浜井識安

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はまい のりやす
浜井 識安
生誕 (1954-02-15) 1954年2月15日(63歳)
日本の旗 日本 石川県七尾市
出身校 一橋大学
職業 空手家経営コンサルタント
団体 極真会館石川県支部
流派 極真会館
身長 178cm[1]
体重 80kg[1]
肩書き 極真会館浜井派代表
子供 浜井美香
公式サイト http://kyokushin-hamai.com/

浜井 識安(はまい のりやす、男性1954年昭和29年)2月15日 - )は、日本空手家経営コンサルタント石川県七尾市出身。極真空手九段。元・株式会社ビデオシティ代表取締役日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合理事を歴任し、現在は国際空手道連盟 極真会館 浜井派代表。弟の浜井良顕(本名:良明)は極真会館(松井派)の中部本部長である[2]

来歴[編集]

小学校時代に柔道茶帯を取得。石川県立七尾高等学校在学中から松濤館流空手を始め、1972年一橋大学法学部へ入学し空手部に入部、同年7月に池袋極真会館本部道場へ入門。1週間後に前年度全日本チャンピオンの佐藤勝昭組手をやり、回し蹴りがマグレで勝昭の顎を捉え、のばしてしまい、他流派出身である事に加え、この出来事により、浜井はその後しばらく極真の諸先輩から指導という名のシゴキを受けることとなる[3]。これに対して、その場にいた真樹日佐夫は違う証言をしている。曰く、浜井が勝昭と組手して、浜井の左上段回し蹴りが勝昭の顎を捉え、勝昭は片膝を床に落とした。帯の下位の者にこのような目にあうと当時は、直後の組手から帯の上位の者が追廻し、完膚なき叩きのめすのが通例であった。ところが勝昭は立ち上がって構え直し「浜井、いまの蹴り、良かったよ。さあ、もう一丁いってみよう」と促し、猪突猛進する浜井を勝昭は冷静に捌き、感情的にならず、常と変わらぬ態度で組手を終えた。後年、浜井はその勝昭の態度に対して真樹に「勝昭先輩は人物が大きいです。何から何までまるで敵わないって感じがします…」と述懐したという話である[4]。翌年、浜井は茶帯を取得した。

得意技は前蹴り後ろ蹴り。前蹴りは相手の前進をストップするものとそのまま腹部を蹴りぬくものと2種類を使いこなし、第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会6位、第9回全日本選手権4位に入賞した[1]

法学部に入学したものの、弁護士になるつもりはなく、実業家志望だったことから、1年間休学したのち一橋大学商学部に転部し森田哲弥ゼミナールに所属。会計学を学ぶ。しかし、大学3年時に両親が離婚し、家業の紳士服店を継ぐため七尾市に帰郷した。 1975年石川県七尾市で、小学校の体育館を借りて極真カラテの同好会を始める。七尾市から大学のある東京都国立市まで通い、入学から8年後の1980年に一橋大学商学部を卒業した。

1977年黒帯を取得し石川県支部長に就任。極真カラテブームの中、多くの弟子を得る一方、家業の紳士服店の業績が悪化したため、家業を売却し金沢市に道場を建設した。石川支部では水口敏夫[注釈 1][1]増田章を輩出し、極真空手の名伯楽と称せられるようになった。またレンタルビデオ業の株式会社ビデオシティ(のちの株式会社ゲオシティ)を起業し、北陸地方のレンタルビデオ業界を席巻した。加賀市については、のちに株式会社DMM.comを起業した亀山敬司からの「フランチャイズになりますから、加賀に来ないでください。」との提案を受け入れ、亀山の店舗をフランチャイズ契約により傘下に入れる形をとった。株式会社エスポコミュニケーションズに10億円でヘッドハンティングされ、ゲオ営業本部長も務めた。他のレンタルビデオ会社本部長や、日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合理事なども歴任。2004年(平成16年)に、株式交換によりかつての同僚が参画していた株式会社ゲオに、株式会社ビデオシティを約8億円で売却し実業家から引退[5][6]

2006年5月に松井章圭と団体の運営方針の違いから、極真会館松井派を離脱して、財団法人極真奨学会国際空手道連盟極真会館浜井派設立して代表に就任。翌2007年4月、財団法人極真奨学会理事に就任、同年10月、中国大連市に道場を開設。

2014年10月には、中国・大連を中心に中国全土に5つの常設道場を開設し、首都・北京にも分支部を開設させた。 中国支部を設立してから13名の黒帯を育て上げ、中国人の弟子を支部長に任命し基盤を作り上げた[7]。 将来的には「全中国空手道選手権大会を開催する」と自身のブログで語っている。

2016年8月に「第1回大山倍達杯 中国極真フルコンタクト空手道選手権大連大会」を中国・大連にて開催。中国本土はもちろん、日本からも多くの選手が参加した。約10年前、浜井がこの地に道場を構え、着々と地盤を固めた成果が今大会の開催に繋がった。

先進性[編集]

浜井は、当時として珍しいビデオで選手の組手を研究したり、他格闘技の良い部分吸収したり、殴打技による顔面攻撃、防御の研究も支部独自で行う先進性を持っていた。キックボクシング藤原敏男や、芦原英幸門下で第9回オープントーナメント全日本空手道選手権大会準優勝した中山猛夫の「対角線上の攻撃、上下に技をちらす、縦横のコンビネーション」[注釈 2]を研究して、水口敏夫[注釈 1]増田章に指導して、会得させた。

著書&参考文献[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 第13回オープントーナメント全日本空手道選手権大会初出場し、4回戦で竹山晴友に敗退。しかし、第14回全日本選手権では中村誠を破ったブラジルアデミール・ダ・コスタ松井章圭に勝ち、決勝進出。三瓶啓二に惜敗したものの準優勝した。第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会にも出場し、第16回全日本選手権では竹山と再戦したが、判定負けで3位入賞。これを最後に選手権大会から退く。岡山県支部長に就任して、現在では極真会館 松井派から離れて、極真会館 極眞會の代表である。
  2. ^ と上記はあくまで一例であって、組み合わせは何通りでもある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年、105頁、114頁
  2. ^ 浜井良顕 師範の言葉極真会館インフォメーション2013年10月8日
  3. ^ 大下英治著『極真英雄列伝』しょういん、2002年、263-266頁。
  4. ^ 真樹日佐夫 『極真カラテ27人の侍』 サンケイ出版1986年、96-103頁。
  5. ^ 「ゲオがビデオシティを買収」M&Aニュース
  6. ^ 「アダルトビデオ界の大物は、どんな男なのか」東洋経済オンライン2015年05月02日
  7. ^ 第38話 浜井識安 物語 Whenever大連ローカル

関連項目[編集]

外部リンク[編集]