21歳)
ロンドン
死因 絞首による窒息
遺体発見 ホーントン通り (ケンジントン)
別名 マーガレット・マクゴワン (英: Margaret McGowan)
フランシス・クイン (英: Frances Quinn)
アン・サザーランド (英: Anne Sutherland)
ドナ・サザーランド (英: Donna Sutherland)
スーザン・エドワーズ (英: Susan Edwards)
ヌアラ・ローランズ (英: Nuala Rowlands)
職業 売春婦
テンプレートを表示

生きているブラウンが最後に目撃されたのは1964年10月23日のことだった。同業者が客の車に入るのを目撃していた。11月25日に遺体がケンジントンのホーントン・ストリートにある自動車駐車場で発見された[31]。ブラウンは首を絞められていた[42]。前述の同業者の証言により、モンタージュ写真を作ることができ、車の説明も得られた。車は灰色で、フォードゼファー英語版という車種と考えられた[31][43]。ブラウンはプロヒューモ事件に関するスティーブン・ウォード英語版の1963年7月の裁判で、被告側の証人としてクリスティーン・キーラーマンディ・ライス・デーヴィス英語版とともに証言した人物でもあった[31][44][45][46]

ブリジェット・オハラ

ブリジェット・オハラ (英: Bridget O'Hara)
生誕 (1937-03-02) 1937年3月2日[47]
ダブリン
失踪 1965年1月11日
死没 1965 (27歳)
ロンドン
死因 窒息[48]
遺体発見 ヘロン工業団地 (アクトン)
別名 ブライディー・オハラ (英: Bridie O'Hara)
職業 売春婦
テンプレートを表示

1965年2月16日、アイルランド移民のオハラの遺体がアクトンにあるヘロン工業団地の後方の物置の近くで発見された[31][49]。オハラは1月11日から失踪していた。再びオハラの遺体から工業用塗料の微小片が見つかり、その出所を探したところ、遺体の発見された場所の近くの変圧器に突き当たった。遺体には暖かい環境に置かれていた形跡もあった[50]。件の変圧器は塗料や熱を帯びていることがよく一致していた[51]

捜査

スコットランドヤードのジョン・デュ・ローズ (英: John Du Rose) 警視がこの事件を担当[52][53]し、約7,000人の被疑者と尋問した[51]

1965年の春、数名の被害者の遺体から回収された塗料と完全に一致する試料が、アクトンにあるヘロン工業団地の建物の後方に人目に隠れて設置されていた変圧器の下から発見され、事件の捜査が大きく進展した。この工業団地は塗料の吹き付けを行う店に面していた。それから間もなく、デュ・ローズは記者会見を開き、警察は被疑者を20人に狭めており、消去法によって被疑者を捜査から除去していると偽って告知した。それからすぐに、被疑者は10人のみになったと告知し、その後に3人となった[54]。最初の記者会見以降、犯人による新たな犯罪は知られていない[52]

作家のアンソニー・サマーズ英語版 (英: Anthony Summers) によれば、ハンナ・テールフォードとフランシス・ブラウン、つまりは3番目と7番目の犠牲者の2人は1963年のプロヒューモ事件と末梢的に関係していたらしい。被害者の中には地下の集まりの場に携わり、ポルノグラフィ映画に出演した者もいるという。数名の作家は、被害者たちは互いを知っていたかもしれず、殺人者もこのような場でつながりがあった可能性があると主張している[55]

被疑者

ケネス・アーチボルド

1964年4月27日、ホランド・パーク・ローンテニス・クラブ英語版の管理人を勤める54歳のケネス・アーチボルド (英: Kenneth Archibald) はノッティング・ヒル警察署へ歩いていき、自らアイリーン・ロックウッドの殺害を告白した[10][56]。アーチボルドは殺人罪で起訴され、1964年6月に中央刑事裁判所で裁判にかけられた。裁判では自白を翻して無罪を主張した。1964年6月23日、アーチボルドと犯行を結びつける証拠は自白以外に他に無く、陪臣は無罪という評決を下し、裁判官のバジル・ニールド英語版 (英: Basil Nield) は無罪判決を言い渡した[57][58]

