渡辺学 (アナウンサー)
わたなべ まなぶ 渡辺 学 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 大阪府八尾市 |
生年月日 | 1966年8月6日(58歳) |
最終学歴 | 中央大学商学部卒業 |
勤務局 | テレビ大阪 |
部署 |
制作センターアナウンス室 →報道スポーツ局報道部 →名古屋支社(支社長) →東京支社営業局(営業部長) →アナウンス室(解説委員を兼務) →報道部解説委員会 |
職歴 |
岡山放送 (1990年 - 1995年) |
活動期間 | 1990年 - 2022年1月 |
ジャンル | 報道番組 |
担当番組・活動 | |
出演経歴 |
スポーツ中継 岡山放送 あしたは土曜日 OHKスーパースポーツ テレビ大阪 満点!しあわせテレビ 満点!アイ やさしいニュース やさしいニュースPLUS |
備考 テレビ大阪では、アナウンス室から他の部署への異動を経て管理職を務めた後に、2017年4月からアナウンス部長としてアナウンス関連の部署へ復帰。2020年4月からチーフアナウンサーへ異動するとともに、解説委員を兼務。 |
渡辺 学(わたなべ まなぶ、1966年8月6日 - )はテレビ大阪の報道スポーツ局報道部に所属する解説委員で、テレビ大阪および岡山放送の元・アナウンサー。
経歴
[編集]大阪府八尾市の出身で、大阪府立八尾高等学校から中央大学の商学部へ進学。大学卒業後の1990年に、アナウンサーとして、FNN加盟局の岡山放送へ入社した。同期入社のアナウンサーは、内田みのりと米倉紀之子。
岡山放送時代には、報道局報道部報道課へ所属。入社2年目の1991年に長崎県内で雲仙普賢岳が噴火した直後には、FNN取材団の一員として被災地を取材した。その一方で、『OHKスーパースポーツ』(スポーツ情報番組)にレギュラーで出演したほか、モータースポーツや高校駅伝などのスポーツ中継で実況を任されていた。
1995年4月1日にTXN加盟局のテレビ大阪へ移籍すると、制作センターアナウンス室所属のアナウンサーとして、自社制作による関西ローカル向けの情報番組(『満点!しあわせテレビ』→『満点!アイ』)で中継リポーターを担当。その一方で、テレビ大阪が制作するモータースポーツ(ロードレース世界選手権や鈴鹿8時間耐久ロードレース)中継では、メイン実況の千年屋俊幸(当時の上司)を補佐したほか、ピットリポーターを務めた。
2005年4月1日から2016年6月30日までは、報道スポーツ局のマーケットキャスターを兼務。2001年4月1日から1年間は、アナウンス室の課長代理を務めた。後の人事異動でアナウンス室を離れると、2010年4月1日から2年間にわたって、報道スポーツ局の報道部でデスク業務に従事。2011年3月11日に発災した東日本大震災では、TXN取材団の一員として、被災地域の岩手県内を取材した。2012年4月1日から名古屋支社長を3年間務めた後に、2015年4月1日から東京支社の営業局で営業部長を歴任。2017年4月1日付で、編成局アナウンス部長兼宣伝担当部長として、アナウンス関連の部署へに復帰した。復帰の直後には管理業務へ事実上専念していたが、2018年からアナウンサーとしての活動を、『やさしいニュース』などで再開していた。
2020年4月1日からは、チーフアナウンサーへ就任するとともに、報道部解説委員会の委員を兼務していた。2022年2月1日付で、解説委員のまま報道部に再び転籍。アナウンサーとの兼務を解かれる代わりに、『やさしいニュース』のデスクを兼務している。
司馬遼太郎の小説を愛読していた実父や、日本史の教師であった母方の伯父の影響で、小学生時代から城への関心が強い。2020年3月の時点では、日本国内だけで67カ所の城を巡ったほか、万里の長城やリーズ城も訪れた経験を持つ。また、鉄道への造詣も深い[1]一方で、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会が認定するAFP資格や、ファイナンシャル・プランニング技能士2級の国家資格を保有している。
アナウンサー時代の出演番組
[編集]岡山放送
[編集]- あしたは土曜日(『OHKスーパータイム』を内包していた平日午後の情報番組)
- OHKスーパースポーツ
- スポーツ中継(モータースポーツ・高校駅伝)
テレビ大阪
[編集]- 満点!しあわせテレビ → 満点!アイ(中継リポーター)
- ニュースPLUS(アナウンス部への復帰後に出演)
- スポーツ中継(モータースポーツなど)
- やさしいニュース
- やさしいニュースPLUS(不定期)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- テレビ大阪アナウンスルーム公式サイト内の日記「なべの素」 - 更新は終了しているものの、アナウンス部からの2度目の異動後も存続。