マンゴー・アイルランド

デュ・ローズが最も怪しいと思っていた被疑者は、マンゴー・アイルランド (英: Mungo Ireland) と呼ばれるスコットランド人の警備員だった。デュ・ローズが最初に1970年のBBCの番組のインタビューで、正業に就いた既婚者で40代の男性と言及した人物のことである。「ビッグ・ジョン」 (英: Big John) というコードネームが与えられていた[59]。ブリジェット・オハラの殺害から間もなく、アイルランドは被疑者と見なされていたようだ。工業用塗料の微小片の出所がヘロン工業団地であると突き止められたが、アイルランドはそこで警備員として働いていた[7]

このつながりが判明してすぐにアイルランドは一酸化炭素中毒自殺した[7]。妻に手紙を残しており、その手紙には"I can't stick it any longer" (もう耐えられない) と書かれていた。終わりには"To save you and the police looking for me I'll be in the garage" (君と警察が私を探す手間を省くために書いておく。私は車庫にいる) とあった。多くの人から強い疑いをかけられていたが、最近の調査ではアイルランドはオハラが殺されたときにスコットランドにいたと判明している。そのため、アイルランドはストリッパーであるはずがないという[60]

フレディー・ミルズ

2001年、更生したギャングのジミー・ティペット・ジュニア (英: Jimmy Tippett, Jr.) は、ロンドンの犯罪組織の世界についての自身の著書のための調査の際に、イギリスのライトヘビー級ボクシングチャンピオンのフレディー・ミルズ英語版 (英: Freddie Mills) がこの事件の犯人であることを示す情報を見出したと発言した[61]。ティペットは、犯罪の世界の著名な人物やスコットランドヤードの古参の警察官と話をして、ミルズが殺人犯であると確信したと述べた。ティペットによれば、一般のイメージとは逆に、ミルズは苦痛を与えるのを楽しむ性格を持つ常軌を逸したサディストであり[62]クレイ兄弟の時代のギャングたちは、チャーリー・リチャードソン英語版フランキー・フレーザー英語版も含め、長年ミルズが犯人ではないかと疑ってきたという[63]

以前に、南ロンドンのバラム英語版出身のフリーランスのジャーナリストであるピーター・ニール (英: Peter Neale) も、ミルズがこの事件と関係があると考えていた。1972年7月に、ニールは現役の警部からミルズが売春婦たちを裸にして殺したという情報を受け取ったと警察に内密に伝えた。ニールはこのことはウエスト・エンドでは常識であるとも語っている[64]

1965年7月[65]、ミルズは自身の車の中で銃撃を受けた状態で発見されており、自殺したと見られている[7]

ミルズがこの事件の犯人であるという説はギャングのフランキー・フレーザーに由来し、フレーザーは警察官のボブ・ベリー (英: Bob Berry) にこの説を伝えた。ベリーはザ・サンの犯罪担当の記者のマイケル・リッチフィールド (英: Michael Litchfield) にこの説を伝えた[66]。フレーザーはこの話はミルズがスコットランドヤードの警視正ジョン・デュ・ローズに告白したことであり、自分へはデュ・ローズから伝えられたと主張した。しかし、デュ・ローズがこの殺人事件について触れた自叙伝を出版したとき、この事件に関してミルズのことを言及していなかった。ピーター・マッキンズ (英: Peter McInnes) は捜査官にこの説を話したが、捜査官は捜査の間にミルズが被疑者になったことはないと述べた[67]

ロンドン警視庁警察官

作家のデヴィッド・シーブルック英語版 (英: David Seabrook) が2006年の著書Jack of Jumpsで、この事件を捜査していた数名の古参の刑事がロンドン警視庁のある元刑事を被疑者と見なしていたと記した。以前に、ザ・サンの記者のオーエン・サマーズ (英: Owen Summers) は、1972年に発行された新聞の一連の記事において、ある名前を伏せられた警察官が事件に関係しているという疑いを抱いていたと記した。デイリー・ミラーの記者のブライアン・マッコーネル (英: Brian McConnell) も1974年の著書Found Naked and Deadにおいて同様の調査を行っている。ロンドン警視庁の元刑事のディック・カービィ (英: Dick Kirby) も2016年の著書Laid Bare: The Nude Murders and the Hunt for 'Jack the Stripper'において同様の見解を記しており、その警察官をただ"the Cop" (日: 警官) とだけ呼称していた。

トミー・バトラー

ジミー・エヴァンズ (英: Jimmy Evans) とマーティン・ショート (英: Martin Short) は2002年の著書The Survivorで、ロンドン警視庁特別機動隊英語版トミー・バトラー英語版 (英: Tommy Butler) 警視が犯人という説を記した。バトラーは1970年に死亡している。

ハロルド・ジョーンズ

Crime & Investigation英語版チャンネルのドキュメンタリーFred Dinenage: Murder Casebook英語版で、ウェールズの殺人犯ハロルド・ジョーンズ英語版 (英: Harold Jones) がこの事件の犯人の可能性があるという説が出された。ジョーンズは1921年にウェールズの町アバーティレアリー英語版で2人の少女を殺害した。当時、ジョーンズは15歳だったため、死刑を受ける責任がなく、代わりに終身刑となった。1941年、35歳のとき、模範的な態度からウォンズワース刑務所英語版から釈放された。その後、アバーティレアリーに戻り、犠牲者の墓を訪れたと考えられている。

1947年までジョーンズはロンドンのフラムに住んでいた。ストリッパーの犯行にはジョーンズの犯行と同様の特徴があった。被害者に性的暴行はしていないが、極度に暴力を加えていることである。記録の保持が劣悪だったため、警察から被疑者と見なされることはなかった。

作家のニール・ミルキンズ (英: Neil Milkins) も、2011年の著書Who was Jack the Stripper?において、ジョーンズが犯人であると結論付けている[7]。著書Every Mother's Nightmareのためのジョーンズの調査の際に[7]、ミルキンズは殺人者の行動を追跡した。ジョーンズは1940年代後半にフラムに移ったときにハリー・スティーヴンズ (英: Harry Stevens) と称し、1962年までヘスタークーム・アベニューのその住所に留まっており、1962年に姿を消したという。インターネットでジャック・ザ・ストリッパーの事件に出会った筆者は、その事件はジョーンズが1962年から1965年までのどこにいたか不明の期間に、ジョーンズが直近まで住んでいた西ロンドンの地域で起きていることに気付いたそうだ[63]

ジョーンズは1971年にハマースミスで死亡している[63]

メディアでの扱い

この殺人事件はいくつかのドキュメンタリー番組で主題になっている。

  • 24 Hours英語版BBCの番組。ジョン・デュ・ローズ警視正がこの事件についてインタビューを受けた。イギリスで1970年4月2日に放送された。
  • Great Crimes and Trials英語版 – "The Hammersmith Murders"という回でこの事件を扱った。BBCによりイギリスで1993年に最初に放送された。
  • Fred Dinenage: Murder Casebook英語版 – "Murders That Shocked a Nation: The Welsh Child Killer"という回でこの事件を扱った。Crime & Investigation英語版というチャンネルによりイギリスで2011年に最初に放送された。
  • Dark Son – 2018年にBBCウェールズとMonster Filmsが制作したドキュメンタリー[68]。コントリビューターには犯罪学者のデヴィッド・ウィルソン英語版 (: David Wilson) やThe Hunt For The '60s Ripperの著者である作家のロビン・ジャロッシ (英: Robin Jarossi) が含まれる[69]

創作での扱い

アーサー・ラ・バーンフランス語版 (英: Arthur La Bern) の1969年の犯罪小説Goodbye Piccadilly, Farewell Leicester Square英語版はおおよそこの事件を元に書かれている。アルフレッド・ヒッチコクの1972年の映画『フレンジー』はこの小説が原作である[70]。同じく1972年の映画The Fiend英語版もこの事件が元となっている。この映画では女嫌いの連続殺人者がロンドン中に裸にされた被害者の遺体を残していく[70]カティ・アンスワース英語版 (英: Cathi Unsworth) の2009年の犯罪小説Bad Penny Bluesもこの事件が元になっている[71]

出典

  1. ^ Wilson, Colin、Seaman, Donald 著、関口篤 訳『現代殺人百科』(新装版)青土社、東京、2004年8月、208頁。ISBN 4-7917-6132-4 
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参考文献

関連項目

外部リンク